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第8話 異空間トイレ

 トイレといえば、人間が生活する上でもっともリラックスするべき場所である。


 特に日本のトイレが世界に注目されているらしき昨今、トイレが我々人類にもたらしてくれるサービスは多種多様となっており、勝手に開いてくれる、勝手に流してくれる、勝手に除菌してくれるなど、ちょっとこちらが引くぐらい進化しているんじゃないかと思う。


 ちなみに、我が家のトイレはタンク式。

 十五年ほど頑張ってくれているのだと母が言っていた。


 母方祖父母宅も我が家と大体同じなのだが、どういうわけか父方祖母宅には古い和式トイレが今も残っている。


 足腰の弱くなった祖母がその和式トイレを使うことなんてもうないけれど、子供たちが遊ぶ部屋のすぐ近くにあるトイレだったため、私や従兄姉たちはよく使う羽目になったものだ。


 昼間でさえどことなく怖いその雰囲気。

 木造の古屋はすきま風でぎしぎしと音をたてる。


 そんななかでもっとも無防備な状況に立たせられるのが、その和式トイレだった。


 いたずら好きの従兄姉たちは、私が怖がるのを面白がってわざとトイレにまつわる怪談をやたら集めてきたり、私が入っているときにピンポンダッシュならぬノックダッシュをしたものだった。


 そんな幼少期であった為だろうか。

 トイレという場所と、怪談の組み合わせには、軽く殺意を覚える。


 そう、バタコが案内したのは、私たちが案内されたフロアの女子トイレだった。


「よっし、じゃあ、とりあえずまずは、このトイレの右から二番目を四回ノックしてから開けてみて」

「いや、ちょっと待とう! なんかすごくガチッぽいんだけど!」


 心なしか現場の空気も悪いような気がします。


「と、とりあえず、レッド=ドラゴン。貴女がノックしてみてはよいのではなくて?」


 なんて言いながら私から目をそらす小雨ちゃん。


 怖いんだね。

 心霊系は駄目なんだね。

 気持ちすごくわかるよ。


 いや、分かるからこそ。


「小雨ちゃん、此処はじゃんけんと行こうじゃないか。平等にいざ――」

「ブラック=レインとお呼びなさいったら! それに、しないわよ、じゃんけんなんて」


 そりゃあ、残念だ。


「だいたい、私の属性は電気。トイレを壊したらどうするのよ!」

「それ言ったら、私なんて炎だよ! 火事になるよ! 犯罪者だよ!」

「二人とも早くしないと歌う時間なくなっちゃうよー?」


 ああ、元はと言えばバタコが仕事なんて持ち込むから……!


 そんな不満をグッと呑み込んで、私はいっちょ深呼吸した。


 うん、トイレ特有の芳香剤の匂いがする。

 あんまりいいものではないが、ちょっと落ち着けた。


「バタコ、此処をノックしたらどうなるわけ?」

「ふふふどうなるでしょう?」


 コンコンコンコンッと。


 バタコの相手なんかしてたら日が暮れちまう。

 こうなりゃ幽霊でもなんでもどんとこいだ。


 こんなことさっさと片付けて私は早くデンモクを操作したいんだ!


 しんと静まる空気のなか、私はただただ状況の変化を待った。


 ……。


 ……。


 ……あれ?

 何も起きな――


 カチャッ。


 突然の物音に心臓が止まりそうになって軽く過呼吸を起こしそうになったわけだけれど、それはともかく、何が起こったのかを説明しよう。


 鍵が開く音がしたッ!


 え、鍵がかかっていたの?

 中に人がいるの?

 どっちでも怖いんだけど、どんな罠なのこれ!


 だって想像してごらん。

 もしも、この中にいるのが幽霊だったら。或いは、もしも、この中にいるのがごく普通の一般人だったら。


 前者だったら普通に怖いし、後者だったら社会的に怖い!


「マナ、開けてみて」


 バタコはここぞとばかりに容赦なく背中を押す。


 ええい、ままよ!


「たのもう!」


 威勢よくトイレの扉を開けた私。


 洋式の便座は大手メーカーの清潔そうな製品。

 だが、私たちを待っていたのはトイレだけではなかった。


 便座の上に座り、口元にニヤリと笑みを浮かべる人物が一人。


 ごく普通の人間であるわけがない、全身真っ黒の影のような姿の人物だった。


「いらっしゃい、お人形さん方」


 女子トイレにあるまじき男性ボイス。

 それも、いい年のおっさんのような声だ。


「こいつが影の住人よ! さっさとぶっ倒して送還してやって!」


 ぶっ倒してって、こんな狭いなかで炎の剣振り回して大丈夫なのか!?


 そんな素朴な疑問に囚われていると、影の住人がふと片手をあげた。


 その途端、トイレ全体の空間が歪んだ。


 ちょっとお洒落な壁と照明によってもたらされるリラックス空間は見る見るうちにぐにゃりと変化し、やがて、万華鏡の中身のような極めて非現実的な世界へと変わってしまった。


「な、なにこれ! どうなってんの!」

闘技場(バトルフィールド)ね……。あいつ、本気で私たちを潰す気よ」

「小雨ちゃん……」


 闘技場(バトルフィールド)って……そんな……。


 普通に闘技場って読んじゃ駄目なの?

 バトルフィールドって片仮名表記じゃ駄目なの?


「どうだい、これでトイレも壊すことなく戦えるだろう?」


 そんな細かい引っ掛かりなんてさておき、影の住人のおっさんはヤル気満々だ!


 それならもたもたしてらんない。

 こうしている間にも、フリータイムはごりごり削られているのだから。


「小雨ちゃん……いくよ!」


 いつもの要領で剣を抜きつつ意気込む私に、小雨ちゃんはニヒルに笑って言う。


「ブラック=レインって言っているでしょう?」


 先に走り出したのは小雨ちゃ……いや、ブラック=レインだった。


 素手のまま走り出したかと思えば、軽々と歪んだ地面を蹴り飛ばして宙に舞う。


 直後、155センチほどのやや小柄な身体は大きく歪み、しなやかな野生美ボディが自慢の大型猫科動物へと変わった。


 雌ライオンをスリムにして、少しチーター寄りにしたような美しさ。


 真っ黒な毛並みの光沢は、誰もが見とれて毛皮に欲しがるだろうと危惧されるほど。


 さらに、その目の全ての人間どもを見下すような鋭さに、私の中の淑女的素質が歪んだ形で開花してしまうこと間違いなし。


 マナ、女子高生十六歳。

 お父さん、お母さん、娘は順調に年を取っているようですよ。


「ちょっとレッド・ドラゴン! ブラックレインにちゃんと付いてきなさい!」


 バタコによって真面目に怒られたのでこのくらいにしておきましょう。


 小雨ちゃんケモノフォルムはとっくに影の住人に躍りかかっている。


 端から見れば、人型の未確認生命体が猫科と思われる新種の動物に食い殺されそうになっているという何から何まで大スクープな状況。


 きっとこれをビデオに撮ってネットにあげたとしても、糞合成乙としか思われないだろう。


 ていうか、あのおっさん、どう転んでも猛獣でしかない今の小雨ちゃんと対等に戦っている……だと……!


「マナ! 援護して!」


 慌てて駆け寄り炎の剣をお見舞いしてやったところ、激しい炎が上がり、危うく小雨ちゃんまで丸焼きにしてしまいそうになった。


 一応、小雨ちゃんも人形だからそのくらいじゃ死なない訳だけど、そういう問題じゃないよね。

 いっけね。


「ぐあぁぁぁ、熱い……熱い……っ!」


 トラウマになりそうな断末魔をあげるおっさん……しかし、それもつかの間のこと。

 突然、突風が吹き荒れ、炎を連れ去ってどこかへ行ってしまった。


 驚いてその場から逃れる私たち。

 それを見つめる残されたおっさん。

 あんなに炎に包まれていたと言うのに、無傷だ。


「残念だったな、お嬢ちゃん。俺には炎なんて効かねえんだ」


 な、なにー?


 どうなってるんだバタコ!

 属性は仕事に関係ないんじゃなかったのかー?


 よく分からないけど、つまり私は、あと少しで仲間をむやみやたらと傷つけるだけの結果を産み出すところだったのか。


「ちょっとレッド=ドラゴン! あなた、レベル低すぎよ! だから序盤の経験値稼ぎは大事だって言ったでしょ!」

「聞いてないよ! だいたいこれ、RPGじゃないでしょ! なんなの、経験値って!」

「経験値は経験値よ! 場数を踏めば、なんとなくどう動いてどう力を使えばいいかわかるでしょう!?」


 人形先輩の小雨ちゃんにそれを言われるとぐうの音も出ない。


 なるほど、どうやら今の私にはあのおっさんを倒すのは不可能のよう。


 よっし、それなら!


「小雨ちゃん、それなら私が援護するから小雨ちゃんがぶった斬るんだ!」

「ブラック=レインって言っているでしょう! ていうか、なんであなたが偉そうに指示してるのよ! ふん、でも仕方ないわね。そうしてやるから、ちゃんと援護しなさい」


 そう言ってケモノ姿のまま高圧的に私を見つめる小雨ちゃん。


 ああ、そのショット、とてもいいです。


「行くわよ!」


 再び走り出す小雨ちゃんを追いかけ、炎の剣に念じてみる。


 バタコの仕事がないときだって、なにもしてないわけじゃない。


 剣から産み出した炎を自由に操る術だって完全ではないけど習得済みだ。


 おっさんの逃げ場を炎で封じる間に、小雨ちゃんはケモノの姿のまま真正面から迫った。


 此処まではさっきと同じ。


 さきほどと同じようにケモノの小雨ちゃんの攻撃を交わしつつ、素人目には頼りなさげに見える棒状の武器で対等に戦う。


 その真横から出せる限りの高速で斬りつけたものの、これは封じられてしまった。


 だが、私の狙いはこの不意討ちのような一撃ではない。


「かかったなぁ!」


 私が囮となっている隙に、即座に人間に戻り雷の剣(通称は忘れた)を抜き出す小雨ちゃん。


 慌てておっさんが振り向こうとしたが、もう遅い。


「冥界の王によろしく」


 決め台詞と共に閃光と雷鳴が轟いた。


 そして、おっさんは、何度か口をパクパクさせてから呆気なく倒れ、そして塵となって消えていった。


 ここでフォローしておきたいことと言えば、私たちは決して彼を殺したわけではなく、飽くまでもあちらの世界に帰って貰っただけであるということくらいかな。


 さて、辺りが不安定な幻術の世界から、常識的な女子トイレに変わると、今回のMVPであるブラックレインは剣を手放して吐き捨てた。


「マナ」


 あ、もうブラック=レインじゃない。

 小雨ちゃんだった。


「明日は特訓よ。覚悟なさい」


 きっと拒否権はないのだろう。

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