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なぜ人違いはこんなに恥ずかしいのか?

 先日、誰かに間違われた。

 勤め先に向かって歩いていたら、こちらを見ている女性がいることに気がついた。

 誰だっけ? と思いながら軽く会釈(えしゃく)をすると、その人は足早(あしばや)に近づいてきて「三回目ですね」と嬉しそうに言った。

 えっ三回目? 何が? と狼狽(うろた)えながら、僕が曖昧にうなずくと、彼女は満足そうにうなずき返した。

 しばしの沈黙。同じ方向に歩いていたので、そのまま黙っているわけにもいかず、「最近、どうですか?」と僕が尋ねると、今度は彼女の方が「えっ?」と聞き返した。

「お仕事の方は」と僕が付け足すと、相手は「ああ」という顔をしただけで、何も言わない。

 あれ? 仕事関係の知り合いじゃなかったのかな? と思いながら、半分自棄(はんぶんやけ)になって「最近、異動する人が多いですよね」と雀牌(じゃんぱい)をかき混ぜる身振り(麻雀をしたことないけれど)を(まじ)えて言葉を()ぐと、「ええ、ミスミさんも……」と女性が答える。

 え? ミスミさん? 誰?

 自分の記憶を必死に検索しつづけていた僕も、彼女が僕のことを誰かと間違っているのだと確信した。もし僕が記憶を(うしな)っているのでなければ。女性の方もようやくそれに気づいたのか、少し顔がこわばったように見える。

「僕、ちょっと寄らなきゃいけないところがあるんで、ここで失礼します」

 女性と再び会釈を交わして、僕は道を曲がった。


 ずっと幼かった頃、たぶん僕がまだ小学校の一、二年生だった頃のこと。

 僕が海沿いの一本道を歩いていたら、五十メートルくらい先の角を曲がってケンジくんが現れた。

「ケンジくーん!」

 僕は背中に向けて呼びかけたのだが、相手は振り返らずすたすた歩いていく。

「ケンジくーん!!!」

 聞こえないのかと思って、僕は全力で叫んだ。

 ようやく相手は振り返ったのだけれど、(すでにお察しの通り)それはケンジくんとはまったくの別の子どもだった。

 バッと全身が冷たくなった僕は、何を思ったのか、誰? という顔をして立ち止まっているその男の子に向かって叫んだ。

「違うー! 向こうー!」

 僕は百メートルくらい先を指さしながら言ったのだが、もちろんその道には僕とその知らない男の子しかいない。相手は指さされた方を見て、不思議そうにもう一度振り返ってから、またすたすたと歩いていった。


 なぜ、人違いはこんなに恥ずかしいのだろう。僕たちは生きている間に実にさまざまな種類の失敗を経験するけれど、人違いには独特の恥ずかしさがあるように思う。相手に対して申し訳ないというか、自分の認識の甘さがつくづく情けなくなるというか。その恥ずかしさたるや、自分が人違いをしているくせに、相手が人違いをしているのだと言い張ってごまかそうとするも失敗して、さらに恥ずかしくなってしまった少年の日の思い出を、ずいぶん時間が経っても思い出すたびに恥ずかしくなるくらい恥ずかしいのである。

 人違いとは、他人との出会い(がしら)での(つまず)きだから、相手に自分がどう思われるかということがよりストレートに胸に迫るのだろうか。実は自分を自分として認めてほしいという願望が思いのほか根強く、人違いによって誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたりすることへの恐れが強くなってしまうのだろうか。誰かに間違われて、あらためていろいろと考えるけれども、よく分からない。

 なぜ人違いはこんなに恥ずかしいのか、あなたはどう思いますか?

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