42.理想の妻③
サンドイッチを作り終えた私は、シリウス様と共に馬車に乗り込んだ。
天気は快晴で、穏やかな風が吹いている。
「シリウス様! 晴れてよかったですね! ピクニック日和です!」
普段は向かい合って座るところを、少し気分がよくなっている私は、シリウス様の横に座って、ぴたりと身体をくっつけた。
「あぁ。そんなに楽しみにしてくれているなら、よかった。僕も楽しみだ」
とびきり優しい笑顔を向けられると胸がきゅっとなる。
「なんだか、いい匂いがするな。朝食は米飯だったはずだが、焼きたてのパンのような⋯⋯」
シリウス様は片手で私の頭を抱き寄せ、匂いをかいだ。
髪や顔の近くでスンスンと音が聞こえて、居た堪れない気持ちになる。
料理長が気を遣って、朝食にはパンを出さないでいてくれたから、私からパンの匂いがするのは、どう考えてもおかしい。
出来ればサプライズにしたかったから、どうにか誤魔化さないと⋯⋯
「明け方、変な時間にお腹が空いてしまって、軽食を出してもらったんです」
「そうか。いつもの甘い香りも好きだが、こういうのもいい」
何かがツボに入ってしまったのか、しばらくシリウス様はそのまま匂いをかいでいた。
目的地のクラルス川には、二時間足らずでたどり着いた。
道中は、見晴らしのいい平原の舗装された道路をひたすら進むだけだから、確かにこのルートならば、落石や倒木の心配もないし、奇襲を受けることも考えにくい。
馬車を降りると、平原とコスモス畑がどこまでも広がっているように見えた。
西には赤と濃いピンクのものが、東にはオレンジと黄色のものが咲いている。
クラルス川は、シリウス様のおっしゃった通り、私でも簡単にまたげそうなくらい、小さな川だった。
けれども、透き通った水が流れていて、メダカくらいの小さな魚が泳いでいるのもよく見える。
川の近くに生えていた、日陰になりそうな大きな木の下に、ナシラたちがシートを広げて、サンドイッチを準備してくれた。
いよいよ。私が作ったサンドイッチのお披露目の時が来た。
「シリウス様、実は今日のサンドイッチは、私が組み立てたのです。料理長たちが準備をしてくれて、ナシラとアトリアが手伝ってくれたんです」
おずおずとランチボックスを差し出すと、シリウス様は静かに、でも期待がこもったように目を輝かせながらフタを開けた。
「これをミラが作ってくれたのか? 店に並んでいるものと遜色ない出来栄えだ。いや。この変わった趣向のものは、可憐なものが好きな君らしいと言える」
シリウス様は愛情たっぷりの分厚いサンドイッチも、ハートが覗いている一口サンドも、美味しい美味しいと言って食べてくださった。
嬉しそうに顔をほころばせながら、何度もお礼を言われる。
その表情を見て、胸が満たされるのを感じた。
食事の後は、侍女たちが片付けをしてくれている間に、川をまたいで渡って遊んだり、花畑を近くで見たりと自然を楽しんだ。
「シリウス様、ここは素敵なところですね。川のせせらぎも、草花が揺れる音もよく聞こえます。それに、こんなにも広大なコスモス畑は初めて見ました」
「気に入ってくれてよかった。僕は、君と一緒にこの景色を見たかったんだ」
シリウス様は、過去にも似たような言葉を贈ってくださった。
直接的ではなくても、確かな愛情が込められている言葉なのだと、今ならよくわかる。
そう思うとなんだか少し気恥ずかしくなり、照れを誤魔化すために、地面にしゃがんでコスモスを眺める。
すると、同じように隣にしゃがんだシリウス様は、すぐ近くに咲いていたオレンジ色のコスモスを、折らずに私のこめかみにそっと近づけた。
「まるで、秋の妖精みたいだ」
妖精というのは、ファンタジー小説の中だけの架空の生き物だ。
姿形なんて本によっても違うし、誰も実物を見たことない。
でも、私を見つめるシリウス様の目は、誰も見つけたことのない、稀有で美しい生き物を見ているようで⋯⋯
あまりにも真っ直ぐな視線から逃れたくて、下を向くと、反対の手が頬に添えられた。
「俯かないでくれ。今この瞬間の君の姿を目に焼き付けたいんだ。僕だけの宝物。この世の何よりも愛しい人」
時渡りの権能を使うのと引き換えに、言葉を制限されていたシリウス様。
いつもクールで生真面目で、どこか不器用なシリウス様。
彼の口から、こんなにも真っ直ぐな愛の言葉が聞けるなんて。
一度目の人生だって、愛されている実感はあったけれど、その時以上の言葉を選んで下さっているんだろう。
繰り返しの人生の中で、燃やし続けた想いを乗せて。
「シリウス様⋯⋯ずっと側にいて。幸せでいて。それがわたくしの一番の望みなんです」
気の利いた事は言えないけれども、素直に自分の気持ちを伝えた。
どちらともなく顔が近づいて、優しく唇が重なり合う。
「あぁ。いつだって側にいる。僕はそれだけで充分幸せだ。さらに君が笑ってくれるなら、僕はどこまでも幸せになれる。妻になってくれてありがとう。幸せにしてくれてありがとう」
「今まで何度も私を見つけ出して、愛してくれてありがとう。こんなにも幸せにしてくれてありがとう」
じゃれるようにおでこをくっつけて笑い合うと、泣きたくなるくらいの愛おしさが溢れ出すのを感じた。