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木漏れ日の中の哀悼


 目を見開く彼女が、近くを飛んでいてくれて助かった。俺は彼女の服の裾を嘴で掴み、体勢を立て直す動きと落下を利用して、背中の上に乗せた。

 その際に、彼女の小さな左中指に、渡した指輪が嵌められているのが見えた。


 地上では、レッドハンドが立ち上がって両手を広げていた。落ちてくる俺たちを抱き留めるような姿勢だが、実際のところは殴り着けるか、掴んでそのまま地面へ叩きつけるつもりなのだろう。


 もう、奴との距離は数メートルまで迫っている。


「カイトっ!?」

「トリケラトプス舐めんなぁッ!」


 後一メートル、と言うところで、口の中に隠し持っていた少し大きめの石を落下させた。先ほど、武器になるものを探していた時に、近くにあったものを拾っておいたのだ。


 顔面目がけて落下してきた石を、レッドハンドは左腕で弾いた。もう目と鼻の先まで俺が落下してきているのに、それは大きな隙となる。

 レッドハンドも理解しているはずだ。だが、奴からは絶対の自信を感じられる。俺程度の攻撃では、絶対に揺るがない、絶大な自分への信頼だ。


 その赤黒く染まった両腕は、奴が数多くの敵を屠ってきた、絶対王者の証だ。

 レッドハンド。

 血濡れの腕の王様。

 お前は確かに強いし賢い。俺のような、取るに足らないだろう相手にも真剣に、全力を注いで挑んでくる、最強の魔獣。


 けどな!

 そんなお前も、たった今、たった一つ、しかし重大なミスを犯した。


 それはな、


「こちとら、見た目ほど軽くねぇんだよっ!」


 ゴガァッッッ!!!!!


 激しい衝突音が、大樹の広場に響き渡った。

 自然落下と空中半回転捻りにより生み出されたエネルギー、そして俺の全重量を乗せたスタンプキックを受け止めたレッドハンドの左腕から、骨が砕け、筋肉が破裂する嫌な感触が伝わってきた。


 それでもレッドハンドは悲鳴を上げず、瞬間の膠着状態の中、俺を睨み上げてくる。


(やるじゃねえか、坊主。だが、惜しかったな)


 そう言っているような、不遜な気配。

 確かに俺の負けだ。この一瞬ではな。


「来いっ、フローチュアァッ!!」


 俺の背後、レッドハンドから完全な死角となった空中を落下してきたフローチュアが、両足を揃え、ミサイル・ドロップキックで俺の体を蹴り押した。

 体重が見た目通り軽いフローチュアの飛び蹴りを受けても、俺は痛くもかゆくもない。だが、俺と言う超重量物を受け止め続けている、負傷したレッドハンドにとっては、そうもいかない。


 できるだけ揃えるようにして伸ばした俺の四本足が、更に奴の左腕へとのめり込み、ついに奴の顔面に威力が突き抜ける感触がした。


 だが、それでもまだレッドハンドは倒れない。奴からは、殺してやるという確かな意思をまだ強く感じ取れる。

 右腕を引いている。俺たちが離れる直前に、殴り倒す姿勢だ。


 それが罠なのか、本当に遂行しようとしている攻撃なのか、俺にはわからない。

 だが、もうこれ以上、コイツが攻撃してくることはない。

 何故なら、一足先に着地していたフローチュアが、指輪をはめた左手を地面に当てていたからだ。


「さようなら」


 左腕を蹴って飛び離れる中、レッドハンドの足元から、先ほどよりも細く鋭い、何十本もの根が奴を取り囲むようにして飛び出した、体に突き刺さったのが見えた。


 レッドハンドは血を噴出しながら絶叫を上げると、やがて力尽きたように、ぐったりと上半身を倒した。

 奴からは、呼吸を感じられない。


 勝った。

 この森最強の存在に、勝ったんだ。


「……勝った、ね」


 視界の後方で、しゃがんだままフローチュアが笑った。


「あぁ。勝ったな」


 振り返る途中で、前触れなく、フローチュアが真横に倒れた。


「え? フローチュア?!」


 駆け寄ると、フローチュアがか細い呼吸をしながら、「へへっ」と笑った。


「ちょっと、無理、し過ぎちゃった」

「しゃべらなくていい。今、水か何か持ってきてやる」

「うぅん。もういいよ」


 小さな手が、明後日の方角を、森の出口を指差した。


「君は、このまま森を出て、岩山へ行って。そこで傷を癒して……旅をすれば、いいよ。もう、君を襲ってくる蛇も、熊も、いないんだから」

「蛇?」


 まさか、あの魔蛇、死んだのか? 誰に? あぁ、この場合、たった一つの候補しかないよな。

 後ろで事切れたレッドハンドが、魔蛇がぶつかったという魔獣だったんだろう。

 けれど、今はそんなこと、どうでもいい。


「フローチュア、少し耐えてろ。水場まで連れてってやる」

「……水場?」

「あぁ、この森の隣に川が流れているんだ。ここに来る前、ちょっと流されていたんだが、結構綺麗でさ。飲んだら美味いに決まってる」


 言いながら、フローチュアの体を傷つけないように顔で持ち上げ、寝そべらせる形にしてやる。

 彼女を落とさないように、それでも全力で駆け出す。


「えへへ……誰かにこうやって抱き上げられるの、初めて」

「そうなのか?」

「夢だったんだ。妖精以外の子と、こうやってお話して、遊んだりするの」

「俺がその最初の友達ってことか?」

「うん」

「そりゃ光栄だな」

「えへへ。まさか、しゃべる竜種のお友達ができるなんて、思ってもみなかったけど」


 そこについては……いや、そうだな。


「元気が出たら教えるよ」

「本当?」

「あぁ、本当だ。約束する」


 少しでも、生きる気力を抱かせるためにそう言った。

 でも、元気になったらちゃんと約束を守るつもりでもいる。

 この世界で、誰にも言っていない、俺の秘密について。


「カイトは、秘密がいっぱいだね」

「それを言うならフローチュアだって。さっきの凄かったな! 木を操れるなんて」


 その時、自分で言っていて、何かが引っかかった。

 だがそれを気にしていられる程の余裕はない。


 水の流れる音が聞こえてくる。出口となる並木の向こうに、見覚えのある景色が見えてきた。


「魔法って本当にあるんだな! 俺、初めて見たよ!」

「……魔法じゃないよ」


 そっと、笑うような声。


「アレはね、私の力……なんだ」

「力?」

「そう。この森の地下に張り巡らされた、あの大樹の根を操れるの」

「は?」


 驚きすぎて言葉が出てこなかった。

 フローチュアが、また可笑しそうに笑った。さっきよりは、元気そうだ。早く、早く森の外へ出て、水を飲ませてやろう。

 ほら、もう出口まであと五メートル。


「私、妖精だって言ったでしょ」


 四メートル。


「私、ドライアドなんだ」


 息が、止まりそうになった。


 ドライアドは妖精の一種だったはずだ。

 自分の憑代にしている木が切り倒されるか、木から遠く離れてしまうと、死んでしまう。

 そんな伝承を思い出して、さっき心に引っかかった理由を悟った。


 もう出口まで一メートルの所で、俺は足を止めようとした。

 だが、勢いに乗った俺の体は急には止まれず、土を削りながら、真っ直ぐ、森の外へと出ていく。


「えへへ、そう言う優しいところ、私」




           ‡




 きらきらと、水が流れる川の畔で、カイトは立ち尽くしていた。

 森から真一文字に削られた土が彼の足の前で小さな山を作っている。


「……フローチュア?」


 三本の角の間に、横向けになる形で寝そべる、フローチュアに声をかける。

 だが、返事はなかった。

 つい数秒前まであった呼吸音が聞こえない。

 比較的皮膚の薄い顔で感じる彼女の温もりがあるのに、決定的な何かを突き付けられた気がして、カイトは息をひきつらせた。


「フローチュア、おい、起きろよ。水だ。水だぞ。ほら、フローチュア」


 呼びかけても、揺さぶっても、彼女は何も反応しない。ゆっくり、彼女を傷つけないように降ろして、寝そべらせる。

 力を失ったフローチュアがごろんと畔の柔らかな地面に転がる。

 その顔は、まるで眠っているように穏やかで、口元は笑みを浮かべていた。


 近寄って、鼻先でそっと小さな体を揺らす。

 重たくなった体は、何の反応も返してくれなかった。


「フローチュア、おい、起きろよ。なぁ」


 もうわかってしまっている。けれども、信じたくなくて、カイトは呼びかけ続けた。


「起きろよ。なぁ、起きろって。俺、秘密を教えてやるって言っただろう?」


 心を虚無が支配しかける。

 嘘だ、と意識が叫ぶ。

 カイトは川へ近づくと、水を口に含んで、急いでフローチュアの下へと戻った。そして、少しずつ、その顔に垂らしてやる。

 それでも、彼女が目覚めない。


「起きろよ……なぁ。おい」


 口の中の水が全部流れ出たのにも関わらず、嘴の先端から、フローチュアの顔に水滴が落ちていく。

 ぽた、ぽた、ぽたと、とめどなく。


「教えてやるって言っただろう? なぁ、フローチュア」


 尻餅をついて、乾いた声で、カイトは語り続ける。


「俺、さ……実は、前世で人間だったんだ。こことは違う世界に住んでいて、気が付いたら、こんな体になってたんだよ」


 へぇ、そうなんだ! びっくりしたぁ! それでそれで?


 そう答えてくれるはずの彼女は、眠り続けたまま。


「あの滝の上の、ちょっと奥の方でさ。ふっさふさな羽毛の生えたティラノサウルスみたいな連中が、育ててくれたんだ。って言っても、三日ぐらいだけど」


 ティラノサウルスって何?

 そんな風に語りかけてくれる光景を、つい先ほどまで望んでいた。


「ちょっと色々あって、川に流されて、助かったら蛇に見つかって、滝から落ちて、そしたらフローチュア、お前と出会えたんだ」


 そっと顔を彼女の小さな顔に触れさせる。彼女の温かさが、少しずつ、失われている気がした。


「ごめんな、冷たかったな」


 違う。

 カイトは嘴が砕けろと言わんばかりに噛みしめた。


「ごめんな、ごめんね、フローチュア。痛かったな。辛かったな。苦しかったな。ごめんな、俺を助けるために無理したんだな。なのに俺が戻ってきたから、もっと無理する羽目になったんだよな」


 抱きしめることができないカイトは、ただひたすらフローチュアに寄り添い続けることしかできなかった。


「ごめん、ごめんなさい」




「カイトは悪くないよ。自分を責めないで」




 微かな、フローチュアの声が聞こえた。

 慌てて覗き込むが、彼女は目を閉じたままだ。

 だが、その口元は、微かに形を変えていて、より一層、優しい笑みを浮かべていた。




           ‡




 フローチュアを頭の上に載せて、大樹の下へと戻ってきていた。

 大樹は、最初に見た時と同じようにそこに佇んでいて、静かに俺たちを見守ってくれているようだった。


「お前も、俺を怒らないんだな」


 答えはやっぱり返ってこない。

 二人で休んだ根本まで歩いて行く途中で、串刺しになったままのレッドハンドが目に入った。

 あれほど恐ろしかった巨大な化け物は、根に血を流し、体から地面に滴らせながら、物言わぬ置物になったようだった。


 こいつが居なければ、フローチュアは死なずにすんだ。

 そんな風に考えて、俺は首を横に振った。

 責める相手をはき違えるな。

 分かっている。


 俺のせいで、この子は死んだんだ。


 大樹の真下に着き、フローチュアを降ろして、もたれかからせてやる。


「……ほら、戻って来たぞ」


 どの口がいいやがる。

 最初から、この場所にいれば、助かったのかもしれないのに!


 自分への激情を飲み込み、フローチュアの頭があまり動かないように、傷つかないように、鼻先で軽く撫でた。


「ごめんな……ごめんな……フローチュア……」


 くそっ、涙なんていられねぇんだよ!

 それよりもこの子が助かる、そんな未来が欲しいんだよ! 欲しかったんだよ!!


 誰のせいで、誰のせいでこの子が死ぬことになったと思っていやがるッッ!!!!!

 俺だ、カイト!

 お前がいらない事をしたせいで、この子は死んだ!!


 俺がこの森に来なければ、この子は死ななかったんだ!!




 ごそり。


 聞こえた物音と、後方の視界、その端に捉えた出来事を認識して、振り返る。


 大樹の根の群れに貫かれ、息絶えていたはずのレッドハンドが、動き出していた。

 ぐぐっと腕を持ちあげて振り降ろせば、細い槍のような根はいとも簡単に砕けてしまった。


「そっか……お前、やっぱ化けモンだわ」


 ついに自由になり、四つん這いになったレッドハンドと、正面から向き合う。

 どうやって生き残ったのか、または生き返ったのかは知らないが、奴の目にもはや戦っていた時の力はない。ともすれば、今すぐにでも倒れてしまいそうなほど、奴は弱っていることを悟る。

 だというのに、奴は俺を睨んでいる。


「何だ、おい。まだやるってのかよ」


 もう十分やっただろう。とっとと俺たちの前から消えてくれよ。折角助かったんだ、傷が癒えるまで休んどけよ


「言っとくけどさ、今の俺、かなり虫の居所が悪いんだ……」


 八つ当たりなんて最低だが、向かって来るって言うなら、容赦はしない。

 いつでも飛びかかれるように足に力を入れる。


 だが、レッドハンドは俺から目を逸らすと、踵を返してしまった。そのまま、大樹の広場から出て行こうとしていた。


「逃げるのかよ……」


 俺のつぶやきが聞こえていなかったのか、それとも無視したのかはわからないが、奴は一度も振り返ることなく、森の奥へと姿を消した。

 それを追いかけてどうにかしてやろうという気持ちは、なかった。


 途端に、体中から力が抜けて、その場に尻餅をついてしまった。

 情けない。

 啖呵を切っておきながら、フローチュアを死なせておきながら、命が助かったことにホッとしやがったのか、俺は!


「フローチュア……俺は……」


 どうしようもなくなって、もう全部がどうでもよくなってきて、俺はフローチュアの傍に寄った。

 最後にしよう。

 俺が居ていい場所じゃない。


 ふと、彼女の左中指に嵌った、木製の指輪が目に映った。


「それは、君が持って行ってくれよ」


 この世界に、天国や地獄だとか、極楽浄土とか、そう言った死後の世界があるのかはわからない。

 どの道、俺がもらっていいものではない。


「さようなら」


 嘴の先端から、また涙の粒が落ちた感触がした。





明日中に、もう一話投稿します。

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