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本能


 丘の上の広場までやってきた彼は、私を見て首を傾げた。


「グレース?」

「……なんでしょう」

「どうかしたか」


 私の表情を読まんとする彼の優しさをそのまま受け止めて、首を横に振る。


「いいえ。なんでもありません」


 そちらはどうでしたか、と聞きたい衝動を押さえ込んで笑みを向けたが、さらに心配させるだけだった。私を見る視線がちらりとジェイにも向かう。


「キリ様」


 空気を読んで追求される前に、私は彼を引き留めた。


「私、疲れたみたいです」

「……なら向こうで」

「なので、気晴らしにお相手して下さいますか?」


 マントをあけ、腰に差している剣の鞘に触れる。

 彼は一瞬驚いたが、すぐに「何を賭けたい?」と静かに聞いてきた。

 私のことをよくわかっている。


「私が勝ったら」


 一緒にドージアズへ帰って下さい。


「ここでの祖父の話を聞かせて下さい」


 本音を丁寧に隠し、いつもの笑みを向ける。

 彼はじっと私を見て、仕方なく承諾するように浅い息を吐いた。


「わかった。何でも話すよ」

「キリ様は何を賭けますか?」

「君が決めてくれてかまわない」

「……ずるいわ」

「決めてくれ」


 彼は自分では決めない、と言い渡した。

 絶対に勝つつもりでいる私が決めるということは、「彼に望まないこと」を口にするようなものだ。

 私が勝負を仕掛けた手前、賭けの内容を決めないわけにはいかないというのに、なんてずるい。

 

「……では、あなたが勝ったら」

「ああ」

「別居を許します」

「……は?」


 目が点になった彼に構わず、私はすっと身を屈めてそのまま勢いよく剣を抜いた。

 クロスしていた両腕からすらりと出てきたそれを、彼めがけて大きく払う。


「!」


 一瞬で反応した彼は一歩後ろへ跳び、すぐに右手で左の腰の剣を抜いた。

 が、素早く間合いを詰める。ドレスでもない。ヒールでもない。騎士たちと同じ格好はとんでもなく動きやすかった。コルセットがないだけで、一振りが大きくしなやかになる。両手で振るいやすいったらない。


「……グレー、ス」

「なにかしら」

「卑怯じゃないか?」


 憎らしい。

 すぐに呼吸を整えて順応してしまった。

 鬱陶しそうに首もとのボタンを外し、マントを脱ぎ捨てる。


「ジェイ、悪いけど拾っておいてくれるかしらっ」


 左の剣を彼の足下に。そうしてその場から少し外し、軍支給のマントが足跡だらけにならないようにする。ちらりと見るとジェイは呆れた眼差しで剣を抜いてマントをすくい上げた。マントを左腕に抱き、剣は草の上に突き刺して手を離さない。


 心配しなくても平気よ、と見れば、それでもです、と少しだけ睨まれた。


「……よそ見をする余裕が?」


 低い、ぬらりとした声が私の視線を彼に戻す。


「ええ。少しだけですけど」

「俺の剣は真剣なのだが。忘れていないよな?」

「もちろん。私のこれも、真剣ですが?」

「知っている」

「そらそろ逃げ回るのは止めたらどうかしら」


 剣を振る。

 鈍色に光るそれが、お互いの間できらりきらりと閃光のように瞬く。


 しかしそれは未だに交差しない。

 彼は剣を合わせようとしないのだ。


 どうしようもなく、苛立つ。



「本気で相手をして下さらないのなら、二度とあなたとは遊びません」


 

 理性で押し殺していた何かを、感情が蹴飛ばした。

 腹が立った。

 こんなに、こんなに自由に剣を振るえたことがないのに。何にも固定されていない身体が、剣を力のままに振るえと言っているのに、本気で手合わせができないなんて。

 手抜きをされる勝負など、私を軽んじているとしか思えない。

 強い私が、彼にとって意味があるというのに。


「……本気でやれと?」


 彼の声がいつもの数段低いことなど、どうでもよかった。

 手抜きの果ての勝利に、なんの価値があるというのか。

 

「あなたが本気だろうと何だろうと、私は勝つもの」


 身体は今、こんなに自由なのだから、思いのままに振るいたい。

 あなたを欲しがるこの手は、どこまでも伸びる気がする。


 一瞬だけ険しい目をした彼は、足を止めるとぐっと踏み込んだ。



 来る。



 レプリカでも、私の細い剣でもない。

 すっと伸びた硬質なそれは、突如意思を持ったように光を増した。

 勢いが段違いに早くなったのだ。


 剣の先を読んでステップを踏み、ターンの回転を利用して腹に打ち込み、ガードされれば一旦引く。もちろん、腕でも足でも狙いながら。全てかわされて腹立たしい限りだが、心よりも奥のどこかから、何かが沸き上がって来るのを感じた。


 どくん、どくんと脈打っているのに、身体の中心はしんと静まっている。

 

 彼の表情を。

 その腕の力の入り方を。

 その足の動き一つを。

 私が意識せずともどうしてか「見え」て「わかる」のだ。


 剣を振るう両腕が軽い。

 呼吸が全身に行き渡り、指先一つの感覚の微細なコントロールができているのを感じる。


 コルセットはなんて邪魔だったのかしら。

 祖父を恨みたくなった。ドレスもコルセットもヒールも、アクセサリーまでつけて稽古を付けられていたせいで、この感覚を私は知らなかったのだ。

 


 上から、まっすぐ振り下ろされる。

 クロスした剣で挟んでやわらかく一度落とし、勢いを弱めてから外に一気に払いながら剣を打ち上げる。


「!」


 彼が虚を突かれたように後ろへ一歩よろめく。

 しかし、すぐににいっと笑った。身体をぐっと縮めるように剣を左へ構え直し、右に勢いよく振る。


 重そうだわ。


 両剣を右に。

 一瞬。あの重い力を、剣の角度と受けたタイミングで、受け止めるのではなく、いなす様にそっと落とす。剣がぶつかる音すらさせずに。そうして、右の剣で地面に落としたまま左の剣をスゥッと滑らせて喉元まで一気に駆け上がらせーー




「そこまで」




 鋭い声に、ビクン、と身体が止まる。

 私だけでなく、彼もだった。



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