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朝焼け


 

「おはようございます、旦那さま」


 私がソファから起きあがって声をかけると、彼はびっくりした目で私を見た。

 シャツに袖を通している姿で硬直する。


「……おはよう」

「あの、聞いてよろしいですか。これってまだ夜中ではなくて?」


 窓の外はうっすらと日が開け始めた頃だ。

 ブランケットにくるまったままソファに丸まって窓を睨むと、紫色の空に朝なのか夕方なのかわからないグラデーションが広がっていた。

 彼はシャツのボタンを留めながら、ああ、と窓を見る。


「いや。明らかに朝だ」

「早すぎます」

「君は寝るのが好きみたいだな。いつも気持ちよさそうに寝てる」

「……見ないでください」

「起こして悪い。静かにしていたつもりだったんだが、気をつけるよ」

「まだお時間はありますか? 手紙を父に届けていただきたいの」

「わかった。支度をすませたらもう一度戻ってくる」

「ありがとうございます」


 彼は気配なく部屋を出ていった。こんな早くに朝食を準備してくれる使用人たちに、もっと感謝しなくては。私はすぐに立つと、デスクに向かった。



   剣の相手をつとめます。

   つきましては夕方までにユーリを屋敷まで寄越してください。



 長い手紙を読むのが嫌いな父に簡潔に書き、ペンを置いて封筒に入れると、彼が戻ってくるのをソファに戻って待つ。


 窓の外を何気なく眺めていると、夜が明けた空の色がどこまでも広がっていく美しさに気づいた。

 薄雲に日の光がさっと当たると、まるで芸術作品のように見える。一刻一刻と変化する一瞬限りの輝く絵を一人で独占していることがたまらなく贅沢に思えた。

 静まりきった部屋の中で。

 まだ誰もが眠りについているような微睡んだ空気の中で。

 ただ一人。


 早起きも、悪くない


 ふと、祖父のことを思い出す。

 彼の前に外からきた、このドージアズに繋がれた猟犬のような人だった。

 外から人を迎え入れること事態、あまりあることではない。国内の猛者を集めているし、そもそも貴族イコール強者なのだ。外で見つけてきた人間を迎え入れるというのは、それだけで特別だ。


 祖父がそうだった。

 幼心に、なんて恐ろしい人なのだと感じていたというのに、しかしなぜか好かれていた。

 年老いてなお、血に飢えた、世界に飢えた獰猛な猟犬の目をしたあの白い睫の目の奥がぞっとするほど美しくて、私は祖父を好いていたのか畏れていたのか、今もよくわからない。


 祖父も早起きだった。

 一度なぜかと聞いたら、日が昇るともうどこにも休めるところはないからだ、と暗い瞳で言われて、私は何も言えなかった。寝るのが大好きで、昼まで寝ていたい子供だったからだ。

 祖父は見透かしたように、お前はよく寝なさい、と頭を撫でてくれた。


 そういえば、思う。

 祖父はきっと「愛したい人」だったのだろう。




「悪い。待たせたか」


 夢想を軽やかに打ち破って、夫は寝室へ戻ってきた。

 私は立ち上がる。


「いいえ。待っていません」

「で、手紙とは」

「これです。朝一番で父に渡していただけますか」


 彼はさっとソファまでやってくると、私の肩をとんと押さえ、再び座らせた。

 手紙もすっと引き抜かれる。


「わかった。父上に渡しておく。君はもう少し休むといい。見送りはいらない。なんだったらベッドで寝てはどうだ? 俺は居ないし」

「……そうさせてもらいます」


 これはもしや。

 ばれている?

 居なくなってからベッドで少し寝ていることを。

 居心地の悪さを出さぬように頷くと、ふと頭にあたたかいものが触れた。


 頭を撫でられている、と気づいたときには離れていて、見上げると、ぎらりと光る目が私に向かって細められていた。

 夜から目覚めた獣の目が、不似合いなほど優しげに。


「じゃあ、また」


 ひらりと指先を振られる。

 私はその背を黙って見送った。黙ることしかできなかったのだ。



    ○



 少し居眠りをしてベッドから起きあがって、さくさくと支度をすませ、遅めの朝食を食べて、届く手紙を選別する。

 その合間に、世話をしてくれる使用人たちと軽く話をし、そして今日は夫の帰りが早いことを伝えた。

 みな同じように「そうでございますか」と言うのだが、軽く驚かれてしまったので、この屋敷の中でも私たち夫婦がどう見られているのかは十分に察することができた。


 ついでに剣の稽古に付き合うので、少々騒がしいかもしれないが気にしないでくれ、とも伝えると、なぜか目を輝かせて「そうでございますか」ともう一度言われた。とてつもなく嬉しそうだったので、少々反応に困ったくらいだ。


 いつものように手紙を仕分け、上品な言葉で「何度誘われても行きません」と返事を書き、ふらっと庭に出て、唯一のふつうの穏やかな寡黙な老人と花の世話をする。

 軽めの昼食を終えて再び庭に出ると、門の前に馬車が止まったのが見えた。

 そこから降りてきた見知った顔に、思いっきり手を振る。


「ユーリ!」


 呆れた顔をして手を振り返したのは、私が幼い頃から一緒に育った幼なじみ。

 祖父から目をかけられた遠縁の青年だ。

 私と同じと亜麻色の髪は撫でつけてあり、相変わらず優しい顔をしている。たった十日ほどだというのに、久しぶりの再会のように感じて嬉しくなった。


「グレース、危ないから走らないで……あ」


 走って迎えに行っていると、ユーリがふと視線を外して誰かを見た。

 もう一つ、馬車がやってきて止まったらしい。そろそろと門を出ると、馬車から夫が降りてきた。


「あら」


 私はユーリの腕を叩く。


「ユーリ。こちら、私の夫よ。話すのは初めてよね?」

「……グレース、たぶん今そのタイミングじゃないかな……」


 ユーリが弱々しく言いながら、私に届け物を渡す。

 黒い布にくるまれたそれを受け取りながら夫を見れば、彼は朝の眼差しがなんだったのかと思うほど、酷く冷たい眼差しで私を見下ろしているのだった。

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