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8.戦場の英雄


 うだるような暑さが落ち着き、心地よい風が吹くようになった頃。

 アルデバラン公爵とシリウス様が戦場から帰還されたので、お義母様と屋敷の使用人たちとともに、お出迎えする。


「あなた! シリウス! 良く無事に帰って来てくださいました!」


 お義母様は、一目散にお二人の元へと走って行かれた。

 この半年間、気丈に振る舞われていたけれども、内心は不安でたまらなかったはずだ。

 お義父様に肩を抱かれて涙を流すお義母様。

 家族の感動の再会に胸が熱くなる。


「シリウス、あなたはミラの所に行ってあげなさい。この半年間、あの子はこの家の仕事をこなしながら、あなたの帰りを健気に待っていたのよ? それに、お父様にもご紹介して差し上げないと」


 お義母様はシリウス様の背中をそっと押した。


 早足でこちらに近づいて来られるシリウス様⋯⋯

 直接お会いするのは卒業以来だ。


「ミラ、長い間留守にして申し訳なかった。これからはずっと側にいるから。会いたかった。ずっと会いたかった」


 正面からぎゅっと抱きしめられると、シリウス様の温かい体温を感じた。

 規則的な鼓動が聞こえると、本当に帰って来られたのだと実感が湧く。

 良かった。目立ったお怪我もなさそう。


 半年の間に更に背が高くなられて、筋肉もついて逞しい印象になられた気がする。

 

「シリウス様、ご無事で何よりです。お疲れ様でした」


 再会を喜び合ったあとは、シリウス様から義父となる公爵閣下にご紹介頂けることとなった。


「そうか。君がミラか。どうか息子のことを、この家のことを頼んだ」


 お義父様は辛そうに目を細めながら私を見た。

 その仕草に違和感を覚える。


「あなた、もしかして、どこか悪いの⋯⋯?」


 お義母様はお義父様の胸に手を置き、心配そうにその顔を見上げた。

 

 言われてみれば、先ほどからお義父様はずっと目をまぶしそうに細めていて、肖像画に描かれた凛々しい目元とは様子が違う。


「実は、敵軍が化学兵器を使ってきよって、目が⋯⋯」



 お義父様の視力はそこから数週間かけて徐々に低下して行き、日常生活にも介助が必要な状態になってしまわれた。

 

 負け知らずの戦場の英雄が、現役を退かざるを得なくなった事で、公爵家の実質的な当主はシリウス様となり、公爵位も生前移譲されることとなった。


 お義父様とお義母様は、しばらくの間、領地内の静養所でお過ごしになるとの事だ。

 今まで多忙だったお二人が、空気と水が澄んだ場所で、静かにゆったりと夫婦の時間を過ごせるといいのだけれど。



「それでは急な事で申し訳ないけれど、お願いね」


 お義母様はお義父様の腕を支え、馬車に乗り込む。


「家の事は僕たちにお任せください。お気をつけて」


「あぁ。よろしく頼んだ」


 お義父様は弱々しい様子で片手を挙げた。


 走り去っていく馬車をシリウス様と使用人たちとともに見送る。


「父親が弱って行くのを見るのは、こんなにも辛いものなのだな。それも、幾多の戦場を勇ましく駆け回っていた父上が⋯⋯」


 そう語るシリウス様の表情は暗い。

 子どもの頃から追いかけて来た大きな背中が、急に小さく見えたのだとしたら、切なくなるのは当然のことだ。

 それも、戦場で敵国から被害を受けただなんて、やりきれない。

 

「そうですね。けれども、お義父様が偉大なお方であることは、未来永劫変わりませんから。今は気を落とされていらっしゃいますけれども、静養なさって、少しでもそのお心が安らぐと良いのですが⋯⋯」


「確かに君の言う通りだ。父上が残された功績まで失ってしまったわけではない。今まであの方は働き詰めだったのだから、休ませて差し上げないとな」


 シリウス様の手がそっと伸びて来て、手を握られる。

 彼の顔を見上げると、先ほどよりは、ほんの少しだけ表情が和らいだように見えた。

  


 それからは慌ただしい日が続いた。

 お義父様とお義母様がご不在な分、自分たちだけて仕事をこなさなければならないから。


「これからはもっとレオニスを頼ろう。彼なら使用人や家の資産の管理なんかは任せられる。もちろん最終責任者は僕だ」


 シリウス様は、執事長のレオニスにいくつかの権限を与え、仕事を任せることになさった。

 レオニスはシリウス様がお生まれになる前から、この屋敷で働いていたとのこと。

 これ以上の適任はいない。


「どうぞ、私めにお任せください」

 

 レオニスは丁寧な所作で、深々と頭を下げた。


 以降、レオニスのお陰で仕事が上手く回るようになり、落ち着いて過ごせる日ができた。

 


「ミラ、実は僕は帰還後の慰霊がまだ済んでいないんだ。聖女様が直々に屋敷にいらして、儀式を執り行ってくださるとのことだ」


「そうだったのですね。屋敷までお越し頂けるとはありがたい事です」


 通常、戦場に出向いた者は帰還後に教会にて、聖職者に祈りを捧げて頂く。

 それは、戦争によって命を奪われた仲間や敵兵の魂を鎮めるために行われるものだ。


 祈りを捧げることで、命への敬意を払うとともに、自身の感情を整理する機会にもなる。

 あまり先延ばしにしない方が良いのは確かだ。

 

 そして、迎えた聖女様ご訪問の日。

 

「公爵閣下、戦地では大変ご活躍なさったとお聞きしております。本日は心を込めて祈りを捧げます」


 修道服をまとった聖女様は、感嘆の声が漏れるほど、美しく神々しいお姿をされていた。

 艷やかな桃色の髪に、ぱっちりとした目。

 鈴を転がしたような声にも、人を癒やす力があるのだとか。


 その時代で最も高い神聖力を持つ女性が与えられる聖女の称号――

 

 今代の聖女様は、ある日突然、力に目覚められてから、休みなくこの国の民のために祈り続けて来られた、慈悲深いお方だ。


「閣下がご帰還なさってから、日が経っておりますので、儀式は閣下の寝室で行わせて頂きます。夜に過ごす場所には、良くない気が溜まりやすいとされていますから」


 シリウス様の腕に聖女様が手を添えるようにして、二人で寝室の中に入って行かれる。


 振り向きざまに私に微笑みかける聖女様と目が合うと、なぜか全身に鳥肌が立つ。

 この胸騒ぎの理由は、この時は分からず仕舞いだった。

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