08.パラディンと魔法使いと浮遊の魔法②
<エリックサイド>
沈黙に包まれたバステア邸を、二つの影が忍び歩く。辺りを警戒しながらも、手には片手剣と弓。お互いが信頼を寄せる武器に、思わず力がこもった。
「ここが両親の寝室だ」
装飾の施された大扉の前で、エリックが小声でつぶやく。アーシャは視線を巡らせ、頷いた。
「No.38《アウフシュリューセン》」
エリックの手から青白い光が鍵穴を抜け、静かにカチャリと寝室のドアが開錠される。
「もう手慣れたものだね。盗賊の方が適正あるんじゃない?」
「冗談いうな。これは厳重に管理された魔法で——」
ドアを押し開けようとした瞬間、エリックの動きが止まった。
「どうしたの?」
「中に、誰かいる……」
隙間から覗き込むと、広い寝室のベッドが目に入った。それぞれのベッドには夫婦が横たわる。そしてそのそばには、ローブを纏った人物が立っていた。体格から男性と推察できるが、顔はフードで深く覆われており判別できない。
領主の首元にそっと手を伸ばしたその瞬間、エリックは勢いそのまま部屋に飛び込む。
「その人に手を出す意味を——理解しているのか」
ローブの男が気付くより早く、エリックの繰り出したハイキックが胸めがけて炸裂する。
ガードがわずかに遅れたことでクリーンヒット。男は窓を突き破り、中庭へと弾き飛ばされた。
「アーシャ、両親を頼む」
エリックはそう言い残し、男を追って窓から飛び出した。
弾き飛ばされたローブの男は肩から無理やり着地し、地面を転がりながら体勢を立て直す。荒い呼吸を整えつつ顔を上げると、そこにエリックが降り立ち、腰の片手剣を抜き放った。
「目的は父の命か?」
「……」
男は無言のままフードの奥で視線を光らせ、両袖からジャラジャラと鎖を引き出した。鋭利な先端が月光を反射し、わずかに振るだけで空気を切り裂く。勢いをつければ人の体を易々と貫通するだろう。
「リーチの差があれば勝てると思っているのか?」
挑発に応えるように、男は右手の鎖を素早く振り回し、エリックめがけて投げ放った。
鋼が風を裂く音。だがエリックは一瞬の身の捌きでそれを回避し、そのまま懐へと瞬時に潜り込む。
「そんなもの、詰めれば何の意味もない」
低い姿勢から片手剣を大きく振り上げる。しかし、男は左腕をしならせ、鎖を横から打ち付けて剣の軌道をわずかに逸らした。
「……」
「いい判断だ」
エリックは剣を振りかざした体勢のまま、素早く蹴りを繰り出した。
「バステアの者に、近接戦闘で勝てるかな?」
ローブの男は無言で蹴り飛ばされ、地面を転がる。だが――その反応に、エリックは妙な違和感を覚えた。
「……なんだ。まるで傀儡を相手にしているような……」
一方その頃、部屋に残ったアーシャは領主夫妻に駆け寄り、呼吸を確かめる。
「呼吸していない……死んでる? でも、体温はある……」
眉をひそめ、手を離す。
「まるで深い眠りのような……いや、催眠? でも、人間に直接作用する魔法なんて……」
彼女の背筋を冷たい戦慄が走る。
「まさか……この屋敷全体が魔法の結界に包まれてる?」
考えを巡らせながらも、今は立ち止まってはいられない。
アーシャは窓際まで駆け寄り、外で戦うエリックに声を張り上げた。
「エリック! その男……様子がおかしい! 屋敷に掛けられた魔法の名前を聞き出して!」
アーシャの声が中庭を渡り、エリックの耳に届いた。
「魔法の名前……? まったく無茶を言う。こいつ、一言も発しないってのに!」
直後、鎖が風を裂いて唸りを上げた。
エリックは咄嗟に左腕を差し出し、迫る鎖を巻き取るように受け止める。
「……ぐっ!」
鎖は生き物のように食い込み、互いの腕に力がこもる。引き合う膂力は拮抗し、地面がきしむほどだった。
「埒が明かないな……!」
エリックは右手の剣を大きく振り下ろし、鎖を斬り裂いた。金属が悲鳴を上げ、断ち切られた先端が地面に弾け飛ぶ。
「一本は無効化したか……」
汗をぬぐう間もなく、残る鎖が蛇のように身をくねらせ、再びエリックへ襲いかかってきた。
跳躍。地を蹴った瞬間、鎖が足首をかすめ、石畳に深い溝を刻む。
着地と同時に剣を振り下ろし、火花を散らしながら鎖をはじく。
金属と金属がぶつかる音が、夜の空気を切り裂いた。
一見すればただの賊との斬り合い。
だが――エリックの胸に広がる違和感は、もはや疑念ではなく確信に近かった。
「……なぜ魔法を使わない?」
鋭い問いを浴びせても、男は沈黙したまま。
ただ鎖を振るい、再び投げ放つ。
もしこの状況を目の前の男が作り出したのなら――当然、魔法で制圧しようとするはずだ。
にもかかわらず、男は黙したまま、ただ無言で鎖を操り続ける。
「もうすぐ会えるよ……エレナ」
男は誰にも聞こえないような、か細い声でつぶやいた。
【リコール・ウィッチをさらに楽しむための情報】
人体に作用する魔法は存在しない。