03. 幸福に流れゆく日々(3)。
王宮への道を歩きながら、真妃は手を繋いだまま――少し前を歩く背中を見つめて、「それで?」と話を促す。
賑やかだった通りもすでに店じまいをしているらしく、閑散としていた。陽は橙色に染まり、舗装された道にふたりの影が長くうつる。並んで、仲睦まじい様子で。
「それで?」
真妃の言葉を清君は楽しそうに繰り返す。
「今回はどちらが勝ったの?」
伝わってくる雰囲気に、真妃までどうしてかわくわくとした気持ちになる。
清君が楽しいと楽しい。悲しいと悲しい。そんなふうに、ふたりはずっと一緒だったから。
ぴたりと彼は歩みを止めて、真妃を振り向いた。
じっと見つめられ、頬が熱くなっていくのを感じる。何も言わず、ただ見つめてくる青い瞳に吸い込まれそうになる。ときに優しく、甘く。ときに熱く。清君から注がれる眼差しに、真妃の胸はいつも焦がされてしまう。
「真妃はどっちに勝ってほしかった?」
どくりと心臓が音を鳴らす。
全身の血が一気に引いてしまうような感覚に陥り、混乱する。
――どうして。
今まで二人を比べてしまうようなことは訊かれたことがない。優しい清君は真妃が困るようなことは言わないし、思わず口にしたとしてもすぐに撤回してくれる。
それなのに、今の清君は譲ることなく、答えを求めてきている。真妃の微かな動きさえ見逃さないと、見つめてきながら。
言うべき言葉はすでに脳裏に浮かんではいる。
(もちろん、清君に……。)
当然、当たり前。決まりきってる。わかってる。
どんなに頭の中で頷いても、まるで唇が縫い合わされて、喉が塞がれてしまったように動かない。次第に口のなかに唾が溜まり、無理矢理飲み込む。
いつもとは違う彼の態度に、どうしていいかわからなくなる。
「わたしは……」
「――ごめん。真妃、ごめん」
何を言いたいのか自分でもわからないまま口を開いて、最後まで言い終わらないうちに、清君に遮られた。
「泣かないで、ごめん。僕が悪かった」
青い目が後悔に揺れてスッと伸ばされた彼の手のひらが頬に触れる。
そう言われて初めて泣いていることに気づき、恥ずかしくなって俯こうとしたら、頬に添えられた手に顔をあげさせられる。
彼の指が涙を拭い取っていく。そっと、優しい仕草で。
さっきまであった切実な雰囲気は消えていて、いつもの清君に戻っていることに胸を撫で下ろす。彼の謝罪を受け入れることをうなずくことで示して微笑むと、同じように微笑み返してくれた。
再び、清君が手を取り今度は並んで歩き出す。繋いだ手をぶらぶらと揺らして、幼い頃に戻ったように。
「結局、木刀を構えて数分もしないうちに蒼軌が『やめだやめっ! 今日は気分がのらねぇっ』て言いだして、放棄されたよ」
清君の口真似に、笑いが零れる。
普段穏やかな口調の清君には似合わないけれど、蒼軌そっくりで。
きっと木刀を放り投げて、その場に胡坐をかき、ひどく不貞腐れた表情をしていたに違いない。
真妃にはその姿がすぐに想像できる。
「清君の不戦勝ね」
「本当はそうなんだけどね。今度、僕が頼みごとをしたらなんでもいくつでも丸ごと聞いてくれるって約束してくれたから、なかったことにしてあげたよ」
悪戯っぽく笑う清君に、師匠のところから帰る道すがら、さっきまで楽しそうにしていたのはそれが原因だったんだとようやく納得する。
「――それは楽しみかも」
「だよね、大切に使わないとね」
今頃、蒼軌はくしゃみでもしているかもしれない。
「うらやましいなぁ」
くすくすと笑いながら冗談交じりに言うと、清君がまた歩みを止める。
向かい合うと、繋いでいた手がはずされて、そっと肩に置かれた。服越しとはいえ、伝わってくる熱にどきどきと胸が鳴る。
「清君?」
「代わりに、真妃にはこれをあげるよ」
そう言って空いている手を自らの服の内側に入れごそごそと探ると、一本のかんざしを取り出した。
一目で高価だとわかる少し大き目で美しい色合いの翡翠の珠が飾られており、珠には緻密な龍の図柄が彫られている。王族出身の真妃も数々の希少価値といわれる宝石を目にしてきたけれど、こんなに見惚れてしまうほどのものは見たことがなかった。
(なんて、素晴らしいの……。)
宝石に興味がない真妃でもそう思わずにはいられない。
「君の瞳に似た宝石で作らせたんだ。龍は――」
「清梁王族の裏紋章ね」
真妃が彼の後を引き継いで言うと、正解、とうなずくように清君は青い瞳を優しく細めてくれた。
本来の清梁を示す紋章は青地に五芒星が描かれたものだ。
それとは違って、王族間にだけ伝わる紋章があり、王族同士の結束の証として用いられるもので裏紋章と言われる。清梁王族は龍、青き龍の形を用いていた。
清梁に嫁いできて、この国の勉強を進めていくうちにそれを学んだけれど、真妃自身は王宮で使われているのを見たことがなかった。龍の絵も置き物も、とにかく龍を形作るものなにひとつ。
「僕が裏紋章となる物を贈ることが、真妃を清梁の王族として認めるっていう意味があり、それを身につけて儀式に臨むことで君が清梁王族となることを受け入れるっていう意味になる」
――とても大事な意味を持つ、かんざしだわ。
差し出されているかんざしに手を伸ばし、そっと触れる。
これには、清君の想いが込められている。
真妃を心から妻として迎えてくれるということ。清梁王族の一員として認めてくれるということ。
14歳で嫁いできて、家族のように迎えられていたといっても、これまでは雛鳥のように、与えられ守られるだけだった。けれど儀式を終えたら、真妃も王子妃として本格的に公務に携っていくことになるし、やがては王となる彼を支え、守る立場になる。そうならなきゃいけない。
今までのように、甘えているだけじゃいけなくなる。
その決意を示すものが剣舞になる。
(今日も合格点はもらえなかったけど……。)
儀式までそんなに日にちもないのに、師匠からもらえた言葉は「まだまだですね」。
自分なりに上出来だと思っただけに深く落ち込んでいた。
清君には気づかせないように――心配かけないよう、できるだけ明るく振舞っていたつもりが、やっぱりわかっていたらしい。
幼い頃から清君は真妃を彼女自身よりも理解しているような気がする。
持っていたかんざしを、清君は真妃が結っている髪に飾りつけてくれる。
「剣舞がうまくいくように――」
つけ終えると、少し離れた彼はまっすぐ見つめ、すぐににっこりと微笑みを浮かべてうなずいた。至極満足そうに。
「うん、似合ってる。きれいだよ、真妃」
惜しみなく告げてくれる賛辞に恥ずかしくなる。
「あっ、有難う……」
お礼を口にしながら、それだけじゃ足りないような気がして、かんざしを挿し終え、何もなくなった清君の手をぎゅっと握った。
彼の温かな手のぬくもりは、いつでも真妃を支えてくれる。
「わたし、皆が納得してくれるような剣舞を踊って見せるから、――信じていてね」
もちろん、と頷いて、清君はもう一方の手で真妃の手を包み込む。
「信じてるよ。真妃、僕はいつでも君を信じてる。だから、何が起こっても負けないで。何があっても、君らしくいて」
清君の言葉が切実に胸に響く。
真剣に見つめてくる青い瞳から目を逸らさないまま、額に降ってくる優しい口づけに微笑んでみせる。
帰ろうか、と少し照れ臭そうに言いながら歩き出す清君の後に続く。
ふと繋がれている手に視線を落とし、真妃は彼と暮らすこの清梁こそが帰る処で、やがて儀式が終われば、永遠に自分の居場所になるんだと幸福な気持ちになった。