3.魔女の遺物
二年後、最終学年になった私たち四人は、読書仲間として親交を深めていた。
そんな中、私とシリウス様の関係は、友情とは別の形で実を結ぼうとしていた。
秋、連休を利用しての旅行中の出来事。
私たち四人は、学園がある王都から足を伸ばし、かつての戦場だった平原にある、歴史博物館を訪れていた。
「なるほど。西軍が城を攻め落とすには、この渓谷を進むしかなかったということですか⋯⋯地形を上手く活用した戦術ですね」
「東軍は山に身を隠し、一方的に攻撃できたとのことですけど、想像以上に谷が深く、上からの見通しも良く感じますわ。これで西軍が平原にたどり着く頃には、大幅に戦力が削れていたと」
フォーマルハウト様とアルキオーネ様は、渓谷のジオラマを見ながら、存分に語り合っていらっしゃる。
お二人が史実にお詳しいのは、相変わらずだ。
フォーマルハウト様は王立研究所から、アルキオーネ様は王都中央図書館から、それぞれお声がかかり、次の春から就職なさることが決まっている。
そんな優秀なお二人の話は、そこからどんどん専門的になっていき、ついていけずに固まっていると、シリウス様が声をかけてくださった。
「ミラ嬢、少しいいだろうか?」
手招きされ、部屋の隅に移動する。
「少し休憩にしないか? 楽しんでいるあの二人とは、一度、別行動にして」
いたずらっぽく笑うシリウス様に静かに手を引かれ、向かったのは庭園だった。
大きな池に石造りの橋がかかっていて、水辺の花壇には、色とりどりの花が揺れている。
「この庭園は、戦没者の魂を癒そうと、歴史館の設立と同時に作られたものだそうだ」
「確かに落ち着く場所ですね。コスモスが綺麗に咲いています」
エスコートされながら、ゆっくりと庭園内を散歩する。
繋がれた手をついつい意識してしまい、身体が火照ってくる。
初めてお会いした時から、少しずつシリウス様への恋心を募らせてきたけれど、今の関係が崩れないよう、必死に隠してきた。
どうしよう。
汗ばんで来たかもしれない⋯⋯
「ミラ嬢はこの旅を楽しめているだろうか? 僕はあの二人の熱意に、少し圧倒されてしまったようだ。学びも必要だが、せっかく空気が澄んだ所に来られたのだから、癒しを求めるのもいいかと思う。付き合って貰えて助かった」
シリウス様は、ガチガチになりながら何度も頷く私を見て、少し安心したように微笑んだ後、コスモスが咲いている花壇の前にしゃがみ、黄色い花びらを優しく撫でた。
花を愛でる横顔と、あまにも美しい所作に、目が釘付けになる。
「ミラ嬢の髪の色にそっくりだ」
唐突に、自分の名前がその口から紡がれたことに、心臓が跳ねた。
シリウス様が触れている花が私だったらなんていう、恋愛小説のシーンにありそうな妄想が膨らむ。
「いえ、わたくしの髪はそんな⋯⋯⋯⋯あ! こちらの大きな花はダリアでしょうか? 素敵ですね」
赤くなった顔を隠すように、くるりと後ろを向いて別の花を観察する。
シリウス様がクスクスと笑いながら、立ち上がる気配を背中に感じる。
どうしよう。照れているのがバレてしまったみたい。
「池の中に魚がいるようですね。かなり大きそうです」
橋の上にしゃがんで、シリウス様を見上げると、同じようにして隣にしゃがまれた。
肩と肩が触れ合うくらい近い。
「何の種類の魚でしょうか? あれ? 本当に魚⋯⋯?」
藻が生えて緑色に濁った池の中を、黒っぽいものが泳いでいる。
魚にしては大きい。
徐々に浮上してきたそれは、大型犬くらいの大きさがあるように見える。
「ミラ嬢! 危ない!」
シリウス様に突き飛ばされ、橋の上に倒れ込むのと同時に、池の中から黒くて毛むくじゃらの四つ足の生き物が飛び出して来た。
鋭い牙を剥き出しにしながら、こちらに襲い掛ってくる。
これは⋯⋯⋯⋯狼?
狼は目にも留まらぬ速さで、私の身体の上にのしかかってきた。
水でぐっしょりと濡れたその体は鉛みたいに重く、途端に自由を奪われてしまう。
首元に噛み付こうと大きく開けた口を近づけて来たその時、シリウス様は狼の横腹に蹴りを入れ、転がった所を護身用の短剣で仕留めてくださった。
「大丈夫か! 怪我は?」
焦った様子で駆け寄って来られたシリウス様は、私の頭や手足に傷が無いか、順番に確認してくださる。
「はい。大丈夫です。危ない所を助けて頂き、ありがとうございました。この生き物は何なのでしょうか⋯⋯」
突然の事に呆然としていると、フォーマルハウト様とアルキオーネ様、歴史館の館長さんが駆け寄って来られた。
「大丈夫ですか? 大きな声が聞こえてきましたが」
「ミラ嬢、どうされたのですか? こんなにも濡れて、青ざめた顔をして」
「この生き物は⋯⋯まさか、魔女の使い魔ではないでしょうか? こんなものが、どうしてこの博物館に⋯⋯」
館長さんは、シリウス様が倒した狼の側にしゃがみ、その姿を観察した。
それは青色の血を流しながら事切れていて、とてもこの世の生物とは思えない。
狼が池の中に住んでいるなんてことも、本来ならあり得ないのに。
「魔女というのも伝説の生き物ですよね。いったい何がどうなっているのでしょうか」
この時、針が刺さったような、チクッとした痛みを首元に感じたけれども、騒然とする皆様にわざわざこんなことを報告出来るはずもなく、後回しにしてしまった。