第0話 プロローグ 次元望遠鏡について
時は遡り、ホー博士が勇者ギルド星に来て間もない頃、
勇者ギルド星の博物館、
そこは、宇宙の果てから採取されたありとあらゆる珍品が、所狭しと並ぶ異質な空間だった。整然とした陳列とは無縁で、展示物は採取された星域ごとに雑多に分けられ、まるで学術研究と宝探しが混在したような雰囲気を醸し出していた。
ホー博士は「宇宙の端」とラベルが貼られた一角にいた。
彼の視線は、そこに無造作に立てかけられていた黒く細長い筒状の装置に釘付けだった。
ホー博士
「これは、望遠鏡? いや、違う。反射構造がない。それに、この魔法陣は複雑すぎる?座標?」
彼は、装置のレンズに目を当てて覗き込む。だが、見えるはずの何かは、そこにはなかった。ただ静かに沈黙を保つ異物。それでも、彼は諦めきれずに何度も角度を変え、焦点を探していた。
そのとき、背後から軽やかな声がした。
グネル
「それは“次元望遠鏡”よ」
ホー博士は驚いて振り向いた。
そこには、茶色の髪をポニーテールに結い、白衣の裾を翻す女性が立っていた。彼女は装置に歩み寄り、その表面を優しくなぞる。
グネル
「宇宙を、神の視点で俯瞰できる道具。空間だけじゃない。時間すらも拡大縮小して“観測”できたらしいわ。」
ホー博士
「まさか、過去や未来までも?」
彼女はにこりと笑った。
グネル
「伝承によれば、未来予測の魔術と一部の干渉魔法を組み合わせていたらしいけど、今はもう動かないわ。この次元望遠鏡、太古の大戦で中枢部分が破損してるの。」
ホー博士は興奮を抑えきれず、装置の脚部に刻まれた文字を指でなぞった。
「信じられない。もしこれが直せたら、宇宙の起源すら覗けるかもしれない!」
彼女は彼の横顔を一瞥し、少し微笑んだ。
グネル
「いずれ、私が直してみせるわ。興味があるなら、一緒に研究してみる?」
ホー博士は少し間を置いて、手を差し出した。
「ホー博士です。元・地球の科学者で、今はここで学ばせてもらってます」
グネル
「グネル。神器研究者よ。科学者と名乗る人に会ったのは久しぶりだわ」
ホー博士は小さく笑った。
「こちらこそ、神器という言葉を聞いてわくわくしたのは初めてです。」
博物館の薄暗い照明の中で、次元望遠鏡のレンズが微かに煌めいた。
・・・・・・・
グネルが静かに手を引くと、ホログラムの銀河はゆっくりと収束し、再び装置の中心に吸い込まれていった。
彼女は視線をホー博士に戻し、ふっと柔らかく笑った。
グネル
「実はね。これによく似た“次元望遠鏡”が、今でも実際に使われている場所があるのよ。」
ホー博士
「どこに?」
グネル
「博物館の地下、探査局。宇宙の座標を精密に調査するために設置されてるの。ユリン局長の管轄よ。」
その名前に、ホー博士の目が一瞬輝いた。
ホー博士
「ユリン局長、ああ、知ってるよ。前に“ホムンクルス培養神器”を借りに行った時、挨拶を交わしたことがある。冷静沈着で、妙に目の奥が澄んでいた女性だった。」
グネル
「そう、あの人。見かけは若いけど、あれでも百年以上探査局にいる古参。時空の“地図描き”よ。」
ホー博士
「時空の地図。まさか、宇宙の“揺らぎ”や“分岐点”を、次元ごとに記録してるってことか?」
グネル
「ええ。局長はこの次元望遠鏡を使って、あらゆる可能性世界の位置と座標を調べているの。“ここではないどこか”に開く扉を、必要な時に開けられるようにね。」
グネル
「例えば、アリのような小さな虫は、自分の歩く範囲しか世界を認識できない。牛や豚のような動物は、目に見えるものしか理解できない。でも人間は違う。望遠鏡、顕微鏡、コンピューター、魔法すら使って、認識できる世界をどんどん広げてきた。」
ホー博士
「なるほど。私たちは“見る”ことを通じて、世界の輪郭をひろげている」
グネルは頷き、ホログラムの中からひとつの銀河を指で引き寄せた。それは次第に拡大され、構造が層になって見えてくる。
グネル
「今では、異次元の世界すら、理論と装置によって“見える”ようになった。でも、宇宙の果てはどう?その外側は?――いまだに、私たちは“そこ”を認識できない。」
ホー博士はホログラムを見つめながら呟いた。
ホー博士
「空間も、時間も、そして次元さえも……観測の限界が、私たちの限界だった。だが、この望遠鏡はその限界を、越えられる?」
グネル
「そう、“次元望遠鏡”は神の視点に近づくための装置。空間をねじ曲げ、時間をたたみ込み、存在するすべての層を一枚の地図のように俯瞰する。観測できれば、理解できる。理解できれば、干渉もできるかもしれない。」
ホー博士の背筋に震えが走った。この装置が意味するもの。それは、博士が夢見てきた宇宙の謎への鍵を示唆していた。
ホー博士
「これは、ただの観測機器じゃない。人類の、いや、知性ある存在すべての、次の進化の一歩かもしれないな。」
・・・・・
博物館の奥深く。通路の壁には、過去の宇宙探査記録や失われた星々の地図が飾られていた。
ホー博士、グネル、そしてコンの3人は、かつてホムンクルス神器を借りに来た時と同じ通路を歩いていた。
ホー博士
「懐かしいな。あのときも、あの狐の尻尾に驚かされたっけ。」
グネル
「フフ、初対面で“可愛い”って言ったって、ユリン局長から聞いたわよ。」
コン
「博士、緊張してるのに口が滑るの、いつものことですしね。」
まもなく、探査局の自動扉が開き、中から白衣を翻しながら歩く小柄な少女が現れた。ふわふわの白い髪、そして、立派な狐の尻尾がふりふり揺れていた。
ユリン局長
「おや、また来たのか。ホーさんじゃないか。」
ホー博士
「ご無沙汰してます、ユリン局長。あのときは本当にお世話になりました。」
ユリン局長
「ボードは元気かい?しゃべりすぎて、周囲に煙たがられてないか?」
ホー博士
「ええ、相変わらず賑やかですが、頼りになる存在ですよ。」
ユリン局長はくすりと笑い、手をひらひら振った。
「で、今日は何しに来たんだ?また“神器借ります”とか、言わんだろうね。」
グネルが一歩前に出た。
「今回は、次元望遠鏡のことで。博士に、もっと“広い宇宙”のことを教えてあげてほしいの。」
ユリン局長は目を細め、ホー博士の目をじっと覗き込んだ。
「“広い宇宙”ね。よし、ついてきな。あんたになら見せてもいいさ。」
案内されたのは、探査局の奥の部屋、そこには、幾重にも魔法陣が重ねられ、時間の流れすら揺らいでいるような不思議な空間が広がっていた。
中央に据えられたのは、淡く光を放つ次元望遠鏡。その表面は水面のように揺れ、見る者の“意識”を写すかのように映像が移り変わっていた。
ユリン局長
「これが、私たちが使っている“次元望遠鏡”。この宇宙の空間だけじゃない、あらゆる宇宙の座標を探査できる装置だよ。」
ホー博士
「まるで、この宇宙が、“ひとつの泡”に過ぎないとでも言いたげですね。」
ユリン局長
「正解。その泡の数は、現在観測できるだけで膨大な数になる。今あんたがいるこの宇宙すら、外側の構造の一部に過ぎない。」
ホー博士は思わず声を失い、望遠鏡の投影する多元宇宙のホログラムを見つめた。そこには、自分たちの世界と酷似したものも、全く異なる法則で動くものもあった。
ホー博士
「これは、我々の科学が届く範囲を、完全に超えている。」
ユリン局長
「“認識すること”は、責任を持つことでもある。広い宇宙を見て、自分が何者なのか、どの泡の上に立っているのか。それを忘れるなよ。」
グネル
「博士、これが“神の視点”よ。目の前に広がる、すべての可能性世界。」
ユリン局長は尻尾をゆらし、にっと笑った。
「じゃあ、まずは次元座標の見方から教えてやるか。“無限の地図”を読み解くには、ちょっとしたコツがいるからな。」
・・・・・・
次元望遠鏡が描き出すホログラムの中には、見慣れた銀河とは異なる奇妙な構造の宇宙がいくつも浮かび上がっていた。
ユリン局長はその中のいくつかを指で弾くようにして拡大しながら、説明を始めた。
ユリン局長
「これが、“魔素のない宇宙”だ。ホーさんが生まれた宇宙だね。魔法の根源となる粒子、魔素がまったく存在しない。珍しいタイプだよ。」
ホー博士
「なんと、私の知る宇宙は珍しいタイプの宇宙だったのか。」
ユリン局長
「そうだな。向こうから見れば、魔法文明のほうが異常に見えるだろう。だが興味深いのは、魔素がない分、科学的な文明を構築している。機械信仰の世界と言ってもいい。」
次にユリン局長は、暗黒の宇宙を映し出した。銀河の代わりに、淡く光る対称的な粒子群が渦を巻いていた。
ユリン局長
「こっちは“反物質の多い宇宙”。この宇宙には絶対に行ってはいけない。通常物質でできた我々の身体は、入った瞬間、反応して消し飛ぶ。物質と反物質が触れ合えば、すべてがエネルギーに変わるからな。」
ホー博士
「なるほど、それは“存在の拒絶”そのものだ。」
ユリン局長
「でも観測対象としては一級品だ。こっちが物質優位なのと同じように、あっちは反物質が優位なだけ。対称性の破れの結果だ。」
さらにユリン局長は、穏やかで淡い光に包まれた宇宙を表示した。その構造は美しく、崩壊や膨張の気配がまったくない。
ユリン局長
「そしてこれは、“重力定数の極端に小さな宇宙”。あらゆる力のバランスが取れていて、エネルギーの流れがとにかく安定している。ここの物質は面白いぞ。原子番号200番までも安定した元素として存在できる。」
ホー博士
「200番?あり得ない。うちの宇宙じゃ、100番を越えるとどれも不安定で崩壊してしまうのに。」
ユリン局長
「ここでは、力のスケール自体が違うんだ。超重元素の結晶文明なんてのも観測されたよ。まるで宝石の都市が浮かんでるみたいだった。」
そして、ユリン局長はホログラムの空間をゆっくりと“ねじる”ようにして、銀河全体の色調を変えた。まるで映像が滲み、ぼやけたように見える。
ユリン局長
「それと、忘れてはいけないのが“位相”の概念。宇宙には、目に見えない“位相の層”があって、ほんの少しでも位相がずれると、物理法則が適用できなくなる。」
彼女はふっと笑い、ホー博士に小さな巻物のような魔道具を手渡した。
ユリン局長
「“位相操作魔法”。次元望遠鏡の付属品だ。研究してみなさい。位相というものを理解できる。」
ホー博士
「これは!」
ホー博士は魔道具を見つめ、目を見開いた。
ホー博士
「ありがとう、ユリン局長。研究してみます。」
ユリン局長は、くすっと笑って狐の尻尾を一振りした。
ユリン局長
「よし、また来な。進展があったら報告してくれ。私も楽しみにしてるからさ。」
・・・・・
場所は、ホー博士が拠点としている研究室。天井まで届く書架と、古代の魔道具と最新の科学装置が共存する、まさに魔法と科学の交差点。
その中央に設置された石製の作業台には、ユリン局長から渡された“巻物型魔道具”が静かに横たわっていた。金属フレームと水晶玉が組み込まれ、淡く脈打つような光を放っている。
ホー博士
「さて、これが“位相操作魔法”の核となる術式か。だが、どこから解けばいいやら。」
グネル
「魔法陣の構造が複層式になってるわね。しかも、中心が時空座標式で周囲に因果律干渉層。さすがユリン局長、情報量がえげつないわ。」
ホー博士は巻物の魔道具に、別の魔道具を使って魔力を流し込んでみた。すると、巻物の魔法陣が自動的に展開され、空中にいくつもの“位相パターン”の波形が浮かび上がる。
ホー博士
「これは、波動位相図?いや、違う。ここにあるのは“宇宙そのものの位相値”!」
グネル
「なるほど、宇宙Aの位相が0.00なら、宇宙Bは+0.003、Cは-0.011とか。この微差が物理法則の違いを生むのね。」
ホー博士はうなずき、メモ用紙を取って計算を始める。
「この巻物には、既知の宇宙から収集された位相値のデータが網羅されてる。もしこの値に対応する位相パターンを発生させれば!」
グネル
「異なる宇宙の位相を再現できるというわけね。」
ホー博士
「問題は、この調整に必要な精度だ。位相が0.0001でもずれたら、物理法則が違うかもしれない。」
グネル
「そこは、私が魔力制御を補助する。博士は位相の調整に集中して。」
ホー博士は小さく頷き、道具棚から透明な水晶片を取り出して机に並べた。
「まずは、仮想の位相領域で試す。虚構空間に“位相の影”を投影して、魔力の反応を見よう。」
【実験・位相仮投影モード起動】
グネルが詠唱し、室内の魔方陣が淡く発光する。
「仮想宇宙“B-014”に照準合わせた。位相値+0.0034。魔力スタンバイOK。」
ホー博士
「調律開始。魔力波形、出力、」
水晶片に淡い光が差し込み、虚空に歪んだ影が揺れ始める。それは“まだ接続されていない宇宙”の影。空間がざらつくような感覚に包まれながら、ホー博士の手元の魔道具がビリビリと震えた。
ホー博士
「よし、成功だ。“干渉”できてる。仮想だけど、初の位相安定投影ができた!」
グネル
「やったわね、博士、これは使える!この調整技術が完成すれば、本当にどんな宇宙の空間でも再現できるようになるかも!」
ホー博士は大きく息を吐き、巻物をそっと閉じた。
「ありがとう、グネル。次は実空間の位相調整に挑もう。だが慎重に。これは、宇宙のルールを変える行為だ。」
グネル
「もちろんよ。ちゃんと準備しておくわ。」
・・・・・
ホー博士の研究室。
石の作業台の上に、小さな青いガラス細工のドラゴンの置物が置かれていた。細かい鱗の彫刻と、羽ばたくような翼の造形が美しい逸品だ。
ホー博士
「さて、この子で試してみよう。対象の“存在位相”をズラす。あくまで数秒だけ、戻せるよう安全措置もかけておく。」
グネル
「魔力安定フィールド、展開完了。博士、いつでもどうぞ。」
ホー博士は軽く頷き、ユリン局長から借りた魔道具の巻物を展開しながら、置物に向かって詠唱を始めた。
ホー博士
「《調律式展開、第七位相へ偏移》――“見えるが触れず、触れずして在る”」
魔法陣が置物の下に浮かび上がり、青いドラゴンが淡く発光したかと思うと――
スッ――
空間から“消えた”。
だが、その場の空気が微かに揺れている。グネルがそっと手を伸ばすが、触れることはできない。
置物の「存在」は感じられるのに、目に見えず、触れることもできない。まるで幽霊のような状態だった。
グネル
「これ、完全に幽体化してるわね。存在波長が私たちの感覚とズレてる。けど、確かに“ここ”にいる。」
ホー博士
「魔力の反射はあるけれど、重さはゼロだ。だが視覚と接触も完全に透過されている。これはまさに“位相幽霊状態”だな。」
グネル
「すごいわ。でも、これはいったい何に使えるのかしら?」
ホー博士は腕を組み、静かに考え込んだ。
ホー博士
「一時的な隠蔽?透過移動?観測妨害?いや、まだ応用は見えてこないな。だが、」
彼は小さく笑い、机の上に戻ってきた光のような置物をそっと撫でた。
ホー博士
「基礎研究ってのは、こういうもんだ。何の役に立つのか分からない。でも、ここで得られた“知識”が、いつか誰かの命を救うかもしれない。」
グネル
「うん。たとえ今は意味が分からなくても、未来の誰かが道を見つけてくれる。そういう種を撒くのが、私たちの仕事よね。」
ホー博士
「その通り。さあ、次は“生物”にも使えるか、慎重に調べてみよう。まずは植物あたりで……」
グネル
「了解、博士。幽霊化した観葉植物なんて、ちょっと面白そう。」
研究室の奥で、魔法陣が再び淡く光り始めた。
・・・・・
ホー博士とグネルの位相変動実験は、順調に進んでいた。
次の被験体は、研究室の隅にある地球から持ってきた観葉植物、背丈ほどの葉を広げるモンステラだった。
グネル
「準備OK。対象、観葉植物“モンステラ”。魔力フィールド安定。」
ホー博士
「それじゃあ、実行。第七位相へ変調、魔素量を観葉レベルに調整。」
光の波紋が葉を包み、植物は一瞬で“見えなく”なった。ドラゴンの置物と同様、そこに“ある”のに、視覚にも触覚にも反応しない。
ホー博士
「ふむ、生体組織にも成功か。これなら、動物への応用も理論上可能だ。」
そこから、実験は段階的に規模を拡大していった。
まずは書棚、次に実験台、続いて研究室の壁の一部、そして最終的には、建物全体の一部を包み込むという大胆なテストへと進んだ。
【数日後】
研究所の外、魔法的に隔離された実験エリア。そこに用意されたのは、小型の魔石を動力源とする仮設シェルター。
グネル
「大型魔石“階層Ⅲ”使用。出力は従来の十倍。準備完了。」
ホー博士
「では実行。“構造物全体の位相ずらし”。第六位相へ同期、安定化。」
仮設シェルターが、まるで空気の中に沈み込むように消えた。だが、周囲の魔力検出センサーには反応が残っていた。
グネル
「成功!全体が幽霊化してる。内部の時計も正常、気圧も変動なし。」
ホー博士
「これで確信が持てた。対象物の質量や大きさに制限はない。問題は“魔石の出力”だけだ。」
グネル
「つまり、魔石が十分に大きければ、“惑星全体”を丸ごと幽体化、いや“位相ずらし”することも理論上は可能ということね。」
ホー博士は深く頷いた。
ホー博士
「重力、気圧、生態系、すべてを維持したまま、位相をズラして“隠す”ことができる。攻撃を受ける前に、惑星ごと“この宇宙から見えなくする”ことが可能になる。」
グネル
「まるで、防御魔法の究極系ね。“存在そのものを世界から一時的に退避させる”。これ、応用次第では、惑星規模の災害対策になるかもしれないわ。」
ホー博士
「うむ、例えば、超新星爆発、ガンマ線バースト、ブラックホールの接近。避けられない災厄から、“一時的に宇宙の外側へ避難”する。そういう使い方もできるかもしれないな。」
二人は、静かに実験場を見つめた。
目には見えないが、“そこにあるはずの建物”の輪郭を、確かに彼らは感じ取っていた。
ホー博士
「やはり、科学と魔法が融合したからこそ到達できた領域だな。ユリン局長に報告しなければ。」
グネル
「ええ。きっと、また尻尾をふりふりして喜ぶわよ。」
・・・・・
博物館の探査局。
古びた石畳の通路を抜け、魔導仕掛けの扉が静かに開く。中からは、いつも通り魔力を帯びた空気と、柔らかな光が漂っていた。
ホー博士
「やあ、また来てしまったよ。今回はお礼も兼ねてね。」
グネル
「博士、その包み、持ち方が逆よ。上下さかさま。」
ホー博士
「おっと、いかんいかん。せっかく持ってきたのに崩れたら悲しいからな」
二人が探査局の執務室に足を踏み入れると、奥の机で何かの魔導地図を眺めていたユリン局長が、くるりと振り向いた。
ユリン局長
「おやおや、珍しいな。また“神器借ります”って流れかい?」
ホー博士
「今回はその逆だよ。おかげさまで、“位相ずらし”の実験、成功したんだ。」
ユリン局長はぴくりと狐の尻尾を動かして、興味深げに二人を見つめた。
「ほほう、これは報告が楽しみだねぇ。でもその前に、その包みは?」
グネルが苦笑しながら説明する。
「地球のコンビニボーソンの新作スイーツなんですって。“実験成功祝いに持っていこう”って朝から張り切って転移陣で入手してました」
ホー博士
「フルーツ入りブランデーケーキだよ。お礼に君に渡そうと思って、持ってきたんだ」
ユリン局長は嬉しそうに目を細め、尻尾をふわりと揺らして受け取った。
「おお、こりゃ珍しい。地球産とは、ホー博士、やるじゃないか。私を口説くにはまず胃袋からってわけだな?」
ホー博士
「いや、いや、それは、まあ、これはお礼なので、受け取ってくれるとありがたい」
グネル
「半分は本気らしいです。」
ユリン局長はくすくす笑いながら、テーブルの上に包みをそっと置いた。
「ありがとう。あとでお茶淹れて食べるとするよ。で、本題といこうか。成功したってのは?」
ホー博士
「はい。小物、植物、建物、そして小規模構造物まで“幽体化”に成功しました。実験から得られた結論は、十分な魔石があれば、惑星レベルでの位相ずらしも理論上は可能ということです。」
ユリン局長は目を見開き、しばらくの間、驚いたように二人の顔を見ていた。
だが次の瞬間、
ユリン局長
「やっぱりやったか、君たちならやると思ってたんだ。あの魔法を理解して、ここまで拡張できるとは!」
彼女は心から嬉しそうに、机の上の玉座型クッションに座り直し、にっこりと微笑んだ。
ユリン局長
「いいね。じゃあ今度は、本当に“宇宙から姿を消す”実験をしてみようか。もちろん、安全第一でな。」
グネル
「ええ、次は十分に大きな魔石の手配と、周囲への影響範囲の確認をしてからね」
ホー博士
「そのときは、また新作スイーツを持ってくるよ。いろいろなスイーツを食べるのが私の趣味なんだ」
ユリン局長
「じゃあ今度は、地球のアップルパイとやらを頼むよ。シナモンたっぷりのやつが美味いと聞いたのでね。」
三人の笑い声が、探査局の静かな空間に優しく響いていた。