山の国編 1
僕は、夢を見ている。
自分が、暗い草原に立っているということを理解した時、僕はそう考えた。
僕は昨日ちゃんと自分の部屋で眠りについた筈だし、何より今住んでいる館の近くには草原なんてありはしない。そして、理由はもう一つある。僕がこの夢を見るのは初めてでもなんでもないからだ。
「あの日」以来ぴったり一年おきに一回ずつ。あんまりにも正確にこの夢を見るものだから、僕は祖国が滅亡した日と僕の誕生日がいつか、ということに関しては覚える必要も無いなと思っている。何せその日になれば、測ったようにこの夢を見るんだから。
そして、この夢の中では「あの日」僕が見ることの出来なかった場所も見ることができる。勿論、あの惨劇が終わった後の結果を見せつけられるだけなんだけど。
まあつまり……俗に言う明晰夢ってやつだね。
毎年何を見たかって言うのはしっかり覚えてる。正直こんな記憶忘れちゃった方が楽になるんだろうけど、忘れることもできないし。
例えば、七歳の時。
初めてこの夢を見た僕は、嬉々として王城に向かった。国が滅びたのは悪い夢で、城に行けば父上がいて、母上がいて、そして父上を支える重臣達がいて仕事をしてるんじゃないか、とか考えてたんだよ。
当然そんな事はなかった。さっきも言ったけど、ここで見れるのは【影】の狼達に壊滅させられた後の光景でしかないんだ。だから、多くの人で溢れていたはずの城はほとんど無人であったし、城にいた人間は全員物言わぬ死体になっていた。
そんな死体がゴロゴロ転がってるような中階層を過ぎて、僕達王族(と言っても父上と母上と僕しか居なかったけど)が普段生活するような城の上の方まで来たんだ。
そしたらさ、一部屋だけ明かりが漏れ出してる部屋があったんだよ。
だから覗いてみた。
そこでは、侍従長と宰相がどっちも椅子に座りながら死んでいたんだ。机の上にはワインの瓶が置いてあったから、自分で毒を入れてそれを飲んで死んだんだろう。
しかも多分あれ、父上の私物かなんかだったんじゃないかな。じゃなきゃこんな所まで登ってきて死のうなんて思わないよね。
そして二人とも、笑って死んでいた。まるで、死のワインを呷る直前まで、二人して下らないことを喋り倒していたことを示すかのように。
それを見た後すぐに、僕の意識は落ちていた。小さい子供だった僕には、親しかった二人が死んでいるのを見るだけで限界だったみたいだ。侍従長は僕に礼儀作法とか勉強を教えてくれてたし、宰相の方は父上で遊ぶためによくこっちまで来てたし。
その次に目が覚めたのは、山の国で今も世話になっているモルガンの館の自室だった。あの時の自分は、怖くて泣いたり、夜に出歩くことも出来ないような無様を晒していた。
そのことで、今でも親友のモーラスにからかわれたりする。ただ、モーラスもダレッドもモルガンも、子供の夜泣きみたいなものだと解釈したらしいから、根掘り葉掘り聞かれるような事はなかった。次にその夢を見たのは、当然八歳の時。
あの時は……特に何も無かった。なんせ一年前に酷い目に遭ったばかりで、足が震えてとてもじゃないけど動けるようにはならなかった。九、十歳の時も似たような感じだったかな。
それが少し変わっていったのは、十一歳からだった。
その頃から僕は色んなものに興味を持つようになっていた。剣、槍、弓などの武術、魔法、他の大陸についてなど……。ただ、僕に魔法の才能は無かった。全くと言っていいほど無かった。というか今も無い。このことをダレッドに言った時、とても不思議そうに「奥方様は類い稀な魔法の才をお持ちであったのに、なぜであろうか」って言っていた。魔法の才能は基本的には遺伝するものだかららしい。
でも、僕にはそれを補って余りある程度には、剣の才能があった……らしい。ダレッドが言ったことだから、僕にはよく分かんなかったけど。そして、ダレッドはまた不思議そうに「陛下が武術を修めていたとは全く聞いたことがないのだが……」と言っていた。まあ勿論、剣の才能なんてのは遺伝しないから父さんは関係ないのだろう。だからその後ダレッドも、「まあ良いか!」と言って、「ではアーノルド様、これからビシバシしごきますぞ」って言ってきた。そして次の日から武術鍛錬が、歳上のモーラスどころかモルガンにまで同情されるほどには地獄になった。その甲斐あってか、ダレッドにお墨付きを貰えるぐらい剣を遣えるようになったけど。
まあとりあえずは、何でも知りたがる年頃になっていたんだ。だから、そういう「勉強」だけでは知れないことも知ろうとした。自分に何かしらの意味で「限界」が来なければ、この夢は終わらない。その事は、それまでの四年間で十分実感していた。なので、体力の限界が来るまで無人の街を探索し続けた。街のいかにも悪党の類いが潜んでいそうな裏路地とか、浮浪者が寝転んでいそうな橋の下、おまけに、開けっぱなしだった色んな施設にも忍び込んだ。少なくとも、城や館で過ごしているだけでは知れないことをたくさん知れたよ。必要だったか、とか役に立つかって聞かれたら、「いつかは役に立つかも」としか言えないものもあったけど、無駄ではないさ。
あと、一番ふざけていたのは貸本屋だった気がする。
「簡単鍵開け術〜これであなたも空き巣になれる〜」って言う、使えたとしてもこの本に載っている正しい方法では使いたく無いなって思うものや、
「緊急時の対応法※水害限定版」みたいなピンポイントすぎるものもあった。
一応どちらも出来るようにはなったけど……。
次の年もまだ先に進める気がせず、街で本を貪り読んでいた。
そして、十三歳。
ようやく自分の心を奮い立たせることの出来た僕は、次の場所である王都前方の草原に出ていった。四年間空いたんだから、どんなに酷くても耐えれるはず……。そう思っていた。
だけど、所詮それは十三歳の子供が想像できる程度の「酷さ」でしかなかったんだ。
あの光景は……決して忘れられない。忘れられようはずもない。普段は風がそよぎ、草花が揺れ、小鳥が木の上で鳴いている。そんな草原を、血の赤と、沢山の死骸が彩っていたんだから。
頭が割れて、脳の中身をぶちまけて死んでいる狼。胴体に開いた穴から、内臓と血を出して死んでいる狼。顔のどちらか半分が消し飛んでいるような狼もいた。
でも、それ以上に悲惨だったのは人の方だ。どの死体も、即死は出来なかったであろう死に方だった。全身に負った傷から血を流して失血死。ちょっと見ただけでは死んでいるようには思えない死体もあったけど、そういうのは大体、体のどこか一部分が綺麗に一回転していた。
この時点で、前までの僕なら気を失っていたんだと思う。ただ、耐えることができた。完全には「限界」ではなかったんだね。
だから、見てしまったんだ。
いつも城で見ていた時は気が弱そうな表情をしていた将軍が、憤怒の形相で、まっすぐ前を睨みつけるようにして死んでいたのを。
そして。
いつも僕に優しかった父が、父さんが、最後に会った時僕の頭を撫で、僕の首に自分が掛けていた翠玉の首飾りをかけてくれた父さんが。左腕は飛んで、足も血だらけな状態で、それでも右腕にしっかりと持った剣で狼を貫き、その代わりに狼の爪に胸を貫かれて死んでいるのを、僕は見た。
しばらくは、その光景を理解すら出来なかった。でも、それを理解した途端。
耐え切れなかった。叫んでいた。泣こうとした。でも、なぜか涙は出なかった。そして、気を失った。そして目を覚ませば、いつもの僕の部屋だった。
ただ、何かが違った。部屋がじゃない。僕がだ。
結果的には、僕を逃すためだけにたくさんの人が死んだ。それはダレッドから何度も聞いていたし、分かってもいた。ただ、それを実感する事はなかった。
まあそれは当然で、自分はあの時小さかったし、ダレッドは直接それを見ないように、と僕を護ってくれていた。ただ単純に、僕が見た夢で、これ以上ないという形でそれが僕に対して突きつけられただけだ。
普通なら、そんな事は実感しなくてよかったのだろう。しかし僕は、その現実を直視せざるを得なかった。
だとすれば、「なぜ僕はそれを実感せねばならなかったのか」ということになる。僕は悩み、考えた。そして出した結論が、「誰かにとってそうする意味があったから」だ。
世の中は一見、無意味でどうでも良いことに溢れている。でも、その「どうでも良いこと」を生き甲斐にしている人がいるのだろう。だから、世の中から無意味に見える事はなくならない。
そして何より、その無意味なことを繋げると意味が出てくることもある。欠けらを集めてうまく嵌めれば一枚絵が出来上がる。
つまりは、僕が見たくもない現実を突きつけられ、実感させられ、心に穴を空けられたのも、誰かがパズルを完成させるのに必要なことだったのだろう。その「誰か」が僕なのか、別の人間なのか、もっと大きい何かなのかは分からないけど……。
まあ、結果として。
「僕のために沢山人が死んだ」ということに耐え切る事が出来なかった僕の心には、風穴が空いた。そしてその穴に、そのような状況を作り出した『影』の狼に対する復讐心が注ぎ込まれた。もっと別の「何か」で穴を埋めれれば良かったんだろうけどさ、それぐらいしか、空いた穴を埋められるようなものが僕には見つけられなかったから。
更に僕は、あの草原で死んだ人間が他のどこよりも多い、ということを知っていた。だから、次の年からの夢は怖くなくなった。一番の地獄が、あの草原であったのだから。
十四歳の時は、近衛隊長のファリスの爺さんがその部下達と死んでいるのを見た。なんか満足げだったし、ファリスの周りに狼の死体が十一。散々暴れたんだろうなってことはすぐ分かった。
十五歳の時に見た夢では、母上が死んでいる所まで歩いていった。周りが母上の魔法で凄いことになっていて、あの時残るって言っていたのも納得できた。ただ、母上からのお願いは守れそうにない。それは親不孝だなぁと思ったから、一応母上の骸に謝っておいたけど……。許してくれるかな?
そして、今年。僕は十六歳になる。
この先に、見るものはないと知っている。侍従長と宰相は父さん秘蔵であっただろうワインで服毒自殺していて、将軍とファリスの爺さんと父さんは戦場で死んでいて、親不孝をするだろう母上には謝った。もうすることも見ることもない。だから、これで夢は終わり。早く現実に戻らないと。
そうして、近くで倒れていた兵士の槍を取り、逆手に持って……
自分の首を貫いた。
意識が遠のく。次に起きる時は、自分の部屋だろう……。
軽やかな鐘が街中に鳴り響く。夜の終わり、朝の訪れを告げる鐘の音。その音によっていつも僕は目を覚ます。
「はぁ……。酷い夢だった……」
うん、いつにも増して酷かった。まさか最後自分から首を刺し貫くなんて思いもよらなかったよ。さっきの僕、大分おかしかったんじゃないかな。そんなことをぽけーっと考えていると、僕の耳が誰かが廊下で音を立てて走る音を拾った。
次の瞬間には、僕の部屋の扉は開いていた。
「おはよう、アル! ようやくだぞ! ようやくこの日が来た! 俺はお前のために二年待ったからな!」
ギャーギャーうるさい僕の親友に、ベットから下りながら言葉を返す。
「おはよう、モーラス。それはそれとして、そのことはしょうがないだろう。僕はお前より二歳年下で、そして年齢は変えようがないんだから。まあ、心待ちにしていたのは僕もだけどさ。そしてとりあえず落ち着け」
「ん……すまん。ちょっとはしゃぎすぎたか。じゃあ、とりあえず食堂で待ってる。早く来いよ〜」
「分かった、先行ってて」
そして、今日は。
僕の祖国が滅びてから十周年の日であり、僕の十六歳の誕生日であり、何よりも。
ここ、山の国で少年が大人の仲間入りをしたとされる通過儀礼の旅の始まりの日である。
つまり、モーラスと僕がこの館から旅立つ日だということだ。