自分の梯子(はしご)
一番好きな映画は? というのは答えにくい問いだとよく言われる。どんなジャンルの映画なのか、洋画なのか邦画なのか、実写なのかアニメなのか等、問いの前提によって評価の尺度が異なるからだ。しかし、あえてそれを度外視して、一番好きな映画は何かと問われたら、僕は伊丹十三監督の映画『タンポポ』だ、と答える。
一九八五年公開。宮本信子、山﨑努、渡辺謙、役所広司といった、今では同じ映画に出ることが考えられない大物俳優たちも共演している、知る人ぞ知る「ラーメン・ウエスタン」。僕は初めて見たときからこの映画に心打たれ、数え切れないくらい見なおした。DVDも買った。映画に出てくるオムライスを「たいめいけん」に食べにも行った。ネットで検索すると、やはり人気がある映画のようだが、どういうわけか、この映画の話をして「あれは良い映画ですよね」と即答してくれた人にはひとりしか会ったことがない(本当にどうしてだろう?)。
『タンポポ』は最初から最後まで、全シーンがおもしろいという奇蹟のような映画だが、特に好きなのは次のシーンである。
ラーメン屋だった夫と死別したタンポポ(宮本信子)は、ひとり息子のターボー(池内万平)を育てながら、「見よう見まね」でラーメン屋を続けている。ある日たまたまその店に立ち寄ったトラック運転手のゴロー(山﨑努)とガン(渡辺謙)から、味の悪さを指摘され、二人から接客の仕方、チャーシューの切り方、スープの熱さの重要性などについて助言を受ける。
タンポポは、大型トラックに乗って去ろうとするゴローたちを走って追いかけ、高いドア窓にしがみつく。
「あの、すみません。私を弟子にしてください!」
「弟子?」
「お願いします。私、一生懸命がんばります。二人の話を伺っているうちに、私、突然この店を本物のラーメン屋にしたくなっちゃったんです。ターボーのためにも私、がんばりたいんです。何でもやります。だから教えてください。お願いします。どうか!」
「お、教えるって言ったって、俺たちは……」
「お仕事の合間でいいんです。いつでも召し上がれるように、お漬物用意して待ってますから」
このシーンは「本当に何かをやりたくなったときの人間の姿」を見事に映像化した名場面として、僕の胸に深く刻まれている。やる気を失ったときや落ち込んだときに見なおすと大いに励まされる。「そうだよなぁ。これが本当のやる気ってもんだよなぁ。人間、こういう気持ちをなくしちゃいけないよなぁ」と思わせてくれる。気持ちをリセットし、前向きにしてくれる力強いシーンである。
この序盤のシーンと呼応している後のシーンがまた良い。
物語の後半、本物のラーメン屋になるための修業を重ねるタンポポは、ある晩、ゴローと焼き肉を食べに出かける。酒に酔ったタンポポは、普段は口にしないことをゴローに尋ねる。
「ねえ、私よくやってる?」
「よくやってるよ」
「えらい?」
「えらい、えらい」
「本当にそう思う?」
「そう思うよ」
「うれしい」
頬杖をつき、ゴローを見つめるタンポポ。
「ねえ、ゴローさん」
「うん?」
「ゴローさん、どうして、こんなに一生懸命やってくれるの?」
「さあ。お前はどうして一生懸命やるんだ?」
「そうねえ。何て言うか……」
日本酒を一口飲むタンポポ。
「誰でも自分の梯子を持ってんのよね。その梯子の精一杯上の方で生きている人もいれば、梯子があることも気づかずに地べたに寝転んでる人もいるのよ。ねえ、ゴローさん。ゴローさんに会って、私、はじめてそのことに気づいたの」
誰でも自分の梯子を持っている。その梯子の存在に気づくかどうか、気づいたとして、どこまで昇っているのか、昇ろうと努めているのか、というのはしみじみと考えさせられる問いである。「誰でも」というからには、僕にだって自分の梯子があるはずなのだから。もちろん、この文章を読んでくれているあなたにも。
誰かとの出会いが、自分の梯子を気づかせてくれる可能性を秘めているというのも、また考えさせられる。映画『タンポポ』との出会いは、僕にとって「自分の梯子」という命題を与えてくれる、大切なものになった。
自分は自分の梯子を見つけ、昇っているだろうか? そう自分の胸に聞いてみて、イエスと答えられたら、それだけで幸せではないか。たとえ、その他のところで、どんなに思い通りにいかないことがあったとしても。
あなたは、自分の梯子を昇っていますか?