32.三人の賢者と一人の魔女
朝、窓から射し込む光で目が覚めると、自分の部屋のベッドの上にいた。
いつもの朝と違うのは、愛しい人の腕に抱かれているということ。
そっか、私は昨日、シリウス様と想いを伝えあって、過去の人生の記憶を思い出したんだ。
こんな風に二人で朝を迎えるのはいつぶりだろう。
彼の胸に頬を擦り寄せ、耳をくっつけると、規則正しい心臓の音がよく聞こえる。
温かいな。ずっとこのままでいたい。
「ミラ⋯⋯くすぐったいだろう⋯⋯」
シリウス様はまだ半分夢の中にいるのか、掠れた声でつぶやく。
そう言えば彼の寝顔を見るのも、いつぶりだろうか。
しかも、今は出会ったばかりの一年生の夏だから、今までの人生で最も若い彼の寝顔が見られるはず。
この機会を逃してはいけない。
シリウス様の腕をそっと解き、上体を起こすと⋯⋯何故かそのお顔には、昨晩羽織っておられた真っ黒なジャケットが被せられていた。
「きゃー! シリウス様? 大丈夫ですか? 息が、息が出来なくなります!」
大慌てでジャケットを剥ぎ取ると、シリウス様は眩しそうに顔をしかめた。
ゆっくりとまぶたが開かれ、私を見つめる深紫色の瞳がキラキラと輝く。
「あぁ、これか。寝ぼけて君にキスしないように顔を覆っておいたんだ。あと、寝返りなどのタイミングで、君の唇に僕の肌が触れないように対策を講じた」
布団の中のシリウス様は、夏だと言うのに長袖のシャツは捲らずに伸ばしたままで、グローブまで着用して寝ておられたらしい。
「今までの人生も努力次第では、もっと君と一緒に過ごせたかも知れない。寂しい想いをさせて、すまなかった」
白いグローブをはめた手で、優しく髪を撫でられる。
愛おしそうに何度も何度も。
「これではシリウス様も寝苦しかったでしょうし、記憶が戻る前のわたくしだったら、そんなに自分は汚れているのかと落ち込んだかもしれません。でも、これからは、時々こうして一緒に眠りたいです。今度はわたくしも顔にショールか何かを掛けますね」
そんな姿を万が一誰かに見られたら⋯⋯
おかしな二人だと笑われてしまうだろう。
「ははっ。それはいい。今度からそうしよう」
いつもどこか物憂げなシリウス様が、久しぶりに見せた笑顔は、無邪気な少年そのものだった。
「シリウス様、これからはもっと笑ってください。あなたの笑顔が大好きです。たくさん笑って二人で幸せになりましょう」
「あぁ。約束する。今度こそ明るい未来を切り拓こう」
差し出された小指に、自分の小指を絡ませ、微笑みあった。
◆
その日、シリウス様は私の部屋を出た後、フォーマルハウト様とアルキオーネ様のお部屋を訪ねられた。
そこで、私たち二人が記憶を取り戻した事、私の死を回避したい事を伝えると、御二人は快く協力すると言ってくださった。
そして、ここからの話は誰にも知られてはいけないというのと、プロキオン様の追跡から逃れる目的もあり、アルデバラン領にある、公爵の別荘へやってきた。
「ここが前回の人生で、父上と母上が静養されていた場所だ」
その建物は、公爵邸に比べれば規模は小さいものの、使用人が常駐しているほどの大きなお屋敷だった。
街からは離れた静かな場所で、平原に囲まれ、少し足を伸ばせば、森と湖がある。
「空気が澄んでいて美味しいですね。小鳥のさえずりに心も落ち着きます」
四人で昼食をとったあとは、人払いをして現状の整理をした。
「シリウス様が予見の賢者で、フォーマルハウト様が明察の賢者で、アルキオーネ様が俯瞰の賢者なのですよね? それでわたくしが慈愛の魔女と⋯⋯しかし、人生を繰り返していた記憶は、ある程度保持できているのですが、魔女だった頃のことは全く思い出せないです」
「僕の場合、自分が時渡りの力を使っているからか、繰り返しの人生の記憶は鮮明に残っている。しかし、予見の賢者だった頃の記憶は一つも思い出すことができない」
「僕も賢者の記憶と言うのは全く思い当たらないです。僕の場合は、繰り返しの記憶を取り戻せた事自体が今回が初めてでした。シリウス様がミラさんの死を認知すると時が巻き戻るとの事ですが、僕の視点では予兆なく突然、巻き戻るように感じられることがほとんどです。何度かシリウス様とともに、ミラさんの死亡現場を目撃した事もありますが⋯⋯」
「わたくしは繰り返しの記憶自体は少し不明瞭なところがありますが、自分の中に俯瞰の賢者の魂が存在するのを感じ取ることができますわ。自分の過去の姿が俯瞰の賢者だったというよりも、今まさに隣にいるように感じられると言った方が、近い感覚かもしれませんわね」
シリウス様、フォーマルハウト様、アルキオーネ様と私⋯⋯
それぞれ記憶している出来事や魂の感じられ方が違うんだ。
「僕たち四人が記憶を取り戻せたことは、初の快挙だ。この事により真実にぐっと近づくことが出来る。まずは、今までの人生で共通していたことと、今回の人生でしか起こらなかった事を洗い出そう」
シリウス様が中心となり、四人で意見を出し合った。
「まず、ミラの死因は破滅の魔女がかけた呪い、『死の引力』によるものだ。今までミラは必ず三年生の秋に歴史博物館で、魔女の遺物である狼の魔物に襲われている。幸い今回は最速で僕の記憶が戻ったことから、その事件までに時間がある。回避出来るよう、後々作戦を立てよう」
元はと言えば、この不幸は全てあの事件から始まったのよね。
「今回初めて起きたことと言えば、プロキオン=ドゥーベが異常にミラさんに執着していた事です。僕の記憶が正しければ、彼はもっと陽気で温厚な人間だったはずです。それに、二度前の人生で、その⋯⋯ミラさんと彼は結婚なさっていたのではありませんでしたか?」
フォーマルハウト様の口から飛び出したのは衝撃の事実。
だけど、私もその時のことは覚えている。
確かあの時は、卒業パーティーでシリウス様にプロポーズをされて、キスをした後、何故か急に冷たくされて⋯⋯
婚約の話は実現せずに流れ、絶望していた頃、プロキオン様が時間をかけて慰めてくださったんだ。
記憶の中のプロキオン様は、いつも優しい笑顔を私に向けてくださった。
『ミラ、見てよ! 君が大好きな黄色いコスモスだよ!』
私がコスモスが好きなのは、シリウス様が私の髪に似ていると褒めてくださったからで――
『俺はミラと一緒に生きていきたいんだ。だから、俺の妻になってください』
プロキオン様は、どうして私を選んでくださるんだろう。
一度は捨てられた女なのに――
『ミラ、君は世界一綺麗な花嫁だ。必ず幸せにする。だからお願い、せめて今日だけは俺の事を見て』
プロキオン様との結婚式。
二階のテラスから見えたのは招待客の皆様だ。
アルキオーネ様、フォーマルハウト様、そして⋯⋯私を捨てたシリウス様。
私たちを見上げながら拍手を贈るその姿を見た瞬間、首を絞められたみたいに息が出来なくなった。
プロキオン様の愛に応えられず、いつまでもシリウス様に執着した結果、私は命を落としたんだ。