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02. 幸福に流れゆく日々(2)。

「――――素早さや正確さは今の様子でいいでしょう。ですが、いまひとつ、力強さが足りませんね」


 三部まである剣舞の通し稽古を終えた真妃は肩で息をしながらそれを聞いて、がっくしと肩を落とす。ひとつに結わいた黒髪も、動き回ったせいで乱れてしまい、はらりと前髪が顔にかかる。

 最初に比べたら雲泥の差だし、その中でも自分なりに満足の出来映えだったのに。

 それでも2つは及第点を貰えたことが慰めにはなる。剣を持つ手が滑って端で見学していた蒼軌のもとに放り投げていたあの頃に比べれば。あまりにも頻繁すぎて「わざとだろっ!」と怒られた。同じように清君が見ていたときには1回もなかったから、そう思われても仕方ない。

 それはさておき――――。

 端で腕を組み、真妃の動きを見守っていた師匠に視線を向ける。

 師匠は錆色の長髪をゆるく一つに結び、額に赤い布を巻いている。青い瞳には穏やかな光が宿り、面差しも優しく、纏う雰囲気も柔らかくて、とても武芸に秀でているようには思えないが、あらゆる武器の達人と呼ばれ、様々な国の武芸に精通しているらしい。一騎当千の諺を表すそのもののように彼一人で兵千人分の力があるらしいということも、清君が教えてくれた。その隣で、蒼軌は噂だろ、と肩を竦めていたけれど。


「この前は振り回してるだけのようにしか見えないと言われたので、力を抜いたんですが」

「ええ、あれは少しやりすぎで、今回は手を抜きすぎです。真国の剣舞の基本をもう一度」

「優雅に、素早く、――――力強く、です」

 真妃の言葉に師匠は鷹揚にうなずいた。

「そう。敵の目を誤魔化し、気づかれないうちに敵の急所に剣を突きつける。今の真妃さまは型に正確で動作も滑らかで素早い。ですが、一つ一つの動きに重みがない。軽やかだけでは上辺しか誤魔化されず、容易く跳ね返されます。いいですか、心に響く剣舞こそ、真国伝統のもの。では、舞いはじめるところから」

 師匠の言葉を合図に、真妃は再び立ち上がり稽古を続ける。


 彼が端に戻ると、そこで壁に寄りかかり見ていた蒼軌が苦笑を零した。

「優雅にっていうかさ、ほんとは師匠。色気がないって言いたいんだろ?」


 踊る真妃から目を逸らさずに、わずかに苦笑いを零す。

 彼の言う通り、優雅さのなかには色気が伴ってこそともいえる。だが、どんなに厳しい練習をしたところで今の真妃にそれを求めることはできない。彼女は幸福の中で育ち、笑顔でいてもらうために甘やかな日常に護られ暮らしている。悲しみやせつなさ。苦しみを表現するのは難しく、ましてそれらを表現できてこそ色気もそなわってくる。どんな達人であっても、今の彼女にそれを教えることは無理難題といえた。だからこそ、せめて正確さを求めて、優雅に躍らせる。


「――確かに、剣舞に必要なものですね。まぁ、それは後々の成長に期待するとしましょうか、清英さま」


 向けられた矛先に、熱い視線をひたすら真妃に注いでいた清英はからかいに動じる様子もなく応じる。

「いや。あれで色気なんて出てしまったら、僕は心配で目が離せなくなるじゃないか。真妃には可愛いままでいてもらわないと。彼女の色気は僕だけが知っていれば――って、師匠! なにをっ」

 唐突にぽかりっと頭を叩かれて、拳骨を落としたひとを見上げれば、嫌そうに眉を顰めていた。

「惚気話は蒼軌だけに話してください。ほら、真妃さまはもう少しかかるので、あなたたちは庭で木刀素振り一千回です」

 王族であっても自分勝手で容赦のない師匠は清英たちが幼い頃から相変わらずで、清英は思わず溜息をつく。

 文句を言ったところで、一度口にしたことを引くひとじゃない。

「はっ? なんで俺まで! 惚気たのは清英だろっ!」

 お互い長年の付き合いでわかっているはずなのに、いつもながら抵抗する蒼軌の首根っこをひっつかんで、清英は庭に下りることにした。



 素振り一千回を終わらせて汗びっしょりになった服を桶で洗い、木々に結んだロープに干して、清英と蒼軌は上半身裸のまま木陰に座り込んだ。大木に背中を預ける。

 裸になってもその背中に括りつけたままの剣はまるで彼の身体の一部のようで。

 まだ今より幼い頃、清英はその剣を見たいと我侭を言った。見たい見たいと、泣きじゃくってまで。どんなに困っても、絶交を言い渡されても、彼はけして剣を抜くことがなかった。

 ――――鞘から抜けば、不幸が訪れる。

 後から知ったが、そう強く言い聞かされていたらしい。

 好奇心いっぱいの子どもが言いつけを護るにはかなりの忍耐力がいるはずなのに、幼い清英は彼の事情を知りもせず、ただ自分の我を通そうとした。それを諌めたのは師匠だ。

 詳細は言えないが、蒼軌が一度好奇心にかられて、剣を抜いたとき。引き換えに両親を失ってしまったのだと教えてくれた。それから流れ流れて、彼は独り師匠のもとに預けられることになったと。

 更に数年後、王族である清英は蒼軌自身も知らない秘密を聞くことになり、それ以来彼は蒼軌の剣を見たいと口にすることはなくなった。できるなら、その秘密を墓場まで持っていきたい。そう願っている――――けど。

 見上げると、青い空のなかを悠然と白い雲が流れているのを見つける。

 こみ上げてくる焦燥感。どうしてかはわからない。ただ、掴めない、と思ってしまう。流れが速すぎる、きっと。大切なものを護りたいという気持ちと、自分では護れないかもしれないという恐怖。

(真妃――――。)

 ただひとつ、胸に咲く華。幼くして出会って、好意を持つようになり、彼女の笑顔を護りたいと決意した。そのときから、負の感情を抱いたときには彼女の笑顔を思うだけですべてが吹き飛んでいった。

(僕の大事な、大事な華。)

 空を見上げたままで物思いに耽っていると、不意に蒼軌が話しかけてきた。その声に隣に視線を移す。彼は瞼を下ろし、時折吹く風を心地良く感じているように穏やかな表情を浮かべている。


「……大国が浄国(じょうこく)を支配してるって、本当か?」


 表情とは裏腹の深刻な話題に溜息が出る。

 政治的な問題には興味がないわりに、情報は筒抜けらしい。王と王子である清英、上層部だけが知り得る機密情報なのに。それもごく最近判明した情報だ。

 誰とでも仲良くなり、懐へと容易く入ることができる蒼軌には様々な情報が持ち込まれることは知っていたが、それにしても。

 隠すのは無駄だと諦め、仕方なくうなずく。

「そうみたいだね。表向きは何もなかったように見せかけているけど、裏では大国の人間が王宮を押さえ込んでいるらしいよ」

「おかしいな。ただの領地拡大の戦争ってんなら、裏でコソコソやる必要はねぇだろ」

 気性のまっすぐな蒼軌らしい言葉だとしみじみ思う。

 清英自身、どんな思惑があるにしてもその理由が領地拡大だというのならかまわない。

「……ただ、あそこには」

 脳裏に浮かぶ、浄国の秘密。

 知るはずが――知られるはずがない。あれは真国と清梁だけに受け継がれるもの。たとえ浄国とはいっても過去の遺物があるだけで、何かを示すものは残されていないはずだ。

 最も、実際に訪れたことがない以上は、王と清英の推測の範囲でしかないことも事実だが。

「清英?」

 ――嫌な予感がする。

 その想いを振り払うように、勢いをつけて立ち上がる。蒼軌の前に立って、彼に手を差し伸べる。

「蒼軌、勝負しようか」

 怪訝な顔つきで見上げてくる。碧の瞳が、なに言ってんだと呆れていた。

「勝負、久しぶりに。今のところ4勝4敗1引き分けだからね。真妃を正式に妻にする前に君に勝っておきたいんだ」

「なにいってんだ。おまえと真妃のどこに俺の出る幕があるってんだよ」

 頑として動こうとしない彼に業を煮やして、無理矢理その手を取り彼の重い腰を引っ張り上げる。

「わかってる。僕の身勝手なけじめなだけだよ。頼むから勝負しよう!」

 お願い、頼む、滅多に口にしないその言葉に、蒼軌は渋々立ち上がり、しょうがねぇなと同意する。どんな時でも、彼は清英の頼みを断ることはしない。もちろん、逆も然りだが。


 自分でも理由がわからない。

 それでも今、どうしても蒼軌と勝負したいという衝動に清英は突き動かされていた。


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