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プロローグ



 たった指一本で押し倒された。

 無骨な、傷だらけの指。

 ベッドがぎしりと沈み、私はその男を睨みあげる。


 野性的な目に、獣のような表情。


 わかっていた。

 もちろんこうなることを承知で結婚した。

 けれど、覚悟はできていなかったのだろう。

 実際に事に及ぶ雰囲気になって自覚する。

 頭は怒りで発火しそうだというのに、妙に冷めていた。


 なんでこんなことに、と現実逃避へと漕ぎ出す。

 



   ○




 昔々、あるところに深窓の令嬢がおりました。

 その国は少々特殊で、爵位を持つ者は貴族と言うよりも強者ばかり。

 わかりやすいくらいに強き者が正義の国、ドージアズ。

 どこかで戦績をあげる猛者を見つけては令嬢と結婚させて国の一部に取り込み、いつの間にか各国からは武力だけの国と蔑まれて呼ばれているが、一方その戦力は高い金額で取り引きさせるとこもしばしばで、結果的に国は潤っていた。

 すべてはその妻となる令嬢の犠牲の上。

 今回も私の犠牲の上。


「自分のことを深窓の令嬢って言えちゃうのがグレース様のいいところですよね」

「事実よ」


 長い間私の傍にいてくれていたアンナが「ですよね」と笑う。

 もうすぐその太陽のような暖かい笑顔が見られなくなると思うと、少しばかり落ち込む。決してそう見せないように表情は微笑んだままだ。鍛えられた表情筋が憎い。


 どっかの僻地で見つかった血濡れの男が国に到着したのが一ヶ月前。

 政府の承認も得てドージアズに奉仕することを誓いの儀式も終えたので、これから歓迎のパーティーと称して令嬢達がその男の前にずらりと並べられるのだ。そうして運ばれてきた中で、一人だけ気合いを入れたドレスを着たのが私だ。

 その他の令嬢達は質素だが失礼ではない程度のドレスに身を包んでいる。


 父から、きっとお前しか無理だろう、と告げられたときにこの展開は予想していた。元猛者達である現貴族の父親たちの間で、示し合わせて私だけに着飾らせたのだ。

 顔見知りの令嬢はどこかほっとしている者もいれば、気まずそうに視線をはずす者もいる。

 つまり、無視だ。

 いつもはお茶会で話をする全員が、着飾った私を見て察し、オール無視をしている。今後、お茶会に誘われることも誘うこともないのだろう。さようなら、いつかの友、などと心の中で茶化しておいた。


 

 ふと、ざわりとホールが沸いた。

 ああ、ご登場ね、と見上げると、そこには二人の騎士をつけたすらりとした男が立っていた。

 熊のようなずんぐりむっくりした男を予想していたが、男は細身で上背が高く、身なりも綺麗に整えられているその姿は、貴族と名乗っても違和感はない。これが、本当に僻地で死体の山の上で酒を飲んでいたと噂される血濡れの男なのかと驚く。

 それは彼女たちも一緒だったようで、獰猛なおっさんに嫁ぐと思っていた令嬢が色めきはじめた。

 

 長い黒茶色の髪を後ろで束ね、堂々と入ってくる姿に、私はぞわりと背に冷たいものが這うのを感じる。これはきっと見かけとは違う。その双眸は野性的で、いくつもの命をかみ殺してきた色がくっきりと残っていた。

 祖父がそうだったように、これもまた、いくつもの死を知ってきた獣だ。

 

 ずらりと並べられた令嬢の端っこで、さてどうしましょうと思考を巡らせる。

 本来ならばセンターに立たされていたであろうが、彼の顔を見てその他の令嬢が一気に乗り気になってしまった。付き添いの父親たちは彼の資質を見抜いて蒼白そのもので、私の父に至っては「お前が行け」と無言で圧をかけてくる。



 彼は無言で立ち、その前で令嬢たちは微笑みを浮かべて淑女の礼をする。とりあえず同じタイミングでできたので、私は事の成り行きを見守ることにしよう。


 側近になったとおぼしき騎士が、ぼそぼそと彼に耳打ちをした。

 一瞬顔がゆがむ。


「選べ? この中から?」


 彼の発した声は、ずいぶん威圧的だった。普段から人を制圧することに慣れた声だ。

 彼女たちが身を竦ませる。

 大体の強者がおとなしい令嬢を好むから、という馬鹿げた理由で、徹底的に恐ろしい者から離して蝶よ花よと育てられた彼女たちには確かに手に負えないだろう。


 そもそも、この国に属すると決まったなら、今回の歓迎パーティーがどんなものか説明を受けているだろうに、にやにやもせず、うら若き少女たちにプレッシャーをかけてみせるなんて性格が悪いことこの上ない。

 逡巡し、彼は言った。


「どれでもいい」


 令嬢たちから声のない悲鳴が上がったような気がする。ようやく、ずいぶんおぞましい男であると気づいたのだろう。今の言葉は、妻となっても人間扱いなどされないのだと知らしめるのに十分だった。


 なるほど、頭が悪くはないのね。


 私は一歩前に出る。

 背を伸ばし、胸元で手を軽くあげてみた。


「では私でいかがでしょう」


 しんと静まった中、周りがあからさまにほっとしているのを感じる。生け贄は差し出された。しかも自ら。

 彼は私を見て、それから興味なさげに視線を外した。


「構わない」

「あらどうも。では決まりでよろしいでしょうか?」

「ああ」

「でしたら解散しましょう。みなさま、お終いですよ、さあ帰って休みましょう。お疲れさまでございました」


 私が声高らかに言うと、アンナがぶっと吹き出し、父は咳払いをし、彼は珍獣でも見たような目でこちらを見た。


「では、次は来週の結婚式で。ごきげんよう」


 ひらりと手を振る。

 縁談がまとまったのなら退散だ。これから寒々しいパーティーをするなんてごめんだった。私に続き、なぜか私を無視した令嬢がぞろぞろとついてきて、その日の歓迎パーティーは開始一時間で終了したのだった。



    ○



 そうして一週間後に親族だけで形だけの結婚式を挙げ、彼に与えられた屋敷にそのまま運ばれ、部屋に放り込まれて身支度をさせられて、メイドが出て行って数秒でこうなっている。


 私の上にのしかかる夫は、意外にもその野性的な目に炎を灯していた。

 思わずぽろりとこぼす。


「……私に興味がないのでは?」


 彼は目を細めると、小さな声で言う。


「興味はある。まさかあのくだらないパーティーを一言で終わらせるほどの権力をこんなお嬢さんが持っていたとは」

「私の権力ではないわ。父があなたの上司に当たる軍部の司令官なのよ。ご存じなくて?」

「ああ、ご存じないな」


 笑う。

 少し唇の端を上げて。


 本気だ、と思った。

 恐ろしい、と。

 食べられてしまう、と。


「弱い男は嫌い」


 咄嗟にそんなことを言っていた。


 私もだが、彼も目を丸くして驚いている。

 今だ、と、この押し倒された状況を打破できる手を打った。


「私より弱い男は嫌い。触らないで」


 睨む。しっかりと、本気だと伝わるように。

 彼は目を丸くしたまま「弱い?」と首を傾げた。


「俺が?」

「ええ。あなたが」

「なぜそう思う」


 彼が起きあがる。私もそこから抜け出すと、ベッドを降りた。ソファに掛けられていた灰色のガウンをさっと羽織る。

 あくまでも堂々と、無駄に怯えたりはしないように細心の注意を払い、ベッドに腰掛ける彼の前に立った。


「あなたがお強いのは伝え聞いておりますけど、私より強いかは別の話ではなくて?」

「……なるほど?」

「この国で育ってきた女ですもの、強者と結婚させられることは覚悟しておりました。けれど、自分よりも弱い男に触れられるほど屈辱な事はありません」


 彼は私をじっと見上げて挑発的に笑う。


「じゃあどうすれば君を食べられる?」

「口のきき方が下品。あなたの負けです。よって今夜は初夜はいたしません」


 きっぱりと言い放つ。

 逆上するかしら、と思ったが、やはりこの男はそんなタイプではなかった。

 ふっと息を吐くと、彼は腕を組んで身を縮ませるとふるふると震えだした。


「……ふ、は……はははは」


 笑っている。

 目をくしゃっと細めている表情は、先ほどまでの獰猛さを感じるそれとはまるで違う、子供のように無邪気なものだった。黙って見下ろす。しばらく笑った後、彼はどさりとベッドに横になった。


「俺は今負けたのか」

「ええ、負けました」

「口が悪くて?」

「そうです」

「俺が勝てば、君はおとなしく組み敷かれてくれるという事だな?」

「もちろん。けれど」


 私は彼の顔をのぞき込んだ。

 亜麻色の髪が彼の首筋を撫でる。それを、彼は思ったよりも優しい手つきでそっと掴んだ。毛先を指先で弄ぶ。


「毎夜の勝負は私が決めさせていただきます」

「いーよ」


 暢気に答えられ、私はふうっと息を吐いた。


「では旦那さま、私はソファで休ませていただきます。今日はとても疲れたので」

「一緒に寝ればいい」

「寝言を言うのはよして。弱い男になど触られたくないと言ったでしょう」

「君は本当におもしろいな」

「楽しんでいただけてようございました。では」


 私は一人で十分寝転がれるソファに座ると、自宅から持参したお気に入りの大きな紺色のブランケットで身体をくるんだ。ぎしりと音がしてベッドを見ると、上半身を起こした彼が私を観察している。

 私がいやな顔でもしたのだろう、彼は再び笑った。


「……なにか?」

「いや。本当にそこで眠るつもりか?」

「ええ」

「そうか。おやすみ」

「おやすみなさいませ、旦那さま」


 ブランケットにくるまったままバタンと倒れる。

 あー疲れた。

 けれど初夜は回避した。

 あのまま流されていたら、義務は果たしたとばかりに翌朝には出て行かされることになるだろう。もしくは、敷地内にある離れにでも押し込まれかねない。できるだけ手を出させない。そうして、私は私の役目を全うするのだ。


 この凶暴な力を持つ夫の監視を続けなければならない。

 女性の魅力とやらで夫を骨抜きにできないのなら、夫に勝負を挑んで飽きさせないようにするしかないのだ。






 このときの私はまだ知らない。

 真剣に監視する、と意気込んでいたが、私たちのする「毎夜の勝負」が恐ろしく馬鹿馬鹿しい遊びに逸れていくことを。




読んでくださり、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。


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