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04. 壊れゆく居場所(1)。

――胸が騒ぐ。


 いつもの就寝時間が過ぎているにもかかわらず、どうしても眠る気になれなくて、ベッド脇に置いている机で本を開いていた。

 ふと、喉の渇きを覚えて、水差しからカップに注ぎ一気に飲み干してしまう。

(……師匠とした会話のせいかもしれないな。)

 目を瞑ると、脳裏に浮かびあがる。

 まるで師匠は何もかも見通していたみたいな態度だった。

 清梁王族の意図も、この大陸の行く末も――なにより、清英の決意も。


 真妃と蒼軌の予定を確認して、ふたりがいない時間に清英は師匠のもとを訪れた。

 道場の中央で正座をしたまま、互いに向かい合う。

 開けっ放しにした窓からは、少しだけひんやりとした風が流れ込んでくる。清梁は夏を終え、秋を迎えようとしていた。


 すぐに、儀式の日がくる。


 かさ、と小さく鳴った紙の音に、清英は意識を師匠に戻す。


 さっき、まずはこれを、と王からの書状を渡し、師匠はそれを読んでいるところだった。

 数分も経たないうちに、彼は紙を小さく破り、あとで燃やしておきますね、と懐に片付けて、改めて清英に向き合った。


 師匠の青い瞳が射るように清英を見る。それはまるで、彼の胸に秘めている想いを覗き込もうとするかのようで、緊張が走り、ごくりと喉が鳴った。


「――清梁王族は覚悟をしているのですね」


 あえて、王は、と口にしなかった師匠の声には、わずかな悲しみが宿っているように聞こえ、清英は胸に痛みを覚える。


 覚悟も、決意もある。だが、そう決めたところで、わきあがってくる何かしらの感情を抑えられるわけでもない。ただ、譲れないだけなのだ。清英として。

 それはきっと、王も同じ気持ちなのだろう。

 この清梁を民に暮らしやすい国として導いてきた王を、親として清英の幸福を考えてくれている父を、王子として。息子として尊敬している。自身もいつか、真妃の産んだ我が子にそう思ってもらえるようになりたいと願っているくらいに。


 そこまで考えてしまうと、苦い想いがこみ上げてきそうになり、ゆっくりと瞼をおろすことで押し殺す。思考を切り離して、言うべき言葉を口に乗せる。


「まだ表立ってはいませんが、大国の蛮族が大陸中の国々を蹂躙し始めているようです。残虐非道な行為をしていると――。蛮族の狙いが単なる領地支配なら、清梁は国を護るため、大義名分を掲げ戦えます。けれど、もしも狙いが別な所にあるときは、どんな手段を使ってくるか……」


 国境、国内共に警備体制は慎重に厳密に行っている。そう容易く入り込めはしないはずだ。だが、ただ蛮族というだけで、相手の正体がはっきりと掴めていない以上、不安は残る。


「あり得ないとは思いますが、大国の狙いがそこにあるのだとしたら?」


 まっすぐに問いかけてくる師匠に、膝の上に置いた両手を握り締め、見つめ返す。


「王族はたとえ、清梁が滅びても護る覚悟でいます。勝手だと言われても、蛮族を大陸の支配者にするわけにはいかない」

 自分で答えながら、ふと疑問に思った。

 国民にとって、勝手なのか。それともーー。

(君は怒るかな。清梁を滅ぼすくらいなら、と……。)

 思い浮かんだ姿に、実際は話すことが出来ないからその答えを知ることはないとわかっていて、代わりのように師匠に問いかける。


「師匠、あなたは僕たちを愚かだと思いますか?」


 国民たちを犠牲にすることになっても、蛮族の要求を拒否する覚悟でいる。


「ですが、仮に要求を呑んだとしても、国も国民も滅びるも同然の仕打ちを受けるでしょう。それも明けることのない絶望をもって。……どちらが、と決められる問題ではありませんね。それはやがて歩んでいく者たちが決めることでしょう。私たちに出来るのは、出来る限りヒトがヒトとして生きる道を射し示すことです」


 ――ヒトがヒトとして。

 その言葉がじわりと清英の胸に沁み渡る。


「清英さま」

 ふと、やわらかな声音に名を呼ばれる。


「生きて下さい」


 続けざまに言われた言葉に思わず目を見開く。

 やわらかな声音でありながら、師匠の顔は真剣で、見つめてくる青い瞳には切実な想いが宿っているように思えた。


 清梁王族の覚悟。清英の決意。

 そのすべてを知っているはずの師匠の言葉。


 頬を撫でていくほんの少しひやりとする風を感じて、清英は目を開けた。


 目の端に正装するときに着る上衣(じょうい)を見つけ、椅子から立ち上がり、かけてある壁に寄る。

 白地に青い龍が刺繍されている。細い糸で幾重にも縫い込まれている図柄は、感嘆が零れるほど美しい。

 清英が裏紋章の簪を贈ったように、真妃も贈り物を用意していてくれたらしい。儀式で着てほしい、と夕刻に手渡された。

 白い布地は触ると滑らかで、着心地の良さはそれだけでわかる。数ある布地から真妃が一枚一枚触って選び、図柄も思案し、毎日陽が明ける寸前まで一針丁寧に刺繍してくれたらしい。真妃の側仕えの女官が教えてくれた。

 剣舞の練習で疲れているにもかかわらず。


 清英は上衣をはずして、皺にならないように気をつけながら羽織ってみる。

 ふわりと羽のように軽く、龍が舞う。

 たくさんの、真妃の想いが込められている上衣。その温もりに包み込まれて、清英も彼女への想いが溢れ出し、胸がいっぱいになる。


 儀式まで、もう少し――。

 無事に終わればきっと、この切なさも、不安もいつか懐かしさに変わるはず。


「清英さま、清英さま!」


 不意に部屋の扉を激しく叩かれる。清英にはそれがまるですべてを叩き壊してしまうかのような音に聞こえ、思わず上衣をぐっと握り締めた。



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