第7話 カラオケボックス「四面楚歌」
映画館と言えば、一つの怪談が頭を過る。
かつてシネコン旋風が吹き荒れるより前、我れらが市の住民たちは街の中心にある四つの映画館をよく利用していた。
人気作の上映のときは、チケットを買うだけでも長い列に並ばなくてはならず、もはや長期休みの風物詩だった。たぶん。
しかし、四つの映画館の一つは、人気作ではなくややマイナーな映画ばかりを上映している変わった場所だった。
ピンポイントでそこでしかやっていない映画も案外あったのは覚えているのだが、実際にそこを利用したとなるとそれはもうかなり前だった気がする。
そうこうしているうちに、世の中はシネコンの時代に移り変わり、昔からの映画館はどんどん息を潜め、人々はいつ閉まるだろうかと囁きあっていた。
もちろんマイナー映画館も同じである。
そんな頃、私は時のクラスメイトから、マイナー映画館にまつわる怪談を半ば強制的に聞かされた。
人の少ない時間帯。
五人の客が映画を観にやってきた。
巨大なスクリーンにだだっ広い空間。
かつては人気作も多々上映していたためか、立ち見客が極力出ないようにと作られたその場所でたったの五人。
座る席は決まっているわけではないが、なんとなく全員が一番後ろの席に座ったらしい。
そのまま映画の世界に浸っていた五人だったが、その映画の終盤、五人はふと一番前の真ん中の席に人がいることに気付いた。
なんだ、六人目がいたのかとその時は軽く流したのだが、映画が終わり、劇場が明るくなってみれば、五人以外の人間など何処にもいなかった……というものだ。
ありがちな話かも知れないが、何しろその映画館の晩年の寂れ具合は印象的だったため、ずっと頭に焼き付いて離れない話となっていた。
さて、どうしてそんな怪談を思い出したかというと、もちろん、映画を観にいったから、なのだが、問題はそこではない。
時代はシネコン。
当然のように指定席のチケットを買うスタイルに慣れてきた今日この頃、あの寂れた映画館はもうない。
本日、私が幼馴染みでなんと人形仲間であった小雨ちゃんと行ったのは、駅周辺のシネコンであって、件の劇場ではない。
しかし、映画が終わり、まだまだ日も暮れないなか、娯楽の少ないこんな地方都市で何が出来るのかと二人で模索した結果、辿り着いた場所は、どうしてもその怪談を思い出させてしまうものだった。
劇場跡地。
カラオケボックス・四面楚歌。
ここだ。
ここがあの曰く付きの映画館跡地にできた新しいカラオケ屋さん!
「マナ? どうしたの、早く入りましょう」
ノーマルモードの小雨ちゃんにせっつかれながら入店した私を、得たいの知れないキナ臭さが出迎える。
いや、そもそも何だよ四面楚歌って!
どんなネーミングセンスしてんの!
いったい何があってこんな名前になったのこの店!
「へいらっしゃい。お客さんお二人かい? あいにく人気機種は埋まってんだ、悪いねー!」
店員さんはやたら元気だった……っていうか、これ、完全にカラオケ店員の態度じゃないよ。
ちょっとここおかしいよ、小雨ちゃん。
「別にいいわ。二番目に人気の機種で十分よ」
小雨ちゃん普通に受け入れてるし。
私の頭が固いのか?
「よっしゃ、二番目の機種一丁!」
丁じゃないよ!
カラオケの機種は丁じゃないよたぶん!
「時間はどうしますかい?」
「フリー……でいいのよね? ソフトドリンク飲み放題付きで」
「あ、うん」
私は小心者だ。
結局何一つ突っ込むことも出来ないまま、突っ込む気配すら見せずに伝票を受けとる小雨ちゃんに倣うしかなかった。
「あれ? あの、すみません」
受け取ってすぐに小雨ちゃんが受付のお兄さんに訊ねる。
「3人ってなってるんですけど……」
「はい? いや、だって……あっ――」
え?
「……あっ! はい、すいやせん! うっかりしてました。二名様ですよね!」
ちょっと待って、色々とおかしいよこのカラオケ店!
いや、店員とかキナ臭い内装もだけど、そうじゃなくて、なに今の意味深な反応!
「すまんねえ、お客さん! お部屋は404だよ! 心行くまで楽しんでちょうだい!」
いや、全然楽しめる自信がないのだけど……!
しかして、私と小雨ちゃんは曰く付きのカラオケ店「四面楚歌」の、不吉なナンバーの部屋に向かうはめとなったわけだ。
沈黙に包まれたエレベーターにて、小雨ちゃんはそっと言った。
「大丈夫。怪奇現象なんて気のせいか科学的なものか影の住人のせいだから」
心なしかその声に戸惑いが見られるのだけれど、そうだ、きっと気のせいだ!
幽霊なんてそんなまさか私がそんな目に遭うなんてそんな。
ん、まてよ。
今、小雨ちゃんが言ったように、怪奇現象の幾らかは影の住人の仕業だ。
私はすでに数えるのをやめるくらいの住人たちをぼこぼ……失礼、丁重にお帰り願ったわけだが、確かに彼らの周りでは怪奇現象の噂が耐えなかった。
自分の影が笑った。
奇声が聞こえる。
人魂が飛び交う。
など、バリエーション豊富なのだけど、特に多いのは、不審な人影の目撃だった。
通常ではあり得ない位置にて通行人を見下ろし、その精神を汚濁していたのは、幽霊なんかではなくて、影の住人であったのだ。
現れては消える、というのは、力ある影の住人ならば可能な能力でもあるらしい。
なるほど、じゃあ、ここで目撃されていたのもきっと影の住人だったんだ。
そういうことにしておこう。真偽なんてどうでもいいから、そういうことにしておこう。
さあ、そんなことは置いといて、カラオケだカラオケ。
どっぷりと歌うのは春休み以来だ。
小雨ちゃんと二人きりなら五時間とか余裕で過ぎ去るだろう。
ちょうど歌いたい曲も増えたところだったんだ。
よっしゃあ、張り切って――
「マナ! ブラックレイン! 待っていたわ!」
出鼻をくじく声が上がったのは、エレベーターを降りて真っ直ぐ四〇四号室に入った矢先のことだった。
バタコ。
頭数に入っていないはずの彼女がソファの上に漂いながら当たり前のように私たちを迎え入れるとは何事だろうか。
ていうか、何故ここにいる。
「驚かないでちょうだい。私だって腐っても影の住人。密閉された空間にひょいっと侵入するくらい朝飯前よ」
怖い。
「そんなことよりも二人とも! たった今この娯楽施設で毒にもならない自己満足の時間に浸ろうとしているあなた達に最適な話を持ってきたわ!」
ちょ、ちょっとひどくない?
この蝶々、カラオケになんの恨みがあるの?
「最適な話? まさか仕事じゃないでしょうね」
あからさまに不機嫌な態度で小雨ちゃんがバタコを睨んだ。
しかし、能天気なバタコにそんな睨みが通用するはずもなかった。
「そのまさかよ! 喜びなさいあなた達! 働けることは素晴らしいことなのよ!」
「そんな、私も小雨ちゃんも完全オフのつもりだったんだけど!」
「そうよ! 仕事なら他の人形を探しなさい!」
「そうしたいのは山々なんだけど、仕事のためだけにここに不法侵入させるのはさすがに手間がかかるでしょ? さくっとやってちょうだいよー」
うーん、確かにそれもそうな気もする。
「今回は迷惑料として+二千円の底上げもしちゃうわ」
さらなるバタコの後押しに揺らぐ私たち。
ああ、こうして迷っているうちにも貴重なフリータイムがごりごり削られていく。
「仕方ないわね。そこまで言うのなら、私、ブラックレインとレッドドラゴンでやるしかないようね」
あ、小雨ちゃんのスイッチが切り替わった。
「案内しなさい、バタコ!」
「それでこそ暗黒の獣ブラックレイン! オッケー、ついてきてちょ!」
勢いよく部屋を飛び出すバタコ。
そしてそれを追いかける私たち。
とりあえず、さっさとやっつけてカラオケをさせていただこう。