見送り
剣を芝生の上に刺し、ゆっくりと立ち上がる。
ついでにドレスの裾をぱんぱんと叩き、身だしなみを軽く整えた。
夫を見上げれば、なぜか嬉しそうに目を輝かせている。少し頭に血が上って、遊ぶくらいで攻撃をかわすつもりが、思いっきり相手をしてしまった。
こんなに本格的に鍛錬の相手になったのはずいぶん久し振りだわ。
「……では、初夜は今夜もいたしません」
「そうなってしまったな」
「嬉しそうですのね」
「ん?」
木の剣を立派な鞘に仕舞いながら、彼は顔に「すっきりした」と書いて私を見た。
今まで見たどの顔よりもご機嫌で、晴れやかだ。ともすれば、とてつもなく爽やかな青年に見える。
今の今まで妻相手に勢いよく剣を振るっていた様には見えない。
きらきらした笑顔で、彼は私に握手を求めてきた。
「嬉しい。こんなに面白い手合わせは初めてだ。相手をしてくれてありがとう」
とりあえず手を握り、軽く振る。
「いい剣捌きでした」
「君もな。負けたのはものすごく残念だよ。いつになったら初夜を迎えることが」
「ユーリ! 鞘を」
はいはい、と若干呆れた声が返される。
「旦那さま」
向き直り、声をかけると明るさを湛えた目が私に向かう。
少しも汗をかいていないのが憎たらしい。
「お仕事、いってらっしゃいませ」
「……今か」
「今です」
「もう少し、話でも。君から聞きたいこともあるんだが。その素晴らしい剣の腕前について」
「あら、帰ってからお話ししましょう。待っていますね」
にっこりと笑いかけると、彼は頭を掻いて、わざとらしいため息を吐き出した。
「君が待ってくれるのならば、行ってくる」
「はい。追加の訓練が課せられるとは思いますが頑張ってくださいませ」
「……早く帰れるよう努力する」
「では早く行ったらよろしいかと」
「グレース、言い方……」
ユーリが少々入りにくそうに所在なく立っていた。一本ずつ鞘を向けてくれたので剣を仕舞う。
すうっと素晴らしい音が三人の間に響く。なぜ彼はさっさと行かないのかと見てみれば、私とユーリをじいっと見ていた。
「なにか?」
「いや」
「あの」
ユーリが彼に話しかける。
堂々とおおらかな声に、なぜか彼は少しだけ警戒をするように目の奥をひそめた。気づいているだろうに、ユーリはさらに爽やかに距離を詰める。こういうところが油断ならない幼なじみだ。
「素晴らしい腕前でした。見学させていただきありがとうございます」
「どうも」
「グレースがきちんと相手して、一歩踏み込むなんて久々に見たよ」
「あら、容赦なかったもの」
「僕は打ち込ませてもらうだけだったもんね。反撃されたかった」
「ふふ。変なことを言うのね」
「妻と手合わせを?」
彼が聞く。
ユーリは深く頷いた。
「ええ。あなたと結婚させられるまでは毎日僕と」
毎日だったかしら?
時間があった時だけのような気がするが、ユーリは微笑んで続けた。
「ですので、積もる話もあるので少しお邪魔しても? お茶を頂いたら帰りますので」
「……ならば俺も一緒に話を」
「旦那さまはお仕事に行ってらっしゃいませ」
なにを言っているのだ、この人は。
私が少し苛立ちを込めて言うと、ユーリは控えめに笑い、夫はむっとした。
「約束だったでしょう、戻る、と。そうではければ」
「家に入れないし、二度と剣の相手はしない、だったか」
「そうです」
「それは嫌だな」
子供か。
子供っぽく拗ねて、彼はしばらく考え、ユーリを高圧的に見下ろした。
「すぐに帰るように」
「もちろんです」
「……妻よ。見送りを頼めるか」
一度もそんなことを言われたことはないし、ここは庭で、門までちょっとしかないが、彼が言うには「馬車まで来い」ということらしい。
しょうがないので恭しく頷いた。
「ええ。お送りいたしますわ、旦那さま。ユーリ、剣をお願いね」
「ここで待っておくよ」
ひらひらと手を振られる。
ぐいっと手を引かれ、気づくと彼に腕を取られていた。
無言でスタスタと連れられていく。
これでは見送りもなにもない。どう見ても、連行だ。
門の外にでると、腕を強く握られた。なにかしら、と見上げると、未だに拗ねている瞳と目が合う。
「なんでしょう」
「ずいぶん仲が良いようだな」
「私の兄のような人ですから」
「今後の手合わせは俺とだけしてほしい」
「……それは」
わがままを言っているのかしら。
彼は至って真剣に言っていたので、妙にはぐらかすことができず、私は首を縦に振るしかできなかった。ようやくほっとしたように腕を掴んでいた力が抜ける。
大きな手だ。
傷だらけなのが、その涼しげな風貌と全く合っていない。
少しだけもの悲しくなるほどだった。
「よかった。これで心おきなく訓練に行ける」
「それはようございました。お帰りをお待ちしています。行ってらっしゃいませ」
姿勢を整え、軽く頭を下げる。
「結構いいな」
感慨深げに言われて頭を上げると、目を煌めかせていた。
思わず、しっしっと、手を振って「さっさと行け」とやってしまい、それを見た彼がおかしそうに笑って「では行ってくる」となぜか頭を撫でて行った。
はあ、とりあえず獣の息抜きは完了した。
次は私の息抜きだわ。
ユーリとお茶でもしよう。
剣の手合わせには全く疲労感はなかったというのに、あの子供のようになったときの夫の相手をすると変なところが緊張して、ざわついて、苛つく。むずむずするのだ。
よし、忘れよう。
お茶とお菓子とユーリが待っている屋敷へと、足取り軽く戻りながら考える。
手合わせは悪くなかった。
ヒールを脱いでいればもっと思いっきり切り込むことができたのに。