夜中の二人
狩りをしている、と言った私を、ユーリは奇妙なものでも見る目で見て言った。
「うん。だからそれが、恋だよね」
さも当然のように言う。
私が思わずぽかんとすると、ユーリはふっと目を細めた。
「どうでもいい相手に狩りはしないよ。それが欲しくて狩りをするのさ。特に彼みたいな人はね」
「……どういう意味?」
「食べたくないものを食べるくらいなら、死んだ方がマシだっていう愚かで美しい獣のような人は、狩りをしているだけでもう相手に夢中だってこと」
それにしては。
私が難しい顔をしたのか、ユーリも頷く。
「うん……それにしてはすごい切りかかっていたけど、まあ、そういうことだよ。君は獲物じゃない」
「そうかしら」
「きっとね。彼自身が気づいているのかわからないけど。もし本当の夫婦になるのを避けたいのなら、それを自覚させないように細心の注意を払うことかなあ。グレースが彼に恋をするのなら、僕はとやかく言わないよ」
ごちそうさま、とユーリが立ち上がる。
私の答えを聞く気はないらしい。
「長居をすると、僕は冗談じゃなく殺されてしまいそうだ」
「そのときは私がユーリを守るわ」
「心強いけど、火に油を注ぎそうで怖いなあ」
この穏やかな物言いや立ち振る舞いに、どこかほっとする。
父も母も忙しく、一人娘だったので、いつもユーリと、そして傍付きの娘だったアンナと一緒に過ごしていた。三人そろってお喋りをし、私とユーリが祖父に稽古を付けてもらっている間はアンナが侍女の仕事を教えられていたりと、常に三人だった。ここにアンナがいないことが寂しい。
そうか、私は本当に嫁いだんだわ。
今になって実感する。
私だけ別の場所に来たことを。
後悔はしていないけれど、寂しいものは寂しい。
門の外まで見送ると、肩をとんとんと叩かれた。
ユーリなりの励ましを受け取り、私は笑みで返す。祖父に褒められなかったときも、こうしてなにも言わずに励ましてくれた。
「大丈夫?」
「ええ。大丈夫。少し懐かしくなっただけ」
「そっか。いつでも帰っておいで」
そんなことは易々できないが、それでもそう言ってもらえることが嬉しい。
「彼に負けたときにはそうしようかしら」
「そうだね、そうしよう」
「簡単には負けないけど」
「……」
黙り込んだユーリを見上げると、達観した目で笑んでいた。
小さく呟かれる。
「さみしいなあ」
「どうして?」
「どうしてって……きっと帰ってこないんだろうなって思ったからかな」
馬車に乗り込み、ユーリは不吉な言葉を残す。
「だって、グレースは先生のことが大好きだったろ。あの彼に恋に落ちるのも時間の問題さ」
僕が寂しくなったら会いに来るよ、と付け足して、幼なじみで遠縁で誰よりも私の理解者であるユーリは颯爽と帰って行ったのだった。
夫が帰ってきたのは、深夜を回った頃だった。
出迎えだけはしていたので、軽食を用意してもらい、使用人達には休むように言ってある。出迎えると、どうやら父に長くつかまっていたらしい彼は驚いたように私を見た。
「起きていたのか」
「ええ。おかえりなさいませ」
「遅くに悪い」
「ずいぶん飲まされましたね」
「……わかるか」
「顔色は変わっていませんし、ふらふらもしていませんが、お酒臭いです」
「申し訳ない」
手で口元を隠す。思わず、その仕草に笑みがこぼれた。
私が笑っていると、しげしげとこちらを見る目と視線が合う。
「なにか?」
「いや」
「そうですか。でも、安心しました。ぼろぼろになって帰ってくるかと。軽食の準備がありますが、どうなさいますか」
「ありがとう。先に身体をきれいにしてくる。君は先に寝てもいいが」
「なにを言っているんです。帰ったらお話に付き合うとあなたと約束したでしょう。寝室に軽食を持って行って待っていますから、さっさとしてください」
「……わかった」
彼は少し驚いて、しかし悪い気はしなかったのか、さっと支度をしに行ったのだった。
野菜がたっぷり入ったトマトスープと、ハムのサンドイッチ。
本当にこれだけでいいのですか、と使用人達には恐縮されたが、父も祖父も遅くなったときはこれだけで十分だった。訓練を限界までした後は、殺気が蓄積されて興奮状態で、食事なんて進まなかったものだ。けれど今日は飲み過ぎのようなので、キッチンにあるにフルーツを集めて皮をむき、カットして皿に盛る。
あらまあ、なんて妻っぽいことをしているのかしら。
苦笑する。
その昔、戦士と呼ばれていた頃の父と祖父二人の世話が身に染み着いているらしい。
「君の剣、置いておくのか」
タオルを頭からかぶった夫は寝室に戻ってきて早々、私のソファの横に立てかけた剣をめざとく見つけた。
もう少し、シャツのボタンも止めて欲しい。
いつも勝負をする二人掛けのテーブルに軽食を置きながら、私は頷いた。
「ええ。あなたがちゃんと仕事に戻ったので」
「また手合わせをしてくれる、と?」
「そうなりますね」
食べられるものがあったらどうぞ、と言うと、素直に座る。
私も椅子に掛け、彼がフルーツを摘むのを何となく目で追った。
「君の剣の腕前は誰に?」
「祖父よ。あなたと同じ、外から来た人」
彼が頬杖を付き、私も頬杖をつく。
フォークに刺したオレンジを、ふいに私に向けた。
私がぱちくりと瞬きをすると、彼はそれを逸らす。
「ああ、失礼」
お嬢様扱いをされた。
ふっと笑った彼の横顔を見て、私は反射的に人差し指を伸ばしていた。逸らされたフォークを軌道修正し、オレンジに噛みつく。
爽やかな酸味に、甘い果汁。
ついでににっこりとわざとらしく笑みを向けておいた。
「ありがとうございます」
「……ふ」
彼が俯いて笑う。その顔は垂れた髪とタオルで全く見えないが、不思議と悪い気はしなかった。