4.恋のアドバイス
歴史館の館長さんが研究機関に連絡をとってくださり、魔物の狼の遺体は引き取られていった。
私は念の為に近くの診療所の医師に診てもらうことになった。
「一通り確認させて頂きましたが、特にお怪我もなさそうですし、異常はないですね。首元のひりつきと言うのも、外観上は変わった様子もなさそうですから、痛みが酷くなるようなら、また医師にかかってください」
「そうですか。それなら良かったです。ありがとうございました」
首元に感じた痛みについても一応相談したものの、経過観察をしている内に、いつの間にか痛みも消えていた。
「大事には至らず良かったですわね」
「ミラ嬢の悲鳴を聞いた時、心臓が止まるかと思いました」
「君が無事で本当に良かった」
アルキオーネ様、フォーマルハウト様、シリウス様は安心したような表情をしていた。
「ご心配をおかけ致しました。せっかくの旅行なのに、診察まで付き添って頂いて⋯⋯シリウス様、命を救って頂き、ありがとうございました。本当にお強いのですね」
一瞬の事で私にはよく良く見えなかったけれど、シリウス様の剣が正確に狼の急所に当たったから、私は無事だったんだ。
普段は落ち着いた雰囲気でいらっしゃるし、読書がご趣味だからついつい忘れがちだけど、英雄の血を受け継ぎ、幼い頃から訓練を受けて来られた、剣の達人なのよね。
「例には及ばない。むしろ、僕が君を庭園に連れ出してしまったのが悪かったんだ。怖い思いをさせて、申し訳なかった。ミラ嬢も疲れただろう。学園に戻ってゆっくり休もう」
「今は緊張状態でしょうけど、恐怖心というのは、冷静になった頃に思い出してしまうものですわ。今晩はわたくしが、ミラ嬢のお部屋に泊まってもよろしいのですよ」
「それが良いかもしれません。アルキオーネ嬢に甘えられては?」
皆様のお言葉に甘えて学園に帰宅し、アルキオーネ様に一晩、一緒に過ごして頂く事にした。
アルキオーネ様のおっしゃった通り、現実に戻って来た途端、恐怖心が襲って来た。
何度も同じ場面を思い出しては、悪い妄想が始まって、背筋が凍ってしまう。
入学時に家から持ち込んだお気に入りの真っ白な毛布を頭から被って、震えが収まるのを待つ。
「ミラ嬢、眠れませんか?」
同じベッドに横になるアルキオーネ様は、私が震えていることに気づいたのか目を覚まし、頭を撫でてくださった。
温かくて柔らかな手つきに安心感を覚える。
「はい。アルキオーネ様のおっしゃる通りでした。今になって冷静にあの時の事を振り返ると、怖くなってしまって⋯⋯」
「大丈夫ですわ。今夜はわたくしがそばにいますから。こんな風に毛布を被って、まるで冬の妖精みたいですわね。こんなにも愛らしい方が、辛い目に遭わなければいけないなんて」
アルキオーネ様は毛布ごと私の身体を抱きしめてくださった。
「後はそうですね⋯⋯恐怖心も吹き飛ばすような、刺激的なお話をするのは、いかがでしょうか?」
アルキオーネ様は、うふふと微笑む。
そのお顔は間近で見ても、毛穴一つなく透き通っていて、一切の隙がないほど美しい。
「刺激的なお話とは、どういったお話でしょうか⋯⋯?」
なんだかイヤな予感がするのは、気のせいではないはず。
「もちろん、シリウス様とミラ嬢の恋の行方についてですわ。焦れったくって黙っていられませんもの。今夜こそ白状して頂きますわよ。わたくしたちはお友達ですのに、ミラ嬢は恋愛談義を避けていらっしゃるから」
アルキオーネ様は、頬を膨らませて、少し拗ねたような表情をしていらっしゃる。
「なっ⋯⋯それは⋯⋯」
確かにアルキオーネ様とは、長く一緒に過ごしてきたけれども、シリウス様への想いについては打ち明けて来なかった。
それこそ、いつかのご令嬢方に指摘を受けたように、シリウス様と私とでは家格が違い過ぎて、恋心を抱くだけでも失礼だと感じてしまうから⋯⋯
でも、アルキオーネ様としては、信用されていないみたいで、ショックを受けられたのかもしれない。
「絶対に秘密にして頂けますか⋯⋯?」
恐る恐るアルキオーネ様の顔を見ると、可愛らしく膨らんでいたお顔が、パァッと晴れやかになった。
「もちろんですわ! 女同士の約束ですから!」
アルキオーネ様は右手の小指を立てて、私の小指に絡めた。
「ありがとうございます。と言っても、アルキオーネ様のお察しの通りです。シリウス様のこと、とても素敵な殿方だと思います⋯⋯」
どうしよう。言っちゃった。
恥ずかしさで顔から火が出そうになるのを両手で覆い隠す。
「ミラ嬢、そうでしたか。正直に打ち明けて頂き、感謝いたします。これからは、大船に乗ったつもりで、わたくしに全てお任せください。悪いようには致しませんわ」
指の隙間からアルキオーネ様の顔を見ると、面白いおもちゃを見つけた子どものような表情をしていらっしゃった。
「えーっと⋯⋯その⋯⋯」
「わたくしの考察によると、シリウス様は、もっとぐいぐいと距離を縮めたいのにも関わらず、奥手でいらっしゃるのか、あと一歩が踏み出せない状況に陥っておられるのかと。ですから、ミラ嬢も積極的に好き好きオーラを放つことで、シリウス様を勇気づける必要がありますわね。もう難しいことは考えずに、ミラ嬢から唇を奪ってしまえばよろしいのでは?」
アルキオーネ様は本気か冗談か、大胆な作戦をおっしゃった。
他人事だと思って、投げやりになっていらっしゃるのでは⋯⋯
「お待ちください! シリウス様ほどの高貴なお方に、そのような無礼なことは出来ませんし、好き好きオーラを放った所で、シリウス様には効果は無いのでは?」
「何をおっしゃいますの! シリウス様は間違いなく、ミラ嬢に気がおありです! ミラ嬢をお側に置かれるのがシリウス様のご判断ならば、尚の事、家格は関係ありませんわ。この年頃の男性は、五分に一度は淫らな事を考えていると聞きますから、スイッチさえ入れば、トントン拍子に事が運ぶはずですから」
「ちょっと!? アルキオーネ様!?」
勢いよく上体を起こすと、唇に人差し指を当てられた。
それ以上の抗議のしようもなく、再び毛布を被ってアルキオーネ様に背を向ける。
こんなにも熱くなった顔を見られたら、絶対にからかわれてしまう。
自信満々に語られたアドバイスは、果たしてどこまで真に受けていいのか、新たな悩みのタネになったものの、私の心の中を支配していた恐怖心は、いつの間にか消え去っている。
「あぁ、本当に良かった。あなたが生きていてくれて、本当に良かった」
アルキオーネ様の声は少し涙声のように聞こえた。
安堵されたように、ため息混じりに何度も呟きながら、私の身体を後ろから抱きしめてくださった。