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白と黒



 結婚して一週間にして、屋敷には慣れることができた。


 恐ろしいことに、夫となった人はずいぶん期待の大型新人らしく、隙のなさすぎる使用人がまるで牢獄の監視のように配置されていた。メイドまでもが目をギラリとさせる瞬間がある。そういえば実家もこんなものだった。優秀なものを手元に置きたがる父のやり方だが、気軽に話せる相手がいない。


 そうなると私の毎日は固定されてきてしまった。

 昼間は招待状など煩わしいものを仕分け、返事を書き、暇になると庭に出て庭師と花の手入れをし、あとは夫を待つのみ。

 しかし、彼が帰ってくる時間はまばらで、出迎えだけはするが、食事は一緒にしたことがない。朝も気がつけばいないのだ。つまり彼と話す時間は決まって夜だった。

 そう、私は一週間勝ち続けているのだ。




「さあ、妻よ。今日は何をして遊ぼうか」


 身支度をすませて部屋でくつろいでいると、扉を静かに開けた夫がそんなことを言いながら入ってくる。

 私は本を畳むと、頭にタオルをかけてラフな格好をした彼をちらりと見上げた。


「お疲れのようですので、本日は休んだらいかがですか」

「いいや。君と遊ぶ」

「遊びではありません、真剣勝負です」

「そうだった、そうだった」


 からかっている。目が弧を描いた。こういう、わざとらしく笑ってみせるところは嫌いだ。

 しかし、それよりも気になることがあった。


「顔色が悪いですよ」

「ほう、心配をしてくれるのか」

「いいえ。弱っている相手を倒してもつまらないので」

「それはわかるなあ。まあ大丈夫だ。しよう、チェス」


 ここ一週間の勝負はチェスだった。もちろん無難に勝たせてもらったが、そろそろコツを掴んできたのでこのあたりで引いておきたい。私は立ち上がり、横に置いてあった箱を取り出した。

 四角い箱に丸い穴をあけている箱を彼に見せる。


「なんだそれは」

「こうするのです」


 丸い穴から手を入れ、一枚だけ四つ折りにされた紙を取りだした。

 紙には「オセロ」と書かれている。


「と、いうことで、今日の勝負はオセロです」

「ほおー」


 うろんな瞳で見られ、にっこりと笑みを返す。


「今日こそチェスで勝てると思ったんだが?」

「あらあら甘いこと」

「いいだろう……で、オセロとはなんだ」


 私はクローゼットから緑色の盤を取り出し、興味津々で見る夫に説明する。

 とりあえず敵の駒を挟んで自分の駒を増やせばいいのだとシンプルに教え、わかった、と言った彼と向き合い、早速始めた。

 寝室に、ぱちぱちと白と黒をひっくり返す地味な音が響いている。

 飲み込みが早い。

 同じ勝負を連続で続けてコツを掴ませるのはマズいわね。

 もっとシンプルで脈絡のないものをあの箱に入れなければ。


「妻よ」

「なにかしら旦那さま」

「なぜ君は俺と結婚を?」

「私しか無理でしたから」


 わかっているでしょう、とちらりと見れば、わかっているとも、という視線を返される。

 タオルを頭にかぶったまま頬杖をついて思案するその表情は悪くはなかった。


「確かに、君のような剛胆なものでなければ一週間も続きはしないだろうな」


 やはり、事が済めば追い出すつもりだったのだろう。

 私が何も反応せずに黒を白へひっくり返していると、彼が小さく笑った。


「賢いなあ。俺が君を追い出すことを想定済みか」

「ええ、まあ。旦那さまは女性が煩わしいようでしたから……あら、どうして思い当たらなかったのかしら」


 ふと気づいた私に、彼は「なんだ」と私の白を黒へと容赦なく返しながら聞き返す。

 私は丸いそれを指先で弄びながら自分の番を待った。


「恋人でもいらっしゃいますか?」

「……は?」

「ですから、恋人です。女性でも男性でも、どちらでもいいのですが、心に決めた人がいらっしゃるなら妻としては聞いておきたいと思いまして。私が別邸や離れに暮らすことは新婚である今はできませんので、傍に置きたいのなら離れにおいてやったらいかがでしょう」


 ぱちん、と角をとる。

 ふふふ、今夜も負けはしない。


「……君は」

「はい何かしら」

「おおらかだな」

「よく言われます」

「恋人はいない、ただ妻を娶ることがものすごく面倒くさかっただけだ」

「そうでございますか」

「俺の生活にうろうろ干渉し、ご機嫌伺いをされるのは鬱陶しいと思ったのだが」

「以後気をつけます」

「気をつけるも何も、君は全くしないだろう。そもそも俺の名前を知っているか?」


 聞かれ、再び角を取りながら「ええ、もちろんです」と大きく頷く。


「さあ、旦那さまの番ですよ」

「……」


 無言で居るのは、彼がおかしそうに笑っているからだ。

 こんな顔をして人の命を散らしてきたというのだから、人というものはよくわからない。


「俺は君の名前をちゃんと知っているよ」

「どうも。それはそうと、各方面からお手紙を山のように頂くのですが」

「……全て断っていい」

「丁重にそうしています。もし旦那さまに直接声をかける勇ましい者がいましたら、全て妻に任せてあるので知らないし干渉はしない、ときっぱりと言っておいてくださいませ。対外的にも政略結婚だと知っている中で寒々しく夫婦を演じるのはごめんですから、これからも全て断らせていただきます。あなたの評価はあなた自身で勝ち取って来てください」

「承知した」


 ふるふると肩が震えている。

 愛のない結婚であることはふたりとも了承済みなのだ。

 繕ってうまいこと操縦しようとしたって無駄だわ。


 緑色の盤面が白と黒で埋まっていく。

 爽快だ。

 順に置いていき、最後はしっかりと半数以上を白で埋めて私は今夜も勝った。


「では、勝たせていただいたので、初夜は今夜もいたしません」


 ふふん、と立ち上がると、頬杖をついたまま彼は私を見上げた。


「それは残念だ。非常に残念だ」

「嘘が下手なのね」

「……ふ」

 

 では失礼、と、私はいつものブランケットで身を包んでソファに飛び込む。

 負けた方が片づけをする約束なので、彼が盤面に置かれた白と黒の駒を一つずつ回収していく気の抜けた音を聞きながら、私は今夜も勝利の余韻に浸る前に爆睡するのだった。



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