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君が元気ならそれ以上は望まない、なんて、彼女は自分に言い聞かせる。

 

 君が元気ならそれ以上は望まない、なんて少女は言った。

 昼下がりの木漏れ日が風に形を変えられ、ざあざあと紅葉の時雨が降る。

 フられた男の子は、彼女よりも小さな己の背丈が悔しく、ぷにぷにした小さな手がうらめしかった。

 大人なら。きっと彼女を守れるのに。

 そう思う反面、彼は己の父親が母親を守る様には彼女を守れない事も、この時(すで)に気付いていたのである。

 彼女自身、よく解っていた。己が人形だと。人形遊びの為の人を()したアクトロイドであるのだと。

 それでも、そうであるがゆえに、彼女は夢を見る。

 ままごと遊びをする少女達に付き合う為に用意された、少女人形特有の夢見がちな思考回路で、そうと知りながら幸せな夢を見る。

 いつか彼が大人になって、彼女を迎えに来る、そんな夢を。

 だが、それは夢だ。

 だから彼女は答えた。「君が元気ならそれ以上は望まない」なんて。

 彼女は姉の様にただ彼の健やかな成長を祈った。

 彼女の所有者(マスター)は彼の祖母だ。彼は長期の休みに祖母のもとに預けられ、それを彼女が面倒を見た。彼女の知る遊びは当然少女達が好む室内遊びだが、彼は男の子である。

 野山を駆け回り、泥んこになって転がり回る様な時期だが、彼は彼女に合わせて折紙やお絵描きで大人しくしていた。彼女が(やわ)な造りだと知っていたのだ。

 お菓子を与えられ、宿題を手伝って貰い、遊び相手になって貰い、一緒にお風呂に入り、寝物語に童話を読み聞かせて貰い、添い寝をして貰う。

 難しい問題を解けば誉めて貰い、ホームシックで泣けば、抱きしめて貰える。日本人形タイプである彼女は着物や寝間着に(こう)()いて貰っていて、眠る時にすり寄るといつもあるその香りに包まれれば、彼の淋しさは大分和らいだ。

 彼には年の離れた姉が居たが、勝ち気で男勝りな姉は家事が出来る為、祖母の家には同行しなかった。なので、彼は彼女に甘え倒していた。自分だけが独占出来る優しく甘やかしてくれる相手を得て、有頂天にもなっていたのだろう。

 だが、それは子供の間だけだった。

 思春期に入った彼は、彼女を異性と認識してしまい、それまでの様には接する事が出来なくなってしまう。

 素材はともかく、見た目は人間に近付けてある。幼い頃よりももっと、彼の中で好意は大きく膨らんでいる。だが、純粋さだけならば、子供の方がきっと。

 そうして彼女を()ければ、祖母とも疎遠(そえん)となる。次に祖母の家を訪れた時には、その遺影を抱いた彼女と向き合う事になってしまった。

 申し訳無かったな、と悄然(しょうぜん)とする内に葬式は終わり、その後、形見分けという形で彼に彼女が譲られた。

「……え?」

 葬式が終わったばかりでもう形見の話とか、と彼は呆然とする。

「遺言書にその旨記載されています」

 代理人である弁護士が遺言書の写しを少年にくれた。

「何故、僕に。僕、男ですよ?」

「さあ、それは解りかねます」

 少女人形達は人形遊びやままごと遊びの為に作られている。当然、購買層は幼児や女子児童である。

 後ろ暗い目的で買う者も中には居るらしいが。

「ただ、此方にある通り、他かの方々におうかがいして引き取り手がいらっしゃらなかったので」

 彼は受け取っただけの紙を読む。そこには、他に引き取り手がいない場合は彼に譲渡する、とある。もし彼も受け取らなければ。

「此方で処分致しますが?」

 カッとして彼女の手を掴もうとした弁護士の手を払っていた。

「すみません。引き取ります」

 僕にください。と彼は頭を下げる。

 だから、彼は知らない。ぱあっとかおを輝かせた彼女が染めた頬を両手で包んだ事も、弁護士が二人を見比べ、やれやれと溜息を吐いて頭を振った事も。

 そんな風にして、彼は彼女の所有者(マスター)となったのだった。

 

 

 彼女には部屋が与えられていた。

 アンティークのテーブルセット、布団、着物や帯などが入った桐箪笥が一棹(ひとさお)、高炉や手鏡、(くし)、髪飾り等の小物が入った黒い漆塗りのお道具箱が一つ。下駄や草履、唐傘なんかもある。

 祖母は娘が嫁に行って以来、此処で彼女を着替えさせ、髪を結い、丁寧に支度を整えていた。着物や帯には香を焚き、髪にも香油を塗って。

 寝付いて以来は彼女を側に置き手放さなかった程、可愛がっていたと言う。

 揃えられた着物や小物類を見ても、それは判る。

 手に持てる分は持ち帰り、後は後日配送されてくる手筈となった。

「お世話になりマス。ふつつか者デスが、どうぞ可愛ガって下さいマセ」

 上がり(かまち)にて三つ指ついての挨拶に、彼の家族はぽかんとしたという。

「どんな挨拶?!」

 彼は以後姉に「嫁を貰ってきた」と散々からかわれるのだが、それは余談である。

 

 

 彼がリヴィングに行くと、アンティークのテーブルセットに掛けて、彼女は童話集を読んでいた。深緑の着物には薄紅の花が散っている。

 彼はまたかと溜息を吐いた。

 彼女は本が好きである。フィクションなら大抵何でも読むが特に恋愛ものが好きで、中でも彼に読み聞かせる為に与えられたその童話集がお気に入りだ。

 元々夢物語を好む様に作られている上、装丁が凝っていて、挿画がルノアールの様に品よく柔らかで美しいのが少女心を掴んでいるらしい。幼い頃彼が寝入っても、朝起きるまでずっと読み明かしていたくらいのお気に入りなのだ。

 ただ、それは百科事典サイズで大変分厚く、重い。

 テーブルに立てかけて手で支えれば良いのに、傷が付く事を嫌って腕で本を抱えている。テーブルもお気に入りなのだ。

「おはよう、すみれ。ねえ、こっちのソファセットで読んだら?」

「いやデス」

 彼女がふるふると首を振るのに彼はぎょっとする。そして、ホッと息を吐く。

「じゃあ、膝の上に置いて読んだら? 危ないよ」

 近付く彼に「おはヨうございマス」と返して彼女は得意げに「大丈夫、持てマス」と本を抱え直し、手を滑らせた。ごとりと本が床に落ちる。開いて伏せられた本の表紙の上に、パタリと白い手首から上が乗る。

「「あ。」」

 だから言ったのに。彼は彼女の手首を拾い、彼女の腕をそっと持ち上げて()め直した。

「申しワケ、ありマセン」

 すまなそうにかくりと垂れた首に、彼は慌てて飛び付く。

「アレ?」

 間一髪間に合い、落とさずに済んだ。腕の中から聞こえた声に彼は深い溜息を吐いた。

「あれ、じゃないよ、すみれ……気を付けてよ、間接部すぐ外れちゃうんだから」

 目を合わせて叱る。「スミマセン」と眉尻を下げる生首状態の彼女はシュールだ。

 ハーフアップにした紺色の髪がくしゃくしゃになってしまった事にも苦笑して、手櫛で軽く整えてから首を据えてやった。

 アクトロイド全てがこうだと言うわけではない。今普及している少女人形達はもっと見た目も動きも人間に近い。

 彼女が少々旧式なのである。

 着せ替え易いように身体のパーツが取り外し可能で、その分間接部が甘く出来ている。だが、衝撃にも水にも強い。頑丈さだけを見るならば、多分現行のアクトロイド達よりも上だ。

 衝撃を与えるとバラバラにはなってしまうのだが。

 動きも(きし)る様だし、合成音声で(しゃべ)り方も(つたな)片言(カタコト)

 祖母の両親がリサイクルショップで買ったアクトロイドで当時も随分と型落ちしていたというが、それでも初めて出来た友達である彼女を祖母はとても喜んで可愛がった。

 が。今のアクトロイド達は自然では有り得ない色彩を覗けば大分人間に近く、家事だってこなす。

 すみれが祖母のお気に入りの人形でも、誰もが面倒がって引き取ろうとしないのも無理は無いかも知れない、とテーブルの上にある道具箱から取り出した櫛で彼女の髪を()きながら彼は思う。

 すぐに手足や頭を落とすくせに、すみれはじっとしてはいない。擬似思考回路を持つ自動人形だからだ。

 少女らしく本を読み、あやとりをし、毎日風呂に入り、寝間着を着、朝になったら着替え、髪を結い、出掛ける時にも着替える。

 もちろん、手が外れたの首を落としたの指が無いのと、一人でやれば大惨事で大騒ぎだ。

 だから、彼が彼女の世話をする。

 もちろん風呂や着替えの際は、彼女は浴衣や襦袢(じゅばん)で慎ましく肌を隠している。それでも彼は少々複雑な思いをするが。

 彼女を引き取ってから、彼はそうしてずっと彼女の世話を焼いていた。

 遠い昔、もし自分が大人なら彼女の首が落ちる前にきっと支えてみせるのに、と彼は思っていたが、それは叶った。

 ただ、側に居てそうして守る事が出来ても、彼女から想いを返して貰う事までは叶っていないが。

「ぼっチャマ、大変デス」

 くりっと振り向いた彼女にぎょっとして、彼は慌てて首に抱き付いた。落ちなかった。首の付け根を撫でて確認し、彼はホッと息を吐く。

「ぼっチャマ、あノ、くすぐっタいデス」

 もじもじする彼女に気付かず、「大変って?」と問うた彼は、彼女の微妙な表情と物言いたげな眼差しに困惑する。

「……イエ。バッテリー残量ガ僅かニなりマシタ」

 猫の形をした寝付けを引っ張って、彼女は帯から印籠(いんろう)を取り出した。

「この」

「そんな大きなもの目に入らないから。ほら、貸して?」

「言うダケ言わせテ下サイ!」

 目の前に突き付けられた印籠をそっと彼女の手から抜き取って、中から薬ではなくゼンマイを取り出す。昔は祖母の薬入れとしても使っていた印籠はどことなく薬臭く、そして陽に()けた古びた紙が入っている。「宝物デス」とはにかんだ彼女は見せてはくれないが、とても大切な物らしい。

 祖母の命を長らえさせる薬、彼女の命綱であるゼンマイと共に大事にしまわれる紙の正体は気になるが、残念ながら見る勇気が無い。誰かの写真とかだったらどうしよう、とへこみながら、彼は今日も見てみぬフリをする。彼女の髪を(かんざし)でアップにまとめると、露わになった項に空いた穴にゼンマイを挿し込み、キリキリと巻いた。

 人工毛のくせに(おく)れ毛の感じや項のくぼみ、骨の隆起(りゅうき)や首筋のラインなんかは妙にリアルだ。間接部の造りは甘いくせに何故外観のリアリティにこれだけのベストを尽くした。素材の良し悪しはともかく、外観には昔からこだわって作られていた人形達である。

 中でも、数時間に一度、最低でも五時間に一度はゼンマイを巻いて充電するタイプは、手動ではあるが寧ろ逆に時代を先取りしているんじゃないのかなどと彼は考える。

「ぼっチャマはいつもゼンマイを巻いて下サイますネ」

 彼女は、旧式だ。電源が落ちると、記憶がリセットされてしまう。同様に、新しいライセンスの取得時も電源が落ちて記憶は消える。

 祖母が彼に彼女を譲るのを急いだのはそこに理由があった。弁護士がゼンマイを代わりに巻いて記憶を維持していたが、いつまでも弁護士に預け続けるわけにもいかなかっただろう。

 そして、だから彼はライセンスを取得していない。正式に所有せず、代理人として管理している形だ。

 彼女に忘れられたくなくて、祖母のライセンスはそのままに、そして彼はゼンマイを巻き続ける。

「巻かないと止まるだろう」

「ハイ。そうデス。だからジャンジャンバリバリお願いしマス」

「……それ違うから」

 多分そのセリフを口にしたのは祖父だ。そして意味を伝えられずにいて、彼女は勘違いして覚えてしまったのだろう。

「楽しそうだね。充電切れそうなのに」

 ふふ、と彼女は笑う。

「充電ハ愛情のパラメータなのデス」

「……うん?」

「一日ニ何度もゼンマイを巻くノハ大変デス。でも、ソレが無イとワタシたちハ動けマセン。ゼンマイを巻イて頂くノハ、愛情ヲ注いデ貰うコトなのデス」

 面倒だ、古い、と彼女は言われる。

 だが、彼には彼女のその面倒さが愛おしい。

 日に何度でもゼンマイを巻き、彼女が落とした手足や頭を拾い、側で彼女が身動きする度ハラハラして、手足が落ちない様支え、抱き留め。そんな風にであっても触れられる事が嬉しいと思う事が少し後ろめたいが。

 元々、人形遊びは人形を手ずから世話をする事だ。ならば、これは正しい在り方なのだろう。

「飽キたら、巻イて貰えマセン」

 殊勝(しゅしょう)な声で頭がしゅうんと下がるので、ゼンマイを巻く手を止めて彼女の首が落ちない様抱き締める。

「巻くよ。ずっと、ずっとね」

 耳元の囁きに、彼女の頬は持ち上がる。彼の言葉が嬉しいと喜んで。だが、アクトロイドである自分に彼はいつまで付き合って遊んでくれるだろうと、臙脂(えんじ)の瞳が揺れる。

 温かな腕に包まれて、泣く機能を持たぬ目は噛みしめるようにそっと伏せられた。

「ほら、ちゃんと前を向いて」

 首が落ちちゃうだろ、と苦笑混じりに彼は彼女の頭を真っ直ぐにする。彼女はむうっと(ふく)れた。

 キリキリとゼンマイを巻いて貰えるのは嬉しい。彼が彼女と遊ぶ意思を示してくれるから。そして、忘れずに彼が充電してくれるから彼女は彼を覚えていられる。

 だが、彼は子供の時分は毎年遊びに来てくれ、帰る時など泣いて別れを惜しんでくれたのに、段々足が遠のいて、久し振りに会ったら大人になっていた。

 所有者になると言って引き取ってから、彼は昔の様には彼女に甘えてはくれない。僕に下さい、とあんなに強く自分を望んでくれたのに、何だかとても子供扱いされている。スキンシップは昔よりも増えたが、何やら甘さが足りない。確かに見た目は少女で彼よりも年下に見えるかも知れないが、自分は彼よりも大人なのに、と彼女は彼の己への扱いに不満を感じていた。

 だから、彼女は充電が終わり、ゼンマイを印籠にしまって元通り帯に押し込みそっと帯の上から撫でると、彼を振り向いて「サア、お膝ニ乗って下サイ」と己の膝を叩いた。

 常の様に彼女の頭を支えた彼は「は?」とぽかんとする。

「童話ヲ読んデ差し上げマス」

「僕が乗ったらすみれが壊れるよ」

「ワタシは頑丈デス」

「僕がすみれの膝に乗ったら本読めないよね?」

「じゃあお布団に行きマスか?」

 横になれば体格は関係ないと彼女は無邪気に提案した。

「行かないよ」

 彼は即却下。すみれの外見年齢は十四、五。凄く犯罪だ。

 余程読み聞かせたいのか彼女が引かないので、彼は降参した。

「じゃあ、ソファで並んで読もう。本は僕が持つからね」

 彼は本を片手に、もう片手で彼女を子供抱きに抱えた。

「お姫様抱っこデスネ! ベッドに行クんデスか?」

 ワクワクとハシャいだ声を上げる彼女に「行かないよ、ソファだってば」と彼は溜息を吐く。

「一体どんな本を読んでるんだよ……」

「ぼっチャマが冷タい。反抗期デスね」

「さっき愛情のパラメータ確認したよね?」

 愛情のパラメータだと言うなら、幾らだって巻こう。彼女に気持ちが伝わるなら。そう思って巻いたのに、と彼は溜息を吐きながら彼女をそっとソファに下ろす。

 だが、さっきむくれた彼女は優しい手付きにもうにこにこ笑っている。随分と安上がりだが、機械と人間という違いによる根底にある不安は除きようはない。

「で? 今日は何にする?」

「人魚姫です」

 隣に並ぶ彼が身を寄せて彼女が読みやすい様本を持ってくれる。ページを捲りながら彼女は彼の笑顔を盗み見た。

 もし、いつか泡になって消えるなら。それまでは楽しく幸せに暮らしたい。

 君が元気ならそれ以上は望まない、なんて。彼女は自分に言い聞かせる様に今日も祈る。


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