カード
「聞きたいことがあるんだが」
「はい、なんでしょう。あら、ペアだわ。もう一枚」
箱の中から取りだした紙に書かれていた「メモリー」が今夜の勝負だ。
トランプを机にばらまき、そこからペアを探して記憶するゲーム。至極単純で、とにかくめくってペアを完成させ、手持ちのカードを多くしていけばいい。
私はエースと8のカードを伏せた。
ちらりと夫を見る。
伏せられているその目は、最近穏やかになってきた。
でもどこか違う穏やかさで、そろそろ発散するべきだわ、と父に連絡する事を考える。
思いのままに力をふるってきた人が、こうして閉じこめられて基礎訓練だけをさせられているのはさぞ窮屈だろう。牙を抜かれた獣がしばらくは大人しいのと同じで、反動は必ずやってくる。
「聞きたいこととは何でしょうか」
テーブルから目を離さず、無事に8をペアにした彼は次に引いた2のペアを探しながら口を開く。
「ソファで寝てつらくはないのか」
「快適です」
即答する。昔から狭いところは好きだ。小さく丸まることも好きだし、寝ることはもっと大好きだ。
「そうか。君の番だ」
「ええ、そうです。2……あら、こちらも2。頂きますね」
「中身のない会話だな」
つまらなそうに言うので、私は6のペアを完成させながら彼を見た。
テーブルに視線を落としていたはずが、今は私を真っ直ぐに見ている。私を深く探ろうとする目は、確かに「ものたりない」と言っていた。
「中身のない夫婦ですもの」
「確かにそうだな」
「お疲れですのね」
「退屈だ」
「父にそう言っておきます」
「そろそろ剣を振るいたい」
「では、明日にでもお相手しましょうか?」
連続五回ペアを完成させながら言うと、彼は突然黙った。
3と5を引き、そのカードを伏せる。
「旦那さまの番です」
「今、なんと?」
「ですから旦那さまの」
「相手をすると言った方だ。夜のではなく?」
「剣の簡単な手合わせでいいのなら、私がお相手しますよ、と申したのです」
イラッとしながら見ると、彼は目を煌めかせて私を見ていた。
「剣を?」
「ええ。嗜む程度ですが。きっとあなたには物足りませんよ」
まだ実践式の訓練も禁止されているだろうから、少しは気が晴れるはずだ。
これ以上溜めに溜めると、突発的に国を出て剣を振るいかねない。
「自分の屋敷で妻と剣で遊ぶくらいなら禁止規定に触れないですし。まあ、物足りない相手でよければ、ですが」
「いい。君と剣で遊んでみたい」
思わず、ふっと笑ってしまった。
食いつくように前に乗り出して言うので、本当に少年みたいだったのだ。
くすくす笑っていると、じっと見られていることに気づく。私が首を傾げると、彼はゆっくりと視線を落として私が引いた3と5を再び引き、伏せた。
やはり、彼は彼で私と初夜を過ごす気はない。
本当に心を決めた人などいないのだろうか。
いたっていいのに。手を回して排除するだなんて思われていたら心外だ。
「お外で遊んできても何も言いませんので、勝手に剣を振るうことだけはやめてくださいませ。剣は私がお相手いたします」
念を押しておこう。
3のペアを取り、5のペアを取り、キングもクイーンも頂く。
「……外遊びとは?」
「子供さえ作らなければ問題はありません、ということです」
「寛大すぎないか」
「そうですか? 私は、私自身があなたをつなぎ止められるほどの存在ではないことをわかっているだけです。だからせめてあなたの邪魔をしないだけ。束縛などしません。ただ、妻ですので、後継問題に関わる事だけは口出しをさせていただきます」
最初からそのつもりだった。
政略結婚とはそんなものだ。
ふんふんとあちこちに手を伸ばしてペアを作っていると、その手を突然掴まれた。
「……まだ私の番ですが」
「それは、君の不貞も許せと言うことか?」
ぐっと握る力が強くなる。
不満が底で淀んだ目は、どこか私を罰しようとしているように見える。
私が機嫌を損ねたら、このまま手の骨を砕かれてもおかしくはない。
が、この男には理性がある。
私は笑った。
「では、あなたより強い方がいたら教えてくださいませ。いるのなら不貞も考えます。その方が私より強ければいいのですけど」
「……」
唖然とした彼から手をふりほどき、残りのトランプをしっかり回収する。
机の上のカードはきれいさっぱり片づけられた。
分厚い手札をとんとんと机で揃えながら聞く。
「あなたより強い方はいらっしゃるの?」
彼はようやく、にやりと笑った。
「いない」
「あら」
「さらに君は俺より強い」
彼がお互いの手札に目配せをする。そんなこと言ったって、あなたが手加減してるんじゃないの、と言いたいが、それは口にはしない。
「まあ、では不貞などできませんわね」
「そうなるな」
ご機嫌が戻ってなりよりだ。
私は席を立つと、ブランケットで身を包んだ。
敗者がトランプを片づけ始める。
「明日はお忙しいんですか?」
「いや、いつもの訓練だ。あとは君の父上と面談が入れば面談をするし、酒を飲みに行くこともあるが、明日はすぐに帰る」
あらあら、そんなことをしていたなんて知らなかった。
「よかった。お友達はできたのね」
「……おともだち……」
ぶっと吹き出された。
「君は? いるのか、おともだちは」
「いません」
「ふーん、そうか」
「では明日、お帰りになって食事の前にでも手合わせをしますか? 日が暮れる前なら少しは遊べるでしょう」
「ああ。そうする」
にこっと笑いかけられ、思わず一歩後ずさる。
かわ……いくはない。うん。うん。
何かの衝撃に頭を叩かれたように、よろよろとソファに向かって倒れ込んだ。
よし、寝よう。
「おやすみ、グレース」
初めて聞く甘い声は、腹立たしいことに私の眠りを妨げるのだった。