第2話『ドラゴンな娘』
「おとーさんと呼ぶな! 俺様は子供を持つ気など無いし、血の繋がりすらない子供を育てるつもりなど毛頭ない!」
やっとそれだけ言うと、目の前の少女は、きょとんと首を傾げる。まるで自分が何を言われているのかさっぱりわかっていないという様子だ。年の頃は一〇歳に届くか否かという程度。知能もそれくらいなのだろう。
「でも、おとーさんでしょ?」
「どこがどうしてそうなる……。いいか、俺は茶髪。お前金髪。血の繋がりない。わかるか?」
「わかんない!」きゃらきゃらと笑う少女。それとは反対に、遊乃はより一層苦々しい顔になる。
「貴様、なんかの事情で地上に取り残された一般人か? 毒素を吸いすぎて、頭がおかしくなったのか」
遊乃の言葉に、少女はまたも首を傾げた。
「わかんない。でも、おとーさんの子供で、自分がドラゴンだってことだけ、わかるよ」
「……ドラゴン?」
それはかつて、地上が毒素に汚染された際、突如発生した巨大なキャファーの名称だった。
大きな翼で空を駆け、鋭い爪はすべて切り裂き、その牙は万物を砕く。かつて、人類を空へ追いやった主なキャファーである。それは大きなトカゲに両翼が生えたような姿をしていると、遊乃は授業で習った。
「お前みたいな小娘がドラゴンなわけないだろ。――ちっ。本格的に頭のおかしくなった一般人か。めんどくさい、が……」
遊乃は顎を擦りながら、計算を巡らせる。ここで一般人を救助すれば、その特典は高いだろう、と。
「まあ、俺様にそんな小細工必要ないが……。楽ちんなのはいい事だ。ふっふっふ……」
「おとーさん、悪い顔?」
いやらしい笑みを浮かべる遊乃に少し怯んだのか、少女は引きつった笑顔を浮かべる。
「おい小娘、喜べ。俺様がお前を保護してやろう」
「えと、それって、おとーさんと一緒に居てもいいってこと?」
「まあ、しばらくはな。――それよりも、まずここから脱出しなくちゃならん。行くぞ小娘」
「わーい!」
両手を挙げてバンザイしながら、遊乃の周りをぴょんぴょん飛び跳ねる少女。それを鬱陶しそうに目を細め、遊乃は少女の頭を軽く叩く。これ以上頭が壊れても嫌だなと思いながら。
「いたっ」
「ぴょんぴょん跳ねるな鬱陶しい。ドラゴンだと言うなら、せめて空を飛んでみせろ」
「わかった! 任せて!」
小さな胸をドンと叩き、胸を張る少女。
そうすると彼女の背中から、黒い翼が生えてきた。薄い皮膜で風を起こし、空を掴むために存在する器官。
「なっ――!」
その翼を震わせて、彼女は少しだけ浮いてみせた。数センチほどだが、確かに地上から離れている。
「貴様……。その程度か?」
驚かされたのが悔しかったので、遊乃は思わずそんな意地を張ってみた。
すると、まだ子供である少女の顔が、あからさまに不機嫌そうになった。唇を尖らせ、頬をふぐみたいに膨らませている。
「本当にドラゴンだと言うのなら、俺様を出口まで運んでみせろ」
「できるもん! 任せてよ!」
彼女は地面に降りると、そのまま遊乃の背後に回ると、腰に抱きつく。そのまま固定され、少女が羽撃くと、遊乃の体も浮かんだ。
「うぉ! なんだこれ怖っ!」
「そーれっ!」
遊乃の悲鳴も聞かないまま、彼女は矢の様なスピードで先ほど遊乃が入ってきた入り口に向かって飛んで行く。
「だあぁ! お前、その羽じゃ幅が足りんだろうが!」
「それも、大丈夫!」
そう言うと、彼女は大きく息を吸い込んで、吐き出す。彼女が吐き出した息は、もうただの空気ではない。すべてを貫く光の矢と変わっていた。その光は壁を貫き、入り口を大きくし、悠々とその場から脱出。落とし穴も通過し、琴音が待っている階層へ出る事ができた。
「えっ、ゆ、遊乃くんに翼が生えてる……!」
落とし穴から出てきた遊乃を見て、琴音がまず言ったのはそれだった。
「アホか! よく見ろ、俺様が翼なんぞ生やすか!」
そう言われた琴音は、遊乃の背後へと視線をやる。そしてやっと、遊乃を抱える少女の存在に気づいた。
「あ、あれ? その子、誰ですか……?」
「知らん。頭のおかしい一般人だと思ったら、翼生やしやがった。出口まで案内してくれるそうだ。掴まれ」
「つ、捕まれって言っても、えと、話がいまいち――」
「ええい! めんどくさい! 俺様の言うことを聞いておけば間違いないんだ!」
「ひゃっ、は、はい!」
そう言うと、琴音は遊乃に飛びついた。その分体重が加わったことで一瞬だけ高度が少し下がったが、しかしすぐに持ち直すと、少女はまっすぐに通路の先へと飛んで行く。壁は光の矢で壊し、文字通り直進だけでダンジョンを攻略していく。
「あ、あの、あの、これ怒られませんか! ここ、トランフル様が最後に戦った、一応伝統あるダンジョンですよね!」
遊乃の胸の中で、顔を真っ赤にしながら、破壊されていくダンジョンを眺める琴音。
「なら、破壊されたダンジョンとして伝統を作り直すんだろう」
琴音とは反対に、遊乃はどうでも良さそうに呟いた。俺がやったんじゃないし、と言外に言っているようだ。
もちろん、そんな甘い話が通じるわけはないのだが。
■
「いったい、これはどういう事なんです?」
中間試験終了後。
試験用のダンジョンは、出口までの直通ルートができるという前代未聞の珍事により、封鎖される事となった。そして、その事態を作った張本人である遊乃と自称ドラゴンの少女は、校長室に呼び出される事になった。
校長室では、白髪を後頭部で団子にまとめた、初老の校長が待っていた。アカデミックドレスの様な黒い服を羽織っており、机に肘をついて指を組んでいた。
「どういう事って言われても、俺ぁ一般人? を保護した結果、そいつがちょっと飛べて、ちょっと光線出せたってだけで」
言いながら、遊乃も『全然ちょっとじゃねえな』と思った。
「全然ちょっとじゃありません」
真面目な校長もそう言った。
「って言われても、デバイスのデータをちゃんと提出しただろーが。俺にゃあれ以上の事はわかんねえよ」
レコーダーを通して見た景色、詳細なデータは、生徒手帳を兼ねたスマートフォン、デバイスに登録される。
普段は倒したモンスターの種類や、ダンジョン攻略にかかった時間などの大まかなデータしか成績に反映されないのだが、しかし今回の様に特別なケースであれば、録画された映像を教員に提出する事を義務付けられている。
「ええ……。確かに見ました。その子がドラゴンと名乗り、あなたを父と呼び、光のブレスを吐き、翼を生やした事を。ですから、問題なのです」
「なにが」
遊乃は耳を小指でほじりながら、いかにも話を聞いていないという態度を取っていた。
「ドラゴンはキャファーの中でも、相当に珍しい存在です。現在では少数しか残っていませんが、しかしそれでも、発見されればたとえ相手が一匹でも、プロを何十人集めても勝てるかどうかというレベルの存在。しかし姿は皆、巨大なトカゲに似た物です」
「そりゃあ、俺だって教科書くらいチラ見したことあるから知ってるぞ」
「ですから、その子がドラゴンの特徴を持っているというのはおかしいこと……。人型のドラゴンなんて、聞いたことがありません」
「俺もねーなぁ。お前、ホントにドラゴンなのか?」
「うん!」遊乃の隣に立っていた少女は、手を前に突き出すと、その腕を黒い鱗がびっちりと敷き詰められ、鋭い爪を生やした腕へと変える。
「ただの人間ではない事だけは、確かなようですね」
ふぅ、と小さく溜息を吐き、校長は「それでは風祭くん。その子は学校に預ける、という形を取ってもらいますが、構いませんね」
「別にかまやしねーけど」
遊乃の許可も出ると、校長は少女に向かって手を差し出す。
だが、少女はそっぽを向き、校長を見ようとしない。
「おら、ばあさんとこ行け」
遊乃が少女の背中を押すも、彼女はすごい力で踏ん張って、行こうとしない。
「やーだー! おとーさんといるー!」
「俺様とお前は血の繋がりなど無いと言ってるだろうが!」
「あるー!」
自称ドラゴンだけあり、その踏ん張りは遊乃にはどうにも出来そうにない。
「俺様の娘を自称するなら、父の言う事はきちんと聞け!」
「これだけはやだ!」
「ふぅ……。あまり、校長室で騒がないでください。風祭くん」
「んだよ、ばあさん。俺は大人しくアンタにこいつを差し出そうとしてんじゃねえか」
「いえ、もういいです。どうやら、その子はあなたのそばから離れたくないようですし」
「やったー! おとーさんと一緒っ!」
腕にしがみついてくる少女を、遊乃は腕を振るって引き剥がす。
「いいのかよばあさん! そんな簡単に諦めちまって!」
「構いません。風祭くんがこの学校に在籍する限りは、一応監視下には置けますし。それと、私の事は校長先生と呼びなさい」
「あのなあ、ばあさん。こいつが俺の横で四六時中おとーさん、おとーさん言ってたら、女の子だって口説けねえじゃねえか!」
「その分、勉学に励んでください。彼女の事は、たまに報告書を出してくれれば構いません」
「ふざけんなぁ!」
勉学に励め、そして報告書を出せ。そんなめんどくさい事を言われては、遊乃がその言葉を受け入れるわけがない。
「報告書なんて出すか。この俺様に面倒な事をさせるな。報告ならしてやるから、ばあさんがこっちに来い」
腕を組み、胸を張って、鼻息を大きく吐いてそう言った。校長に対する態度とは見えず、社長が平社員に対して威張っている様にさえ見える。さすがの校長も、生徒にここまで偉そうにされた事はないので、「え、あ、はい……」と思わず言ってしまった。
「そうか。ばあさん校長のクセに話がわかるな。アッハッハッハッハ!」
「アッハッハー!」
遊乃の笑い方を真似して、隣で笑う少女。
校長はこの時、遊乃に敬語を使わせようとした事を諦めた。
「まあ、私の呼び方はもうそれで構いませんが……。どうです、その子に名前をつけてやっては」
「名前ぇ?」遊乃が少女の顔を見た。少女も、遊乃の顔を見返す。
「ええ、いつまでもこいつでは、さすがに可哀想でしょう。これからは遊乃くんのパーティに加わるわけですし」
「俺のパーティに? ――召喚術師じゃなきゃ、キャファーを連れてちゃいけない決まりじゃなかったっけ」
召喚術師という職業はキャファーを捕獲し、調教し、召喚魔法で呼び出す職業。ただし、強いキャファーでなければ捕獲しても意味ない上、強いキャファーは捕獲も調教も大変。
つまり、あまりにも強くなるのに大変な職業なので、あまり人気はない。とはいえ、キャファーを捕獲して調教する事に対してのマニアが存在する為、一定数常にいる。
「ええ。ですが、あなたに召喚術師に転向しろと言っても無理でしょう」
「当然だ」
「仕方ありません。あなたは、その子だけなら連れてもいいという、特例にします」
「ほう、まあ俺は特別だからしょうがないな」
「……」ここまで偉そうな態度で来られては、さすがの校長も何も言えないらしい。
「ふん。こいつは自称ドラゴンだろ、ドラゴンは別名竜。なら、お前の名前は『リュウコ』だ。リュウコで決定」
「わたし、リュウコ?」きょとんとした顔で、自分の顔を指さす少女こと、リュウコ。「わかった、わたしリュウコ!」
どうやら彼女はリュウコという名前を気に入ったらしい。その場でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。それを見て遊乃は、ドラゴンだけに飛んでいるのが好きなのかもしれないと思った。
「それで、ばあさん。俺はこの中間試験、どういう結果なんだ? リュウコがいろいろやってくれたおかげで、かなりいい成績なんだろ?」
「……その事ですが、残念ながら平均点とさせていただきます」
「なんだと! ババアどういうことだ!」
「お願いですから、せめてばあさんで……。い、いえ。それはともかく。さすがにあれはズルです。あなたを成績トップにすれば、他の生徒から反感を買ってしまいます」
「俺様から買うのはどうでもいいのか」
「何百人から買うより、一人から買った方がまだ楽というものです」
そう言いながらも、校長は『遊乃一人で百人分以上はゴネそうだな』と思っていた。しかしそこは歴史と伝統ある龍堂学園の校長。こほん、と小さく咳払いをして、
「とにかく、中間は突破した事にしておきますから、風祭くんはそれで納得してください。本来であれば歴史あるダンジョンの破壊は、退学になってもおかしくない事態。ですが、我々でも知らない部屋の発見という功績を考慮し、平均点をあげるという事になったのです。――召喚術師でもないのにキャファーの疑いがある少女を連れて歩けるというだけでも、特権的なのですから。それに、その剣、ちょっと見せてください」
「あん? ……ほれ」
遊乃は腰に差していた剣を引き抜く。リュウコと一緒に拾った、黒い柄に鋭い刃のそれを校長が受け取り、まじまじと見つめる。
「刃や柄の材質は鉄ではないようですね。軽いのに丈夫で、なんというか、他の刀剣とは違うオーラがある。――これはどう見ても、国宝級の代物です」
「ふぅん。やらんぞ」
「いりません。というより、リュウコちゃんと何かしらの関係があると推測できる以上、剣とリュウコちゃんは常に一緒である方が好ましい。それもあなたが持っていてください」
「ふふん。まさか学校の中間試験でここまでの褒美がもらえるとは。俺様、やはり運命に愛されてるな。このまま学校を卒業する頃には、世界制覇出来てたりして」
「せかいせーは?」
言葉の意味がわかっていないらしいリュウコは、そう繰り返す。
「目に映る景色、まだ知らない場所、そのすべてが俺様の物になるってことだ」
「おー……」
リュウコは、それでもまだ意味がよくわかっていない物の、なんとなくすごそうだと言う事だけは理解し、感心した様に頷いていた。
「まあ、とにかく話は以上です。もう帰って結構ですよ」
「そか。うっし、帰るぞリュウコ」
「はーい!」
校長室の扉に手をかける遊乃、しかし、何かを思い出した様に校長へと振り返る。
「あ、ばあさん。次は茶と茶菓子用意しとけよ」
それだけ言うと、二人は校長室から出て行った。
取り残された校長は、大きく溜息を吐く。なんだあの生徒は。無礼な口を聞けば成績が落とされるとか、そういう事は考えないのか、と。しかし、それは彼女の校長としてのプライドが許さないし、実際にそうされる事はないのだが。
「……お茶菓子、羊羹でいいかしら」
自然、校長はそう呟いていた。
■『用語解説』
・『中間試験用ダンジョン』
かつて空世界を切り開いたトランフル王が最後に強大な敵と戦ったダンジョン。リュウコと遊乃の破壊活動により、使用不可能になった。
・『ドラゴン』
最も強大な力を持つというキャファー。その存在はほとんど目撃されたことがないのだが、一度発見されれば業界全体が揺れるほどの脅威。