物語が始まる前の物語・1
ここは、何処だろう。
何処か、洞窟の中だ。
「ホラ、ティル、お宝はもうわいらのモンやっ!」
――ああ。
これは、いつも見る夢だ。
いつも、このチェックスが出て来る。
「そうだね、もう誰もいないし」
そして多分、こう答える少年が、昔の自分。
こんな洞窟の中なんかに誰も居ないという程沢山の人間が押しかけているハズは無いのだけれどとか、そもそもこのチェックスは誰なんだろうとか、この夢を見る度にいつも沢山の疑問が沸き上がって来る。
そう、全てにおいて、いつも、いつも。
この後に続く場面ですらいつもで終わってしまうのはきっと、もう見慣れてしまっているから。
それもまた、いつもの事だから。
派手な緑色の羽を持ったチェックスは、洞窟の行き止まりに見える場所へ駆け足で近づいて行き――。
――トスッ。
言葉で表すと、そんな軽い音。
あまりにも軽いのに、あまりにも響く、音。
……モウ誰モ、イナカッタハズナノニ……?
そして、いつも、そう思う。
「おーい、ティル。起きてるか?」
ドンドンと、自分の部屋のドアが壊れるんじゃなかろうかと心配になる程大きな音を立てているのを少々寝ぼけ気味の頭で確認しながらティルは目を開いた。全く、こんな風にドアを叩かれたんじゃあ誰だって目を覚ます、とぼやきながらティルは返事を返す。
「……起きてるよー……」
ったく、こんな朝っぱらから一体何の用だとぶつぶつ心の中で続けながらもぞもぞとベッドから這い出し、未だ大音響で鳴り続けているドアへと向かった。寝巻きのままだがどうせ相手は同居人である。そんな事を気にするような相手でも無い。
「……何だよこんな時間に。まだ店は開けないだろ?」
折角良い気持ちで寝てたのに、とティルはぶつくさとぼやいた。同居人が営むマジックアイテムショップの店番を頼まれてはいるが、どう考えたってまだ店を開けるべき時間では無い事は、薄暗い窓の外の様子を見れば一目瞭然というものだろう。
――結局。
今日もまた、やっぱりいつもの夢の続きを見る事が出来なかったな、とぼんやり考え。
でも、いつもの夢ってそもそもどんなんだったろうと首を捻ってみるティルだった。
魔法王国レクタル。その首都であるウィンデルの東側に位置する、フィリルアー大陸最大の大森林フリジットの中を歩く二人組が居た。一人は人間、そしてもう一人はイグナーダという人間と犬の中間のような姿をした種族で、どちらも男である。
獣人の方はとにかく目立つ色合いをしていた。濃い褐色の肌に後ろで一つに纏めた長い銀髪がよく映えている。少し大きめの丸い瞳の色は、鮮やかな紫だ。
イグナーダという種族は黒髪黒目というのが一般的な種族である。だから朝方ティルと呼ばれていたこの青年はどっからどう見ても目立つと言わざるをえないカラーリングをしている事になる。
それでいて、彼がイグナーダである事を示す髪の間から覗いた犬の耳とふっさりたっぷりとした犬の尻尾はオーソドックスに茶色である。それがどうしてもアンバランスな印象を醸し出しているのは仕様が無い事実だと言えよう。
「何か、考え事かい?」
そう言ったのは、人間の方だった。
年の頃は三十前後だろうか。少し長めの赤毛と言っても良いような明るい色合いの茶色い髪を後ろで無造作に束ねている。上に羽織っているのは真っ白な白衣であり、到底森の緑に紛れる事など出来ない目立ち具合だ。顔には小さな眼鏡が申し訳無さそうにちょこんと存在を主張しながら、タレ目気味のオレンジ色の瞳をカバーしている。こちらの方がティルよりもずっと年上であろう事は、見た目はもちろんその落ち着いた立ち振る舞いからも容易に想像が出来た。
「いや……品物を買い付けに行く時、いっつも置いてくのになーと思って……」
ぼそり、とティルが答える。その台詞には「どんな裏があるのかなー」と言った心の声がはっきりと滲み出ていた。
それを聞き取った白衣の男はひょいっと肩をすくめて見せ、さらりと答える。
「なぁに。今日の取引先は、無類の犬好きなんだ」
あっさりと、ティルの同居人、ケイン・フェスウィンターは言った。確かに、ティルの耳と尻尾は犬のそれだが、いくら無類の犬好きでもイグナーダという種族を犬という範疇に収めるかどうかは甚だ疑問である。
そして悪い事に、彼は犬と呼ばれるのが大嫌いなのだ。
――案の定。
口元にだけ冷たい笑みなんぞを浮かべつつ、一言。
「あ、そう。俺は帰る」
くるりと回れ右をして、さっさと元来た道を引き返し始める……と思いきや。
こけた。
全く以って悪意など感じられない微笑を浮かべながら、ケインがティルの尻尾を引っ張ったのだ。こちらも多分、目は笑っていないのだろうが上手い具合に眼鏡がそれを隠してしまっている。もしかしたらこの男、目が悪いのでは無くこういう時の為に眼鏡を着用しているのかもしれない。
「……ッな、何すんだよッ!」
こけたのだからもちろん痛い。それに加えて尻尾と言う不本意ながらも身体の一部を引っ張られたわけであるから無論こちらも痛いわけである。身体も心も痛いや、と一寸涙目になってみたりしながら、ティルはケインを振り返った。
ケインはまたひょいっと肩をすくめ、しれっと言った。
「そりゃー、お前さんが犬って呼ばれるのが嫌いなのはよぉっく分かってるんですがね。でもこっちだって相手の機嫌取って安く仕入れる事が出来るならそれに越したことは無いんでねぇ?」
何で疑問系なんだ、と心の中で突っ込みを入れつつ一応反論を試みる。どうせ無駄なんだよなぁと頭の何処かで分かってはいるのだが、このままでは腹の虫が治まらない。
「嫌だって分かってるなら、別に俺である必要は無いだろ。そこら辺に転がってる犬でも勝手に連れてきゃいいじゃないか」
「いや、そうも考えたんだがね……」
この男にしては珍しく言い淀む。
果てしなく、嫌な予感がした。
「……何だよ?」
彼の問いに、ケインは本当に珍しく躊躇し、申し訳無さそうにティルから目を逸らした。
そして、棒読みに止めの一言。
「……珍しい犬なら、尚一層良いかなーなんて思ってー」
おまけに、あははーと乾いた笑いまで付いている。
その答えを聞いてぶつんと、何かが切れた音が聞こえたような気がしたのは気の所為では無いだろう。
すぅっと、息を深く吸い込んだ。
「俺は犬じゃねぇんだよっ! 大体、イグナーダですらねぇ! 人間だって言ってんだろっ!」
荒唐無稽なようだが、それが彼の主張なのである。犬と言われるのを極端に嫌うのはそこに理由があるのだ。
彼の主張を鵜呑みにするならば、ティルは元人間なのである。一体何がどうなって人間からイグナーダになってしまったのかは定かではないが、呪いの類でもかけられたのだろうというのが彼の見解だった。というのも、その呪いだか何だかを掛けられたショックからなのか、ティルの昔の記憶は薄ぼんやりと曖昧ではっきり言い切れるような事があまり無く、ケインと会った頃など自分の事がほとんど分からないような状態だった。時間が経つにつれ、少しずつ思い出してきてはいるものの未だ自分の名前すら確り思い出せず、僅かに記憶していたティルという名前だけが唯一彼の手掛りであり、誰か知っている人間に出会ったりするのではないかと儚い望みを掛けてその名前を名乗っているのである。ただでさえそんなあやふやな状態で、自分が元々人間だったんだと言い切れるような根拠は何も見つからないが、それでも何かがおかしいと感じるのだ。何処と無く、感覚や直感と言った漠然としたものではあるが違和感がある。それがどうしても、拭い去れない。だが、時間と共に少しずつでも思い出しているという事実もあり、放っておけばいつか時間が解決してくれるんじゃなかろうかという希望的観測も少なからずあったりもする。
ケインはそんな、妄想と一蹴されればそれまでの漠然としたティルの感覚を信じてくれている数少ない人間だったはずなのだが。
「いや、それは分かっているよ。こちらもねぇ、自分一人が生活するならいつも通り普段通りの仕入れ値で構わないし、わざわざご機嫌取りなんてする必要も無いさ。しかし、残念な事にタダ飯食らいが一人増えたもんでね。仕入れ値が安いなら安いに越した事は無いんだよ、残念ながら」
あくまでも穏やかに話す。が、その穏やかさと棘のある言葉のギャップが怖さを醸し出している。
「……だから。帰って店番する」
小さく、だがきっぱりと言い切ってティルは今度こそ回れ右をした……のだが。
「……尻尾、離せよ」
「どうしても、ダメですか?」
「嫌だ!」
似合わない敬語を使うのは止めろよ、と心の中で突っ込みを入れながら自ら尻尾をぐいと引っ張ってケインの手から強引に引き戻すと、ティルは三度元来た道を引き返そうと足を一歩踏み出した。
――ん?
それは、刹那の感覚。
なにやら妙な違和感を感じたような気がして、思わずケインの顔を見上げた。
「帰るんじゃないのか?」
「ああ、帰るよっ、帰るともさ!」
ケインの一言で今さっき感じた違和感の事などすっぱり吹っ飛んでしまった。
びしぃっと指を突きつけて、はっきりきっぱりと言い放つ。
「帰ってやるから止めるなよ!」
言うないなや、ずんずんと肩を怒らせて離れていくティルの背中に向かって、ケインはぽつりと呟いた。
「――さて、と。一体、どうしようかねぇ」
フリジットの奥深く。小さく開けた場所があった。
そこで立ち尽くす、一人の女が居る。スラッと背が高い、黒髪ショートが印象的な女だ。派手に入ったスリットからちらりと見え隠れする形の良い脚が艶かしい。
ふと、彼女は弾かれた様に顔を上げた。その端整な顔には何の表情も浮かんでいないが心成しか、彼女が見つめている方角の木々が僅かにざわめいているようにも感じられる。
「……誰かが……この森に入った――」
感情の一切感じられない無機質な声で、女はそう呟いた。
「はぁ~。また、この切り株ですか~。もうこの木を見るのも五回目ですねぇ~」
いー加減、迷っちゃったみたいですねぇ~、と言葉とは裏腹にあまり困って無さそうな顔でノース・フリップは一人ごちた。
「まったく、シトゥルーもシトゥルーですよ。何だってこんな森の中に入り込んだんですか……」
ぶつぶつと独り言を言いながら先程まで目印にしていた切り株に腰を下ろし、今度はそのままぼけーっと木々の間から見える空を見上げている。一体何がしたいのかさっぱり分からない人物だ。
「……ま、いーですけどね。迷ってるのもそれなりに面白いですし。そのうち、何とかなりますよ、うん」
大雑把と言うか何と言うのか。自棄になっているとか諦めているとか言うマイナスな方面の響きには聞こえない為、少なくともこの青年の肝っ玉が小さくない事だけは伺える。ただし、この場合それで良いのかという至極当然な突っ込みを入れたくなるのが普通であろう。
「でも、今度からは迷ったからって僕に任せるのは止めて下さいよー。いきなりバトンタッチされたら現状を把握するところから始めなきゃいけないですし、何より面倒なんですから」
独り言、というよりはまるで誰かに語りかけているような口調だ。だが周りには人間はおろか動物も全く見当たらない。聞こえるのはただただ風のそよぐ音と、その風が揺らして行く木々の葉が擦れる音だけだ。
それにやっと気が付いたのか、彼はそのまま口を閉ざした。そうしてぼーっとまた空を見上げる。それはそれで間抜けな図ではあるのだがこの場合、この方がずっとらしい図案に落ち着いたように見えた。
――と。
おや? と簡潔な疑問詞を口にしてノースは自分の右隣に位置する茂みの方へと身体毎向き直った。見れば、なにやら茂みががさがさ動いている。ついでに、人の怒鳴り声、などというものもオプションで付いてきていたりする。
「全く……帰ろうとしながら迷うとはねぇ」
「んなもん、おっちゃんが付いて来るからじゃねぇかっ! 誰が付いて来てくれって頼んだよ!」
「無茶苦茶言ってくれるなぁ。お前さんがここに来たのは初めてだったなと思い出してやったから、送ってやろうという親切心じゃないか。それを聞く耳持たずに滅茶苦茶な方向に歩いて挙句の果てに道を外れたのはお前さんだぞ? 帰ろうと思ってる奴が、普通道なんか外れるかねぇ?」
自分でも後悔しているところをぐさりと突かれ、ティルは言葉に詰まった。確かに、誰が自分を犬扱いする奴の世話になんかなるかとケインを撒こうとしてわざとに道を外れたのは他でも無いティルなのだ。そしてそれはもちろん、迷う原因だったと言い切れる。
何か返す言葉を必死に探しているティルに向かって、追い討ちだと思われる一言をぼそりと言う。
「大体お前さん、シーフギルドに登録してるんだろう?」
「……っ!」
完璧に、撃沈。
「手先の器用さだけじゃなく、正確な方向感覚ってのもギルドに登録してるからには持っていてもらいたいものだな」
ぐさり。
そんな音が聞こえて来てしまう様な、そんな気さえする。何だか分からないけれどもとてつも無く鋭くてそれでいて抜くのには時間が掛かるような、そんな面倒くさい物が自分の心に突き刺さっているような感覚を感じながら、言葉って見えない凶器だよねと胸中でぼやき、ただただ胸の痛みを堪えながら立ち尽くしていた。もう、反論する気にすらならない。そもそも、この男に口で勝とうなどと思った事から間違いだった。
それにしても、痛い。
ココロが痛いハズなのに、何故か尻尾まで痛いような気がするし。
……いや。
本当に、引っ張られている。
何だと思って振り向くと。
「今日は」
にこぉっと笑って、手なんか振ってくれちゃったりしているノースの姿が目に飛び込んできた。多分、それを見た時のティルの表情は、『世界最悪な時の表情コンテスト』で優勝出来ちゃうような顔をしていたに違いない。そしてケインもまた、心を落ち着かせようと煙草を銜えたその格好で固まっていた。流石のケインも、こんな森の奥深くにノースがいるとは思っていなかったようである。
たっぷりと一分は硬直し、その後に長々と十秒はたっぷりとため息を吐いて、ティルはようやっと言葉を捻り出した。
「……ノース、だよな?」
「ええ、まぁ。多分、一応」
頼むから肯定してくれ、自分である事ぐらい。
そう突っ込みたいのはやまやまだったが、ヘタな事を言って事態をこじらせる事も無いだろうと、我慢して別の言葉を口に出す。
「何で、ここに?」
しかし、動揺は隠し切れないようで、言葉がどんどん短く用件のみになってきている。垂れた尻尾と耳からも、そのげっそり加減は見て取れるようになって来ていた。
正直、ティルはノースの事が苦手なのである。正確には、“ノース”が苦手なのでは無いのだが、とにかく、物凄くなんて言葉じゃ言い表せないぐらい苦手なのだ。物凄く。
だが、どうやら彼とは赤い糸ならぬ黒い糸ででも結ばれているのか、会いたくないような場所場面において悉く遭遇する。しかも恐ろしい事に、犬になる前からの関係らしい。
腐れ縁なんて可愛らしいモンじゃないのだ、ホント。
「いやー、シトゥルーが迷っちゃいまして。それで仕方なく、ですね。彼、あーゆー性格でしょ? だから、僕に押し付けて引っ込んじゃったんですよ。あ、もしかして、出口とか知りません?」
……知ってたら、お前と会ってねぇよ。
ぶちぶちと心の中で呟きながら、手を振ってあっさり返す。
「知らん知らん」
「何だ、そうですかー。それなら迷ってるしかなさそうですね」
あっけらかんと言ってくれる。
まぁ、確かにその通りと言えばその通りなのだが、もう一寸他に言いようが無いものだろうか。
それにしても。
とてつもなく間抜けな図だ、とティルは思う。犬扱いされた挙句、森の中で迷って餓死、でもしたら洒落にもならない。
いやいや、本気で。
そんな事を考え、もう一度大きくため息を吐いたティルだった。
「……古代魔法の、宝珠?」
「そんなモンがあるってのか? この森に」
「ええ、まぁ。シトゥルーの話によれば、ですけど」
「なら、信憑性は無いに等しいな」
「俺もそう思う」
「僕も、そう思います」
相変わらずのにこにこ笑顔を浮かべて言ったノースに「一寸待てや」と二人で突っ込みを入れたりしてから、ティルは黙って目の前の焚き火の炎を見つめた。
何故だか、火を見ると気が安らぐ。自分が、水が嫌いだから火を見ると安心するとかそういう安直な理由……では無いんだろうな、と一人考えて苦笑を浮かべた。
今は夜。もう、とっぷりと日が暮れている。
あれから、ノースが何故この森に足を踏み入れたのか、という理由を聞き出し、ノースにしては至極まともな「宝探し」という目的があった事が分かったりして、いつの間にやら話し込んでいたのである。
「しっかし……不思議だねぇ」
「……何がです?」
少しの沈黙の後、ぽつりと言ったケインの言葉にワンテンポ遅れてノースが返す。相も変わらず、何を考えているのか分からないのほほん笑顔と表情だ。案外、何も考えていない、というのが正解なんじゃなかろうかとティルなんかはこっそり思っていたりする。
ノースの言葉に、いや、不思議な事は沢山あるんだが……と前置きして話し出した。この男にしては歯切れが悪く、言葉を選んでいるように聞こえる。
「お前さん方、魔法ってやつは嫌いだったんじゃなかったか? 宝珠なんてヤツは売買したところで大した高値もつかんし、その力を扱えるやつ以外には無用の長物だろう。そんな、お前さん方にとって何の意味も無いもんをわざわざこんなとこくんだりまで探しに来るって言うのがなぁ……」
どうも、解せないんだよなぁ……と続けたケインに、そうなんですよねぇ、とノースが返す。
「だから、その宝珠の噂を聞いたシトゥルーが、ソレを破壊しに行くって聞かないんですよ。言い出したらホンットに引かないですからねぇ」
まるで他人事のように言ってくれる。
コイツラの場合、他人事が他人事では無くなってたりするというのに。
「宝珠が無ければ、その魔法を扱える人はいなくなるわけでしょう? だから、そんな古代魔法の宝珠なんて物騒なもんは壊してしまおうってウルサイんですよ。ま、僕としても魔法っていうよく分からない力はイマイチ好きになれないんで、ま、いーかなーなんて」
のほほんと言ったその台詞を聞いて、ティルは思わず自分の持っている火と風の宝珠を握り締めた。
うん、ちゃんと、ある。
「まぁ、確かに宝珠を壊したら魔法は使えなくなるかもしれんが、壊した事で一体どんな反動が来るかは分からんぞ? 普通の宝珠でさえ、火傷を負ったりするんだ。まして、相手は古代魔法の宝珠だろう。一体どんな魔力が込められているか――」
そう言って、ケインは自分の持つ宝珠を見つめた。直径1.5センチ程の小さな銀色の珠である。ティルとは扱う魔法が根本的に違うため、火なら火しか扱えないとかそういう事はない。それは単に魔法の素質の違いである。
ティルの持っている魔法の素質は、一般に精霊魔法の素質と呼ばれるもので、要するに地水火風の四大元素を司る精霊から宝珠を媒介にして力を借りる事が出来る、というものである。地水火風の宝珠はそれぞれ独立しており、基本的には相反する二つの宝珠を持つ事は出来ないとされている。それは、術者自身の属性と魔法の属性の相性の問題であるというのが一番真実に近いと言われている仮説であるが、実際にはそれが何故なのかは解明されていない。ただ単に、イメージ的な問題なのではないか、などという意見まである。
それに対して、ケインの持つ素質は、宝珠魔法の素質と呼ばれ、魔法であれば何でも扱う事の出来る素質であり、単純に魔法の素質と呼ばれる事もある。普通なら、対立して暴走しかねない相反する力をも扱えてしまう程、魔法と相性が良いのが最大の特徴であり、これを持って産まれてくるのは、最初から種族的な属性を持たない人間かハーフエルフに限られている。
つまり、ケインの持っている素質というのは、宝珠魔法であればどんな魔法も扱う事が出来る素質だという事だ。尤も、彼が得意とするのは、相手の精神に呼びかける術や味方を援護するような術であり、見た目に派手なものはそうそうない。しかし、これがまた役に立つ。
この世界では、魔法は宝珠を媒介として発動する。素質があってもそれだけでは術者自身の身体に対する負担が大きく魔法は成功しないのだ。その為、宝珠と呼ばれる小さな宝石を媒介にし、身体への負担を少なくして発動させる事になる。だがそれは、逆を返せば素質があればどんな宝珠でも扱う事が出来るかもしれない、という事実に繋がる。拾ったものだろうが、それこそ盗んだものだろうが、中に込められている魔法の種類さえ分かれば使うだけなら使えるかもしれない、というわけなのだ。
「……壊すのは、やめておけ。シトゥルーには俺からも言っておこう」
「もう聞いてると思いますけどねー」
「そりゃそうだな。……それにしちゃ、おとなしいが」
「……ずっとおとなしくしてろよ……」
ぼそりと呟いた瞬間に、焚き火用に拾ってきた薪がガラガラと音を立てて崩れ、ティルは何だか嫌な予感を覚えたのだった。
「それで、ホントにこっちの方角で良いのかよ?」
「多分、な。お前さん方がぐっすり眠ってる間に確認しておいたんだよ。ノースの来た方角から考えても、こっちに進めば何とか出られるさ」
一夜明けた。結局、ノースと出会った場所であのまま野宿したわけである。季節が季節だからそう寒くは無かったのが不幸中の幸いとでも言うべきだろうか。
ティルが起きるともうケインは起きていて、唐突に北へ行く、と言い出したのだ。あのノースの話から一体何が得られたのか甚だ疑問ではあるが、それを指摘したところで揚げ足を取るだけだろう。それに、あまり突っ込んだ質問をして、「実は勘だ」等と開き直られたらそれこそ怖い。
それに、そんな事よりも。
その、肝心のノースの姿が見当たらない事の方がずっと気になった。いなくなってほっとしたという気持ちもあるにはあるが、こう、いきなりいなくなられては何処へ行ったのだろう、と不安にもなる。苦手だからこそ、出会ってしまった時にはなるべく見える範疇にいて欲しいと願うティルだった。疲れている時にアイツラと再開なんて事だけは、御免こうむりたいのだから。
「……おっちゃん、ノースは?」
だから結局、こういう質問をする事になる。
その問いにケインは、起きた時からいなかったと答え、すぐに歩き始める。ティルに背を向けていたから、その答えを聞いたティルがどれほど嫌そうな顔をしていたか、彼には見る事が出来なかった。
「ホンットにこっちで良いんだろうな~?」
ぼやきながら、ティルはケインの背中を追った。今、ケインの答えを聞いて思い出した、ノースの朝の弱さとシトゥルーの異常なまでの朝の強さの事は極力考えないように努力しながら。