第5話『リターンマッチ!』
ズキリと痛む頭。なんで痛むんだっけと思いながら、遊乃はゆっくりと体を起こした。
目の前には真っ白なカーテン。自分が寝転がっていたのは白いベット。鼻をくすぐる消毒液みたいな匂い。それらを合わせると、自然にここが保健室だとわかった。
「あ、お、おはようございます……」
ベット脇には、心配そうに遊乃を見つめる琴音と、暗い表情で俯くリュウコが座っていた。二人は何故そんな表情をしているのだろうか、と遊乃は疑問に思った。そう考えた瞬間に、疑問は泡が弾けるみたいに解決していく。
「そうだリュウコ――貴様、デュー戦で俺様に協力せんかったな……?」
怒る様に、ではなく。
思い出し、事実を確認するように言う遊乃。
リュウコの肩がビクリと跳ねて、少しの間彼女は口を開かなかった。きっと、リュウコ自身もなんと言っていいのかわかっていないのだろう。それを察して、叱る父親から娘を庇う様に、琴音が口を挟む。
「あの、お、怒らないであげてください……。リュウコちゃんにも、事情が……」
「事情で協力できんのならそれを先に言っておけ。ったく、それさえ先に知っていれば、お前でトドメを刺そうなどと考えず、勝てたかもしれんのに……」
いたたた、と言いながら頭を押さえる。デューの鋭い一撃は、当たった顎よりも揺らされた脳に痛みがあった。
「おい琴音、俺様が気絶した後、どうなった」
「え、と――。『風祭遊乃、自分の召喚獣さえも操れないとは、やはりペテン師ね!』って言ったデューさんは、勝ち誇りながら格技場を出て行きました。そ、それで……周りで見ていた人達も、それに同意する感じで……」
そこから先は、琴音の口からはとても言えなかった。
気絶した遊乃へと飛ぶブーイングや罵声、罵詈雑言。とにかく、あまり品の良くない言葉が飛び交ったのは確かである。それを見かねた琴音が、リュウコと共に遊乃を保健室まで運んだのである。
琴音が言い淀んだ事で、遊乃もそれを察する。
「ふむ……」と顎を擦り、「やはり俺様の名誉を確認するためには、デューをぶっ殺すしか無いようだな。おい、琴音。お前、俺様に回復呪文したか?」
「え、あ、はい……。その、勝手にすいません」
「いや、琴音はやはり気が利くな。俺様のパーティだけある。リュウコも琴音を見習う事だな」
そう言って、遊乃は大きく笑う。保健室に彼の笑い声が響く中、リュウコがどうして不機嫌なのかわかっている琴音は、あまりリュウコを挑発してほしくないらしく、遊乃の笑いを止めるべきかリュウコを励ますべきか迷っていて、オロオロと体の向きを二人どちらに向けようか迷っていた。
リュウコは立ち上がると、力ない足取りで保健室から出て行く。
「……なんだあいつ? なんか妙に機嫌が悪いな」
「あの、遊乃くん……。ほ、ほんとに、リュウコちゃんが機嫌悪い理由、わからないんですか……?」
「知るか。機嫌が悪いというのなら、機嫌が悪いとちゃんと言え。俺様は超能力者じゃない」
琴音は、深い深い溜息を吐く。琴音がそこまで呆れた顔をするのを見るのは、幼馴染の遊乃でも初めてだったので、少しだけ驚いてしまった。
「リュウコちゃんは、その――」そこまで言って、彼女は本当に言ってもいいのか迷ったものの、結局言う事にしたのか、一度頷いてから、「ヤキモチを焼いてるんですよ」と真剣な顔を作る。
「ヤキモチぃ? 誰に」
「それは、遊乃くんに……」
遊乃は腕を組み、考え込む。しかし、まったく思い当たる節がない。
「だって、遊乃くん。リュウコちゃんの前で、女の子にデレデレしたり、リュウコちゃんにいろいろと冷たい言葉をかけたりしたみたいじゃないですか。あの子は、それがいやなんですよ」
「男が女にデレデレするのはしょうがないだろう」
だから俺は悪くない、と言わんばかりに胸を張る遊乃。
「それがダメなんです! リュウコちゃんはおとーさんである遊乃くんしかいないんですから、少し優しくしてあげないと。……リュウコちゃんのとこに、行ってあげてください」
「あぁ? なんで俺様が」
「いいから! 行って、ください!」
珍しく琴音から怒鳴られ、「う」と声を詰まらせる遊乃。しかし、それが遊乃には効いたらしく、「し、仕方ないな」とベットから降りて、遊乃は保健室から出た。
召喚獣やパーティメンバーはダンジョン無いではぐれても大丈夫な様に、デバイスで位置が確認できる様になっている。遊乃はデバイスを取りだし、位置確認メニューを開いて、リュウコがどこにいるのかを確認。
どうやらリュウコは屋上に居るらしい。
急ぐのもリュウコを心配しているみたいで癪だなと思ったので、ゆっくり階段を上がっていく。最上階の屋上のドアは鍵がかかっているはずだが、なぜかノブごと破壊され、切ない音を立てながら風に揺られていた。
リュウコが破壊したんだな、と舌打ちしながら、屋上に入る。
高いフェンスに囲まれた、長い長方形のコンクリ床。その端に、フェンスに向かって体育座りをしているリュウコがいた。
「よう」
遊乃はリュウコの隣に腰を下ろす。リュウコは、暗い顔で彼を見て、黙り込む。
「この学園は景色がいいだろう。なにせ、小高い丘の上にあって、遠くには空が見えるからな」
彼の言う通り、都市船内にあるこの学校では、近くに街並み、遠くには空と、綺麗な景色が広がっている。
「あの、おとーさん、その……」
何かを言おうとして、言い淀むリュウコ。普段なら「なんだ、早く言え」と急かす所だが、リュウコに優しくしなくてはならないと思っているので、遊乃は彼女の言葉を待った。
「ご、ごめん、なさい……」
リュウコの声は、涙に濡れていた。ついでに瞳も。夕焼けに反射して、リュウコの頬には一筋の光ができていた。
「気にするな。人には気分ってモンがある。協力する気分じゃなかったんだろ」
「でも、おとーさん……。わたしの所為で、魔法使えないのに……」
「俺様は魔法使いじゃないから問題ないと言ったろう」
「……わたし、おとーさんだけだから、嫌われたら、どうしようって……。でも、あの時のおとーさんには、協力したくなくて……」
遊乃しか彼女には頼れる存在がいない。だから協力して、嫌われないようにしたい。
けれど、遊乃はリュウコだけじゃない。その不公平さに、リュウコは腹が立って、自分の大事さをアピールしたかったのだろう。
遊乃はそんなことまったくわかっていないが、
「別にあの程度でお前を嫌わん。協力しないと先に言っといてほしかったがな。それに、お前は俺だけじゃないだろう。琴音もいるし。琴音はお前の事を心配していたぞ」
「……でもわたし、仲間が、いない」
「仲間?」
「おとーさんは、人間がたくさんいるけど、わたしは、ドラゴンはいない……。わたしみたいなドラゴンは、いないって、あのおばあちゃんも言ってたし……」
自分がどんな生き物なのか、仲間はいるのか。そんな不安が、彼女にはあるのだ。ドラゴンの力は持っているけれど、ドラゴンではない見た目。見た目は人間だが、人間ではない力。彼女が何者なのか、彼女自身にもわかっていない。
遊乃は立ち上がり、「俺の夢は世界制覇だ」と突然口にする。
「世界、制覇?」
遊乃の顔を見上げるリュウコ。そんな彼女を見ないで、まっすぐ前の景色だけ見つめながら、遊乃は「ああ」と頷く。
「世界制覇は、すべてを見るという事だ。俺様は世界を巡り、そしてすべての物を見て、楽しむ。それが世界制覇だ。世界は広い。
空には俺様がまだ行ったこともない都市船があるし、地上は空に脱出する時のパニックで、文献が多く失われている。
わからない事だらけだが、だからこそワクワクするだろう。俺は世界をすべて楽しむ。そしてその途中で、お前の仲間を探せばいい。
だから、俺様についてくれば間違いないぞ、リュウコ」
遊乃は、リュウコの頭に手を置くと、ワシワシと布巾でテーブルを拭くみたいに乱暴に撫でる。「うわっ」と小さな悲鳴をあげ、リュウコは撫でられた頭を押さえ、
「い、いいの?」
と首を傾げた。
しゃがみこんでリュウコに視線を合わせると、「当たり前だ」と笑った。
「その代わりに、お前も俺様の夢に協力するんだ。俺様だけでやっても世界制覇は楽勝だが、二人でやればもっと早いぞ」
リュウコは涙を服の袖で拭き、いつもみたいにキラキラとした目で「うんっ!」と頷いた。
「そのためにも、お前にできる事を全部教えろ。明日はデューへのリベンジだ!」
「おーっ!」
二人は空に向かって、拳を突き上げた。心の内をお互いに話した影響なのか、いつもみたいに戻った様に見えても、更に自然な態度で居ることができた。
■
デュー・ニー・ズィーは、朝から気分がよかった。
理由はもちろん、昨日に行った遊乃との決闘に勝ったから。
あのペテン師、ちょっとした偶然で未知の部屋を見つけて女の子を拾ったくらいで、あたしの中間一位を無に消し去ったのだから、あれくらいされて当然だ。
そう思っていたからだ。そして今日、自分の教室一年B組に登校すると、昨日の遊乃みたいに、クラスメートが周囲に集まってきたからだ。
「デューちゃん、すごかったね昨日は! 風祭くんが一撃でノックダウンなんて!」
友人の一人からそう言われ、デューは「まあね」としたり顔。
「あの程度、ハナから問題じゃないのよ。あたしの実力は一年の中で一番なんだから」
その言葉に、「おーっ」と歓声が上がる。
これだ。やはりあたしはこの注目を受けるだけの実力があるんだ。優越感は、まるで名泉に浸かった様に彼女の体へと染み渡っていく。彼女にとって究極の快楽。注目を浴びる事。
だからこそ彼女は討伐騎士を目指し、栄誉を手にしたかったのだ。
そしてその第一歩は、間違いなく成功した。風祭遊乃という、話題性だけはあった踏み台のおかげで。
彼女は表向き、少しだけ笑いながらも、心の中では大笑いしていた。ここからあたしの夢が形を成していくのだと、そう思っていた。
「はんっ」
そして、そんな彼女の夢に水を差すようなタイミングで、鼻で笑う声がした。
「誰よ!」
そんな空気に、デューはデジャヴを感じる。教室の黒板側ドアには、遊乃とリュウコが立っていた。
「いよぉーB組。お気楽だなぁ。昨日は偶然俺様に勝っただけだというに」
「いうにー!」
胸を張る遊乃と、それを真似するリュウコ。
二人はB組全員からの注目を完璧に集めていた。デューへの意趣返しと言わんばかりの前日とまったく同じ挑発。そして、自分が集めていた注目を一気にかっさらっていった事。それらがデューを酷く苛つかせた。
「なによ、偶然って。明らかにアンタの実力不足じゃない」
デューは、そう言って遊乃へと一歩踏み出す。二人は会話するのに充分な射程圏内へと近づき、遊乃が口を開く。
「ふん。昨日は油断しただけだ。今日はリュウコもノリノリだぞ」
「ぶっつぶしてやるぜー!」
と、覚えたての言葉を態度とまったく違った使い方をするリュウコ。まるで今から原っぱを自由に駆けてもいいと言われた子犬の様。
「昨日みたいに不甲斐ない勝負をされんのもイヤなのよ。こっちだって暇じゃないんだから」
「ふむ。ならば仕方ない。今回負けたら、俺様がなんでもしてやろう」
ざわつくB組。そこまで言うからには、本当に自信があるのだろう、と。
だが、それは逆に、デューの苛立ちを加速させる事になる。
「上等じゃないの! なら、あたしも負けたらなんだってするわよ!」
そうなると、盛り上がらない方がおかしい。
B組は、まるで茹だった油に水を垂らしたときのように、激しい歓声が湧き起こる。
「――なんでも、と言ったな?」
遊乃は、自分も言った事を忘れたみたいに、不敵な笑みを見せる。
「……へ?」
「俺様がお前に対して要求する事は、エロい事だぞ。わかっているな」
「な、ななななっ!」
顔を真っ赤にして、デューは酸素を求める金魚みたいに口をパクパクさせる。女子からはブーイング、男子からは賞賛の声。遊乃は、その賞賛しか聞いていないみたいに、「やーやー」と手を広げて賞賛をシャワーみたいに浴びていた。
「ABCたっぷりのフルコースだ! 放課後、格技場で待ってるぞ! ナーッハッハッハッハッハ!」
「ナハハハー!」
遊乃とリュウコは、二人そろって大笑いしながら、教室を出て行った。
デューはそんな態度に、舐められていると確信する。遊乃はデューをおちょくりに来たのだ、と。リベンジマッチの申し込みのついでに、行き掛けの駄賃とばかりに。
それに気づくと、彼女の拳は硬くなっていた。今なら鉄にだって穴が開けられるかもしれないと思う程。