38.最後の人生
――シャウラが消滅した日から約二年後。
私たちの卒業記念パーティーの夜のこと。
シリウス様が私のエスコート役として、部屋まで迎えに来てくださった。
「ミラ、とても綺麗だ。やはり君には僕が選んだドレスが一番似合う」
シリウス様は私の肩に手を置き、優しくキスしてくださった。
今夜、私が着ているのは、シリウス様の髪のように深い紫色のドレス。
大人っぽくてシックな色合いだけど、シリウス様の愛に包まれているような、素敵な気分になれる。
「シリウス様も、とてもよくお似合いです。このお色味が似合う男性はシリウス様だけですから」
彼の首の後ろに腕を回し、背伸びしながら、お返しとばかりにキスをする。
シリウス様の今日の装いは、黒地に深紫の刺繍が入った落ち着いた色味のものだ。
この色を着こなせるのは、逞しい身体つきかつ、品位と風格を兼ね備えたシリウス様だからこそ。
「そうか。では行こうか」
少し照れた様子のシリウス様に手を引かれ、パーティー会場に向かった。
扉をくぐると、そこには、大好きな人たちの笑顔があった。
「まぁ! ミラさん、シリウス様! 今日も盛大に見せつけて頂いて。ジェラシーを感じてしまいますわ」
アルキオーネ様は、真っ赤なドレスに真っ黒なレースがふんだんに使われたものをお召しだ。
このドレスだって、アルキオーネ様にしか着こなせそうもない。
「シリウス様、ミラさん、いい夜ですね」
フォーマルハウト様は落ち着いたブラウンのジャケットを羽織っておられて、知的な雰囲気がさらに引き立つ。
「ちょっと〜! 皆様、俺を仲間はずれにしないでくださ〜い!」
笑顔でこちらに歩いて来られたのはプロキオン様だ。
真っ白なジャケットに金の刺繍が入ったものを着ておられる。
あの日、シャウラが消滅し、程なくした頃、プロキオン様は意識を取り戻した。
シャウラに操られている時の記憶は残っておらず、学園入学後の出来事は、断片的にしか思い出せないとのことだった。
もちろん、それまでの繰り返しの人生の記憶も覚えていないそうだ。
その日以来、私たちは五人で行動することが増え、共に思い出を作ってきた。
ちなみに、シャウラに操られていたメリディアナ王女殿下も、元の人格に戻られて、シリウス様とは以前までの幼馴染としての距離感に戻った。
プロキオン様とメリディアナ王女殿下⋯⋯二人の人物の性格や行動が突然変わった事に対して、周囲は特に違和感がないらしいことが、せめてもの救いだ。
「立ち話ばかりではお腹がすくだろう。ミラが好きなカプレーゼを取ってこよう。君たちはここで待っていてくれ」
「ちょっと! そんな、シリウス様にそのような事をして頂くわけには⋯⋯」
シリウス様に私の言葉は届かなかったのか、スタスタと長テーブルに移動してしまった。
「でしたら、わたくしはマカロンを取ってきて差し上げますわ! ご安心ください。全色手に入れて見せますから」
続いてアルキオーネ様も笑顔で手を振り行ってしまう。
「そうですか。では、僕はメインを見てきます」
フォーマルハウト様もあっと言う間に居なくなってしまった。
残されたプロキオン様と思わず顔を見合わせ笑い合う。
「こういうのって、普通は俺たちが率先して、高貴な御三方のために動かないといけないのにね〜あの人たちは、ほんと変わってるよ。ミラさんはともかく、俺にまで優しくしてくれるなんてさ」
御三方の背中を見送りながら、にっこり笑うプロキオン様からは、邪気も恐怖も一切感じられない。
そんなプロキオン様を感慨深く見つめていると、急に彼の顔が近づいて来た。
「ミラさん、あのね。俺が言うのもなんだけどさ。どうか幸せになってね。俺、一年生の前半の記憶はほとんどないけど、君が涙を流していたことだけは、今でもすごく印象に残っていて⋯⋯。自分のせいじゃないことを謝るのは違うって、前に言ってもらったけどさ。でもさ⋯⋯だからさ⋯⋯『幸せになってね』かな」
周りに聞こえないように耳打ちしてきたプロキオン様は、顔が離れるといたずらっ子みたいに笑っていた。
「じゃー俺はフォーマルハウト様のお手伝いに行って来るよ〜」
プロキオン様はこちらを振り返らずに、そそくさと行ってしまった。
私は心が温まるのを感じながら、シリウス様とアルキオーネ様がいらっしゃる、長テーブルの方へと向かった。
美味しい料理をいただき、ダンスパーティーを楽しんだあと。
「フォーマルハウト様ぁ〜卒業しても、俺の事を絶対に忘れないでくださいね〜?」
「貴方ほど強烈な人間を、誰が忘れられるでしょうか」
「次の夏の休暇にはプロキオン様のお屋敷に集結いたしますわよ! 」
「ええ〜!! 俺の家ですか〜? アルキオーネ様のお屋敷の方が、大きいと思いますよぉ〜?」
アルキオーネ様とプロキオン様は、お酒を飲んですっかり出来上がっているご様子。
フォーマルハウト様もいつもより表情が緩んでいるように見える。
そう言う私も、お酒は飲まなかったものの、興奮と熱気で顔が火照ってきた。
手を団扇のようにして顔を扇いでいると、後ろから声をかけられた。
「ミラ、少し涼みに行かないか?」
声をかけてくださったのはシリウス様だ。
「はい。ちょうどそうしたいなと思っていたところだったんです」
エスコートして頂き、バルコニーに出ると爽やかな風が頬を撫でた。
顔にこもっていた熱が、心地よく冷やされ引いていく。
「卒業したら、皆さんと今までのようには会えなくなってしまいますね。楽しい時間の終わりに、ふと実感が湧きます」
「そうだな」
シリウス様は一言返事をした後、肩を抱いてくださった。
パーティーの最後の、この一番虚しい時間を隣で過ごしていただけて、気持ちを共有して頂けると、気分が沈まずに済む。
肩に頭を預けるとシリウス様も、私の頭に頬を寄せてくださる。
満たされた気分で夜風に吹かれていると、シリウス様が口を開いた。
「慈愛の魔女の魂が君から抜け出した今、恐らくこの人生が最後の人生になるだろう。他の多くの人間と同じ、たった一度きりの人生をこれから僕たちは歩んでいくことになる」
胸の苦しさの原因はそれだったのだろうか。
人生はたった一度きり。
それは誰にとっても当たり前のことなのに、いつの間にか私たちにとっては、そうではなくなってしまっていた。
でも、今度こそ、本当に最後の人生。
もう、二度とこの学園生活は戻らない。
「僕は今までの人生で、君を何度も傷つけた。決して良い夫にはなれなかった。君を僕の隣に縛りつけているのは、僕への罪悪感なのかもしれない。呪いから解放された君は、これから自由に自分の人生を生きていいんだ」
それはまるで別れ話のように聞こえた。
頭を預けているから、シリウスの声が彼の胸で震えているのが、伝わってくる。
私は彼に嫌われるような事をしてしまった?
もう因果は終わったのだから、別の女性を愛したくなった?
「もしかしたら、君は僕の顔を見るのなんて、飽きてしまったかもしれない。けれど、それでも⋯⋯僕の願いは、君と共に明るい人生を歩むことなんだ。最後の人生も僕に預けてくれないか?」
シリウス様は私の左手をとり、薬指に指輪をはめてくださった。
ダイヤモンドの指輪は、アーム部分にもメレダイヤが散りばめられていて、繊細で華やかな輝きを放つ。
先ほどのシリウス様のお言葉と、目の前光景のギャップに、思考が一時停止した。
つーっと頬を涙が伝っていく。
「ミラ、どうして泣いているんだ? 前の人生で君が気に入っていたから、この指輪にしたんだが⋯⋯勝手にはめてしまったのがいけなかったのか。それとも僕は何か重大な過ちを⋯⋯」
狼狽えるシリウス様の姿を見て、冷静に状況を理解することができた。
頭の中のごちゃごちゃしたものが、すーっと晴れていく。
「もう。シリウス様って、どうしていつも勘違いされるような言動をなさるんですか? お別れするのかと思ってしまいました」
戸惑うシリウス様に思い切り抱きついて、腹いせに耳をカプッと甘噛みすると、シリウス様はくすぐったそうに肩を上げた。
「それはすまない。まさか、そんな勘違いをさせてしまうとは。僕はこの罪をどう償えば良いだろうか」
大袈裟な物言いに聞こえるけど、彼の顔は真剣だ。
澄んだ瞳で私のことをじっと見つめている。
「シリウス様って、完璧な御方なのに、不器用ですね」
「不器用な人間を完璧とは言わないだろう」
「良いんです。わたくしは、あなたの全てが好きなんですから」
自分から軽く触れるようなキスをすると、そのまま頭を抱え込まれた。
腕の力がどんどん強くなっていく。
「シリウス様、唇が染まっています」
やっと一息ついたところで、清潔なハンカチで唇を拭いてあげると、彼は幸せそうに笑った。
今までの人生ではあまり見ることが出来なかった、この無邪気な笑顔が私は大好きだ。
「シリウス様、愛してます」
「ミラ、愛してる。いつまでも愛してる」
何度聞いても胸を甘く締め付ける響き――その言葉を紡いだ、形のいい唇に吸い寄せられるように、再び唇を重ねた。




