山の国編 3
作中において、金貨=十万円、大銀貨=一万円、銀貨=五千円、白銅貨=千円、銅貨=百円とします。お読みになる方は、このことをご承知おきの上、本文にお進みください。
流れ出しかけていた涙を必死に堪えながら歩き続けていると、いつの間にか二人は、見知らぬ草原を歩いていた。そこで、一旦休憩とばかりに足を止めて座り込んだ。
「モーラス、もう僕達が知らない場所に来たよ。こんな草原があるなんて知らなかったなぁ。僕が知っていた場所なんて、本当に狭かったんだね」
「お前はそうかもしれないな。俺は父上に領内を連れ回されたこともあったが……。ここまで歩いたのなんて、精々二、三十分のはずだ。まあ、いつも俺等は山の方に行ってたから、というのもあるかもしれないけどな」
「そっか。ところでさ、モーラス。どんな道を行くかは決めてる?」
「二つ、候補がある。実質一つみたいなもんだけどな。一つ目。ここから北上して北部に直行する。二つ目、西にあるフロストの森を抜け、エリンを通って王都に向かう」
「ふーん。で、どっちがいいの?」
「二つ目だな。ここから真っ直ぐ北上してるんじゃ、大した町もないし、川を二つ越える羽目になるからな。下手したらどっかで野垂れ死ぬぞ」
「まぁ、だよね。じゃあフロストの森の街で冒険者になって、森を抜けて……って感じかな?」
「おう。フロストまで大体四日、森を抜けるのに六、七日、だ。森はともかく、フロストまでの道はちゃんと整備されてる。しかも今日じゃ、どんなに頑張ってもまだうちの領の中までしか行けないからな。宿については安心できる。明日からは知らんけど」
「野宿かなあ……。僕達が一日で行ける距離の中で、都合よく毎日村か街があるとは思えないしね。それなら今日泊まった街で、明日の朝に色々買い込んでからいこう」
「だな。じゃあ、こんなところで話し込んでないでそろそろ行こうか。大分日も高くなってきた。急がなかったら日が暮れる前に街につけないぞ」
「日が暮れたら、街に入れないからね! よし、急ごう。その街までどのくらいあるんだっけ?」
「大体、三十kmってところじゃないか」
「……。それ、本当に急がないと日が暮れるよね?」
「おう。だからさっきから言ってんじゃねえか」
「はあ……。焼きしめたパンと干し肉の昼ごはんさえゆっくりたべる余裕がなさそうだ」
「その分晩飯は旨く感じるって考えよう、な? 旅費として金貨を1枚ずつもらってるから、よっぽど馬鹿な使い方をしない限りは無くならないだろうし。フロストで冒険者にもなるから日銭ぐらいは稼げるはずさ」
そういってモーラスが歩き出す。
「あ、待ってよモーラス!」
それに気付いて、アーノルドも後を追って歩き始めた。
アーノルドとモーラスが、その町に滑り込んだのは、太陽が半分山の陰に沈んでいっているような頃だった。危なかった、とアーノルドは思った。夕方からは、魔獣の時間だ。それらが街に入らないようにするため、橋を上げ、門を閉じるのだ。だから、もし日が落ちてしまっていたら、魔獣が活発になり、さらに人が集まる街の近くで、満足な準備もできていないのに野宿をすることになる。それは、真っ平御免だった。
「はぁ、間に合った……。飯屋を見つけるか宿屋を見つけるか、どっちにするモーラス?」
「決まってるだろ。宿屋だ! それも浴場付きのな! 旨い飯が着いてくるなら尚いい」
「なら、街を回りがてら良さそうな宿屋を見繕おうか。ゆっくり歩こう、疲れたよ」
「何せ昼飯が保存食だったからなあ……。新鮮なものが食いたい」
この街はよく冒険者や旅人が利用するのだろう。剣を下げた二人を街の住人達が気にする様子はなく、時には親しげにあいさつをしてくる人もいる。そんな人達にこの街での宿屋について話を聞くと、「剣と杯」亭が一番だという。元冒険者の老人がやっている宿で、浴場があり、旨い飯が出て、おまけに部屋も広い。二人が望んでいた宿屋そのものだった。宿屋までの道を教えてくれた人に礼を伝えると、二人は嬉々として駆け出した。
「剣と杯」亭の扉を開けると、受付から白い髭を蓄えた、そして左腕の手首から先がない老人が、先に入ったアーノルドに声を掛けてきた。
「宿泊かい?」
「はい。二人で一泊」
「そうか。じゃあ、夕食と朝食付きで、二人一部屋でいいかな?」
「えぇ。あの、浴場は……」
「無論、入れるとも。夜遅すぎるか、朝速すぎるかしなければいつ入ってくれても構わない」
「そうですか。なら良かった」
「そして値段だが……」
老人はそこで顔を少し崩して、
「本来なら銀貨を一枚ずつだがね、二人とも通過儀礼の旅の途中だろう? そして貴族の御子息っぽいのに偉ぶる様子がないから、白銅貨四枚にまけておこう。そのかわり、食堂でたくさん頼んでくれよ? 」
老人の言葉と笑みにつられて、二人も笑う。
「もちろん。じゃあ、金貨一枚でお願いします」
「よし分かった。釣り銭は……大銀貨七枚、銀貨四枚、白銅貨五枚に銅貨を十枚まで細かくして良いかな」
「ええ、構いません」
「では、これが鍵だ。三階の角部屋だね。夕食を取るときは食堂に降りてきて、受付で肉か魚かを選んでおくれ。そしてその時に、自分で欲しいものを頼みなさい。食べ終わったらそのままで良いから」
「何から何まで……。ありがとうございます」
「いいのさ。老人の道楽でやっていることだからね。それにさっきも言ったろう?貴族の御子息のしては君達は偉ぶる様子がない、と。それだけで、儂にとっては親切をするのに十分な理由だ」
もう一度老人に礼を伝えてから、二人は三階の自分達に割り当てられた部屋に向かった。その部屋は大きなベッドが二つ置いてあり、また、十分な広さがあった。
「ふぅ……。ここではゆっくりできそうだな」
「そうだね。とりあえず、早く浴場に行こう。やっぱり疲れたよ」
「だな。じゃあ行こうか」
二人は浴場に着くと、すぐさま服を脱ぎ捨て、浴室に入った。
「わぁ……。館にあったのと同じぐらい広いね。本当に良い宿に泊まれたみたいだ」
「ああ。だけど、明日からはこんなにゆっくり休めもしないだろうな」
「うん。だから、夕飯をたくさん食ってたくさん寝よう」
「お前は本当に食うことと寝ることが好きだな……」
「そっちだって同じだろ」
「お前ほどではないさ」
そういうと二人は笑い出す。自分の友と、二人で旅をしているということに高揚し、なんでもが面白く、楽しく思えていたのだ。
「ふふ、楽しいな、モーラス」
「そうだなぁ。ただ、アル。あんまり浸かりすぎてものぼせるぞ?早く体とかも流さないとな」
それもそうだ、とアーノルドは思い、浴槽から上がって流し場に向かった。そこには体に塗るためのオイルと、それを落とすための肌かきがあった。アーノルドはそれらを使ってすぐさま体を洗い、終わると頭から水を被った。正直、半ばのぼせている感覚があったのだ。
「モーラス、のぼせそうだから先に上がるね」
「おう。なるほど、だからいきなり水を被ったのか……。じゃあ、部屋で待っててくれ」
「もちろん。準備して待ってる」
そう言うなり、アーノルドは外に出た。浴場との温度差が、火照った体と頭に心地よい。それのおかげか、着替えながら頭にかかっていたモヤが晴れていくのを感じた。
気づけばいつのまにか、部屋まで帰ってきていた。部屋の中に入り、夕食で使う分の白銅貨を二枚ほど取り出す。しばらく待つと、アーノルドも戻ってきた。
「すまん、遅くなった!」
「ああ、そこそこ待ったね」
「はいはい、もーしわけありませんでした、アーノルド様。よし、行くか」
「なんかすごい適当に謝罪されたな」
「気のせいだろ。俺はこれ以上無いほど真剣に謝ったぞ。なんせお前に対して敬語を使ったからな」
「あっそう……。まあ良いや、早く食堂に行こう」
二人が食堂につくと、そこは大勢の客で賑わっていた。
「えっと……どうするんだったかな、アル」
「食堂の受付に行くんだろ。そこで肉か魚と、自分が食いたい物を選ぶのさ。何を頼むかは、少し見てから決めよう」
並んだ時には、かなりの人数が並んでいたが、進み自体は速かった。受付でやっていることは、客の頼む物を聞き、それを大声で伝えるだけだからだ。そして、頼んだ品は席に着くと、そんなに間をおかずに出てくる。その全体の支持をしているのは、先程の老人だった。
「やっぱりあの人が店主だったね」
「まあ、そうだろ。じゃないと宿泊費を値引きなんてしてくれないさ」
「それもそうか。あ、そろそろ僕たちの番だよ。何にするか決めた?」
「俺は魚。ハーブと岩塩で香りと味をつけたものらしい。あとは、シチューでも頼むか」
「じゃあ僕は肉にしよう。ビーフシチューだね。それと、芋のグリルにチーズかけたやつと、羊のロースト」
「やっぱりよく食うな、お前……」
そんなことを話していると、どうにも受付の男が聞いていたらしく、既に厨房に伝えていた。二人はそれに慌てて、モーラスは銅貨五枚、アーノルドは白銅貨一枚と銅貨五枚を代金として支払った。
席に着くと、他の客たちと同じように、すぐ料理が出てきた。どの料理も美味く、シチューは具がよく煮込まれていたし、魚や肉は熱が程よく通っていて、そのくせうまみはしっかりと身に残っていた。二人はまずは一口かぶりつき、そしてそこからは完食まで無言だった。昼食の味気ないパンと干し肉との差が、旨い料理をさらに旨くしていたのだ。皿に残っていたソースも、パンにつけて綺麗に食べ終わる頃には入ってきた時よりも人はだいぶ減っていた。
食べ終わって休んでいる時、あの老人が二人の席に自分の酒を持ってやってきた。
「少し、よろしいかな?」
「ええ、構いませんが……」
「ありがとう。では、失礼する。先程までの二人の食べっぷりが見ていて清々しくてな。作る側としては、嬉しく思ったのだよ。美味しいと言う感情を表面に出して食べてくれる人も中々いないからのぅ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうなのだよ。ここによく通うようになるとな、美味しくて当たり前、になるのだ。まあ、それは物を作って食べさせる側としては当然のことなのだがな。その点、旅人や冒険者は良い。たまに来て、そして食べて、美味しそうな顔をしてくれるからな」
そう言うと、老人は一口酒を飲んだ。
恵まれていると、そのありがたみを感じにくくなる。それを、この老人は言っているのだろう、とアーノルドは思った。そこに、モーラスが話しかける。
「あの……ご老人。一つ、良いですか?」
「構わんよ。そして君達、こんな老いぼれに敬語を使う必要はないとも。敬語を使い慣れていないようだからな。普通に話しなさい」
「ありがとう。じゃあさ、何で俺たちを一目見ただけで貴族って見抜いたんだ? 金貨を一枚出した時に気付くなら分かるが、それよりも前に気付いていたし。服装は普通だと思うんだけど」
「そのことか。簡単な話だよ。この時期……春先は、恒例の通過儀礼の旅が始まる。だがそれは決して、すべての子供ができるわけでもないし、必要もなかろう。農家・商家などでは子供に家業を叩き込まねばならんし、そうなれば旅のための技術を教える暇もあるまいて。というか、そんなことは親も知らんじゃろう。とすれば、子供を旅に出せるのはある程度余裕がある家のみ。貴族、豪商・豪農の次男・三男、親同士が冒険者……。その辺りになるだろう」
そこでまた言葉を切り、酒を喉に流し込む。
「そして、ここから先の見分け方は、冒険者とか兵士とかにしかできんじゃろうな」
「それは……?」
「強さ、じゃよ。儂もこう見えて昔は冒険者だった。ある程度の強さがある人間の見分けはつく。そして二人とも、結構強そうじゃったからの。なら、豪商とかの息子ではない。あいつらは基本護衛を雇う。残りは貴族か冒険者だがね、君たちは冒険者、というほど荒々しくはない。とすれば、貴族の御子息ではないか、というわけじゃよ」
二人はそこまで聞くと、納得した。この老人は長年の経験をもとに、自分達のことを貴族だと見抜いたのだ、と。酔いが回ってきたのか、そこからの老人は饒舌だった。
自分の孫ぐらいの少年が旅に来ると、つい贔屓してしまうこと。その孫も、今は旅をしていること。かつては貴族や豪商に雇われていたこと。左手は、その時に落とされた物だということ。どんな国に行ったか、どんな魔獣と戦ったか、なども喋った。
そんな老人の昔話が終わった時には、夜も深まってきていた。
「ああ……。すまんな、老人の昔話に付き合わせて。少しでもこの話の中に君たちの役に立つことが有れば良かったのだが……」
「いや、いろいろな話が聞けて楽しかったよ。じゃあそろそろ、僕たちは寝るから」
「うむ、引き止めてすまんかったな。ゆっくり休みなさい。うちのベッドは快適じゃからな」
「ああ、さっき少し座ってて実感してたよ。じゃあ、おやすみ」
そう言い、二人は自分の部屋に戻った。老人の言っていた通り、ベッドは柔らかかった。旅の初日で疲れていたのだろう。ベッドに転がると同時に、二人の意識も暗闇に沈んでいった……。