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弊社は異世界転移しました  作者: あああ
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第二話『水がないと生きられないんですよ』


年月日不明 12時15分 ワイルド・ネイチャー物産株式会社 本社敷地内 緑地帯のはずれ


「しかしね、まずいよこれは」


 うんざりした表情を浮かべた総務課長は、敷地に掘られた穴を前にして呟いた。

 彼の手には商品の一つである剣先スコップが握られている。


「そうは言っても、上下水道が使えないのですから」


 警備員と協力し、トイレ付近のフェンスに防護用の板を固定していた石下が答える。

 ここが異世界かどうかは不明であるが、遺留品から見てこの辺りで戦っている連中は、剣や槍、弓矢で武装していることが予想された。

 そのため、相手から丸見えとなる上に遮蔽物とならないフェンスでは、遠距離から弓矢で攻撃を受けた際に恐ろしいことになる可能性があった。

 尻を丸出しにして死にたくない彼は、警備員と協力してこの作業を行っている。

 パニックを防ぐため、表向きには目隠し用としていた。


「なんとかならないかな?」


 総務課長の目は、遠くに見えた川の方を向いていた。

 法律的に許されるかどうかは別として、川であれば、出したものは全部もっていってくれる。

 気分的にも地面に掘った穴よりはマシであるし、何よりも溜まっていくそれの臭いや汚染を気にする必要もない。


「川は駄目ですよ。

 昼間に、みんなが見ている中であればいいですが、もし夜に一人でいる時、足を滑らせたらおしまいですよ」


 石下の声は真剣だった。

 まだ直属の上司にも報告する内容を吟味している段階であるが、外は戦場だったのだ。

 別にフェンス程度では防壁にもならないが、それでもここは明らかに誰かが管理している場所として相手が警戒してくれる。

 だが、そこからノコノコと一人で、例えば夜に、女性が川へと向かっていったら、待ち受けている運命は決して愉快なものではない。

 それは、足を滑らせて溺死するなどという生易しいものでは済まないだろう。


「やっぱりそうだよね。

 わかった、ちょっと社長のところに説明に行きたいから、石下くん付いてきて」


 何かを決断したらしい課長は、剣先スコップを地面に突き刺すと歩き出した。

 その顔には、覚悟を決めた男だけが浮かべることのできる決意が現れている。




年月日不明 12時15分 ワイルド・ネイチャー物産株式会社 本社 六階 社長室


「預かり在庫に手を付けたい?」


 総務課長の提案を受けた社長は、驚いたように彼を見た。


「はい、パソコンが使えないので在庫表を見れませんが、確か在庫の中に、仮設トイレがあったはずです。

 出したものをそのまま肥料にできるとかいう、最新型のものです。

 もちろん違法ですが、現状がどうなるかわからない以上、手を付けるしかないと思います」


 途中で預かり在庫品についての質問を受けていた石下は既に了解していたが、改めて聞いても驚くべき提案ではあった。

 もちろん会社で発生したあらゆる出来事は、最終的には社長に責任がある。

 だが、総務部長が行方不明(正しくは会社側が行方不明になっている)である今、在庫管理の責任者は総務課長だ。

 その彼が、他社の資産である預かり在庫に手を付けたいと提案したのだ。


「もし明日にでも状況が好転して元に戻ったら、総務課長である君も責任を問われることになるぞ」


 社長の表情は真剣だった。

 今が緊急事態であるということを除けば、これは横領の提案なのだから無理もない。


「みんなで毎日外ですることを思えば軽いものですよ」


 表情は真剣だが、総務課長の声は明るかった。

 仮設トイレを使えるのであれば話はだいぶ簡単になるのだ。

 彼は移動中に石下から、なぜフェンスに板を取り付けているかの本当の理由を聞き出している。

 もちろん彼も、危険が予測される状況下で、野外で尻を丸出しにしたいとは思わなかった。

 

「仕方ないな。手書きで申し訳ないが、文書で私から指示を出しておく。

 この際だから、全部の預かり在庫にも手を付けよう」


 社長の決断に、総務課長も石下も驚愕した。

 トイレは、まだ緊急性があるから言い逃れできる可能性もあるが、それ以外も全部というのはやりすぎである。


「いえ、あの、社長。

 全部というのは、さすがにどうかと、思うのですけど」


 思わず石下が口を挟むが、社長は凄みのある笑みを浮かべる。


「出し渋りはやめよう。

 それで病人や怪我人が出るほうがよっぽど問題だ」


 法律の問題を抜きにすれば、それは正論だった。


「この話はこれで終わり。ああ、もちろん不要ならば無駄に使ったりはしないでくれよ。

 それで石下君、電気の方はどうなってる?」


 折角の良い話が、良くない話題へと切り替わる。

 先程まで感動しかかっていた石下は無表情になった。


「非常用のディーゼル発電機はいつでも動かせますが、燃料を使い果たせばそこまでです。

 ちなみに、一応72時間動かせる様になっています。

 今のお話からするに、預かり在庫になっていたソーラーパネルも使えるようになると、もっと行けます」


 ディーゼル発電は専用の設備があるからいいとして、ソーラーパネルによる発電は、太陽に向ければ明かりが灯るという単純なものではない。

 実際には発電された電気を家庭用電源として整える装置も必要で、雨や夜に備えた蓄電設備も必要だ。

 在庫を預けていた販売業者も、それを施工していた業者もここにいないからには、それは石下の仕事となる。


「お願いばかりで恐縮だが、手の空いているのを使ってうまくやってくれ。

 こうも寒いと、体調を崩すものが出かねない」


 電気工事士の資格なんて取るんじゃなかった。

 石下の心の中は後悔で埋め尽くされていた。

 

「とりあえずは、スマホバッテリー充電用の商品をいくつか開けます。

 在庫表が見れないと仕事にならないですからね」


 総務課長は石下に退出を促しつつ社長に告げる。

 

「そうだね。すぐに取り掛かってほしい」


 遠回しに解散を告げられ、二人は社長室を出ようとするが、そこで不意に声をかけられる。


「ああそうだ」


 何事かと視線を向ける二人に、社長は何でも無いように告げる。


「登山用のナタとかナイフがあっただろう。

 全員に持たせてやってくれ。無いよりはマシなはずだ」


 それは、明らかに外敵からの脅威を認識していなければ出てこない指示だ。

 警備員とどう報告するかを悩んでいた石下も、先程聞いたばかりの総務課長も、思わず体が固まる。


「ここは六階だからね。表がこうも明るいと、外に何が広がっているのかが嫌でも見えるよ。

 みんな大人だし、誰かに内緒で渡すならまだしも、全員に武器として配れば、慎重になると思うよ」


 今のところ一番怖いのは、先行き不明な状況で誰かが暴走することだ。

 気に入らない奴を傷つける、好意を持っていた異性を襲う、食料などを独り占めしようとする、そんな事件だ。

 敵襲は、可能性としてはもちろんあったが、それは考えてもどうしようもない段階でしかなかった。


「相手も同程度の武器を持っているのであれば、嫌でも丁寧になる。

 みんなの理性を信じているけど、それを補強する材料があってもいいと思うよ」


 さすがに冷戦時代を経験している世代は違うな。

 そんな失礼なことを思いつつ、総務課長と石下は同意しつつ退出した。




年月日不明 17時30分 ワイルド・ネイチャー物産株式会社 本社 一階 休憩室


 本社の一階には、休憩室がある。

 休憩と名がついているが、実際には社員の半数以上が同時に食事をできる社員食堂だ。

 もっとも、電気も水道もガスも来ていないうえ、出入りの業者もいない今は、単なる大きな部屋でしか無い。


「お水、大丈夫なんでしょうか」


 営業アシスタントの宮田は悲しそうに呟いた。

 彼女の前には、大量に並べられた2リットル入りのペットボトルがある。

 複数のクランクチャージランタンによって照らし出されたそれらは、光を不気味に反射しつつ整列していた。


「次は、営業部の鈴木さん」


 消費期限が近い順で開けられた健康食品と、ペットボトルが手渡される。

 

「ウッス、いただきます」


 小柄だがガッシリとした体格の鈴木は、体型を維持できるのかを不安に思いつつも夕食と明日の分の水を受け取った。

 

「受け取りチェック、大丈夫、あと半年分はあるよ。

 お水があまり売れなかったことに感謝だね。

 次は、営業部の佐藤さん」


 石下は帳簿をつける事と声掛けの作業を継続する。

 水の在庫は、保存期間が長いこと、ボリュームディスカウントの罠に嵌ったことから、売るほどあった。

 むしろ、売っても売っても無くならないほどにあった。


「はーいどうも。夕飯はせっかくだから噂のミリメシが良かったんだけど。

 ウソウソ、給料から天引きにならない時点で感謝していますって」


 冗談めかして要望を伝えたが、宮田の泣きそうな表情と、石下の無機質な目線を向けられた彼は即座に茶化して撤退した。

 この会社の営業部は個性的なメンバーが多かった。


「あの人はいつもあんな感じですね」


 悪い人ではないんですが、と続けつつ、石下は次のペットボトルの隣に食料を寄せる。

 ついでに明かりが弱くなってきたランタンのクランクを回した。


「あの、石下さん」


 宮田が申し訳無さそうに帳簿を指差す。


「チェック、漏れてませんか?」


 石下は、総務課員としてありえないことに、書類仕事が壊滅的に苦手であった。

 それを補って余りある程にその他の雑用業務を的確に進めることができるために許されていたが、本来であればありえない事である。


「あーすいません。

 これで、よしと。

 はい、次、総務課の東原さん。ん?」


 慌てて記入しつつ次を呼ぶ。

 そこで彼は違和感を覚えた。

 営業から応援で来ているアシスタントがいて、総務課の自分がチェック業務と雑用。

 なぜ、同じ総務課が来客となりえるのか。

 美しい金髪と見事なプロポーションを誇る彼女は、石下の前で腕を組んで仁王立ちした。


「石下さん、ご苦労さま。

 ところで、発電機があるのにどうしてライトやエアコンが動いていないのかしら?

 貴方から課長に言っておいてくださらない?」


 あぁ、こいつか。

 彼の表情は困ったような苦笑のようなもので固定される。

 

「貴重なご意見ありがとうございます、課長にお伝えしておきますね。

 はい!ではお待ちいただいていた次の方どうぞ!」


 相手に反応する時間を与えずに速やかに順番を回す。

 母親が米国の相当な上流家庭出身者らしい彼女は、どうにも貴族的なところがあった。

 ちなみに、先程の意見もあくまでも困っている皆のためにとの善意から出ている。

 そんな彼女が場末の中小企業にいる理由は、やはり石下にはよく理解できないものである。

 都内の私立大学でよくわからない権力闘争らしいものがあり、それに敗北した上に親の犯罪が暴露されて没落した彼女を知り合いである社長が拾ったというものだ。

 営業部の友人である藤田は、悪役令嬢が救済される系かな?と言っていたが、もちろん、石下からしたら迷惑以外の何物でもない。

 



便宜上呼称二日目 13時40分 ワイルド・ネイチャー物産株式会社 本社 一階 休憩室


「石下くん、まずいよ」


 帳簿を片手に表情を青ざめさせた総務課長が呟く。

 声をかけられた側の石下も、問題を十分に理解していた。


「2リットルのペットボトルが一日に17本。

 それが今日の分として消費されます。

 明日の分を今夜に支給したら34本。

 一週間で119本。もちろんこれは生きるために必要最低限の飲料水だけの計算です」 


 水道が止まっている今、屋上の貯水タンクにはそれなりの量の水があるものの、食事の前の手洗いや最低限の洗浄も考えれば、それは飲料水としてはあまり使えない。

 昨晩、落ち込む宮田のために半年分は在庫があると石下は気休めを言ったが、実際には半年分などという在庫は無かった。

 残量は、2Lのペットボトルが6個入りで120ケース。

 ペットボトルの数は720本で、つまり清浄な飲料水は1,440リットル、重量にして入れ物抜きで約1.4トンある。

 ざっくりと計算すると、全てを飲料水としても、一人一日1個として、720÷17人で42日分と少し。

 それが倉庫にある全てだったのだ。

 一ヶ月強で安全な飲料水は無くなる。


「電気も大事ですが、水がないと生きられない以上、川の水をなんとかしないとですね」


 石下の言葉に総務課長は頷くが、二人の間には見解の相違があった。

 川の水をそのまま飲むのは危ないと聞いたことがあるから、なんとかして沸かさないといけないという総務課長。

 沸かす手段は何とでもなるとして、沸かしただけで飲料用水と出来るのかが不安な石下。

 前者は、多分水道が復旧することは無いだろう、という認識からそう考えている。

 後者は、多分ここは異世界だろうと想定し、未知の病原体や危険な水生生物を恐れていた。


「とりあえず、今日の社内のことはおまかせします。

 私は警備員さんに護衛してもらいつつ、川の水をどうにかする方法を考えます」


 仕事はてんこ盛りであるが、まずは水の安定供給が最優先だと石下は判断した。

 実際には飲料水、もしくは水分補給に使える飲料はもう少しあるが、誤差である。

 早急に、開封した飲料ができるだけ少ないうちに、水分補給手段を整える必要があった。

 誰にとっても幸運なことに、この会社は特殊な商材を扱っており、石下は様々な経験を持っている。


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