夏の縁側
これは作者の実体験も含んだ話です。
読者の皆様にも話の中に出てくる老人を通して夏の風情を感じてもらえたらと思います。
ふと気が付けば、肌に日差しが当たって、じりじりと肌が焼けている感じがする。服装だって、七分丈や半袖を着ることが多くなった。これからまた、もう何度目か分からなくなった、夏が始まる。
小学生の頃の夏休みといえば、川や海で泳いだり、山に虫を捕まえに行ったり…しかし気が付けば、最終日で宿題は真っ白なんていう思い出があったりする。もちろん、私もこのタイプであった。夏休みを有意義に遊ばないで、宿題をこなしている人を見ると、すごいなと感激したが、その反面、勿体無いことをしているなと思った。そして、むしろ自分の中で宿題を最終日にまとめて終わらすことこそが夏ならではのことだと決めこんでいた。だって、宿題は待ってくれるけど、夏休みは待ってはくれないから。中学生や高校生になると、成績によって進学の範囲が決まるので、さすがに遊んでばかりもいられなくて、配られた教科から順に終わらしていたけど。
大学生のときは、長い夏休みがあった。友人と少し遠出をして、旅をしたこともあった。
働き出してからは、夏休みなんてものはなかった。労働者にとって夏休みは、お盆休みくらいのものだ。
それもこれも全て昔のことに過ぎない。次から次へと懐かしい思い出を大切に反芻していく。
そうしていると、もうずいぶん前の思い出のようにも、ごく最近の出来事であったかのようにも思える。いつだったか、歳を数えることをやめてしまった私の肌はシワだらけだ。昔はふさふさだった髪の毛も…残念ながら、シャンプーをつけて洗うことも叶わない。記憶だって、ふとした瞬間に曖昧になってしまう。唯一、耳だけは確かなままだ。
年老いた私は、近年の夏は決まってこう過ごすことにしている。
中庭の小さな池がある縁側に座り、お気に入りのビードロガラスの風鈴と、青銅の風鈴をふたつ並べて吊るす。すると、夏風に短冊が吹かれ、風鈴はチリンチリンと軽やかな愛らしい音を奏でる。
昼間は、スダレを立てかけ、その影で涼み、蝉の声に少し夏らしい暑さを感じる。夕方は、ヒグラシの鳴き声が聞こえる。この声が聞こえ出すと蚊取り線香の出番だ。蚊取り線香に火を付けて蚊取り豚の中に入れると、細い煙が蚊取り豚の鼻を通って、ゆらゆらと緩やかな線を描いては、空に消えていく。夜は目を閉じて、耳を澄ますと、草むらから鈴虫の声が聞こえる。
縁日の日などは、花火が見える。どどーんと大きな音を立てて作られる火薬の花は、絶景以外の何者でもない。しかし、すぐに消え、煙になるこの花は儚い美しさを持っている。
そんな風にして、夏を楽しんでいると、中庭の紅葉が紅に染まり始め、夕暮れどきには、赤トンボが飛び始め、秋の訪れを感じさせるのだ。
いかがでしたでしょうか?真冬なのにあえて真夏のお話。矛盾していますが、これには訳があり、もともとは別の用途のために作った話でした。
この作品はWordソフトで一枚に収まるとても短い話です。
ただの文字の羅列に見える方もいらっしゃるでしょう。しかし、何度か読むと、数分で読めるのに、きっと長い夏を過ごした気分になるでしょう。