始まりからの使者
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「事の発端は……そうだね、人間換算で言うところの半月ほど前のことだ。突然、彼女が現れ、人魚たちの平穏と周辺の生態系を掻き乱しているんだよ」
「人魚?」
マトから語られた存在に、俺は首を傾げた。
人魚と言えば、お伽噺によく出て来る、上半身が人間で下半身は魚の姿をしている存在だ。
幸香も人魚姫の話が好きで、何度も絵本を読んであげたことがある。
「人魚……待って、人魚がいるの?」
「そうだよ、カイト君、リチュア君。ここから沖に出た、おっと、場所は言えないけれど、彼や彼女らの街があるんだ」
「ふぅん?」
リチュアは思案する素振りを見せた後、小さく頷いた。
「まぁいいわ。でも、生態系を掻き乱すのはまだわかるけれど、人魚たちの平穏まで危うくするとは思えないけれど。オルカディアは人間酒と近縁種は襲わないはずよ」
「おや、それを知っているとは。君はドライアドのように見えるけれど」
「どうでもいいでしょう。私は偶然、知識を持っているだけ。それよりも、オルカディアは知性がすこぶる高い魔獣。それこそ、アンタたち竜種のように、人語を理解することもできるし、魔法も使えるほどに――」
げっ、やっぱりアイツ、人語を理解できるのか。秘密の相談会議で一発逆転とか狙えないじゃないか。
「――ってちょっと、聞いてる?」
「あ、うん?」
「一応、アンタ用に説明しているんだからね」
あ、そっか。
こいつらにとっては常識的なことでも、俺は知らないから、わざわざ会話形式で教えてくれているってことか。反省。しっかりと耳を傾けよう。
「んで、頭脳明晰なオルカディア種が人魚たちにどんな危害を加えてるのかしら?」
「それがね~……」
マトが言う事を纏めると(ダジャレではない)、次のような事が起きているらしい。
半月前に現れたオルカディアは毎夜のこと、人魚の街の付近を爆音で歌いながら爆速で泳ぎ、人魚たちの安眠を妨害しているのだという。
さらに、日中に彼女を見かけた人魚に対して、特に見続けていた訳でもないのに「じろじろ見てんじゃねーぞ」と脅したり、注意しようと近寄った人魚の衛兵に「黙ってろ」と爆音を発して気絶させるなど、やりたい放題なのだという。
「…………ヤンキーかな」
「やんきー?」
「気にしないでくれ」
マトが首を傾げるが、スルーさせてもらおう。
「ぷっ」
ん、今、背中の上で可愛らしい声が聞こえてきた気が……とリチュアの方を注視するが、真正面に向かって座っているため、顔は見えなかった。
「何よ?」
「いや、何でもない」
どうやら、勘違いだったようだ。
「んで、まぁ彼女のはた迷惑な行為はわかった。けれどそれなら、アンタがどうにかすればいいんじゃないの? 私たちがどうこうするよりも、海の住人であるアンタが首を突っ込むのが道理じゃないの?」
「確かに、その通りだよ。けれども、私は一介の竜種。コミュニケーションができるとしても、基本的には人族や人魚たちとは違う種族なんだ。私に危害を加えられた、という理由でもなければ、助けることはできないんだよ」
何というか、面倒くさい理由だったが、しかし筋でもあったため、マトを避難することはできなかった。
それはリチュアも同じのようで、ため息をついていた。
「それで、私たちが選ばれた理由はまさか……」
「そう、理由はどうあれ、彼女と因縁ができたからね。君たちが彼女との決着をつけるついでに、問題を解決してくれればな、と思ったのさ!」
「ぶっちゃけ過ぎる……」
「できれば、もうオルカディアとは関わらないつもりだったんだけれど」
「この海岸沿いを進んで行くのであれば、どこかでまた彼女と当たる可能性が高いよ? 今の状態で進めば、今度こそ危ないんじゃないかな? 砂漠に戻るというのも手かもしれないけれど、あそこにはクロウという怪物がいるからね。運よくここまで来た君たちもただでは済まないかもしれないよ?」
ほう、こいつ、クロウと俺たちが知り会いだと知らないのか。
何やら勝ち誇っているようだが……悪いな。
口を開こうとした時、リチュアが先に喋り出した。
「で、だから何? 砂漠でその怪物と戦うなり、そいつから逃げるなしした方がよっぽどマシじゃない? 何せ、オルカディアと戦うのって海の中でしょ? 私たちじゃどう頑張っても戦えないわ」
「それもまた道理だね」
確かに、もしもオルカディアと戦うとなると、海の中で、となるだろう。
陸から攻撃しても当てられる可能性は低し、もしも追い詰めたとして、海の中に潜りこまれたらそのまま逃げられてしまう。
そのくせ、敵の攻撃は強力かつ素早い。
話にならない戦い方しかできない。これはもう断るしかないぞ、と思っていたら、マトが含み笑いを漏らし始めた。
「そこで、君たちに加護を授けようと思う」
「加護?」
加護っていうと、神様や仏様が人々に力を与えて、守ってくれたり、助けたりしてくれるという、アレか。
「そう、加護だ! 私はこう見えても、それなりに力を持っていてね。君たちに加護を与えることは造作もないのさ」
「アンタ、神様の類なのか?」
「神だなんて畏れ多い話だよ。私は竜種。それで、どうする?」
「どうするって……」
「加護を与えらるってことは、私たちはアンタの眷属になるってこと? それはお断りなんだけれど」
「いやいや、それはない。偶然見かけて、巻き込もうとしている君たちを眷属にしようとは流石に私も考えないよ。ただ、海の中でも問題なく活動ができるようにしてあげようってだけさ。例えば、水の中でも呼吸ができる、みたいなさ」
俺はリチュアを見上げた。
これは、美味すぎる。そして上手すぎる話だ。
絶対何か裏があると思う。
「仮に、仮によ。それを受けたとして、私たちにメリットは?」
「上手くオルカディアを倒せば安全に進むことができる。そして、私の与えた加護で、水中でも呼吸が可能になる。こんなところかな」
「オルカディアうんぬんを差し引いても、お釣りが来るくらいの条件ね」
リチュアが、左耳の方に顔を近づけて来て、小さな声で話しかけてきた。
「アンタはどうしたい?」
「え?」
「アンタも気付いているみたいだけれど、この話には裏があるわ」
「やっぱり、そう思うか」
「まぁね。だとしても、彼女は嘘をついていないから、どうするって聞いたの」
「そうなのかい?」
「えぇ。条件も、依頼も、私たちを眷属にしないっていう話しも本当。けれど、何か裏があるのは確実。で、どうするって聞いているの」
「どうするって……」
正直な話、水中での呼吸ができるようになるというのは有り難い、という喉から手が出るほど欲しい能力だ。
オルカディアは強力な力を持っているようだから本当は戦いたくない。
だが、この先、旅を続けていくためには、彼女との決着をつけなければならない。
そうでなければ、また砂漠に戻らないといけない。食料はまだ問題ないが、水が心許なくなってきたため、クロウにまた出会わなければ、オアシスにたどり着くことはできないだろう。
うぐ……あの時、サメを助けたことを後悔……してたまるか。
今回の事は、全て俺の身から出た錆びって奴だ。
倒すかどうかは置いておくとして、オルカディアと真正面から向き合うには、これしか方法はないだろう。
後、海の中なら水のブレスも威力が減るだろうという、打算もある。
「けれど、ぶっちゃけ、勝てないだろうと思うが……」
「やりようはあるわ。アンタと一緒ならね」
そう言ってくれたリチュアの目は、嘘をついていなかった。
これは、今回の失敗を償うチャンス、なんだろう。そんなに上手くいくとは思わないが……やらなければ、じり貧になるだけだ。
「わかったよ。俺は受けようと思う」
「決まりね」
黙って見守っていたマトを、リチュアは見上げて声を張った。
「アンタのその依頼、受けるわ」
「本当かい? 助かるよ、ありがとう!」
「でも、その前に一ついい?」
「何かな? あ、もしかして、やっぱり怖くなった?」
「違うわよ。アンタ、私たちがオルカディアに勝てると思っているのよね?」
「ん? まぁ、正直なところ、五分五分ってところかな。もちろん、君たち二人が揃っていることが必要最低条件だけれど」
驚いた。
マトから見て、俺たち二人ならそこまで戦えると見てくれていたのか。
「で、どうしてそう思うの? 私は見ての通り力が弱まっているし、この子に至ってはそもそもが子どもだし、ちょっと頑丈で角が丈夫、それでいて人語がしゃべられるくらいしか武器がないのだけれど?」
「あれ? え? もしかして、何も知らないのかい?」
マトが目を見開いて、呆気にとられたように口を開いた。
「そうか、リチュア君は物知りだったりするから知っていると思ったけれど、流石にこれは知らなかったかぁ」
「私が知っていることなんて一割にも満たないわよ」
「そうやって認められるのは美徳だね。うん、わかった。それじゃ教えようか。少し長くなるから、そこに座って。私もちょっと寝そべるからさ」
言われるがままに座り込み、リチュアも荷物入れにもたれ掛ったところで、マトも陸地の縁に頭を乗せた。
やっぱり、マトの頭はギガントボアよりも大きかった。
「じゃあ、教えようか。カイト君、君の正体について」
「俺の?」
「そうだよ。君はね、キャリバーという、古龍種の一角を担う種族の子孫なんだよ」
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「古龍種とはね、本来は何百、何千年と生きている竜種を指すんだけれど、この場合は太古の昔から連綿と続いている強力な種族の事を現すんだ」
カイトは自分の事を、異世界で生き残ったトリケラトプスの亜種の、子孫だとばかり思っていた。
何せ、ティラノサウルスっぽい奴もいるくらいだし、恐竜が生き残っている世界ってこんな感じなのだろう、くらいにしか考えていなかった。
だが、マトが語った内容は、深く考えてこなかった彼に、深く強い衝撃を与えた。
それはリチュアも同様のようで、呼吸が一瞬止まって、体がピクリと動いたことをカイトは感じ取っていた。
「キャリバー。角鎧竜と呼ばれている存在でね、頑強な体と怪力の持ち主でありながら、素早く走ることができるため、要人の護衛や護送に使われることが多い。温厚な性格の者がほとんどだから、子どもとご婦人からも人気があるけれど、一度戦いとなれば、勇猛果敢に戦う騎士となる。襟巻が盾、角が槍に見えるんだ」
それは、初めて聞く話だった。
自分が何者なのかを、このような形で知る事になるとは思わなかった。
そして、それを教えてくれている相手が、巨大な蛇のような竜であることも。
「もちろん、今のは大人になったら、の話だ。今のカイト君では、そこまで戦うことなんてできない。けれども、やりようはある。角鎧竜はね、魔法を使うことができるんだ」
「えっ?!」
魔法なんて使えないと思っていたカイトは、今日で何度目になるかわからない驚きに、声が出てしまった。
「待って、この子はまだ魔法なんて使えないわ」
「もちろん、それはわかるよ。だから今から使えるようになってもらうのさ。そうでなければ、オルカディアに海中で立ち向かうなんて無謀だからね」
「なるほど……加護をくれるだけじゃなくて、魔法も教えてくれると」
「わざわざ行ってもらうんだ。そのためのサポートは最低限させてもらうに決まっているだろう」
マトはそう言うと首を少しだけ上げて、顔をカイトへと近づけてきた。
時分の体高の二倍以上ある頭が近づいて来たことで、カイトは思わず一歩退いてしまった。
すると、マトは悲しそうに目を細めた。
「あ、すまない」
「い、いや、こちらこそ」
カイトは流石に罪悪感を覚えて一歩前に戻った。
「それで、何を教えてくれるんだ? いや、ですか?」
「ふふふ、別にさっきまでと同じ喋り方でいいよ。
君に教える魔法はね――――」
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「起きなさい、カイト君」
マトの声に目を覚ますと、リチュアとマトが俺を覗き込んでいた。
「あ、もう朝か……」
昨日、魔法を教えてもらって、実際に使えることに興奮して、リチュアからストップがかかるまで遊んでいた。それで、ストップしたら、そのまま倒れるように眠ってしまったのだ。目を閉じる前に見た光景は、腰に手を当ててため息をつくリチュアと、苦笑するマトの姿だった。
思いだしながら起き上がると、疲れは感じられず、どこかすっきりしていた。それなりに疲れが残ると思っていたんだけれど。
もしかして、荷物入れや牙を降ろしたから、普段は意識していないような疲れがなかった影響か。海の中へ持って行く訳にはいかないので、ここに置いていくことにしたのだ。
「何だか快調なんだけれど……」
「私が回復魔法をかけた。君たち、普通に眠っていても回復しきれない程に疲労が溜まっていたからね」
何でもないように言うが、結構凄い事をしている気がする。
流石は人語をしゃべる竜、というところか。
「そうなのか……ありがとう」
「ま、ありがたく受け取っておくわ」
「どうしたしまして。それじゃ、朝ご飯にしようか」
いつものように干し肉を食べ、準備を整え終えたところで、マトが声をかけてきた。
「それじゃあ、改めて。君たちに加護を与えようか」
そう言ったマトだが……別に何も起きた様子はない。
光ったり、何か魔法陣のようなものが現れる気配もない。
「あの、加護は?」
「もう与えたよ」
「そうなのか?」
「ちゃんともらってるわね」
リチュアが頷いていたが、全くわからない。
「何か変わったのか?」
「じゃあ、試してみましょうか。マト」
「少し気は引けるけれど……」
リチュアが俺から飛び降りて、マトが首をこちらへ近づけて来たので、嫌な予感を覚えた。逃げ出そうとしたが、その前にマトの顔に弾かれた。
一瞬の浮遊感の後、彼女が首を出している湖へと叩き落された。湖というか、海水だった。
最初は慌てたが、流石に海水なら浮くと思って力を抜いたところで、頭の中に声が聞こえてきた。
〈どうだい、息できるかい?〉
『試せるか馬鹿野郎!』
意識を飛ばして反論してやる。
〈ごめんごめん、でもほら、ちょっと試してみてよ。溺れそうなら助けるからさ〉
『死ぬだろ!』
〈大丈夫、大丈夫だから! 私を信じてくれないかな〉
信じろ言われて信じられるほど、まだ信頼関係を気付けた覚えはないのだが……。
しかし、このまま居ても仕方ない。
ここでできなければ、オルカディアと戦うことは不可能なのだから。
『嘘だったら呪ってやるからな……』
考えながら、いざ南無三と覚悟を決めて、鼻から息をちょっと吸ってみた。
そして、驚いた。
「息が、できる……?!」
ついでに、ぶぐぶぐぼがごがと言った具合だが、喋ることもできていた。
いかんな、よし。
『息、出来たぞ!』
〈おめでとう、海の世界へようこそ〉
頭の中にマトの祝福の声が響いてくる。本当に嬉しそうな声音に、ちょっと罪悪感が湧いたので、謝ろうとして、俺は見てしまった。
海の中も、魔照石によって輝いており、水族館の深海コーナーのような雰囲気になっている。
そして、神秘的な光景だった。
俺たちが先ほどまでいたのは、テーブルマウンテンのように、上の部分が平たくなった大きな岩山だということもわかった。
その岩山の崖部分の前に、独立した大岩があった。
そう思ったら、それは動いていた。
三十メートルは下らないアーモンド形の下部横から生える、オールのような何かが前後に二つ。海底に向かって、アーモンド部分よりも長い、塔が生えていて。海面へ向けて、十メートルはある塔が伸びている。
淡く輝く世界で、俺は、言葉を失った。
〈どうかしたのかい?〉
マトの声が聞こえてくる。おかしそうに笑っている。
〈そんなにまじまじと見られると、少し恥ずかしいな〉
それは、前世の図鑑で見た、首長竜の姿に、よく似ていた。
何だ、これは……こいつは……。
蛇だと思っていたが……まさか、こいつも恐竜の類……?
その時、背中に触れる感覚があって、我に返ることができた。
リチュアが俺の居る場所まで潜ってきてくれたのだと気が付いた。
浮上して陸地へ上がると、マトが「海水を流そう」と言って、水魔法で俺たちにシャワーを浴びせてくれただけでなく、風魔法で乾かしてまでくれた。
「二人とも、効果は確認できたね?」
「えぇ。十分に」
「それじゃ、行ってきてもらおうかな。終わったら、私に向けて「終わった」と念じてくれればいいから」
「えぇ。わかったわ」
「あ、あのさ……」
まだ先ほど見た衝撃が収まらず、俺はマトに話しかけていた。
「マトは……その、竜種なんだな」
「ん? そうだと言っているじゃないか」
「そうなんだけれど。その……俺みたいな古龍種……だったりするのかなって」
もしかしたら、なんて思って口にしたら、くつくつとした笑いが降ってきた。
「そうだよ、私も君と同じ古龍種だ。よくわかったね」
「あぁ、何となく」
俺の種族の事を知っていたし、色々な魔法が使えるし、只者ではないと思っていたが、さっき全身を見て、もしやと思っただけだ。
だからと言って、別に、彼女の事をどうこう言うつもりはない。
でも、これは言っておかないとな。
「その、マト、さっきは色々と悪く言って、ごめん」
「気にしていないよ。こちらこそ、悪かったね」
マトは本当に気にした風でもなく、笑って許してくれた。
何となく、小さい頃の、親戚のお姉さんとのやり取りを思い出して、少しこそばゆくなった。
「行ってらっしゃい。こういう時、人間たちは武運を祈るって言うんだろう? ご武運を、カイト君、リチュア君」
「あぁ、行ってくる」
「世話になったわね」
「吉報を待っているよ」
マトの言葉に送られて、俺たちは洞窟を後にした。
外に出ると、朝日が水平線の向こうから顔を出そうとしているところだった。
肌寒い空気の中、俺たちは一度、視線を交わして頷き合った。
「行くわよ」
「あぁ、行こう」
気持ちを確かめ合い、俺たちは海へと潜って行った。
明かされる秘密、その一部。
そして、次回VSオルカディア戦です。




