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村雨美由梨と魔女の要求

 人形少女に奇妙な宣告を受けた後、私の生活が変わったかといえば、そんなことは全くなかった。

 仕事で特にトラブルはなく、件のご友人さんもまた、毎日のように現れては罵声を浴びて帰っていく。

 まるでベルトコンベアに乗せられているかのような変わり映えのない日常である。……あくまで、私個人においては。

 一つだけおかしいというか変化があったのは、他ならぬ坪井さん自身だった。

 元々から認知症が深刻で、私達の顔は愚か名前も覚えてはくれない人であり、私達に対しても必要最低限の会話しかしない人……の、筈だったのに。

 偶然かは定かでないが、最近は私達一人一人の顔をまるで刻み付けるかのように見つめてくるようになったのである。

 中には気さくに話しかけられたり。これからも宜しく。といった言葉をかけられた職員もいたのだとか。

 この様子に周りの人間は認知の症状がプラスの方に傾いてくれた。と、呑気に笑っていた。

 最近は坪井さんの落武者みたいな髪型が可愛く見えてきた。という人まで出てくる始末だ。

 しかし……ただ一人。私だけは心の端に別の感情がひっかかっていた。

『もうすぐ死ぬよ』

『誰が狙われるかわからないけど、気を付けてね』

 あの人形少女の言葉がリフレインする。最初は冗談にしか取らなかった言葉が、この一週間で妙な現実味を帯びて私にのし掛かってくるのである。

 坪井さんがどこかすがるように私を見つめる度に。

 まるで必死に自分の存在を刻み付けようと言葉を重ねる度に。

 私は漠然とした、言い様のない寒気を禁じ得なかった。

 もうすぐっていつ?

 数日後? それとももっと先?

 いいや、あれを信じるべきだろうか。人形少女の保護者さんだって言っていたではないか。ちょっと電波が……否、思い込みが激しい子だと。

 嘘か真か。答えの出ない無限ループにはまりこんでいるうちに、時は流れ、ついに十月最後の日が訪れる。

 世間がハロウィンで賑わう中。私は仕事に出かけていた。

 本日は宿直。所謂夜勤というやつである。そこで……。

「あ、来た」

 夕方17時。会社に出勤した私が見たものは……。いつかと同じようにソファーにちょこんと座っている、魔女っ娘に扮した人形少女だった。

「あれ、君……なんで?」

「今日はハロウィンでしょう? ……洋子おば……お姉さんに着せられたのよ。この後、夜の町を買い物するついでに連れ回されるの」

 これ、きっとよーじぎゃくたいだわ。と悪態をつきながらも、人形少女は満更でもないご様子で。その場で「似合う?」と言わんばかりにくるりとターンした。ミニスカートがふわりと膨らみ、はにかんだ笑顔を向けられた時、私は心臓に強烈なストレートをぶちこまれた気分になった。

 黒い三角帽子に、白、オレンジ、黒のハロウィンカラーを基調としたゴシックな衣装に身を包み、片手にはジャック・オー・ランタンの玩具。恐ろしい程の似合いっぷりだった。

 人形少女のエキゾチックな外見も手伝って、本当に絵画や絵本からそのまま飛び出して来たかのようで。正直、この格好で夜の街を一人練り歩いたら、間違いなく誘拐されてしまいそうだった。

「凄く似合うし、可愛いよ? 素材の良さがいかされてるわ」

「最後、何だか変態みたいよ。ま、いいわ。こうして会えて嬉しい。……お姉さん、今からお仕事?」

 私のコメントにわざとらしく後退りしながら、人形少女は問いかける。私がコクリと頷くことでそれを肯定すれば、少女は何処か複雑そうに此方を見上げて。やがて意を決したように私に向けてジャック・オー・ランタンを掲げた。


「Trick or Treat」


 とても綺麗な発音に、私がポカンとしていると、少女は「むー」と、少しだけ膨れながら「Trick or Treat」と繰り返した。

「えっと……」

「意味、わかるでしょう? お菓子が欲しいわ」

「あ、うん。それはわかるんだけどね……」

「ハロウィンだもん、あるわよね? お爺ちゃんお婆ちゃんが言って来たらどうするのよ」

 いや、そんな文化を大事にしてる方、少なくとも私の所属するフロアにはいないのだが。これが所謂ジェネレーションギャップという奴なのかも。私がそんな言い訳をすると、人形少女は……思いの外、とても悲しげな。それでいて必死な顔になる。

「し、職員さん! 他の職員さんからお菓子貰ってきて! そうすれば形式上……! この際ココアでもいれてくれれば……!」

「え、え~っ?」

 お菓子をねだりに来たのに貰えなくて涙目になっている魔女っ娘がそこにいた。

 というか、ココアで妥協するとか、この子はどうしてそんなにハロウィンをやろうとするのだろうか?

「あの、うーんと。何で慌ててるの?」

「貴女のためよ! だって……!」

 少女はキョロキョロと辺りを見回して、他に誰もいないことを確認すると、静かに口を開いた。


「お姉さん、今夜よ。……よりにもよって、ハロウィンの今日」


 少しだけ震えながら、少女がそう告げる。私は何の事かわからずに首を傾げて……。ふと、丁度一週間前に言われた一言を思い出した。

「ね、ねぇ。あのね。あれからだけど、坪井さん、元気そのものよ? ちょっと冗談にしては笑えないなぁ……」

「冗談なんかじゃ、あんなこと言わないわ。あの部屋……ダメ。わかるの。でも私は視えるだけだし、どうしたらいいかわからない。だから……気休めかもしれないけど、これはおまじないよ」

「おまじない?」

「お姉さん、もしかして知らないの? Trick or Treatの本当の意味は……」

「シェリー」

 早口でまくし立てる人形少女。目を白黒させる私。その間に割って入るかのように、ハスキーボイスが背後から響く。奇しくも先日と同じシチュエーションで、人形少女の保護者、駒形さんのお孫さんが呆れ顔でそこに仁王立ちしていた。

「また変な知ったかぶりでもしてたのか?」

「違うわよ。ハロウィンだからお菓子を要求していたの」

 しれっと答える人形少女に対してお孫さんは頭痛を堪えるように額に手を当てる。

「何してんだバカ娘。あたしはお前をそんな図々しい奴に育てた覚えはないぞ」

「洋子おばさんバカ? ハロウィンよ? お菓子を要求するのは普通だし、今まさに重要な……痛いっ! ひょっと! ほっぺひっぴゃらにゃいでよ!」

 TPOを考えろ。その一言と一緒にお孫さんの制裁が下される。

 結果、人形少女の柔らかそうな頬が、お餅みたいにむにゅーと伸ばされた。

「すいません、ご迷惑をおかけしました」

「え、あ。いえ……」

 展開についていけず、私が辛うじてお孫さんの謝罪を受け入れている。すると、お孫さんはもう一度私に一礼して。ジャック・オー・ランタンを振り回して猛抗議する人形少女を引きずっていく。

「塩……。そう塩よ! お姉さん! こうなったら塩を……痛い! ちょっとおばさん、これDV! DVだわ!」

「やかましいわ! 毎日のように変な知恵ばかり吸収しやがって!」

 ギャーギャー騒ぎながら、見た目は似てないが紛れもない親と娘が去っていく。

 後に取り残された私はというと、暫くそこから動けなかった。人形少女の言葉を頭の中で反駁する。今夜。それが意味する事は一つしかなくて。

「……い、悪戯よね?」

 ハロウィンだから。こじつけが過ぎるかもしれないが、そうだと思いたかった。だって仮に本当なら……。

 嫌な胸騒ぎを覚えて、私は坪井さんの部屋に走る。

 扉をあけると、老人特有の匂いが鼻をついて……。

 ベッドの上の彼と目が合った。大丈夫、生きている。

「こ、こんばんは坪井さん。今夜は私が夜勤を担当します。宜しくお願い致しますね」

 謎の安堵感に身を委ねながら、私はマニュアルじみた挙動と言葉で挨拶を述べた。すると、坪井さんは穏やかに笑って。

「ああ、宜しく。〝美由梨ちゃん〟」

 今まで一度も呼んだことのなかった、私の名を呼んだのである。


 ※


 夜勤は夕方17時から翌朝まで。なので当然勤務時間も長く、仕事の量も多い。寝付けない方がいればなおのこと。

 だが、本日は全員しっかり寝入ってくれていて、私は早々と仕事を終了させ、後は明け方まで定時で見回りをするのみとなった。

 時刻は二十三時半。恐ろしい程に順調だった。

「巡回~巡回~。あー楽チン」

 深夜の施設は、未だに慣れない。真っ暗闇のフロアと廊下は静まり返り、唯一の光源である非常口の電灯だけが怪しく光る様は、ホラーゲームのステージ染みていて、とてつもなく不気味なのである。

 だからいつもこうやって下手くそなハミングを小声で口ずさみながら歩くのが、私のセオリーだった。

 Cフロアの巡回終了。続けてDフロアへ。

 2031異常なし。

 2032異常なし。

 2033異常なし。

 2035異常なし。

 一つ一つ。お爺ちゃんお婆ちゃんを起こさないように部屋にお邪魔して、中の様子を確認する。

 呼吸をしているか。

 ベッドから転がり落ちていないか。

 その他、おかしな点はないか。

 今のところは何もなく、私はフロアの奥へ奥へと進んでいく。

 2037異常なし。

 2038……。突き当たりに位置する部屋の前で、私は立ち止まった。

 坪井さんの部屋だった。

 もうすぐ、日付が変わる。既に数時間前に入眠を確認してはいる。一時間前の見回りでも何の異常もなかった。

 やっぱり考えすぎだったのだ。きっとあの人形少女の悪戯だったのだろう。

「失礼しまーす」

 本来はいらないのに、小声でそう告げながら私は部屋に入る。ほら、しっかりと坪井さんの大イビキが…………。

 聞こえない。変わりに聞こえるのは、風の音だけだった。

「……つ、坪井さん?」

 知らず知らずのうちに声が震える。手にした巡回補助用のランタンを点けてそっと掲げれば、暗闇に包まれた部屋がぼんやりと浮かび上がって。ベッドに眠る坪井さんを照らし出す。

「坪井、さん?」

 彼は最後に私が見た時と同じ寝相でベッドに身を横たえていた。ただ……。その目は開かれて虚空を見つめていて。呼吸で緩やかに上下していた肩が今はピクリとも動かなかった。

「ちょっと、坪井さん? 坪井さん!?」

 静かに近づく。呼吸の音がしない。口元に手をかざしても、何も当たらず。

 震える指先を細くてしわくちゃな首筋に当ててみると……。そこは何の脈動もなかった。

「う……あ……」

 頭がグチャグチャに掻き回されているような気分だった。介護職員として、私はそこまで経験を積んでいない。当然、こんな状況は初めてだった。

 すぐそこにいる、人の形をしたそれは……もう動かない。

 死んでいるのだ。

「そ、そうだ。ナースさんに……!」

 何度か深呼吸した私は、ようやくそこで業務用の携帯電話を取り出した。この施設は三階建て。一つの階にフロアは四つで、うち二つを介護職員が担当し、一人のナースが施設全体をぐるぐる回る。

 だから何かあればすぐ報告すること。と、夜勤を任された初日から常に言われ続けている。今がその時だった。

 番号をプッシュし、ナースさんに連絡する。

 出たのは私より大分年上な中年のナースさん。

『どうしたの?』という声に震えながら早口で事情を話せば『すぐいくわ』と、頼もしい返事が帰ってくる。よかった。これで一安心……。

『……ね、ねぇ。坪井さん。呼吸止まってるのよね?』

 そう、思っていた。少しだけ遠慮がちに受話器の向こうからナースさんが問いかけてきた内容に、私は思わず身を固くする。

「え、はい」

『そ、そう。…………』

 息を飲む気配がして、そのまま重苦しい沈黙が訪れる。用件は伝えた。後は電話を切ればいいのに、どうしてもそれが出来なくて。力一杯携帯電話を握り締める。

「…………ちょ、ちょっと。止めてくださいよ。何でそんな意味深な……!」

『い、いや。だって……ね。こっちからは……聞こえるのよ。美由梨ちゃん。美由梨ちゃんって……坪井さんの声が』

 私はその時、全身の血の気が一気に引いていくの感じた。

 背中を伝う冷や汗を感じながら、何度も首を横に振る。

 いや、待って。本当に待って。

 今や涙目になりながら、私はもう一度坪井さんの方を見る。

 当然、声なんか出していないし、呼吸もしていない。〝さっきまで天井に向けられていた顔は、今は此方をじっと見つめていて〟焦点の合わない目は……。目、が……。


「――っ! ひぃい!?」


 理解したその瞬間、口から短い悲鳴が漏れ、私はその場に崩れ落ちるようにへたりこんだ。

 ナースさんが部屋に到着したのは、そこから数分後。

 震える私のそばで彼女は心電図を操作して……。坪井さんの死亡が確認されることになる。

 現時刻は深夜二十三時四十四分。

 長い私の一夜は、まだ始まったばかりだった。 

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