第4話 クリスタルソード
時間に余裕がある時とかに借りたDVDとかを返却すると、ついうっかり長居して次に借りるものを物色してしまうことはないだろうか。
もしもここで沢山の同意を得られたならば、私は暫定無罪ということになるだろう。
いや、なったところで過ぎ去りし時の失敗は消せない経歴となる。
何が言いたいかというと、暗くなる前にDVD返して家に帰るはずだった私がレンタルビデオ店を出たとき、手にはしっかりとアニメの続き+小学生の頃は怖くて観られなかったホラー映画が入っていた。
そして、そんな私を見下すように迎えるのは、涼しげな夜空。
しまった!
夜になってしまった!
思い出すのはバタコとの会話。
そして、「02#9」という今となってはそら恐ろしい文字。
夜といっても真っ暗なわけではない。
だが、いつも通りなれた道がまるで異界にでも繋がっているかのように禍々しいのは何故だろう。
「いやいや、考えすぎだよな、きっと」
そう思うことにして、歩み出す。
大丈夫、私には「赤い竜」がついているのだから。
いざとなれば、……なんだっけあの、紅蓮じゃなくて、そうそう、煉獄だ。
いや、逆だ、堕煉獄だ。
まあつまり、堕煉獄を呼び出して戦えばきっと大丈夫。
レベル9とか言ってた気がするけれど、あまり深く考えないことにしよう。
そもそも、会わなければいいのだ。
ここは、自分の強運を信じようじゃないか。
と、まるで何かの前振りのようなことを思いながら足早に進むこと数分。
やや暗めの外灯の照らす夜道の曲がり角で、私は風変わりな容姿の女性と鉢合わせてしまった。
長髪、青いドレスワンピ、赤いヒールに、可愛らしい蝶々の髪留め。
ぶつかりそうになるその一瞬で伝わってきたのは、そんなフェミニンたっぷりの特徴だった。
大人のお姉さんという言葉が似合う。
「す、すみません……!」
慌てて謝りつつちらりと見えた顔は、恐ろしく整っていて驚いてしまった。
これは小雨ちゃんといい勝負かもしれない。
美少女がいいか、美女がいいかの違いってだけで。
と、青いドレスワンピのお姉さんは、まじまじと私の顔を見つめてきた。
大きな瞳に見つめられて、なんだか恥ずかしくなってきた。
モデルと言われてもなっとく出来る美しさ。
ヒールを考慮しても背が高いしね。
「あなた……この辺の人?」
その容姿にぴったりな美しい声で訊ねられ、私は若干照れながら頷くしかなかった。
それにしても、何だろう。
道にでも迷ったのだろうか。
「この辺に詳しい? ちょっと道を聞きたいのだけど……」
「あ、はい、いいですよ。何処ですか?」
って、ああ、しまった。
美人だったからついつい安請け合いしてしまった。
なんか今さら断りづらいし。
……まあいいや、仕方ないね。ここは強運を信じよう。
「ありがとう、助かるわ。日の入りの丘って言われている場所らしいんだけど……」
日の入りの丘。
なるほど、ここからさほど遠いわけではないけど、人気のない寂しい道だ。
そんな場所になんの用事だろう?
待ち合わせでもしているのだろうか。
「大丈夫かしら?」
「あ、はい、分かりますよ。こっちです」
まあいいや。
別に遠回りになるわけでもないし。
とにかく、そんな経緯で、私は青いドレスワンピのお姉さんを日の入りの丘まで案内することになった。
この時、バタコが一緒にいてくれれば、この先の出来事も大きく変わっていたのだろうなと想像できる。
でも、今の私はそんなこと知るよしもなくて、とにかくこの美しいお姉さんに媚びるような思いで、馬鹿正直に人気のない寂しい場所へと案内したというわけだ。
言われた通りの場所は長い坂のわりに外灯が一つといつ何か起こりそうな気配ぷんぷんの場所だ。
ちょっと前に怪奇現象の噂を聞いたりもしたけれど、あれはきっと影の住人の仕業なのだろうなと今なら分かる。
それはさておき、現場についたわけだが、お姉さんは一体全体なんの目的でここに来たがったのか。
「ありがとう、ここね」
そう言って頼りない外灯と月光に照らされながら、こつこつとアスファルトの上を歩く。
その背がとても優雅だ。
学校にあんな先生とかいたらいいのに。
ま、役に立てたのなら何よりだ。
「じゃあ、私はこれで……」
気恥ずかしさを隠すつもりで言い逃げようとした時、ふとお姉さんが振り返って笑みを向けてきた。
お礼を言ってくれるのだろう。
普通ならそう考えるんじゃないだろうか。
私も当然そうとしか考えなかった。
しかし、そのお姉さんがスッと腕を横に払った瞬間、全く予想しなかった現象が起こり、ぽかんとしてしまった。
お姉さんの手に握られているのは、刀身の長い剣。
柄も刃も透明感があってとても美しい芸術作品のようだ。
って、感心している場合ではない。
あれ?
どうしてだろう?
さっきまでこのお姉さん、あんなもの持ってなかったと思うのだけど。
「改めまして、案内ありがとう。『赤い竜』さん」
赤い竜?
いま、赤い竜って呼んだ、私のこと?
もしかして、同業者?
こういうとき、真っ先にポジティブ方面でしか想像が働かないのは長所なのか短所なのか自分でも分からない。
「名乗り遅れたけれど、私の名前は藍。藍色の藍。あなたのような人を探していたの」
藍。
青いドレスワンピがよく似合うお姉さん。
いや、赤いヒールも似合っておるのですが、問題はそこじゃない。
私のような人って一体なんだ?
コツコツと音を立てて藍はこちらに戻ってくる。
手には半透明の剣が握られたまま。
「この剣はね、クリスタルソードといって、水の精霊ウンディーネの力が宿っているの」
まずい、いきなり置いてきぼりにされた。
えっと、クリスタルソードってのがあの半透明の剣の名前で……。
「『赤い竜』……あなたの剣は炎の精霊サラマンダーの力を宿しているのだったわよね。つまり、相性では私の方が有利」
え? え?
ちょっと待って!
相性って何!?
私の剣ってのは堕煉獄のことでしょ?
炎が刃だから、炎の精霊の力が宿っているのはどうにか理解できるとして……相性ってなに?
相性があるの?
「そんなのバタコは教えてくれなかったよ!」
うっかり嘆きを口に出してしまった。
そんな私を藍は麗しい微笑みで見つめる。
「そ、そもそも」
失礼ながら指を差して、深くは訊ねたくない部分を突いてみた。
「そもそもあなたは何者なんですか? 人形なの? 人形の先輩なの?」
「そうねえ、訳も分からないままだと不公平よね」
軽やかなステップで藍は歩き回る。
逃げるなら今な気がするけれど、場の空気に飲まれてまともに動けない。
「不老不死はあなたたちと一緒。ただし、私たちはハートを持たない。私たちの役目は、ハートを探し出して食べること。この世界が終わらない限り、延々と生まれ変わるハートを見つけ出して捕まえるのが役目」
つまり……。
「私はダイモン。この町のハートを集めに来たダイモン。あなたに宿る『赤い竜』、私にくださらない?」
頭をよぎる「02#9」の文字。
今まで感じたこともないような緊張が走る。
私の強運は幻想だったのだろうか。
この町にいるという十名ほどの同業者の代わりに、いま、私が犠牲になろうとしている。
ああ、だから、こんな人気のないところに案内させたのか。
日の入りの丘って場所をはじめから知っていて。
「どうするの? 抵抗しないなら優しくしてあげる。それでも死にたくないなら、かかってきなさい」
どうするべきか、なんて決まっている。
せんと――。
いや、待てよ。
降伏か戦闘かだけじゃない。
さりげなく今、逃亡の選択肢が抜かれていた。
「早く決めなさい。剣を抜くか、否か」
ええい、どちらにせよ、私に必要なのは爪と牙だ!
「出てこい! 堕煉獄っ!」
若干近所迷惑な猛り声と共に剣を呼び出す私。
願い通り炎の燃え盛る剣が出てきてくれたのはともかく、なぜだか藍は不思議そうに私を窺った。
「堕……煉獄? あなた、その剣に名前を付けたの?」
えっ?
ああ、まずい。
こんな状況下であらぬ疑いをかけられている。
「いや、違うんです。堕煉獄って名前なんだってバタコが……」
「『赤い竜』の剣でしょ? それって名前はなかったはずよ。せいぜい、火焔の剣かサラマンダーの剣。堕煉獄なんて呼んでいる子、あなただけよ」
は、恥ずかしい!
戦闘開始と共にとんでもない精神攻撃を食らってしまった!
ちょっとバタコ、どういうことなのこれ!
話が違うじゃない!
っていうか、何処にいるのバタコ!
まだアニメの生放送みてるの?
私の代わりはいくらでもいるの?
そういうことなの?
「ま、何にせよ、剣を出したってことはそういうことね。それなら容赦はしないわ。生まれてきたことを後悔させてあげる」
なんか凄くバイオレンスなこと言われたけど、怯えては駄目だ。
生き延びるには自分がしっかりしなければ。
此処から家までの距離は約300メートルほど。
五分もかからない。
よし。
「バトル、スタート!」
藍が綺麗な声でそう言ってクリスタルソードを掲げると、向かい合う私と藍の退路が氷柱で阻まれた。
え、ちょっと待って。
逃げられないの、この戦闘!?
まるでセーブし忘れたままフィールドボスに挑むはめになった勇者(小学生)のように、私は絶望していた。
お願いします神様仏様。
もっと私に不老不死の希望や絶望を味わわせてください。
なんて思っているうちに、藍はかかってきた。
こうなりゃ、一か八かだ!
私は堕煉……じゃなくて、サラマンダーの剣、いや、もう炎の剣でいいや、炎の剣を構えて迎え撃った。
甲高い金属の音が響き渡り、細腕からは信じられないほどの怪力が私を捩じ伏せようとしている。
それだけじゃない。
クリスタルソードと炎の剣の噛み合う当たりで、じわじわと炎の勢いが衰えていっているではないか。
ああ、そういえば、相性とかなんとか言っていたっけ!
「降伏しなさい、赤い竜!」
「いやです! 死にたくない!」
思いの丈をぶつける思いで炎の剣を払い、クリスタルソードごと藍のバランスを崩す。
とっさの力だったけれど、藍はやや驚いた様子で身を引き、注意深くこちらを窺った。
「あなた、何か剣術でもやってるの?」
「へ? いや、別に……」
「そう。なら、天性の才能ってやつかしら?」
マジで?
私、才能あるの?
ちょっと嬉しいんだけど。
「まあ、そうは言っても、力ずくじゃ何にもならないけどね」
また来る。
つばぜり合いが何度も続いたらさすがにまずい。
だいたいあのお姉さん、身長もあるし、馬鹿力みたいだし。
いやでも、考えてみたらこれ、どうやって逃げたらいいんだろう。
左右は崖と崖。
前方と後方は氷柱で塞がっている。
氷……。
この炎で溶かせられないだろうか。
藍の攻撃をかわしながら、私は前方の氷柱を目指し、思いっきり炎の刃を叩きつけてみた。
溶けろ!
しかし、無駄だった。
デスターンだった。
操作ミスというか、初見殺し甚だしい。
氷だと思っていたその柱は、なんと氷ではなくて水だったのだ。
やばい、炎の刃が蒸発しちゃう。
「残念でした!」
藍の追撃をどうにか受け止め、私はさらなる逃げ道を探した。
ない。ないよ、逃げ道。
どうしたらええのん。
そんな時だった。
「そこまでよ、ダイモン!」
夜空に響き渡る第三者の声。
逸らされる藍の注意。
その隙をついてクリスタルソードを振り切って距離をとる私の元に、唯一閉ざされていない空から一匹の蝶々が舞い降りた。
バタコの参上である。