表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/7

香辣坦々麺。

よろしくお願いいたします。

今回の話の挿絵を描いて頂いたお友達で神絵師の貝木シノさんに深い感謝を申し上げます。

絵からインスピレーションを頂き、話を書くという私達の離れ業をお楽しみいただければ幸いです。


中出大学の大教室にうららかな陽射しが差し込んでいた。

春がすぐそこまで来ている。そう感じさせる暖かい気温だった。

「た、足りん……」

ジェシカ=マルティネスは大教室の最前席で成績表を開き、絶望していた。

「あと何単位足りないの……?起きてる時間全部講義受けても……そっか、守衛と教授を叩き起こして寝ている時間も使えば……」

追い詰められると人は訳のわからない事を口走るが、この時のジェシカはまさにそれを体現していた。そのようなジェシカに音もなく忍び寄る影があった。

「ジェシカ」

「うわ!びっくりした!トム、あんたそれやめなさいって言ったでしょ!ニンジャ気取りも大概にしなさいよ」

ジェシカの憤慨に意を介することなく、トムは優しく微笑む。

そして、ジェシカの肩にポン、と手を置いた。

「足りなくても良いじゃないか。確かに人種的にちょっと発育がたりないなとは思っていたけど女性の価値は胸なんかじゃn」

轟音が響いた。


その時、大教室に居た学生に話を聞いてみると次のような事が起こっていた。

ゴリラ……あ、違う、ジェシカさんは最前席に座ってましたね。

トム君もいたのでなんとなく何が起こるかはわかっていました。

他の皆も慣れたもので彼らの射線上には立たないようにしていたので被害者はゼロでした。

強いて言えばトム君くらいですかね、被害者は。

まあいつもの事ですがジェシカさんがトム君を教室の最前席から一番後ろの壁まで殴り飛ばしたんですね。

驚いた事が二つあって、まず彼女、座ったままであの距離を飛ばしたんですよね。

どんな膂力しているんだよって目を疑いました。

その上、教室は後ろに行くにつれて階段を上がる形になっているんですね。

距離もそうだけど物理法則を無視した軌道で高さも出ている訳ですよ。

飛ばす方もそうですけど、飛ばされた方もピンピンしてるんですよ。

トム君、壁にめり込んでも数秒後に何食わぬ顔で後ろのドア開いて鼻歌交じりに出ていくんですよ。

いやー、マジでどちらも人間とは思えません。


「足りないのはあんたの頭よ」

砂埃で確認出来なかったが手応えはあった。

ゆっくりとフォロースルーを取っていた腕を下ろし、ジェシカは帰り支度を始めた。

慣れているとはいえ、学生達も壁に人がめり込む出来事は無視できなかった。

周囲の視線を気にも留めず、ジェシカはカバンを掛けて教室前方の出入り口に向かう。

そして、扉に手を掛けて開けた。

「で、何が足りないんだい?」

後方の壁に埋め込まれたはずのトムが平然と立っていた。

「き、気持ちわる!」


「き、気持ちわる!」

中出大学G館7階、ビル=ホイット=バイヤークの教授室でジェシカはトムに浴びせた一言と同じセリフを吐いた。

初老の男性が椅子に座り、高速で回転しながら一心不乱に抱えたバーレルからフライドチキンを取りだしてむさぼり食らっていた。

ビル=ホイット=バイヤーク。トムとジェシカが所属するゼミの担当教授である。眼鏡を掛けており、優雅さを感じさせる白髪を丁寧に撫で付けている。

ただでさえカー○ル・サンダースに似ている風貌がチキン・バーレルを抱えているとさらに酷似していた。

「おや、ジェシーにトムじゃないデスカ。どうしマシタ?」

戸口に立つ二人に気付いたビルは高速回転とチキン咀嚼を継続しながらキャスターを滑らせて近づいてくる。

ホラーさながらのショッキング映像だった。

「気持ち悪いからどれかをやめろぉ!!」

「そうは言いますがジェシー、私も仕事中なのデス。長年このスタイルで思考をまとめてきたので今更やめられマセン。あ、おひとついかがデスカ?」

「見ているこっちが吐きそうだからいいわ。回転速過ぎて取れないし」

「ジェシカ、そろそろバイトの時間だよ」

「そうだったわ。時間ないから単刀直入に言うわね。単位頂戴。じゃあよろしく」

用件だけ伝えるとジェシカはトムの首根っこをむんずと掴んで反転して歩き出す。

その瞬間、ジェシカの横を高速で何かが通りすぎた。遅れて壁にコン、と何か当たる音がついてきた。床に落ちた物を確認するとチキンの骨だった。

「待ちなサイ。強盗でももうちょっと意味の分かる言い方しマスヨ。順を追って説明しナサイ、常識デスヨ」

「チキンのガラ投げて人を呼び止めるのは常識的なの?」

方法に難はあるかもしれないが言い分は正論であった。

ジェシカはバイトに行く事を諦めて腰を据えて話す事にした。


トムとジェシカが務めているコンビニは時給が最低賃金である上に二人が同時に出勤していないと欠勤扱いになる。給料は一人分の額となる。

労働基準法にある国籍により差別してはならない項にがっつり抵触しているが、そもそも二人の在留資格は留学なので入国管理法により原則就労自体が禁止されている。資格外活動許可を得ていても週に28時間が限界労働時間となる。

どちらかがどちらかを訴えたらどちらも終わる囚人ゲームの典型であった。

「だからお金頂戴」

「単位が足りないという話ではなかったのデスカ?」

「お金も足りないのよ。どちらでもいいわ。ていうかどちらも頂戴」

大学最強最悪の雷名を頂くに相応しい傲岸不遜っぷりであった。

「単位はともかく、あなた連日のテレビ出演で荒稼ぎしていたじゃないデスカ。※1焦げモヤシ共も※2風呂に沈めてくれたのでその分の儲けも渡したデショウ」

※1キルト君達の事。五話参照

※2風俗業界で働かせる事。

「あんなの一週間で無くなったわ」

「どんな金銭感覚してるんデスカ。まあいいデス」

未だに回転を続けるビルからまたもチキンの骨が射出された。

「汚い、キモイ、危険!3Kよ、やめなさい!」

「くそう、ビルのあの技、格好いいな。僕もいつかあのチキン手裏剣を会得したいよ」

「格好良くないし、むしろマナーが悪いわ。ケ〇タッキーにもニンジャにも謝った方が良いと思う」

トムとジェシカがビルの必殺技について議論している最中にも骨は室内を軽やかに舞う。

ホワイトボードに当たり、そこから反転して回転運動を加えながら部屋の隅にあるゴミ箱に吸い込まれていった。

ホワイトボードと思われていた物は実際には巨大なディスプレイだったらしい。

電源が点いてモニターが表示された。

「おや、丁度一件、伝言板に仕事が入っているようデス。エラーメッセージも出ていないようデース」

「えぇ……あれ全部書いちゃう人いるんだ」

「しかもこの人、銀行口座番号とそのパスワードまで書いているよ。早く引き出さないと!」

こうしちゃいられない、とトムがドアに向かって駆け出そうとした。

「落ち着きなサイ、トム。今調べましたが残高がゼロ円、少なくともここ半年の入金と出金履歴もありマセン。※3本確法が改正されたこともあってロンダリングに使うのも微妙なゴミ口座デース」

※3本人確認法。改正により、犯罪収益移転防止法に名前を変えた。

流れるように犯罪の匂いのする単語を垂れ流している二人を前にジェシカは耳を塞ぎ、

「ちょっと!!私は共犯にされたくないからそういう話は私のいないところでやってくれる!?」

と叫んだ。

「あのー……」

三人がわいのわいのと言い合っていると幸の薄そうな女性がドアの隙間から恐る恐るといった様子で覗き込んでいた。

「こちらが願いを叶えてくれる場所ですか?」


会釈をしたと同時に長い黒髪が顔の前に垂れる。

左手で髪を後ろに流した際に顔がはっきりと見えた。

幸の薄さが相まってだろうか、どこかに妖艶さをたたえていた。

「初めまして、わたしは……」

「あ、大丈夫デス。今読んでるノデ」

「は?読む??」

回転している初老の外国人男性と若い外国人男女の視線が再びホワイトボードに集まる。

何も知らない人間が見れば異様な光景であった。

「本当に便利だよね、これ。商談の時間を省ける。全く無駄がない。ビルは天才だよ!」

「無駄もないけどプライバシーもあったもんじゃないわ。割れてない個人情報の方が少ないじゃない」

ジェシカの指摘した通り、ホワイトボードにはずらりと個人情報が並んでいた。


氏名 山外(やまそと) 麗奈(れいな)

住所 H道F市F町1-1-4-514号

生年月日 1990年9月30日 

性別 女

電話番号 ●●―●●●●―●●●●

郵便番号 ×××―××××

銀行口座/パスワード 三菱住友USJ泉州銀行歯舞支店△△△―△△△△/□□□□

『夫の悪癖を辞めさせてください』


「ちょっと待って、あなた道民なの?何でそんな遠くから?ていうか銀行口座は別に書かなくていいのに何で書いちゃったの?」

「それは……」

ジェシカの矢継ぎ早の質問に答える為に麗奈は重たい口を開いてぽつりぽつりと話し始めた。

俺はこんな所で終わる器じゃない。ビッグになってやる。

それが夫である麗士の口癖であった。

「口癖からダメ人間臭が凄いわね……」

「他の人にはそう見えるでしょうね……でも、私の目には魅力的に映りました」

ジェシカが下した、というより大多数の人間は下すであろう判断を前にしても麗奈は意に介さない。

遠くを見て魅力的な夫の姿を思い出し、うたうかのように語りだす。

「ハンドルを握るその大きな手」

運転手さんかな。トムはぼんやりと想像した。

「ガラスや釘で自分が傷つくのも恐れずに挑んでいく姿勢」

大工ですカネ。予想される職業をビルは推測した。

「その大きな背中、横に積まれるドル箱」

「パチンコじゃねーか!!!ハンドルってそっち!?台を叩くな!!」

傍から見ていても息が切れそうになるくらい、間髪を入れずにジェシカの連続ツッコミが冴え渡る。

「でもドル箱積んでるってことはそこそこ儲かっているんじゃない?」

突っ込みが入らなかった部分にトムが希望をはらむ疑問を差しはさむ。

その疑問に麗奈は頭を振る。

「いつも空っぽでした」

散財と同義の報告だが、その表情はとても穏やかともいえる物だった。


なぜ空のドル箱を積むというジェシカの轟音を伴うツッコミの後、話はようやく本筋に戻りつつあった。

夫はギャンブル中毒であり、とにかく働かない(夫本人はギャンブルが仕事であると言い張っているそうだ)。生活費を稼いでくるどころか、パートで稼いだ麗奈の給料にまで手を出し、ギャンブルに費やす。

2、3日の間、家に帰ってこないのはザラにあったが数か月間は家に帰ってきていない。

警察に捜索願を出したが未だ見つからない。

居ても立ってもいられなくなり、自ら夫を探す旅に出た。

青森ではリンゴを食べ、山形では米沢牛を食べ、栃木では餃子を食べた。

「余裕か。夫にしてこの妻ありね」

「そしてやっとこの地で夫の情報を掴んだんです」

そこから一呼吸置いて意志をはっきり示すように、麗奈は深々と頭を下げた。

「お願いします!たった一人の夫なんです!彼のギャンブルを辞めさせてわたしのもとへ連れ戻してもらえませんか!」

その麗奈の姿を見て、トムは何か心打たれる物があったようだった。

ゆっくりと自分の中で思考を反芻し、結論を出す。

そして確固たる自信をもってジェシカに目配せしながら言った。

「夫が二人いたらまずいよね?」

「そういうこと言っているんじゃないから。ツッコミ大変なんだからボケかぶせるなら黙っててくれる?」

「いいデショウ」

それまで黙っていながらも回転を続けていたビルが承諾の意思を示した。

机の方に移動し、何かを認めている。

酔わないのもそうだが、よくあの状態で字を書けるものだと恐怖を通り越してジェシカはもはや感心していた。

やがて台風の目からひらひらと紙が麗奈の方に送られてきた。

「契約内容はこうデス。あなたの夫のギャンブルをやめさせ、あなたの元へと帰ス。その報酬としてワタシはあなたの銀行口座をもらう、ただし本人でないと出来ない事も多いのでその場合はあなたがワタシの指示の下行う、これでいいデスネ?」

「は、はい!ありがとうございます!よろしくお願いします!!」

目を潤ませ、麗奈は深々と頭を下げた。

「流石ビル!金銭を要求しない、ほぼ無償で引き受けるなんて最高にクールだよ!」

「『只より高い物はない』かしらね……条件に気付かずに犯罪の片棒を自ら担ぎにいくとはあの人、最高にフールね」

「ジェシー!何ボサッとしてるんデスカ!のんびり話してないで準備しナサイ!やくめデショ!」

麗奈に書類への署名を説明しながら、どこかで聞いたような命令をビルが投げてくる。

「え?何で私が?」

報酬(たんい)には対価(ろうどう)がつきものデスヨ」

正論ではあるのだがビルに言われると癪である上に、自分も間接的に犯罪の片棒を担いでいる気がする。

しかしながら単位の不足を埋める事ができる手段が今はこれ以外に考えられない。

渋々ながらジェシカもギャンブラー捜索に乗り出した。


トムとジェシカ、麗奈の三人は夫の目撃情報のあったカジノを目指していた。

閑静な住宅街に珍妙な恰好をした三人が歩く。

ジェシカはミーデルというスイス地方の民族衣装を着ていた。パフスリーブブラウスにワンピース胴衣をつけ、腰をリボンで絞ってエプロンをつける、どこか牧歌的な印象を与える装いだった。

トムは北米に見られるマッキノ―という格子柄のショートコートを羽織る。格子柄が斜めにあしらわれており、トランプカードのダイヤを想起させる遊び心が演出されていた。

麗奈の衣装はバニーガールだった。全身がふさふさした毛で覆われており、長い耳にはリボンがついていた。一言でいえばウサギの着ぐるみである。

「ジェシカさん、とってもかわいらしいです」

着ぐるみなので音がこもって聞こえづらいはずだが、本心からそう思って興奮しているのか麗奈の声ははっきりと聞こえた。

「ハハハ……嬉しいわありがとう」

対してジェシカは力なく答えた。

一体何が楽しくてこんな格好で街を闊歩しなければいけないのか。

それは捜索開始の30分前に遡る。


「人を探すだけなのに何で服を着替える必要があるの?」

口調にはトゲが散見されたがまんざらでもなさそうに衣装を着こなすジェシカが言った。

対して、ビルは目視確認は出来ないが深刻そうな雰囲気をその声に含ませている。

「ジェシーはこんな話を知っていマスカ……」

三億円事件。1968年に東京都で起きた窃盗事件である。目撃者多数の劇場型犯罪であるにも拘らず、完全犯罪を達成。事件発生から7年後に時効が成立となった未解決事件である。

「犯人は白バイ隊員に扮装していた為、その衣装に意識が集中してしまいマシタ。その結果、その場にいた誰もが目撃していたはずなのに誰も犯人の顔を覚えていませんデシタ。これが未解決事件となった一つにして最大の要因と言われてイマス」

要は特徴的な服を着ていれば意外にも身元がバレにくいという事である。

「私達に何させる気だジジィ!!」

ガチの犯罪話を例えに出された事もあって錆びかけていたジェシカの危機管理意識が甦った。その拳が回転運動を続けるビルの腹に深々とめり込んだ、かのように見えた。その寸前でビルの掌はジェシカの拳を柔らかく包み込んで受け止めていた。

「この手を汚させない為です。納得できない事も多いでしょうが、ここは黙って老いぼれに従って下さい」

いつもの胡散臭い日本語ではなく、はっきりとした口調と真剣な眼差しを前にジェシカは従う他なかった。

トムは「まったく、あんたって人は!」とでも言いたげに後ろで目頭を押さえていた。

「ところで」

ビルは机に置かれていたバスケットから二つリンゴを取り出し、ジェシカに差し出した。

「これを入れておくといいデス、流石に胸元が貧しすぎて見てられマs……」

「ご忠告どうもありがとう」

ジェシカが言い終わる前にビルの顔に拳がめり込み、握っていたリンゴは粉砕されていた。

ビルを殴り飛ばした後で先ほどの話がふと脳をよぎり、まあ変装にもちょうどいいかと思い直してジェシカはリンゴを二つバスケットから取って装備することにした。


そういう経緯で三人の装いは普通とは少しかけ離れていた。

早く目的を果たして帰りたい。

通行人の視線が中々に痛かった。

「そういえば麗奈さん、旦那さんの写真とかないの?どんな人か見ておかないと会ってもわからないわ」

「残念ながら。夫は写真に魂を取られると信じている人だったので」

「いつの時代の人!?じゃあ特徴は?」

「えっと、特徴は……」

麗奈が夫の顔を思い出しながら特徴を並べていく。

それと同時に三人の脇を後ろから通り過ぎていこうとする男がいた。

「黒髪で長さが肩より少し長くて……」

その男の髪は黒髪で長さは肩より少し長く。

「鼻と顎がシャープで……」

鼻と顎の形は鋭く。

「目自体は大きいですが黒目は小さいです。あとボルテージ高まったりするとざわ……と口で言います」

眼球は大きいが黒目が小さい。ボルテージが高まってないせいかざわ……とは言っていなかった。

「それってあの人じゃない?」

トムが道行く男を指差した。

男は今まさに目の前の建物に入っていく。

「あぁ!あの人です!それにこの建物!目的地のカジノです!」

そういえば、とジェシカがある疑問にふと思い至った。

自分達の国ではカジノは合法で存在していたが日本には未だ存在してないのではないだろうかと。

男が入っていった建物の看板を確認してみる。

『梶乃湯』

「ただの銭湯じゃない!?かじのだけど!!ここギャンブルとかやってないでしょ!?」

「お願いします!ジェシカさん!夫を連れ戻してきてください!」

「えぇ……私が男湯入ったらダメでしょ。トムや着ぐるみのあなたはまだしも」

心の準備が出来たら行きますから、と麗奈は後ろで縮こまってしまった。

「ジェシカ、大丈夫だよ。出てけって言われたらすぐ出ようよ」

何が大丈夫なのか、トムの発言は全く根拠を伴っていなかった。

しかし、ここで躊躇するよりも走り抜けてしまった方がいいし、こういう時は案外走り抜けられるものである。ましてトムにだけ任せても話が進むわけもない。

「それもそうね。さっさと終わらせましょう」

ずかずかと二人はカジノの敷居を跨いだ。


当然ながら番台には「おい、外人の姉ちゃん!そっちは男湯!」と言われたが出ていけとは言われなかったのでジェシカは出ていかなかった。

「え?」「なんだ!?」「女!?」

脱衣所で男性客が多様な驚嘆の声を上げていたが、トムとジェシカは気にも留めずに進む。

風貌がなかなか特徴的であったので麗奈の夫はすぐに見つかった。

「あのー、すみません」

「うわ!?なんだお前!?ここ男湯だぞ!?」

「あなたの奥さんにですね……」

「ちょっ、話聞いてるのか!?出て行けよ!!」

「あ、言われたわ。しょうがないからあなたも一緒にきて。もう一度入るのは二度手間だから」

ジェシカは腰にタオルを巻いているだけのほぼ全裸の男の手を引いて出口へ向かおうとする。

「や、やめろ!俺服着てない、ていうか力つええこの女!!」

ジェシカのリストロックに抗えず、男は暖簾近くまで連れてこられた。

そこには心の準備を終えたと思われる着ぐるみが立っていた。

番台と何やら揉めていた。

「いや、だから!着ぐるみ脱いでもらわねえと!」

「そんなこと言われても……あ、零士!」

「え、誰!?ゆるキャラに知り合いはいねえぞ!?」

突然見知らぬ外国人女性に手首をロックされ、見知らぬ着ぐるみに声を掛けられて零士はパニック状態であった。

「わたしよ!」

すぽん、と麗奈はきぐるみの頭の部分を脱いだ。

「麗奈!?お前なんでここに!?」

「あなたを探してきたのよ!零士、お願い!もうギャンブルなんてやめて!」

麗奈の懇願に、零士は憎悪とも呼べる感情を顔に滾らせた。

「うるせえ!やめねえし、帰らねえ!俺からギャンブル取ったら何が残るっていうんだよ!!」

「取らなくても何も残ってないんじゃないの?」

「ジェシカ、失礼だよ。彼には立派なアゴがある」

「うるせえってんだよ!ていうか誰だよお前ら!?」

「麗奈さんからあなたを連れ戻すようにお願いされてるだけの者よ。さっさとギャンブルやめて帰りなさい」

「へっ。断ったら?」

零士は人を喰ったような下卑た笑みを浮かべる。

「さあ?どうなると思う?」

「え?」

ジェシカが質問に質問で返したその時、どこからかミシミシミシと加重で物が潰れていくような音が聞こえた。

「いたいいたいいたい!」

音の発生源が自分の手首である事に零士が気付いた時には既に粉砕骨折は完了となっていた。

ジェシカは掴んでいた零士の左手首を離す。

零士がぐにゃぐにゃになった左手首を右手で庇う様に支えた瞬間、ジェシカはその右手首を掴む。

「どうなると思う?」

「い、いいだろう!」

何がいいのかはその場にいた全員がわからなかった。

疑問に空気満ち溢れた空気の中、零士はトランプを取り出した。

腰にタオル一枚しか巻いてない男がどこから取り出したのか考えたくないが、そこには確実にトランプと思われる物があった。

「ギャンブルで勝負だ。俺が負けたらおとなしく帰る。ギャンブルも辞める。約束する」


インディアンポーカー。

世界三大カードゲームであるポーカーの超簡易版である。

ルールは諸説あるが基本的にはジョーカーを抜いた52枚で勝負する。

カードの強さは13が一番強く、1が一番弱い。

山札から一枚引いて自分の額にカードを持っていき、相手に見せるようにする。

この際、自分は数字を見てはいけない。

これで数字の強い方が勝ちのシンプルなゲームである。

点数制で最終的な勝敗を決する。

パスも可能だがその際は無条件で相手に点数を支払う。

ゲームの進行は親が決める。

子が勝負に応じた際、親は点数を引き上げてもいいし、そのまま勝負してもいい。

子が勝負に応じなかった際は点数は引き上げずにそのまま支払われる。

点数を引き上げ上限は元の数の十倍までとする。

※点数引き上げの際は数字は倍になる。例:1→2、2→4、4→8


「ルールは以上だ。一点から始め、十点先取した方の勝ちだ……ざわ……」

左手手首を包帯で応急処置した以外はいまだにパンイチである零士がキメ顔で宣言した。

「本当に口走ってる……ボルテージ上がる所なの?」

ジェシカが理解しかねている間に全く関係ない客達が脱衣所に置かれた椅子と机を動かして即席のゲームテーブルが作る。たまたま客として居合わせただけの一人である、キックボクシング審判員である重森が審判を買って出た。

中央にカードが置かれ、零士とジェシカは一枚ずつ引き、額にセットした。

「「デュエル!!」」

『まずは零士さんが親となります』

零士:4 ジェシカ:6

(6……確率はほぼ5割か)

「おい、外人!どうs……」

「勝負よ。点数を引き上げるわ」

『ジェシカさん、点数の引き上げ決定権は親にあります』

「あら、そうなの」

零士は驚愕した。その決断力に。そしてルール説明をまともに聞いていない豪胆さに。

「い、いいだろう、勝負だ。お望み通り点数は引き上げて2倍だ」


『第一ラウンド、4対6でジェシカさんの勝利。点数は0対2となります』

キックボクシングとポーカー、種目がまるで違うというのに重森は淀みなく判定を下す。

一度聞いただけでルールを理解し、ジェシカのルール違反を正確に正したことからも重森は一流の審判であることを周囲の人間は感じ取っていた。こいつになら安心して勝負を預けられる。ギャラリーは謎の一体感を持って盛り上がっていた。

『第二ラウンド、ジェシカさんのパスにより、無条件で1点が零士さんに支払われます。点数は1対2です』

『第三ラウンド、1対2でジェシカさんの勝利。2回の点数引き上げにより、4点がジェシカさんに支払われます。点数は1対6です』

『第四ラウンド、零士さんのパスにより、無条件でジェシカさんに一点支払われます。点数は1対7です』

「おかしい……俺が!この俺が!ここまで素人に負けているなんて!」

「簡単なことさ」

それまで特に何もせず、片隅のマッサージチェアに横柄に座ってマッサージを堪能していたトムが零士の疑問に口を挟んだ。

「ジェシカと零士さんの座っている位置関係をよく見るんだ。この脱衣所は入って右手にロッカー、左手に姿見が並んでいる。零士さんは姿見を背負うように座り、ジェシカはロッカーを背負うように座っている。この位置関係だとジェシカの位置からは一方的に自分と相手のカードが見える」

要するに、ただのイカサマなんだ!!とトムは高らかに締めくくった。

「何でバラすんだてめぇ!!バラされてえのか!!?」

「ぐっふぅ!!ごめんジェシカ!でもイカサマはよくないよ!!」

マッサージチェアまで少し距離があったがジェシカは縮地法で一瞬でトムまで距離を詰めた。

勢いの乗った拳がトムの腹に突き刺さり、マッサージチェアの背中部分ごと凹ませた。

「なんだ、イカサマだったのか!?」「審判なにやってんだ!」「目ついているのか!?」

普通は誰でも気付けるはずだがその場にいた誰もが見逃したイカサマだった。

勝負事になると意外と視野が狭くなってしまう人間の性がこういう形で現れることにその場にいた全員が困惑を覚えた。

次は周囲の事に気を配って勝負に挑む必要がありそうだと零士は密かに心の中で考えた。


『只今、イカサマが発覚しましたのでこれまでの勝負は無効となります』

勝負は仕切り直し、配点方式を三本先取した方が勝ちとするように変更された。

そしてテーブルと椅子の位置関係が先ほど暴かれたイカサマを使えない様に変更された。

『第一ラウンド開始です』

重森の宣言と共に両者がカードを額にセットする。

その時だった。

「命!命!!」

脱衣所に備え付けられたテレビに向かってトムが叫んだ。

テレビには懐かしさを覚える、人文字で一発芸を繰り出す芸人が映っていた。

「うるせえぞ外人!漢字に興奮してんじゃねーよ!」

その場にいた誰もが突然の事に視線をトムの方に集中させた。

ジェシカにはその一瞬で十分だった。

「さあ、アホは放っておいて勝負よ」

トムが奇声を上げ、全員の視線をかっさらったその一瞬で自分のカードを確認し、額に戻した。

特に速くもない古典的なカンニング、その場にいた誰もが見逃したね。

『第一ラウンド、5対6でジェシカさんの勝利。0対1です』

脱衣所は僅差に熱が上がっていたが、結果がわかっているジェシカだけが冷静に次をどうするか考えていた。おそらく先ほどのトムの異常行動はこちらを慮ったものではなく、平常運転(いつものきこう)だろう。

二度目が起こるとは考えにくいし、起きても視線がそちらに集中する事は確実ではない。

『では、第二ラウンドです』

カードを引き、額にセットする。

「麹!麹!」

トムがまたもや奇声をあげたが今度は誰もそちらを見なかった。どういう人文字になっているのか興味は凄まじいものがあったが、一同は勝負に集中していた。

『第二ラウンド、9対8で零士さんの勝利。1対1です』

イーブンとなり、次が正真正銘のラストゲームとなった。

「炎!炎!」

「しつこいな……なんか焦げ臭いし……ん?炎!?」「え!?本当だ!」「逃げろ!」

トムの奇声に混じって客達が驚愕の声を上げていく。

トムはテレビを見ながら相変わらず一発芸を繰り出していた。

脱衣所の隅を見ると先ほど座っているトムごとジェシカがボディブローをかましたマッサージチェアから漏電し、火の手が上がっていた。

テレビと現実の偶然とも呼べるシンクロに、その場は騒然とした。

「え、本当に火事!?逃げるわよトム!あと麗奈さん!」

客が次々と逃げるのに乗じてジェシカはテレビの前に陣取っていたトムの首根っこを捕まえて回収、ずっと目を閉じて祈っていた着ぐるみ麗奈も回収して出口へ向かう。

零士だけが集中してその場でぶつぶつ何か呟いていた。

「俺は……勝つ……勝って億万長者になる……」

「ちょっと!あなたも逃げないと死ぬわよ!?」

ジェシカが全く動こうとしない零士に逃げるように促すが、彼にはもう勝利以外が見えていなかった。

「逃げない……負けない……俺は勝つ……」


挿絵(By みてみん)


梶乃湯の火事事件から数日経った。

全焼した建造物跡から一人の男性の遺体が見つかり、山外零士であると判明した。

遺骨は麗奈の元に帰り、トムとジェシカは見事今回の『ギャンブルをやめさせて麗奈の元に夫を返す』契約を達成させた。

一つの口座と一人の人柱を得てビルはホクホクであった。

ジェシカは単位とロンダリングの際に入る一部の金、それに伴う少しの生活の余裕を得た。

トムにもロンダリングの金が一部入ったが、万札で首飾りを作ってそれを上半身裸で身に着け、学内を闊歩しつつ、女子学生に「いくら欲しいの、スケベちゃん」と話しかける、またもやよくないハッスルを発動させていた。

それを眺めつつ、ジェシカは慣れた手つきでスマートフォンを操作して警察への通報を済ませ、空を仰いだ。

「通貨とは 痛みが過多と 名成るべし」

未だ肌寒い春の空にパトカーのサイレンとジェシカの一句が吸い込まれていった。


夢を見ていた。

目が覚めると控室にいた。

夢の中の俺は妻の給料も全てギャンブルですってしまう屑だった。

「いや……」

屑なのは今でも変わりないか。所詮俺はギャンブルでしか生きられない。

自嘲していると、こんこん、と控室のドアがノックされた。

妻の麗奈だった。

「あなた……」

一歩、一歩、たよりない足取りで俺の胸に飛び込んでくる。

「お金なんていらない、あなただけいてくれればいいの」

にくいことを言ってくれる。しかし俺にも妻を食わせてやる意地と義務がある。

「すぐ戻ってくるから、おとなしく待ってな」

幼子をあやすように、妻の頭を軽く撫でて俺は控室を出る。

通路を進み、光がさす方へと歩んでいく。

眩しさに目を細めていると、だんだん目が慣れてきた。

周りには大勢の観客、中央には雀卓、ごろつきに代打ち士ども、それら全てを映すカメラ。

スーツに身を包んだアナウンサーらしき男が場を盛り上げるようにその場を行ったり来たりしていた。

『今夜も現れた!伝説の雀鬼、山外零士!!』

俺は勝負から逃げない。逃げるのは死と同義だからだ。


ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

挿絵からこの話は作られたような物なので原案:貝木シノ(敬称略)、吹き出し係:穂積といっても過言ではないのです。本当にありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ