剣
「旦那さま、お早いお帰りですのね」
まだようやく昼を過ぎた頃だ。
私が聞くと、彼は眉を潜めた。
「何かまずかったか?」
「いいえ」
なぜ不機嫌なのかは、次の言葉でようやく理解した。
「それは君の不貞の相手か」
「……あらあら、あらまあ」
「グレース、煽っちゃだめだよ」
呆れた声でユーリから叱られる。肩を竦めると、ユーリは自ら彼に向き直って自己紹介を請け負ってくれた。
「僕はグレースの遠縁です。同い年でほとんど兄妹のように育ったので、そういう関係ではありません。届け物にきただけですよ」
ユーリが私の持つ黒い包みを指さす。
彼は何も言わぬまま、私とユーリを何度も見比べた。
昔から一目で兄妹だと間違われるほど似ているので誤解のしようがないと思っていたのだが、夫は疑念の目をゆるめない。
なので、事実を伝える。
「ユーリより私の方が強いわ。ねえ?」
ユーリに振ると、不思議そうな顔をして「そうだね」と頷かれた。
「わかった。疑って悪い」
即答だった。
あっさりと疑いを手放して一気に機嫌が戻る。
やれやれ、面倒くさかった。
「いえいえ。お気になさらず。私もちっとも気にしておりませんから」
「気にしてくれてもいいが」
「ねえねえ、ユーリ、時間ある? 会えて嬉しいわ。少し付き合ってちょうだい」
「あるけど……いつもそんななの、グレース」
門を開けながらユーリに聞くと、なぜか彼に対して同情の濃い目で返された。彼は彼で再び少し機嫌が傾いている気がしないこともない。
私が先導する形になり、後ろからユーリが、ユーリの後ろから彼がついてくる。ユーリが穏やかな声で言う。
「心配なさっていたよ」
「お父様が? ふざけないでちょうだい」
「いや……ふざけてはないと思うけど」
「じゃあ寝ぼけているのね。私の代わりに後ろから頭を叩いてきてくれるかしら」
「僕に死ねと?」
「冗談よ」
「冗談に聞こえない」
「では、私は今までと変わらず元気であると報告してきて。そのために時間があるんでしょう」
一人娘である私には継げない家を継ぐために、ユーリはそれなりに忙しいはずだ。
それでもユーリを指名すれば必ず寄越してくるとわかっていた。そして、私の状況を正しく知ってこいと、送り出すであろうと。使用人たちからも報告を受けているだろうに、どれだけ私の夫は取り扱い注意人物として見られているのだろうか。
庭に着く。
庭師はふっと気配を消してすみへとのそのそと歩いて行った。
私は振り返って彼を見る。
「で、早く帰された原因は私ですか?」
「……」
「私ですね?」
無言だが、一瞬後ろへと首を引いた。
じいっと見ると、渋々口を開く。
「殺気が漏れて訓練にならないから鎮めてこい、と」
「ではちゃっちゃと手合わせ一つして、すぐにお仕事にお戻りくださいませ」
「……戻るのか」
彼はなぜかびっくりした顔で私を見た。
父は全く説明せずに追い出したのか。
私にはあんなに厳しく鍛錬よ重要性を説いていたというのに。
「戻るのです。一日の訓練のメニューを全て終えるまで屋敷に戻ることは許しません。そして、訓練に戻らないのなら二度とお相手はいたしません」
はっきりと言い渡すと、彼は残念そうな表情を隠さずに見せ、やや俯いてため息を吐いた。
どうやら「帰宅」したつもりだったらしい。
仕方のない人だ。
私は彼の腰の携えられた装飾のついた鞘を見た。真剣は持ち歩かない規定であり、中身は木でできたレプリカだ。そっと指をさすと、私の意図が伝わったらしい。ようやく返事をしてくれた。
「……わかった。戻る」
「では少し遊びましょうか。気晴らしに。ユーリ。そこにいてくれる?」
「はいはい」
ユーリに黒い布を渡す。それを広げると、細い二本の剣が顔を出した。意匠もなにもないシンプルな鞘から二本引き抜く。
すらっという涼しげな音が心地いい。うっとりと久しぶりの愛しい相棒たちの重みを確かめ、軽く振る。
「……妻よ」
「はい、旦那さま」
「そのドレスでするのか」
「ええ。まあ、慣れていますので」
「剣は二本?」
「そうです」
「……真剣か」
聞かれ、私は笑って大きく頷いた。
「ええ! とてもきれいでしょう?」
「……ああ、きれいだな」
「ユーリ、暗器はしまっておいてね。手出しは許しません」
見張りでしょう、とほのめかすと、ポケットに手を入れていた右手をユーリは出してひらひらと振った。
「さて」
これで大丈夫だ。
邪魔はされない。
用意はどうかと彼を見ると、ゆったりと剣を引き抜き、その鈍色に光らぬ剣を見つめた。
ぶらんと持っているだけの構えに、酷く既視感を覚える。
「妻よ。今夜の勝負はこれでどうかな?」
「……あら。ご心配なさらなくても大丈夫よ」
初夜を過ごす気のない夫からの手抜き発言をもらい、にっこりと答える。
彼はふと不思議そうに私を見た。
「君は勘違いをしている」
「なにをですか?」
次の瞬間、
彼の長い足は一歩前へと踏み出されていた。
「!」
身体を一歩後ろに倒して避ける。そのまま、上から振り下ろされる攻撃を左の剣でいなす。
すかっと軌道の逸れた剣先に、彼はまるで子供のように驚いた後、瞳を輝かせた。
無邪気な捕食者の目に変わる。
右の剣をわき腹へと素早く入れたが、軽々とかわされた。
姿勢を低くして一歩踏み入れ、彼の繰り出す突くような剣を、クロスさせた両剣で挟んで上へと打ち上げる。
いいレプリカだわ。
切れなかった。
上へ打ちあがったそれは、両手で握られて再び力一杯振り下ろされる。
が、喉元に素早く剣を向ければ、彼は大きな一歩で後ろへと下がった。
しかしそれも一瞬で、再び突進してくるような早さで距離を詰めてくると、連続で打撃と呼べるような攻撃を繰り出してくる。