5.悲痛なプロポーズ
季節は移ろい、春の気配を感じるようになってきた頃。
私たち四人は、もうすぐ卒業を迎える。
シリウス様は、魔女の遺物である狼の魔物を討伐した功績を認められ、ご自身が子爵位を授かることになった。
学園在籍中の叙爵は珍しく、後に予定されている卒業祝賀パーティーの主役は、シリウス様で間違いないだろうとのことだ。
お忙しそうなシリウス様とお話出来る機会も少なくなって来た頃、話したい事があるからと声をかけて頂いた。
放課後、待ち合わせ場所である中庭のガゼボに向かうと、シリウス様は既にいらっしゃった。
私の到着をずっと待っていてくださったのか、どこか落ち着かないご様子。
「シリウス様、お待たせ致しました」
いつものように、彼の隣に腰かける。
ここは、これまで何度も本の感想を語り合った、二人の思い出の場所⋯⋯
卒業してしまえば、もう簡単にお会いすることも出来なくなると思うと、胸がちくりと痛む。
「ミラ嬢、来てくれてありがとう。早速、本題だが⋯⋯」
いつもとは違い、何故か言い淀んだ様子のシリウス様。
首を傾げながらその姿を見つめていると、シリウス様は深呼吸をした後、覚悟を決めたように口を開いた。
「今度の卒業祝賀パーティーのことなのだが、もし、先約がなければ、僕にエスコート役を任せて貰えないだろうか」
私を見つめるシリウス様の頬は、ほんのり赤く染まっている。
シリウス様のお言葉の意味を理解した途端、胸の奥を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
パーティーのエスコート役というのは、親密な男女であるということで、それはつまり、恋人かそれに準ずる関係であるということで⋯⋯
私のエスコート役に、シリウス様が立候補してくださった?
そんな夢みたいなことがありえるの?
私の返答を待っているシリウス様は、ズボンの腿の部分をぎゅっと掴みながら、身を硬くしていらっしゃる。
その様子から、これは本気のお誘いなのだと理解できた。
「シリウス様、ありがとうございます。身に余る光栄です。でも、わたくしなんかが⋯⋯」
内心は飛び上がるほど嬉しい。
この感動を大声で叫びたいくらい。
けれども、パーティーの参加者からは、不釣り合いだと言われるのが目に見えている。
せっかく手柄を立てられたのに、私が足を引っ張るわけには⋯⋯
嬉しさ半分、戸惑い半分の状態で俯いていると、両手で頬を包みこまれ、上を向かされた。
「僕はミラ嬢が良いんだ。それでは駄目か?」
熱い眼差しを向けられると、自分が本当にこのお方に求められているのだと実感できて、全てがどうでもよく思えてしまった。
もう何度も自分を卑下して来たけれど、本心に付き従って、シリウス様のご厚意を、自分の中に芽生えたこの感情を素直に受け入れたい。
「そうおっしゃって頂けて、とても嬉しいです。ありがとうございます。ぜひよろしくお願い致します」
「あぁ。こちらこそありがとう。当日のドレスは僕が用意するから、どうか楽しみにしていてくれ」
シリウス様は私の頭を片手で抱き寄せるようにして、髪を撫でてくださった。
そして迎えたパーティー当日。
二週間前にシリウス様が贈ってくださったドレスは、シリウス様の髪と瞳のような、落ち着いた紫色に、金色の装飾が胸元や裾に施されているものだ。
主役級のドレスに尻込みしてしまうけれど、シリウス様のパートナーとして相応しくあるために、ドレスの力も借りないと。
気合いを入れ直しながら、シリウス様のご到着を待っていると、ノックの音が聞こえた。
「一秒でも早く君の姿を見たくて、約束の時間よりも早めに来てしまった。すまない」
正装姿のシリウス様は、紫のジャケットを羽織っておられた。
二人で色を揃えるなんて、まるで夫婦か恋人みたい。
今日はシリウス様がずっと隣に居てくださるなんて、幸せ過ぎてどうにかなってしまいそう。
「僕の選んだドレスを着てくれてありがとう。やはりよく似合っている。このまま独り占めしたい所だが、それでは勿体ない。早く皆の所に行こう」
なんだか複雑そうな表情を浮かべるシリウス様に手を引かれて、会場に入った。
学園の敷地内にあるダンスホールは、建物の中が吹き抜けになっていて、二階と三階からもホールが見下ろせるようになっている。
天井や柱には神の彫刻が施されていて、きらびやかなシャンデリアがまぶしい。
「まぁ! 素敵! シリウス様がいらっしゃいましたわ!」
「隣にいらっしゃるのは、ミラ=グラフィアス子爵令嬢ですわね」
本日の主役であるシリウス様と共に入場した事で、皆様の注目を浴びることになった。
こんなにもたくさんの人に、一度に色々な方向から見られるなんて、今まで経験が無いから、ついつい萎縮してしまう。
「ミラ嬢、背中が丸くなっていらっしゃいますわよ! 堂々となさって!」
背中をポンと叩かれ振り返ると、そこにはアルキオーネ様がいらっしゃった。
真っ赤なドレスに豊満な身体を包んだそのお姿は、女性の私でも見惚れてしまうほどだ。
「シリウス様、ミラ嬢、お二人とも華麗でいらっしゃいますね」
アルキオーネ様の隣に立っていらっしゃるのは、フォーマルハウト様。
胸元に大きなフリルがついた白いブラウスに、ダークグリーンのジャケットを羽織っている。
パーティーの開始直後、学園長先生からのご挨拶では、私たちの卒業を祝うお言葉のあと、シリウス様の叙爵についてもお褒めの言葉があった。
それからしばらくは、立食形式で美味しいお料理を頂きながら、クラスメイトたちとの会話を楽しんだ。
卒業後も家同士の付き合いは続いて行くものの、今までのように気軽にお会いする機会がなくなってしまうのが寂しい。
皆様との別れを惜しんでいると、会場の明かりが暗くなり、音楽の曲調が変わった。
ダンスパーティーの時間だ。
「ミラ嬢、僕と踊ってはもらえないだろうか」
先程までクラスメイトや先生方に囲まれていたシリウス様は、迷いなく私の元へと来てくださった。
「嬉しいです。シリウス様」
いつもの私だったら、自分が一番手なんて恐れ多いと怯えていたところだけれど、シリウス様に頂いたドレスを着て、一緒に入場した影響か、面と向かって私を責める人は誰もいなかった。
学園生活最後のパーティーを好きな人たちと心から楽しめるように、シリウス様がこの状況をプレゼントしてくださったようにさえ感じられる。
シリウス様が私の背中に手を添え、反対の手を握ってくださるので、私はシリウス様の腕に手を乗せた。
初めて触れるシリウス様のお身体⋯⋯
服の下に隠された、熱くて硬い筋肉に男らしさを感じて、ときめいてしまう。
「ミラ嬢⋯⋯本当に綺麗だ。紫のドレスが君の黄色い髪をより引き立たせる。カナリアのように美しい色だ」
「シリウス様もとてもよくお似合いです。あまりにも魅力的で、吸い込まれてしまいそうです」
見つめ合いながら一曲踊り終えると、シリウス様は私の手を握ったまま、ダンスホールを後にした。
「強引なことをしてすまない。君が他の男の手を取る前に、どうしても話したいことがあるんだ」
手を引かれてたどり着いたのは、学園の庭が見下ろせるバルコニーだった。
花壇がライトアップされているから、昼間とはまた違った幻想的な世界が広がっている。
「夜の景色も素敵ですね⋯⋯」
「あぁ。美しい景色はいつだって、君と⋯⋯ミラ嬢と二人で見たくなる」
フェンスにもたれながら、庭を見下ろしていると、そっと肩を抱き寄せられた。
ロマンチックな雰囲気に胸が高鳴るのに身を任せ、シリウス様の肩に寄りかかり、自分なりに精一杯の好意を示す。
しばらくの間、寄り添いながら目の前の景色を楽しんだあと、シリウス様は私の両肩に手を置き、向かい合った。
「ミラ嬢、もう僕の頭の中は、いつだって君のことでいっぱいなんだ。君の心は、どこまでも透き通っていて、温かくて⋯⋯そんな人柄に惹かれた。君とずっと一緒にいたいんだ。だから⋯⋯僕の妻になってくれないか」
澄んだ瞳で見つめられながら、両手でぎゅっと手を握られた。
ずっとお慕いしていた殿方からの突然のプロポーズに、呼吸が止まりそうになる。
シリウス様も私のことを好きでいてくださった。
生涯を共に過ごしたいと思ってくださった。
余りの感動に心臓が激しく脈打ち、全身の血液がぐるぐると巡っていくのが分かる。
現実のこととは思えないのに、身体の反応によって感じる、この心地よい苦しさが、夢ではないことを証明してくれる。
「答えを聞かせてくれないか?」
いつもとは違う、どこか甘えるような声に、ますます胸が締め付けられる。
「わたくしは⋯⋯シリウス様のことをずっとお慕いしておりました。シリウス様とともに人生を歩んでいけるなんて、これほど幸せなことはありません」
返事をして頭を下げると、がばりと抱きしめられた。
ふわっと香ってくるマリン系の香水は、爽やかで、どこか切ない香りがする。
あぁ、やっぱり夢じゃない。
私は今、シリウス様の腕の中にいるんだ⋯⋯
「ありがとう。必ず大切にする。幸せにする」
優しく髪を撫でられたあと、静かに唇が重なった。
唇に感じる温かさに、胸が甘く締め付けられ、幸福感に満たされる。
とろけるようなキスを受け入れていると、やがて唇が離れた。
天にも昇る気分でシリウス様を見上げると、なぜか彼は青ざめていた。
「シリウス様⋯⋯⋯⋯?」
想いが通じ合った直後なのに、どうしてそんな顔をしていらっしゃるの?
「あぁ、そうか⋯⋯まただ⋯⋯⋯⋯どうして僕は、いつも、ここまで来ないとキスできないんだ⋯⋯」
額を手で押さえ、苦しそうにつぶやくシリウス様。
あまりの態度の変わりように不安が芽生える。
『いつも、ここまで来ないと』って、何のこと?
私がシリウス様とキスをしたのは、たった今、この時が初めてなのに。
シリウス様は他の女性とも、ここで何度もキスされていたってこと?
「ミラ、もう辛い思いはさせないから」
私を抱きしめるその腕には、先ほどよりも力がこもっていた。
思えば、シリウス様と私のすれ違いは、この瞬間から始まったのかもしれない。