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サイコロ


「……おかえりなさいませ」

「……」


 私の出迎えに、夫は一瞬きょとんとした。

 そうだろう、と思う。

 私の隣に立つアンナが深々と彼に頭を下げているのを見て、彼は「なるほど」と小さくこぼした。


「名前を聞いても?」

「アンナと申します、旦那様。誠心誠意仕えさせてていただきます」

「ありがとう。これからもよろしく頼む」

「はい。これからもお任せ下さい」


 二人がにこにこと笑いあう。

 私がうんざりした顔をしているのが見えるくせに、わざとらしく「これからも」を強調するのだからなかなか意地が悪い。


 二人の間にいるのは、アンナに磨き上げられ、着飾った私だ。

 いつものように最低限の身だしなみで出迎えようとすると「本気ですか」と若干罵られ、アンナが持参した衣類のなかから選んだ「気合いの入りすぎていない自然で美しいお出迎えスタイル」を厳選され、化粧まで施され、背中をぐいぐい押されてこうなった。

 いいのよ、べつに、と何度言っても「いい加減にしてください」となぜか実家にいるときからの事も含めてグチグチと怒られたので、私はもう下手に反応する気力は残っていない。



 そうしてアンナに流されるように夕食をともにして、同じく「気合いのはいりすぎていない就寝スタイル」とやらを施され、いつもは適当に結っていた髪はゆったりとした一本の三つ編みにして左肩に流して、ついでに香水までうなじにそっと塗られた。

 じゃあ私はこれで、とアンナから解放されたのが五分前だ。


 私はアンナに「なんですかこのクローゼットは」と呆れられた、勝負に使うものを入れてあるクローゼットを開ける。同時に、寝室の扉も開く音がした。

 

「ずいぶん面白いクローゼットだな」


 ぬっと後ろから声がする。

 私が振り返ると、彼はいつものように頭にタオルをかぶって私を優しい瞳で見下ろしていた。


「……なんですか」

「ずいぶん可愛らしい後ろ姿をしていたものだから」

「そうですか」

「さて妻よ。今日は何をして遊ぶんだ?」


 聞かれ、棚に置いてあった箱に手を入れて、一枚紙を引く。


「スゴロクですね」

「すごろく?」

「ええ。えーとあれはこの辺に……ああ、これだわ」


 小さな木箱を取り出して、私はクローゼットを閉めるといつものテーブルへと向かう。

 後ろから足音無くついてくる雛鳥のような夫に、簡単に説明した。


「サイコロを転がして、出た数字の目の分だけ地図の上を進めるんです。先にゴールした方の勝ち。簡単でしょう?」

「聞けば簡単だが」


 二人とも椅子に掛ける。

 彼は頬杖をついて、私が木箱をあけて地図を広げる様を見ていた。

 森一面にあちこち吹き出しがあり、動物のモチーフを選んで進めていく。祖父の選んだ「動物達の森の探検すごろく」はややファンシーだった。


「俺はいつも君に勝てないからなあ」

「あら、手加減をするからではなくて?」

「前も言ったが、油断するときはあるが手加減などしていないよ」

「へえ、そうですか」

「信じていないな。で、これはマスの指示通りに動くのか」

「そうです。では私から」


 ころりとサイコロを転がす。

 3が出たので、白猫のモチーフの駒を三つ先へ進めた。


「動物馬車に乗って二マス先へ、ですって」


 にっこりと笑ってさらに二つ進めると、彼はサイコロを手の中で転がしながらじいっと私を見た。やや不服そうな目で。


「そういうところだぞ」

「なにかしら」

「君、かなり勝負に強いだろう……4」

「あらあ、一回休みですわね」

 

 黒い犬がマスにちょこんと座っている。

 ふふ、と笑うと、向かいからも小さな吐息のような笑みが聞こえた気がした。

 言おう、言おうとしている言葉が喉の奥でつっかえる。彼は上機嫌だ。それが私をよけいに頑なにさせる。

 私は振りきるようにサイコロを振った。

 五つ進んで「もう一度サイコロを振った分だけ進む」の通りに二つ進み、さらに一回休みの彼のおかげで再びサイコロを振る。


「なあ。容赦がないぞ」

「なんのことかしら」

「いつも綺麗だが、今日はさらに綺麗だな、グレース」

「!」


 手元が狂った。

 びくっと反応してしまい、サイコロは1になってしまった。一マス先の指示は「寂しくて鳴いて仲間を呼ぶ」だ。


「……卑怯だわ」

「反応してくれて嬉しいよ。で、指示にはなんと?」

「仕方ありませんね。旦那様の駒もこちらへ移動させて下さい」

「うん?」


 なぜかにっこり笑って首を傾げられる。タオルがふわんと揺れた。


「なんですか」

「指示通りに進むんだろう?」

「そうですが?」


 私が本気でわかっていないと伝わったのか、彼はとんとんと「鳴いて」の部分を傷だらけの指先で叩いた。言わんとすることはわかる。わかるけど、私はちらりと睨み上げた。彼は自分の駒の犬の頭をその場でぐりぐりと押さえて遊ぶだけで、指示通りに移動させようとしない。

 これはもしかして、恥ずかしがった方が負けかもしれない。

 それに、促されて言った方がきっと百倍恥ずかしい。



「にゃあー」



 せき込んだ。私ではなく、向かいに座る彼が。

 彼は必死でそれを隠そうとして失敗し、タオルで顔を覆う。

 私は黒い犬を掴んで隣に並ばせた。ついでにサイコロも渡す。


「……、意外と粘らなかったな」

「ええ。そちらのほうが負けかと思いまして」

「確かにな」


 ふう、と息を吐いて落ち着いた彼はサイコロを転がした。


「さーんっと、餌を見つけてじっくり食べる、二回、休み……」


 思わず顔を見合わせる。

 もしかして、勝負事にめっぽう弱いのだろうか。

 これが計算ずくならば、かなり手強い男であることは間違いないが、ふてくされている顔を見ればそうでないことはわかった。あー、もう、と一人呟いているので、遠慮なく先へ進ませていただく。


 あっという間に、私は森を脱出した。

 彼と言えば、やれ沼にはまった、狼に追いかけられた、猟師の罠に捕まった、など休むマスを全て制覇してくれたのだ。

 


「……笑ってるな」

「ふ、ふふ。だって。ふふふ」


 弱すぎるもの、と言いたいが言わない。

 言わずとも伝わるからだ。


「なあ」

 

 彼が敗者のルール「お片づけ」をしながら私に穏やかに話しかける。



「一緒にベッドで寝よう。絶対触れないから」






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