印象
ひきずる事ってあると思います。
ときたま私は喋り口調の練習をしている。
これがやってみるとなかなか楽しく。他人の耳の届かない場所で様々な改編を行い、一人で悦に浸っている。
しかし最終的には長年連れ添ってきた喋り方に戻って、日常生活で採用する事はあまり無い。
では何故そのような行いをするかと言えば、まず楽しいからである。私は周囲からの影響に流されやすく、ラジオやテレビ、知り合いの話し方を受け、口調の端々がつと変わっている。それを味見しながら自身の好みに調理していく。故郷の口調である。
やりたいからやっている。しかしやらなければいけないのでは?とも思う。きっかけはあった。
あれは私が故郷から離れ、初めて一人暮らしをし、皿洗いのアルバイトに慣れ始めた頃の事だった。
『枕(※私のことです)って喋り方が胡散臭いよね。』
『そうですか?(何だと貴様(怒))』
『うん。目つきも怖いし。』
『目つきは生まれつき凛々しいんです。』
私は帰宅し、風呂場の鏡の前で己に語りかけた。
胡散臭い喋り方をする暗い眼差しの人間がそこにはいた。……えっ?私ってこういう風だったの!?
そこから私の己との闘いが始まった。風呂場で音の反響を聞き口調を統一。鏡の前で瞳孔とまぶたを開け閉め。眼球運動の鍛錬。半年近い期間、日課としていた。
『枕って冷たいね。』
『えっ?そうですか?(困惑)』
『言葉の端々が冷たい。目つきも怖いし。敬語だし。』
『目つきは凛々しいと思ってください。敬語は仕様です。』
彼の方には感謝している。自身では気付けなかった難点を臆せず伝えてくれ、その事がきっかけで日々の楽しみも増えたのだから。が、いまでも思う。冷たくはなかったくない?目つきの印象に引っ張られてたのは否めなくない?と。