02.アーシャと市場と花火の魔法①
地下室を抜けた先には——
「それじゃ、あとは頑張って」
小柄な少女は一言だけ放つと、くるりと踵を返し、鉄の扉を押し開けて外へ出ていった。
「ちょっと、待ってよ! ねえ!」
セリナは慌てて追おうとするが、脚の拘束が残ったままで、腰から崩れ落ちる。
気を失った男と二人きり。
セリナは隅に立てかけられたレイピアをつかみ、刃をきらめかせて拘束具を断ち切った。
カチャン、と金属の輪が床に落ちる。
レイピアを鞘さやに納め、倒れた男を一瞥したのち、少女の後を追って扉を踏み越こえた。
扉の先は予想通り、石造りの階段が数段続いていた。
上り切ると、焦げ臭さが鼻をつく。
そこは男の自宅らしき室内だったが、壁も天井もススで覆われ、崩れかけている。
――あの爆発音は一階が吹き飛んだものだったのだと理解する。
「これ……あの子がやったの?」
地下に降りてきた理由も、わざわざ自分を助けた理由もわからない。
ただ彼女は「回収の魔女」と名乗った。
セリナは残り火の漂う家を後にし、少し先に見えた街を目指して歩き出した。
そう遠くないはずの、あの魔女の背中を追って。
坂を下ると現れたのは中継都市レガースの街。
赤いレンガ造りの建物が並び、小さな市場は日々賑いを見せている。
来る者を拒まない空気と、冒険者を歓迎する活気が街に満ちていた。
――ここに、きっと彼女がいる。
わずかな希望を胸に、セリナは大通り沿いの宿の門をくぐった。
受付には初老の女性が腰かけていた。
「こんにちは。今晩泊まりたいんですけど、空いてますか?」
「いらっしゃいませ。……そうね、あいにく今日は冒険者が多くてね、部屋はいっぱいだわ」
予想していた答えに、セリナは肩をすくめる。
「そうですか。他をあたりますね。ありがとうございます」
「――ちょっと待って。相部屋でもいいかしら? 少し広めの部屋に、女の子がひとりで泊まっているの。さっき帰ってきたばかりだけど」
その言葉に、セリナの胸が跳ねる。願ってもない展開だ。
「本当ですか? そこでも大丈夫です!」
あの小柄の少女かもしれない。そう思うとセリナは食い気味に答えていた。
「分かったわ。相部屋になることはもうその子に伝えてあるから、二階の一番奥の部屋へどうぞ」
宿代を払い終えると、胸を高鳴らせながら階段を駆け上がった。
二階の一番奥――目指す部屋の前に立ち、そっとドアノブを回す。
きしりと音を立てて扉が開いた。
「こんにちは……」
控えめに顔を覗のぞかせると、あの栗毛のショートカットの少女がベッドに腰かけ、紙を広げていた。
「いた!」
思わず声が大きくなる。
少女はちらりとこちらを見やり、眉をひそめる。
「……どこかで会った?」
「いや! ついさっき会ったでしょうが!」
セリナの必死の抗議もどこ吹く風。
少女は興味を失ったように視線を紙へ戻し、手を動かし始める。
「今日は相部屋だから、よろしくね。私、セリナ」
一拍の沈黙。
「……アーシャ」
短く名を告げると、彼女はまた黙り込む。
――回収の魔女、アーシャ。
「アーシャ。いい名前ね。何をしていたの?」
セリナはベッドに近づき、身を乗り出すように覗のぞき込む。
広げられた紙には、びっしりと文字が並び、ところどころに奇妙な挿絵が描かれていた。
素人目にも独特なタッチで、彼女だけの世界観を持っているのが分かる。
「別に。魔法について調べたことをまとめてるだけ」
「魔法! やっぱり、あなた魔法を使ってたわよね?」
「……だから言ったでしょ。あれは“魔法”じゃないって」
「しっかり覚えてるじゃないの」
「……あ」
アーシャは気まずそうに頬をかき、そっぽを向く。
「魔法が本に吸い込まれてたけど、あれって何だったの?」
「言った通り。私は“回収の魔女”。魔法を回収しているだけ」
「じゃあ……やっぱり魔法って、本当にあるのね」
「……あるよ。セリナはノンマギアで育ったんだね」
「ノンマギア……?」
「魔法を使わない生活様式のこと。逆に、魔法を中心に暮らす人たちは“アルテミア”って呼ばれてる。村ごと、家ごとノンマギアってことも多いから、知らなくても不思議じゃない」
アーシャはベッドに広げた紙を束ね、トントンと整えてた。
「そうなんだ……。じゃあアーシャはアルテミアなの?」
「私は……ノンマギアかな。でも、魔法についてはたくさん調べた。――回収するためにね」
「なんで魔法を回収するの? 魔法で生活している人もいるんでしょ」
セリナの問いにアーシャは目を細め、一拍置いて口を開いた。
「質問が多い……いるよ。八十年前に“復活の魔女”が世界に魔法を広めてから、すぐに人間の生活に組み込まれた」
「復活の魔女って?」
「昔封印された魔法を復活させて、世の中に広めた魔女だよ。でも、魔法は便利だけど安全じゃない」
「そりゃあそうかもしれないけど……悪いことに使うやつがいる程度じゃないの?」
「違う。魔法は“権力の象徴”になったんだ。全部で三百三十三個あるけど、番号が低い魔法は生活に密着したもの。けど三百番台になると――国を滅ぼす規模だよ」
「国を……」
セリナは茫然と口を閉ざした。
想像を超える話に、軽い憧れで魔法を求めていた自分が場違いに思えた。
「魔法は本来、人間の生活に必要ない。だから私は、回収する」
アーシャは紙束をまとめてリュックに押し込み、さっさと立ち上がる。
「ちょっと、どこへ行くの?」
「ご飯」
「一人で? ……誘ってよ!」
「えー……勝手にすれば」
「じゃあ、ついていくわ!」
*
アーシャは小さな足取りで宿を出ると、隣の酒場へ入った。
「いらっしゃい! 何名様?」
明るい声をかける店員に、アーシャは短く答える。
「ひと」「二人でーす!」
セリナの元気な声がそれを上書きした。
「……なんで」
アーシャが眉をひそめる間に、セリナは壁際の席に腰を下ろし、机を軽く叩く。
「ほら、座って。さっき助けてくれたお礼もあるし、一緒の方が美味しいでしょ?」
「人数で味は変わらないよ。調味料の配分の話?」
「違うわ!」
二人がランチセットを頼み終えると、セリナが身を乗り出して切り出した。
「ねえ、なんで魔法を回収するの? 危ない魔法があるのはわかったけど」
「ある人に頼まれたんだ」
アーシャは淡々と答える。
「ふぅん……。三百三十三個の魔法を全部? 途方もない旅じゃない。今、どれくらい集まったの?」
「一年と少しで5つだけ」
「すくなっ! もっと世間にあふれてるものかと思ってた」
「広まってるのは番号の低い“生活系”ばかりだよ。目につく魔法なんでも回収してたら、きっとすぐに殺される」
「殺す!? なんでいきなりそんな物騒な話になるのよ」
「回収された魔法は世界から“概念ごと消える”。二度と誰も使えなくなるんだ。……私は、世界から魔法を消している」
アーシャはその重さを十分に理解していた。小さく息を吐き、遠い目で窓の外を見つめる。
「それってつまり……困る人も出てくるんじゃない?」
セリナが恐る恐る口を挟む。
「だから生活系は後回しにしてる。一度、回収したことがあって……」
言葉を選ぶように口をつぐんだその時、タイミングを計ったかのようにランチプレートが目の前に置かれた。
熱々のハンバーグがジュウジュウと音を立て、ソースの香ばしい匂いがふわりと立ちのぼる。
「……さ、食べよ」
セリナがわざと明るく言い、重苦しい空気を切り替えた。
目の前のハンバーグをナイフで丁寧に切り、口に運んだ。
【リコール・ウィッチをさらに楽しむための情報】
復活の魔女は歴史の研究過程で魔法を復活させた。