恋を知るにはまだ早い
「・・・おい、大丈夫か?顔色真っ青だぞ?」
いつの間にか戻ってきていたセバスチャンが私の顔を覗き込んでいた。
慌てて紙をたたみながら首を振る。
「うん、大丈夫・・、平気よ。」
「・・平気じゃねぇだろ・・何だよそれ、何見てたんだ?」
「・・・何でもないの。」
「お嬢さま、俺はお前の執事だぞ?俺に隠しごとなんて・・すんなよ。」
「・・・せばす・・。」
うる、と思わずまた涙が浮かぶ。
でも、言えないわ。
言えるわけがない。
私の生きている世界がそのげぇむとやらの世界で、私は自分勝手で我儘な悪役令嬢だなんて・・。
絶対に死ぬ運命だなんて・・。
ぽろり、とこぼれ落ちた涙を見て、セバスチャンが深くため息をこぼす。
「なんで俺に言えないのかはしらねぇけど・・俺は絶対にお前から離れねぇから。・・それだけは信じろ。」
「・・ふっう・・せばす・・うっ・・せばすぅ・・。」
「ぐっ・・・っほら!」
セバスチャンが腕を広げる。
ではお言葉に甘えて、とその胸に顔を埋めた。
ぎゅうと頭から抱きしめられて、ようやく安心できた気がする。
「んだよ、泣き虫だなぁ、ったく・・泣いてんなよ、エスタリーゼ。いい子だから泣き止め?な?」
「うぐ・・う・・ぐすん・・うん・・ありがと・・せばす・・好きだよ・・。」
「・・・うん。分かってる。お前の言葉に深い意味はないってことは。冷静になれ俺。」
『なんかさぁ、やっぱエスタんちょっと設定と違うくない?セバスチャンも超エスタんのこと好きそうだし。お母様もお父様も弟と妹もエスタんのこと嫌ってるようには見えなかったよね?』
・・・それはそうだわ。
別に私は家族に愛情をかけてもらえず育てられたということはないわ。
むしろお母様もお父様も惜しみなく愛を注いで育ててくださったし、弟も妹もとても可愛いわ。
『スチュワートとはどうなの?』
「・・先生とも仲良しよ。」
「・・・なんでいきなりスチュワート先生の話が出てくんだよ。」
「・・せばすは黙ってて。」
「・・・またあの奇妙な独り言か・・。」
奇妙・・それはそうね。
否定できないわ・・。
「まぁいいけど・・、ほら、飲めよ。ハチミツいっぱい入れといてやったぞ。」
差し出されたホットレモネードを受け取り、香りを嗅ぐ。
「うん。」
『へー、仲良し。それってテイじゃなくて?』
「・・ていじゃないわ。勉強好きだもの。」
「・・・これはほっといていいんだよな?」
セバスチャンが何やらボソボソと呟いているが聞こえないふりをしておく。
『えー勉強好き?なんでなんで、なんか設定と違いすぎて困るんですけど!』
「そんなこと言われても・・。」
こくん、とレモネードを喉に通す。
暖かくて甘くて爽やかな香り。
美味しい・・。
『ま、いいわ。とにかく攻略者に会っていった方がいいと思うわけよ私は!』
「・・って言っても・・お二人ほど現段階ではどうやっても逢えないと思うわよ・・?」
『うん、だからジンからだね!』
「・・・無理よ。」
『あーでも呪い解けたら・・あっ、先に呪い解いたらいいんじゃない?!』
そう言われて、紙に書いてあったことを思い出した。大人になることが必要だよ、という意味深な文章を。
けれど、呪いが解けたら絶世の美少女・・。
ちょっと興味があるのは仕方ないと思う。
「・・どうすればいいの?」
『んっふっふっふ〜〜、それはね!』
「・・・」
なんだか、嫌な予感しかしないわ。
あと、言い方にすごく腹が立つわ。
『真実の愛のキッスが鍵で、本当に愛し、愛されている人とエッチすること!真実に愛している者同士で体を繋げれば呪いが解ける仕組みなの♡』
・・・
・・・
「・・・え?」
『だーかーらぁ、真実の愛のキッスと大好きな人とのエッチ♡』
ボトッ
「あっつ!!」
熱々のレモネードが入ったカップを布団の上とはいえ膝の上に落としてしまい、その飛沫がかかって思わずに声を上げた。
「お嬢さま!」
ワッと慌ててタオルを手に駆け寄って布団を剥がされ・・
「いやっエッチ!!」
「・・・エっ・・って・・んでだよ!」
ガバッと体を守るように縮こませて涙ぐんでセバスチャンを睨んだ。
「ばっばかっばかせばすっえっち!すけべぇ!!」
「ばっ、何言って!これはお前がそれを溢したからで・・っ!!」
ものすごく狼狽えているけれど、そんなことかまったことではない。
「きっきっすとか・・そんなの・・しない・・しないもんっ!しないんだからぁ〜〜うわ〜〜〜ん、おかあさまぁ〜〜〜〜!!!」
「えええええ????いや、そんなこと一言も・・。」
バタン!
「どうしたんだ!エスタ!」
「おどぉさまぁぁぁぁぁ!!」
「どえっ、だっだんなさっ!!!」
「エスタ???一体何が・・・。」
「おがぁさまぁぁぁぁぁぁ!!!」
「エスタ?!」
取り乱したお父様とお母様が駆け寄ってきてお父様の腕に抱き上げられた。
その太いお首に腕を巻き付けてぎゃんぎゃんと大声を上げて泣きじゃくりながら訴えた。
「せばすがぁ・・せばすがぁぁぁぁ!!!」
「ええ???いやいや、俺何もしてないだろっっ!!!?」
「セバスチャン・・ちょっと奥で詳しく話を聞こうか・・。」
お母様の腕に私を移送しながら地獄から響く低音ボイスでお父様が言う。
「いや旦那様っ、お、俺は何もっ、おいっエスタ!おまっちゃんと説明しろって!!!」
「えぐっえぐっ、おかあさまぁ・・えぐっ」
「エスタ・・大丈夫、もう大丈夫よ・・お母様はここにいるわ。」
お父様に連行されるように腕を引かれていくセバスチャンを涙目で見送って、泣きじゃくりながらお母様に訴えた。
「・・お母さま・・。」
「なぁにエスタ?」
「・・・私に真実の愛のき・・・きっきっきっ・・きっすは・・早いと思うの・・。」
「・・・そうね。ええ、早いわ。」
「だよね?!」
「・・・ええ、お母様もそう思うわよ?」
そう言われて、ほっと胸を撫で下ろす。
お母様の手が頭を撫でてくれる。
「それで・・それはセバスチャンに言われたのかしら?」
「えっ、ううん、違うの・・違うんだけど・・そのっ、せばすが・・おふとんをいきなり捲ったから・・ちょっとびっくりしちゃって・・それで・・。」
「そう、布団をいきなり捲ったの。」
「うん・・、よかった・・お母さま大好きっ!!」
ぎゅうっと抱きついた私は、その時お母様がどんなお顔をされているのか気づく術はなかった。
『いやいや、セバスチャン超濡れ衣ってるし。とりあえずセバスチャン悪くないこと言ったげて。』
はっ!と我に返った。
そう、そうだった。
セバスチャン、お父様にお仕置きされてしまうわ!!
「お母さま、セバスチャンは悪くないの!」
お胸から顔を上げて言うと、お母様はふっと微笑んだ。
「ええ、大丈夫よエスタ。お母様は全部わかってるわ。」
「そうなの?」
「ええ、もちろんよ。」
『いやいや分かってない方のやつだから。ちゃんと説明して。』
「えっと、私がお布団の上に熱いレモネードの入ったカップを落としてしまったの。それで、火傷しないようにセバスチャンが布団を剥いでくれて、それだけなの。セバスチャンは・・その・・えっち、じゃないの。」
『それ最後のとこ完璧に蛇足。』
「えっ?!」
「そう・・セバスチャンはエッチじゃないのね?」
どうしましょう・・
お母様が噂の大公のように悪鬼だわ・・。
「っ、お母さま、せばすがいいの!私せばすがいないと生きていけないの!だからせばすには酷いことしないでね?ね?絶対よ?」
『・・・いや・・それもどうなの。』
もうっどうしろっていうの??
「エスタ?いーい?あなたはいつか素敵な殿方と出会って恋に堕ちてお嫁さんになるのよ?」
私の両肩を掴んでお母さまが言葉を紡ぐ。
「それは決して、セバスチャンではないわ。」
「・・・そうなの・・?」
でも・・もしかしたらセバスチャンとってこともあるのではないの・・?
いや、別にセバスチャンのことなんかどうでもいいんだけど・・。
「ああ、エスタ。そんな悲しそうな顔をしないで・・いいわ、わかりました。お父様にエスタの言っていたこと、ちゃんと伝えます。」
「お母さま!!」
「・・あなたがこんなに成長していたなんて・・お母さまは・・嬉しいやら悲しいやらよ・・。」
嬉しいのか悲しいのかどっちなんだろう・・。
でも、とホッと安堵してお母さまに抱きついた。
「でも・・恋を知るのはもっと後でいいわ・・エスタ。私の可愛い娘・・。」
「お母さま・・。」
『・・なんか、やっぱ設定と違いすぎる・・。』
私の中でゲンナリした声が聴こえた。