七転八倒
皆さんにも、ターニングポイントと言われる人生の転機があると思います。まだ、ターニングポイントは来てないという人も、もうターニングポイントは来てしまったという人も、ある男性のターニングポイントを心暖かく見ていってください。
人生とは、やり直しの効くものだろうか?
電車の中で揺られながら自分は次に面接しに行く会社の資料と地図を見ていた。
「この会社で48件目か……」
自分は今、就活に励む27歳の一般人だ。なぜ、27歳まで就活しなかったかと言うと、昔に重大な犯罪を犯したからだ。その犯罪というのは、殺人未遂だ。自分は親を殺そうとした。今考えると、本当に馬鹿げている。多分その時は、自分の理性よりも感情が勝ってしまったんだろう。包丁を取り出した自分は、母を追い詰め切ってしまった。大量の血が流れ出した。正直、その時は嬉しかった、やっと親に反抗することができて。でも、それもつかの間だった。すぐに、警察官が来て、自分を取り押さえて、刑務所に連れて行った。その時自分は、自分のことを悪いとは思はなかった。
3日後ぐらいに自分は、監獄に入れられた。懲役五年だった。その時の俺は22歳で、大学を卒業し、会社の内定ももらっていて、彼女もいた。監獄生活の一年目はまだ親への憎しみが消えなかった。だか、一年もすると、親の憎しみは薄れて行っていまって、何故あの時あんなことをしてしまったのだろうかと思うようになった。もし、あの時包丁で切りつけなかったら、すべて上手く言ってたかもしれない。また、別の方法で親を避けることもできたかもしれない。そう思うと、自分の頭には「後悔」という文字だけが残った。
あれから五年
自分は難なく刑務所を出た。だが、刑務所から出た自分を待っていたのは暖かい現実ではなく、冷たい現実だった。「絶縁状」と書かれた手紙が親から届き、携帯には彼女からの別れを宣告するメールが届き、内定が決まっていた会社からは内定取り消しの手紙が届いた。何もかも失った。その時持っていたものと言うと、服と携帯と刑務所で働いてもらった少ないお金ぐらいだった。それぐらいの仕打ちは覚悟していた。でも、仕打ちはそれだけではとどまらなかった。例えば、バイトの面接では滅多打ちにされ、寝床もなくコンクリートの上や草原の上で寝たり、食糧が得られないも何日も続いた。こんな日々を過ごし今に至るわけだ。
「京橋、京橋、ドア付近におられるお客様は降りられるお客様を優先してーー」
「や、やべえ! 着いちまった、降りなきゃ」
昔のことを考えると、いつもこうなってしまう。
「良し、今日こそは」
今日行く会社は、ガス工事の会社で、自分も頑張るつもりだ。また、そんなことを考えながら階段を下っていると、何もないところで躓いて、転んでしまった。
「いってぇ」
右足の足首がズキズキする。もしかしたら、捻挫かもしれないと自分は思った。
すると、一人の女性が自分に手を差し伸べた。
「大丈夫?」
久しぶりにこんな暖かい言葉を書けられたせいか、自分は無言でその女性の手を握ってしまった。
「立てる?」
左足で、かろうじて立てることができた。
「足、大丈夫?」
「あっ、いや、大丈夫です」
「あら、そう、良かった、じゃあね! 」
自分もさよならと言った。
答えは分かった。
人生とは、やり直しが効くのか?
答えは簡単だ、やり直しは効かない。だけど、過去に挑戦することはできる。
いくら、過去という壁にぶち当たって、負けてこけたとしても、また立ち上がって壁にぶち当たることはできる。そして、壁を乗り越えた時、自分には「成長」というものが与えられる。
この答えを導き出すのに、何年かかっただろうか?
地面におちている鞄を拾い上げ、今日面接しに行く会社に向かった。