木漏れ日の中の復活
‡
別れの言葉と共に、カイトの零した涙がフローチュアの左中指の指輪に落ちて弾けた。
‡
『彼女を、生き返らせたい?』
突然、声が聞こえてきた。
周りを見回して、誰もいないことを、そしてフローチュアが生き返った訳ではないことを確認して、ついに精神がどうかしちまったかと自嘲した。
『彼女を生き返らせたいのって、聞いてるの』
「え?」
だが、また声は聞こえてきた。
より鮮明に、頭の中で響き渡る少女の声に、戸惑うほかなかった。
「え?」
『答えなさい。時間がない。その子を生き返らせたいの?』
「誰だ?」
『悪魔じゃないことだけは保証してあげる。それで、その子を助けたいの? どうなの?』
どこまで落ち着いた、しかし呆れたような声音の提案に、俺は一瞬詰まった。
怪しい声掛けは、本人は否定しているが、悪魔の囁きそのもののように聞こえたからだ。
『もうこの子の魂は体から離れようとしている。どうするの?』
「まだ生きているのか?!」
『魂が離れていないだけよ。で、どうするの? これ以上みっともない姿を、彼女に見せつける気?』
死後、少しの間は、実は周囲の声が聞こえている、という話を聞いたことがある。
もしもフローチュアがまだその状態なのであれば。
今度こそ、彼女を助けられるのであれば。
「彼女を生き返らせたい」
この一縷の望みをくれる声に賭けてみよう。
『わかったわ』
小さな吐息が聞こえてきた気がした。
その直後、フローチュアの左手が光り始めた。違う、指輪が光っているんだ。眩しくなく、柔らかい輝きが、彼女の体を覆った。
そして、光が収まる。
どうなったのか、静かに見守っていると、フローチュアが身じろぎして、目を開いた。
その瞬間、言葉にならない感情が沸き起こった。
どうにか、抱きしめられない体を抑えながら、
「……フローチュア?」
名前を呼ぶと、彼女はまだ眠そうに半分瞼がかかった目で見上げてきた。
そして、
「フローチュアは眠ったわ。しばらくね」
目覚める前とは全く違う雰囲気と口調で、淡々と言った。
彼女の言っていることがわからず、困惑していると、フローチュアは左腕を上げて、伸ばして、左手をぐっぱっと広げた。
「上手く行ったわね。これで、一応大丈夫なはず」
「フローチュア」
いや、違う。
この口調と雰囲気、つい今しがた聞いたばかりの声と似ている。
「じゃないな。さっきの声の主か?」
「そうよ。初めまして、トリケラトプスさん。それとも、転生者さんと言った方がいいかしら?」
「どこでそれを……?!」
「言ったでしょ。死んでからしばらくは声が聞こえてるって。この子の記憶から読ませてもらったの」
淡々とした口調のまま、フローチュアの体を操る“何か”が立ち上がった。
「お前、一体……」
「その話の前に、一つだけやっておかないといけないことがあるの」
打撃音が響き渡り、俺の嘴の左右に軽い衝撃を感じ取った。
痛くないのに、胸がじくっと痛んだ。
「お馬鹿」
両手で嘴を挟んだまま、フローチュアの声で、何者かが叱責してきた。
そうだ。
一人で最後まで突っ走って、フローチュアを殺しちまったんだ。
とんだ馬鹿だよ、俺は。
だが、フローチュアの代わりに叱責してくれた何者かは、そこで終わらなかった。
「んでもって、うじうじしてるんじゃないわよ」
鼻先に温もりと微かな甘い香りを感じて、目を向けると、フローチュアが真正面から俺の顔を抱きしめていた。
「何をしているんだよ……?」
「この子が、君にしてあげたかったことを代わりにしてあげてるのよ。あ、打ったのは私の意志で、この子はそんな事を望んでいなかったことを明言しておくわね」
「何で……」
「打った事? 罰を欲しがってたみたいだから」
「違う! 俺はこんな風に、フローチュアに抱きしめてもらえるような奴じゃ」
「この子がそうしたいって言ってんの。甘やかしてる訳じゃないわよ?」
「じゃあなんで……」
「さぁてね。教えてあげる義理はないわ。けれどこれだけは覚えておきなさい。
二度とこの子を侮辱するような事を言うな。
この子が守ろうとしたアンタ自身を蔑んで逃避するな。
別に自分を責めたきゃ勝手に責めていればいいけど、すぐに死ぬわよ。それだけは絶対に許さない。私も、この子も。アンタはこれからも生きて、生きて、寿命が来るまで生きてもらわなくちゃならないの」
「何で……」
「それがこの子に助けられたアンタの義務で義理だからよ。まだ自分の命、惜しいって思えているんでしょ? さっき私が何者かって問いかけてきた時も、熊が逃げて行った時も、恐怖を感じていたじゃない。それでいいから生きろ。いい?」
一方的に、静かに捲し立てられ、俺は目を丸くすることしかできなかった。
「別に、アンタを許した訳じゃないわよ? あぁ、私がね。この子の方は知らないけど。今日アンタが犯した馬鹿な行動を反省するならすればいい。それで次に出会った大切な人を傷つけない事を繰り返していくのね」
突き放すように言いながら、フローチュアは俺を離さなかった。
これも、本当のフローチュアが望んでいることなのか?
だとすれば、彼女の体を動かし、喋っているコイツは、何者なんだ。
「お前は……何者なんだ?」
「もう少し落ち着いてからにしましょう。ちゃんと話してあげるわ」
日が暮れる頃になって、俺とフローチュアは大樹の下で向き合っていた。
まだ目元がしょぼしょぼして辛いが、心の方は落ち着いた。それに、もうくよくよとした感情はない。
「よし、じゃあ約束通り話しましょうか」
「その前に、一つ聞いておきたい」
「どうぞ」
「フローチュアはどうなったんだ? 眠っているとか言ってたが……」
「言葉のままよ。彼女の魂は今、深い眠りについている。目が覚めたら、この子に私が体を返して、それで蘇生が完了となるわ」
「そうか……」
「あっさりと信じるのね」
「え、嘘なのか?!」
フローチュアの意志を汲んで叱咤激励してくれているって言っていたもんだから、本当に彼女を生き返らせてくれるものと信じていたのに!
「本当の話よ。ただ、アンタ、悪魔かどうかって私を疑っていたくせに、ちょっと飴と鞭を振るわれただけで簡単に信用しているから、少し心配になっただけよ」
「紛らわしい事を言わないでくれ」
一瞬、本当に疑ったよ。こいつ、体が欲しくて騙した悪い奴なんじゃないかって。
「ま、この反省も生かすとして、質問の答えはこれでいいかしら?」
「あぁ」
「それじゃあ、私が何者かって話ね。そうね……」
フローチュアは軽く握った右手を口元に添えて、数秒ほど思案顔をしてから、
「リチュアル……リチュアでいいわ」
「リチュア?」
「この体で居る間の、私のコードネームみたいなものよ」
「俺は、カイト。さっき言った通り、転生者だ。こことは、違う世界から来たんだ」
「へぇ、ふむふむ」
フローチュア改め、リチュアが俺の事をじろじろと見て、
「なるほどね」
一人で納得して頷いていた。
「何がなるほどなんだ?」
「気にしなくていいわ。それよりも、これからどうするの? あの熊に復讐でもする?」
「しない」
復讐なんてするつもりはないし、お門違いだろう。
アイツも、生きるために必死だったんだろう、きっと。
「まぁ、それなら別にいいけど」
「あぁ。俺、この森で暮らすよ。レッドハンドにはもう会いたくないけどさ」
「また会う事になるわよ。この森にいればすぐにね。熊って一度襲った相手をしつこく追いかけるし、アンタの事を襲いに来るでしょうね」
「何でだよ? もうアイツ、瀕死の状態だったし。奴はもう」
「生き残っているわよ。フローチュアの目が、奴を捉えている」
リチュアが左手を動かして、首を横に振った。
「……ダメね。今、追いかけたとしても、この状態の私とアンタじゃ返り討ちに遭う。かといって、このまま明日になれば、回復しきられてしまう」
「待ってくれ。奴は一度死んで、息を吹き返しても俺を見逃して去っていくくらいに弱っていたんだぞ?」
「弱っているからこそ、追い込んできた相手が想像もしないような反撃をする。窮鼠猫を噛むって奴よ。そして生命力の強さは、普通の熊とは比べ物にならない」
「……本当にあいつは、熊なのか?」
「魔獣って、そう言うものでしょ。まぁ、そう言う訳だから、アンタはこの森から出ないとならないわね」
「そう、か」
フローチュアが目覚めるまで、一緒にいるつもりだったが、そうもいかなくなった。
「わかった。フローチュアを、よろしく頼む」
速くこの森を去らなければならない。俺が居れば、今度こそフローチュアが、今度はリチュアも巻き込んで死んでしまう。
「強くなったら……あの熊野郎を倒せるくらいになったら、戻って来る」
頭を下げて踵を返そうとしたが、
「あら、何を言っているの。私も一緒に行くわよ?」
「は?」
こいつ、今とんでもない事を言わなかったか?
振り返ると、真顔のリチュアが隣まで歩いてきて、
「よっ!」
俺の足や肩を上手い事伝って背中に登り、跨ってきた。
「何してるんだ、お前?!」
「力を使い過ぎて長旅に耐えられそうにないから、アンタに運んでもらうわ。ほら、こうなったのもアンタに責任の一端がある訳だし、償いの一つと考えれば」
「そうじゃない! 木から離れたらフローチュアが死ぬだろ!」
「あぁ、それね。大丈夫。安心なさい」
「どう言う意味だ?」
「この子、一度死んだから、そう言う制約みたいなものから外れているのよ。だから、森から出て行っても何も問題ない訳」
「……マジか」
「そう言う訳だから、アンタが責任を持って、フローチュアをこの森から連れ出しなさい。ここにいたら、あの熊に襲われて、今度こそこの子、殺されちゃうし」
そう言われたら、断る選択肢なんてない。
リチュアがしっかりと背中にしがみついた事を確認して、駆け出した。
そのまま、薄暗くなった森の中を、リチュアの指示に従って走っていると、草原が広がる丘が見え始めた。
「行くぞ」
「大丈夫、信じなさい」
口調はそのままなのに、どこか優しい声音を聞きながら森を出る。
「リチュア!」
「フローチュアは無事よ。だから信じなさい、って言っても仕方ないわよね」
「す、すまん」
フローチュアが無事だったことに安堵しながら、疑った事を謝った。
これから共に旅をしていくと決めたのに、いきなり疑っちまった俺を、リチュアはさらっと許してくれた。
「いいわ。さ、進みましょうか。日が暮れるまでに山に入って、火を焚かないと」
「えっ、ドライアドなのに火を扱って大丈夫なのか?!」
「大丈夫よ。あぁ、そっか。まだ言ってなかったわね」
丘を登り、青に染まっていく空の下、鮮やかな緋色に染まる岩山が見えてきた。
「精神生命体みたいな存在だから、火の取り扱いについては経験があるの。だから安心なさい」
視界の後ろで、夕日に照らされたリチュアが、微かに口元を綻ばせていた。
その日、俺は大切な友達に宿った、奇妙な相棒と一緒に旅をすることになった。
「生き残りなさいよ。私を呼び出したこの子の奇跡を無駄にしないようにね」
「あぁ、そのつもりだ」
弱肉強食の大自然、最強の狩人ひしめく狩場へ転生した弱者の身だろうと、生き残ってやる。
フローチュアが目覚めるその時までは、絶対に!
‡
数分後にリチュアと名乗る私が最初に目にしたのは、どうしようもなく穏やかな笑みを浮かべている、幼すぎる少女だった。
小学生に上がったか、どうか。それくらいの年頃に見える。
薄緑のワンピースを纏う華奢な体に、慈愛を湛えた顔、そして意志の強い目に、強く惹かれる。
彼女は、うっすらと明るい世界に浮かんで、何かを見ているようだった。
その視線を追ってみると、少し意外な相手が、涙を流していた。
(トリケラトプス……?)
「私が死んじゃったから、泣いているの」
少女がつぶやいた。
(死んだ?)
「うん」
だとすれば、彼女はあと何分もしないうちに消えてしまうだろう。
それなのに死への恐怖なんて微塵も感じさず、涙を流すトリケラトプスへの愛情を溢れんばかりに目に湛えている。
(私を召喚したのは、貴女?)
「え? うぅん。偶然、私の指輪に、カイトの涙が当たって、君が呼ばれちゃったみたい」
ごめんね、と弱々しく微笑む少女。
何て、凄い子なんだろうか。
この子は、死ぬべき存在ではない。少なくとも、今はまだ。
そう思って、一つ提案をすることにした。
(もしも、貴女が生き返られるとしたら、どうする?)
「え?」
(時間がないの。前置きとか無しで、素直に答えて)
急かしてしまったが、少女ははにかみながらすぐに答えてくれた。
「カイトと、いっぱいおしゃべりして、遊びたい、かな」
(それが、貴女の望み?)
「うん。あの子と一緒に居たいんだ」
どこまでも愛らしい少女が、大人びた雰囲気のある笑顔で、さめざめとなくトリケラトプスを抱きしめるように両手を広げた。
「贅沢、かな」
(ええ、とびきり贅沢。でも、そう言うの、嫌いじゃない)
助けるための方法を伝えると、少女はカイトを一瞥してから、頷いた。
「また、カイトに会えるなら」
(少し時間はかかるけれどね)
「それまで、カイトをお願い」
(任されました。けれど、そんなにあの子の事、気に入ったの?)
「うん、好きになっちゃったんだ」
それはなんて眩しい、まさに恋の表情。
自分には眩しくて、たまらなくて、それでいて悪くない気分になれる。
(わかった。しばらく寝ていなさい。必ず、会わせてあげるから)
「わかった……ありがとう」
静かに意識の奥底で眠りについた少女から、記憶を探り取る。
この子の名はフローチュア。
数百年を生きる、大樹の妖精にして、この森の守護者。
トリケラトプスの名前はカイト。
人間の言葉をしゃべる、不思議な竜種の男の子。
そして、彼についての記憶を読み取り、驚いて、同時に歯がゆくなる。
(仕方ないわね……)
だから、目が覚めた後、挨拶もそこそこに両手で嘴を挟んで叩いてやった。
その後で無事持ち直したカイトに名乗ろうとして、少し考えた。
今の私はフローチュアじゃない。
それは彼女だけの名前。
では、何と名乗ろうか。
そこで、自分がこの子の体に宿れた理由を考えた末に、こう名乗ることにした。
「リチュアル……リチュアでいいわ」
こうして私はリチュアとして、彼と旅に出ることになった。
精神の最奥で、体を胎児のように丸めて眠るフローチュアが目覚めるその日まで、彼女の代わりにカイトを助けて行く。
でも、それだけじゃつまらな……この子の為にならないから、私も戦って行こう。
(そうと決まれば、まずは……)
そこまでは頼んでないかなー、とフローチュアの苦笑いが聞こえてきた気がした。
お読みいただき、ありがとうございます。
ここまで、魔獣も含めて誰かが傷つく物語を書いたのは久しぶりです。
別の作品では邪悪な神を主人公が斬るなどしていますが、結構あっさり終わるようにしています。
それでもやっぱり嫌なものではあります。
この物語は衝動的に思い浮かんできたものを形にしてはいますが、書きたいことが色々とあります。
色々と反省して、悔やむこともあったりするかもしれません。
何かしなきゃと思っても、面倒くさかったり、最初からあきらめてしまってしまうときもあるでしょう。
それでも、生きている。傷つけた誰かの分を、意識していようといまいと、人は生きていくんです。
誰かを傷つけた分だけ強くなって、痛みに敏感になる、トリケラトプスと妖精の物語はここから始まります。
願わくば、これからの彼と彼女のように、必要のない傷を誰かに負わせることがないように、生きていきたいのです。
なんて、スーパーで買った鶏肉と玉ねぎと人参、キノコを入れたカレーを煮込みながら、妄想を繰り広げている今日この頃です。




