深海の騎士
お待たせしました。
もうダメだ。
カイトは諦めていた。
どれだけ魔法で攻撃しても、シーシャドウがカイトを手放す様子はない。傷ついても、カイトを食らうという決意を感じさせた。
もしも自分が食べられたら、その後はリチュアが、その次はトリトナが、そしてトリトナの妹分であるレイラと、彼女たちの恩人である人魚たちも残さず食べ尽くされてしまうだろう。
シーシャドウの意思から、カイトはその未来を確信していた。
(そうはさせるか……させてたまるか)
無力を嘆きながら、今、岩壁一枚の向こうで暴れている烏口の周辺か、内部の肉に、角の一撃とアースショットをお見舞いしてやると、最後の意地を見せようとする。
その時だった。
何の前触れもなく、体の奥底から、熱い物がこみ上げてくる感覚があった。
最初は小さかったそれが、一瞬で、体が爆発しそうになるほどの勢いと圧力を持って、体の中から溢れてきだした。
『な、何だ……?!』
突然の事に戸惑い、攻撃の手が緩んでしまう。
それを好機とするようにシーシャドウは掘削の速度を速める。一方、カイトは自身に起きている変化に、もうそれどころではなかった。
まさか、締め付けられ過ぎたせいで、体が破裂しそうになっているのかとも思ったが、外部からの痛みは感じなかった。
それどころか、シーシャドウの触手の拘束が、少しずつ緩まってきている気がする。
そして、ついにその時が訪れた。
体の奥の奥から、一際強い力が溢れてきたかと思うと、シーシャドウの触手が弾け飛び、目の前の岩盤が砕けた。
それだけではない。
視界の中で、映像の早回し再生のように急速に伸びた三つの角が、砕けた岩の向こうで広がっていた烏口を砕き、シーシャドウの肉を貫いたのだ。
『ぎ、ぃやああああああああああ?!!!!』
布を引き裂いたようなシーシャドウの絶叫が、頭の中に響き渡ってきた。
巨大な烏賊の魔物は、青い血を海中に吹き出しながら素早くカイトから離れると、海底に身を横たえ、うち悶え始めた。
八本の足と一本だけ残った触腕を鞭のようにしならせ、叩きつけるせいで、海底に積もっていた沈殿物が舞い上がり、砂埃のようにその巨体を覆い隠した。
『あ、あがががっ……ああああっ?!! 何が、起きたぁぁぁぁぁ?!!』
問いかけられても、答えることはできない。カイト自身がわかっていない。
ふと、目線が高くなっていくことに気が付いた。
『これは…………!』
フローチュアの森へ逃れる前にいた森で、謎の急成長を遂げた時と似たような感覚だ。
あの時よりも、ずっと強く、そして力を感じられた。
気が付けば、カイトの目線が、横向きになったシーシャドウの幅を、優に越えていた。
ようやく自由になった体を軽く振るわせ、その広い視野で確認する。
岩のようだった肌は筋肉が発達し、もはや岩山のようになっていた。
額の一対の角は太く、鋭く長くなっていて、顔の二倍ほどの長さになっている。“さすまた”の一種のように先端が近づいた形状になっていて、切っ先は真っ直ぐに伸びており、剣先のようにも見えた。
そして、鼻先の角は、コンバットナイフのような力強さと鋭さを持った業物のような存在へと変化していた。
先ほどまでよりも、ずっと大きくなった身体と、体中を走り、漲る力に、勝機の道を見出し、諦めていた心に、大きな炎が宿った。
『相変わらず、理由はわからないが……土壇場の覚醒って奴だな』
長くなった三本の角をシーシャドウに突き付けるように、カイトは身構えたのだった。
‡
『ああああっ、痛いっ、痛いっ、肉ぅぅぅ!!』
砂埃のカーテンの向こうから、シーシャドウの悍ましい執念籠る絶叫が伝わってきた。
唐突に、何の前触れもなく、シーシャドウがカーテンを突き破り、カイトへと突撃してきた。
そして、ぶつかる直前に素早く身を翻し、ほとんど砕けた烏口を見せつけるように、覆いかぶさってきた。
『大きな……お肉ぅぅ!』
極限の空腹のせいか、シーシャドウはすぐに目の前の巨大な角を無視していたため、右の角に足の一本を貫かれていた。だが、それでもシーシャドウは今度は止まらなかった。九本の足を絡め、吸盤を強く吸いつかせてきた。
『あはははっ!!!』
鋭く薄く、それでいて強靭な魔物の巨大烏賊の牙が、カイトの頭にぶつかる。
岩を削るような音が聞こえてくる。
シーシャドウは肉が食べられると、狂ったような喜色を浮かべていた。
カイトは思った。
『どれだけ空腹になれば……ここまで来るんだろうな……』
幸いにも、カイトはこちらの世界に来ても、飢えることはなかった。
それは、魔物と化したおかげで、そこらへんに生えている、食べられそうな草を判別できたからであり、そう言った草が行く先々に自生していたからだ。
リチュアと一緒に旅に出てからは、多少空腹になることはあれど、問題なく耐えられる範囲だった。
なんて、自分は恵まれていたのだろう。昔も、今も。
今まさに食われている中で、カイトは冷静にシーシャドウの事を観察し、ぽつりと、そんな感想を抱いた。
『肉っ、にくっ、にくぅ、あはははははははははは!!!』
こうなるまで、何も食べられなかったのだろうか。食べられたとしても、この巨体を維持できるほどの量ではなかったのかもしれない。
人の頃であったなら、一目散に逃げ出しているような怪物が、カイトは無性に悲しくに思えてきた。
『なぁ、シーシャドウ。お前、辛いよな』
答えはなかった。
意思は届いてすらいないだろう。
それでも、カイトは“意志”をぶつける。
『なら、こいつを食わせてやるよ。だからやめろよ……もう、歯がボロボロだろ』
頭に傷一つついていないカイトの目には、削れて見る見る削り、砕けていく牙が見えている。触手の巻きつきも、全く苦しくなかった。
あまりにも硬く、強くなった体は、シーシャドウのあらゆる攻撃を受け付けなかった。
(先ほどまで、あれほど焦っていたのにな)
そんな事を考え、心の中でやるせない気持ちになった。
後、もう少しこの状態を保っていれば、シーシャドウは牙を失い、力を失い、そして命を落とすだろう。
もしくは、少し力を入れて、角を振るう。これだけで、今のシーシャドウを倒すことができる確かな予感があった。
アースショットを撃ちながら、角をもう少し深く突き刺せば、もっと早く殺せる。すぐに終わる。
だが、カイトは別の道を探した。
リチュアにはいい加減にしろと言われた。
それができるのは、力がある者だけだと。
なら、今の自分はどうだろうか。
理由はあるか。
あった。
ふとした理由だ。こじつけにしても無理やりだろうと、自分でも思った。
だが、カイトはこの道を選んだ。
やり方はわかっている。
顔を少し上げて、鼻先の角を、シーシャドウの体に突き刺した。
強靭な切っ先が、巨大烏賊の中に入った感触を覚えた後、頭の中に浮かんできたそれを実行する。
『シーシャドウ、終わりだ。ゆっくり眠れ』
体の中の魔力を鼻先の角へと溜めていく。
すると、角が根本から、眩く輝き出した。
魔力は十分に溜まった。
そしてついに、カイトはそれを解き放った。
『バイタルドライブ』
一瞬、角が周囲の魔照石よりも少しだけ強く輝いた直後のこと。
光はシーシャドウの体の中へと流れ込み、その巨体を淡く輝かせた。
『あははははは……はははは…………は…………?』
狂い笑っていたシーシャドウが大人しくなっていく。
やがて、あれほど溢れていた殺気も敵意も消えた。
カイトがゆっくりと後ろへ下がると、するりと触手がその体表を滑った。角に突き刺されたどの部分からも青い血は流れておらず、傷も塞がっていた。
少し離れた場所で立ち止まって見上げると、シーシャドウが穏やかな目で、カイトを見下ろしてきていた。
『…………温かい……気持ちいい……』
『腹はどうだ?』
どこか夢見心地で、ふわふわとした意思が、満足そうに小さく笑った。
『うん……満腹で、幸せ……』
『じゃあ、もう暴れる必要はないな』
『暴れる……? あ、私……』
『今はいい。ゆっくり休んで、起きてからまた考えよう』
寝かしつけるようにカイトが言うと、シーシャドウは『うん』と返事をして、その巨体を海底に横たわらせた。
シーシャドウの意思が眠りに落ちたのを確認すると、カイトは次にリチュアの下へと向かった。
そして、鼻先の角に再び魔力を集中させ、彼女へと近づけた。
『マナドライブ』
すると、角の反りからリチュアに魔力の光が降り注いだ。
光が消えてすぐに、リチュアは目を覚ました。
『カイト……?』
『終わったよ、リチュア』
今はもう少し休んでいて、と言い残し、カイトはさらにトリトナの下へと向かった。
満足そうな表情で眠る、傷ついた守護者に、カイトは魔力に満ちた角を近づける。
『ヒーリングドライブ』
光を受けたトリトナの全身の傷が癒え、彼女もすぐに目を覚ました。
『……ここは? お前は……カイト、か?』
『あぁ』
起き上がったトリトナを連れてリチュアの下へ戻ると、彼女はシーシャドウを見ていた。
近づいて来たことに気が付いたのか、リチュアはカイトを見上げた。
無表情で、感情が全く読み取れなかった。
一言あるか、と心の中で覚悟していたカイトだが、
『よくやったわね』
困り顔の苦笑が返ってきた。
『あれじゃ、半年くらい何も食べなくても大丈夫でしょ。アンタ、体は大丈夫?』
『あぁ、全く問題ない』
『そう。トリトナも無事みたいね』
立ち上がると、リチュアは背伸びをしてから、腰に手を当てた。
『トリトナ、悪いけれど、後で人魚たちを呼んできてくれるかしら? シーシャドウと話さなくちゃいけないことがあるでしょうから』
『そうだな……って言うか、コイツ、何でこんなに幸せそうに寝ているんだ?』
若干腹立たし気な声音でトリトナがシーシャドウを睨んだが、カイトが何かを言う前に、
『まぁ、またカイトが何かしたんだろうな』
そう言ってカイトを半眼になって見上げてきた。
『あ、あはははは』
それにカイトは笑って誤魔化すようにするしかできなかった。
その時だった。
カイトは目線が徐々に下がっていくことに気が付いた。それだけではなく、角も短くなっていった。
数秒で、カイトは普段の大きさに戻ってしまった。
『戻った……』
『急に大きくなったと思ったら、また小さくなって……』
『いいじゃない。今は、助かったことを喜びましょう』
リチュアのからっとした物言いに、首をひねっていたカイトとトリトナは、それもそうかと頷いた。相当疲れていたし、今はまず、ゆっくりと休みたかった。
だから、カイトは聞き逃した。
『……はぁ、やっぱりこうなったか』
リチュアの小さなつぶやきは、トリトナの耳に届いていたが、それはカイトがまた敵を助けたことへの愚痴にしか聞こえないようなものだった。
だから、トリトナも取り合わない。
リチュアのつぶやきは続いた。
「と言う事は……次は……」
その言葉は、マトからもらった加護をすり抜け、泡となって海の中へと消えて行った。
‡
「試練を乗り越えられたね」
海の底よりも深い場所で、彼女は独り言を漏らした。
嬉しそうに、楽しそうに。
まるで待ち合わせをしている中、相手を想っているような、切なさも感じさせる声音だった。
「お疲れ様……君の役目は終わった。ゆっくり休んでくれ」
今は眠る、何も知らない巨大な魔物へと届かない労いの言葉をかけると、彼女の目は、加護を与えた二人へと向けられる。
直接見ている訳ではなく、加護を通して二人の行動を感じ取っている。
「一体、どんな軌跡を起こしたのかは知らないけれど……君たちなら、君なら、丁度いいかもしれないね」
長い首を持ち上げ、ドーム状の天井を持った居城で、彼女は静かに笑った。
「さぁ、来てくれ。リチュア君、カイト君」
君たちが、最後の客人だ。
お読みいただき、ありがとうございます。
アニメで言う所の第五話が終了です。
次回から、第六話です。中盤戦にしてターニングポイントのお話となります。




