03話
「さてっ、着いたぞ」
「え?ここって…」
歌音の目の前にある建造物は、この町でそこそこ古いといわれている「西見神社」に酷似していた。しかし、その神社の入り口である赤い鳥居には「不西見神社」と書かれていた。
そして鳥居から先は何も見えず、空間が歪んだような、水面の波紋のようなものしか見えない。
「お前はそっから入れ」
「え?」
黒兎はそう言うと歌音を鳥居に投げ入れるという暴挙を行った。歌音は間の抜けた声を出しながら鳥居の向こう側へ入り込む。
鳥居の内側に入り、境内に転がった歌音の目に入ったのは、それは綺麗な神社であった。木々は青々としており、参道はもちろん、手水舎や狛犬には一切の汚れが見当たらない。歌音が知っている「西見神社」は古いこともあってか、所々修復された痕跡があり、とてもではないが「綺麗」と断言できる場所ではない。しかし、目に映る場所は確かに「西見神社」ではある。ある点を除けば…
「あれ?ここ本当に西見神社?だって…」
「『場所が反転している』、か?」
「わっ!?」
いつの間にか背後に立っていた黒兎に驚いた歌音。黒兎は「やれやれ」と首を振りながら歌音に近づき、地面に座り込んでいる歌音に手を差し伸べる。歌音はその手を取り、立ち上がる。
「ここは『不西見神社』だ。外界から完全に隔てられた空間で外の黒い獣共は入ってこれない。まぁ…追いかけてきた獣共は『タマモ』さんが片付けて…」
「おいウサギ、なんで鳥居から入らなかった?」
「げっ」
黒兎の背後には先ほどの狐面の女性が腕を組み、不機嫌オーラを放ちながら立っていた。それに黒兎は後退りをするが、その瞬間を見逃さずタマモは黒兎の耳をむんずと掴み、そのまま鳥居の外に引き摺っていく。
「ちょ!やめっ!」
「その姿でここに入るな、その状態がお前にとって良くないのもわかっているだろう」
「離せってんだよ!」
「問答無用!」
タマモに引き摺られる黒兎をただ茫然と見ることしかできない歌音。タマモと黒兎は歌音が通った先が不可視の鳥居を潜るが、すぐに外から内に帰ってくる。しかし、歌音の目には黒兎の姿は見えず、タマモしかいない。だが、人の姿をした黒兎の代わりに、真黒な一羽のウサギがタマモに抱えられていた。
その一羽のウサギは離せと言わんばかりにジタバタと藻掻いている。しかしタマモの力が強いのか、上手く拘束されているからかその場から抜け出すことができないようであった。
「あ、あの」
「ん?どうした?生者?」
「さっきの人はどこに行ったんですか?(生者?)」
「ウサギのことか?ほらここにいるだろう」
タマモは腕に抱えた黒いウサギを前に出す。ウサギは暴れるのが付かれたのか長い耳と手足をダランとし、脱力している。
「離してくれよタマモさん」
「お前がここから逃げ出さないことを約束できるならな」
「もう逃げる体力もねぇよ…人型になるのも疲れんだから」
ウサギの発言に満足したのか、タマモはその腕の拘束を解く。解き放たれたウサギは素早く地面に降り立ち、身体をブルブルと震わせた。
黒いウサギの見た目は普通の兎と違って一回り大きいサイズであり、耳が長い。そして背中には一本の小さいバールのようなものを背負っている。黒いウサギは拘束されていたのが嫌だったのか、それを紛らわすために毛繕いに近い動作をしている。
そんな黒いウサギの様子を見た歌音は身体を小さく震わせ始めた。そして…
「…か…」
「か?」
「可愛いぃーーー!!!!」
「ぎゃあああ!!!??」
歌音から見て、いや、誰が見ても可愛らしい仕草をしていた黒いウサギに飛びついた。黒いウサギから見れば自分と比べてとても大きな物体が黒い影を作りながら襲い掛かって来たのだ。一般的に被捕食者である兎は逃げ出そうとはしたが、急な襲撃に加えて、油断しきっていた時に飛び掛かられたのだ。逃げる間もなく捕縛されてしまった。
「何これ!!すっごいふわふわだぁ!!」
「はーなーせー!!」
黒いウサギは力強く歌音に拘束され、頬ずりをされる。逃げ出そうにも逃げ出せず、抵抗しようにも下手に抵抗することができないと次第に判断し、大人しく可愛がられることをしぶしぶ受け入れるのであった。
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「あ、あの…ありがとうございました」
「そこは謝罪じゃねぇのかよ」
「すっごくもっふもふだった!!」
「さいすか」
小動物の可愛がりに満足した歌音は黒いウサギをようやく解放した。黒いウサギは疲れたのか地面に2足で立ってはいるが、長い耳はだらんと地面まで垂れており、ぐったりとしている。
「で、そろそろ説明していいか?」
「え!あ、はい!」
狐面の女性に声を掛けられた歌音は跳ねるように返事をする。狐面の女性はだらりと脱力した黒いウサギの小脇を抱えて、話を始める。
「さて、まずは自己紹介から始めようか。互いに名前を知らないと不便だしな。といっても私たちはちゃんとした名前ではなく、愛称、みたいなものだがな」
「は、はぁ」
「ということで私は『タマモ』、こいつは『ウサギ』だ。わかりやすいだろ?」
「タマモさんにウサギさんですね、よろしくお願いします…私は『有栖 歌音』です」
「なるほどカノンか、いい名前だな。よろしく頼む。あとこいつは呼び捨てで良いぞ。」
「良いんですか?」
「構わない構わない、こいつに敬語使うほどの価値なんてない」
「おい」
「自業自得だ、受け入れろ」
「へーへー」
狐面の女性は「タマモ」、黒いウサギは「ウサギ」と名乗った。タマモは「さて」と一息つき、思案するような仕草をとる。
「ふむ、どこから説明しようか…」
「んなもん『バク』様がするんじゃないのか?というかそのためにこいつを社に入れろっていう指示だったんでしょ」
「こいつじゃないだろウサギ」
「じゃあアリスで」
「お前…まぁ、説明は確かに『バク』様にしてもらった方が2度手間じゃなくて良いかもな」
「あの『バク』様って?」
「ああ、『バク』様はこの社でここ一帯の地域を管理している管理人…まぁ神様みたいな方だ。で、私はその補佐をしている。そんでもってこの黒兎は訳ありの流れ者だ。云わば居候みたいなものだ」
「語弊のある言い方をしないでくれタマモさん」
「事実だろ」
「遺憾だ」
タマモ達が言う「バク」とは、歌音をこの「社」と呼ばれる不思議な空間に招き入れた人物であることが分かる。
「さて、そろそろバク様も待ちくたびれているだろうし、行くぞ」
そうタマモが言うと附いてこいと言わんばかりに歩を進める。そしてそのまま賽銭箱を避け、拝殿にずかずかと入っていく。その様子に歌音は唖然とするが、タマモが「ここは神社と書いてあるが、この界では本物の神を祭っているわけでないから問題ない」と言う。
それを聞き歌音は恐る恐る拝殿に立ち入る。
「お、お邪魔します」
拝殿に入ると、まず目についたのは奥に座している大きな白と黒の2色の動物、マレーバクであった。世間一般でいうバクの体高はおよそ100㎝であるが、歌音の目の前にいる人のように後ろ脚を組み、前足を組んだ後ろ脚の膝に当てているこのバクは3~4mあると思われる。
そのバクは歌音を見ると和やかな雰囲気を醸し出し、さも歓迎しているかのように歌音に感じさせた。
「ようこそ生者よ、ここは彼の世、死者の魂が集まる場所だ」
そうここは、人の死者の国である。