29.明察の賢者
プロキオン様から脅されたことについて、誰にも相談出来ぬまま、星空祭当日を迎えた。
今夜、シリウス様はメリディアナ王女殿下と結ばれ、私はプロキオン様と結ばれる。
想像するだけで、憂鬱な気分に襲われ、胃のあたりが重苦しくなる。
プロキオン様はどうして私にあそこまで執着なさるんだろう。
グラフィアス子爵家の事業や財産が目当てとは考えにくいし、愛があるわけでもない。
結婚して幸せになれるとは到底思えないけれども、ここまで目をつけられた以上、逃げることなんて出来るはずもない。
プロキオン様だって、ドゥーベ伯爵家のご令息なのだから、私の両親からしたら、ありがたいお話だろう。
私がこれ以上何も考えずにいれば、みんなが幸せになれる。
だから今夜、私はプロキオン様と過ごして、彼の望むままにすると決めたんだ。
少し前にアルキオーネ様には、なんとしてもシリウス様をお誘いするよう言われたけれども、端からそういう状況ではなかったみたい。
うだうだと考えている内に日が傾き始めてきたので、先日のお話の返事をするため、フォーマルハウト様のお部屋を訪ねた。
「ミラ嬢、来てくださったのですね。良いお返事ではなさそうなことが残念でなりませんが」
フォーマルハウト様は出迎えてくださるなり、悲しそうに微笑んだ。
この御方は、どうしてか、いつも私の考えていることを表情から読み取ってしまうらしい。
「今、僕はこれを書いていたんです。もう、僕たち四人は、こんなやり取りを出来るような間柄ではありませんが、最後にあなたにこのノートを返さなくてはいけませんから」
フォーマルハウト様が机の上に広げていらっしゃるのは、アルキオーネ様とプロキオン様と四人の交換日記だ。
これは、第二言語のルベル語を習得するために始めたもので、おおよそひと月に二回ほど自分の順番が巡って来るので、ルベル語で日記を書いて次の方に回すような形だった。
「ミラ嬢の表現は、まだまだ拙いところもありますが、読むと心が洗われるようで、僕は好きでした。あなたの日記は、美しかったもの、楽しかったこと、新たな発見や、誰かの小さな幸せを願うもの。そこには万物への慈しみが溢れている。僕があなたに惹かれたきっかけでもありました。それから共に過ごす内に、天真爛漫に明るい笑顔を振りまくあなたが、まるで春の妖精のように見えたんです」
フォーマルハウト様は細長い指で私が書いた文章をそっとなぞったあと、私の手を取った。
「あなたの口から、返事を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
上目遣いでこちらを見つめるフォーマルハウト様の瞳は美しく澄んでいて、全てを見透かすかのようだ。
この目を見ながら嘘をつくなんて、誰が出来ると言うのだろう。
「フォーマルハウト様、申し訳ありません。わたくしはプロキオン様を愛しています。ですから、あの御方のプロポーズをお受けすることにします」
嘘が見破られないよう、出来る限り幸せそうな笑顔を作った。
シリウス様を見つめるメリディアナ王女殿下の微笑みを真似するのよ。
「⋯⋯⋯⋯嘘ですね。愛する男にプロポーズされて、明るい未来が待ち受けていると言うのに、どうしてそのように顔が強張っているのでしょうか。手に汗をかいているようですし、僕に触れていない方の手には不自然に力が入っている」
想像以上に多くの箇所を淡々と指摘され、さっそく言葉に詰まる。
「それは⋯⋯今のわたくしが緊張しているからです。こんな風にじっと見つめられて、手を握られて、普通は平常心を保てませんから」
「それも嘘です。あなたの反応は正直で分かりやすいですね。僕の間違いだとおっしゃるのなら、まばたきの回数が増えた理由を伺っても?」
フォーマルハウト様はお優しいのか、意地悪なのか⋯⋯時々、分からなくなる。
「もしかして⋯⋯何か弱みを握られているのですか? シリウス様が理由ならばともかく、あなたが彼を愛しているとは到底思えない。それとも、僕が負けを認めたくないからと、冷静さを欠いているのでしょうか」
こんなにも的確に嘘を暴かれたら、決意が揺らぐ。
全部吐き出して、楽になってしまいたい。
助けて欲しいと訴えて、今の状況から逃げ出したい。
けれども元はと言えば私に隙があったのがいけなかったんだ。
全ては自分が招いた結果なんだから。
「あなたはもう少し他人を頼る癖をつけた方がいいです。そんなに辛そうなのに、隠される方が僕は苦しいです。見返りなんていりません。愛してくれとも言いません。僕はそんなに頼りないですか? あなたが笑顔になれるのなら、なんだってする覚悟があります。お願いだから泣かないで。僕に助けを求めてください」
フォーマルハウト様は私を説得しようと、言葉の限りを尽くしてくださった。
私はこの御方の気持ちには応えられないのに。
何かに囚われてしまったかのように、シリウス様に惹かれて仕方がないのに。
そんな私にここまで真摯に向き合っていただけて、無償の愛を与えてくださったことに、自然と涙と言葉が溢れてくる。
「フォーマルハウト様、今からわたくしの友だちの話をしても良いですか?」
ずるくも悪あがきをする私の嘘なんて、簡単に見抜かれていただろう。
けれどもフォーマルハウト様は何も言わずに頷いてくださった。
「わたくしの友人はこれから婚約しようとしている殿方の事が怖いみたいです。その御方の現在の姿は、元々彼女が知っていた様子とはかけ離れていて⋯⋯自分を選ばなければ、家門に被害を与えると言って脅したそうです。その友人の心はいつだって、とある男性の虜でした。その男性にはお相手がいらっしゃるから、諦めなくてはいけないのに、端から希望を持つこと自体がおかしいのに、どうしても忘れられないから、余計に苦しいのだと⋯⋯」
私は何を言っているんだろう。
こんな事をフォーマルハウト様に打ち明けるなんて、どこまで礼儀を欠いているんだろう。
それでもフォーマルハウト様は微笑みながら優しく抱きしめてくださった。
私の髪に顔を埋めるみたいにして⋯⋯
「ありがとうございます。辛いことをよく話してくれましたね。もう大丈夫ですよ。ミラ嬢と僕とで、そのご友人を救いましょう。きっとアルキオーネ嬢だって、協力してくれますから」
幼い子どもをあやすように、ぽんぽんと背中を叩かれると、フォーマルハウト様の温かさを感じた。
守られているような安心感に身を預けていると、フォーマルハウト様の動きが止まり、呼吸のリズムが変わった。
身体を離し顔を見上げると、フォーマルハウト様は何故か青ざめて固まっていた。
頭を痛そうに押さえ、瞳が激しく揺れている。
突然、何が起こったの?
何かに動揺なさっている⋯⋯?
「フォーマルハウト様? どうされたのですか? 大丈夫ですか?」
「⋯⋯⋯⋯そうでしたか。過ぎた願いを抱いたのは僕と彼だけだったようですね。あなたを愛する資格があるのは、昔からずっと、あの御方だけですから。僕はどうして忘れていたのでしょうか。あの御方の苦労も知らずに、咎めるような真似ばかり繰り返してしまいました」
今度はフォーマルハウト様まで人格が変わってしまったのだろうか。
何やらよく分からない事を呟いていらっしゃる。
「ミラさん、このままではメリディアナ王女殿下とシリウス様が婚約してしまいます。急な事ですが、今から作戦を開始しましょう」
フォーマルハウト様は、呆気にとられる私の事は一旦放置し、ドアの隙間から廊下の様子を伺った。
「行きました。プロキオン⋯⋯あの男は、あなたの部屋へと向かったようです。今の隙にシリウス様のところに向かいましょう。万が一メリディアナ王女殿下が一緒にいらっしゃった場合は、僕が殿下を連れ出します」
フォーマルハウト様は私の手を引き、廊下に出て、大きな歩幅でずんずんと前に進んでいく。
そしてたどりついたのは、シリウス様のお部屋の前だ。
「あの⋯⋯突然なんのお話でしょうか? 何が始まるのですか? 私はどうしたら⋯⋯」
フォーマルハウト様のおっしゃる作戦の意味が理解できず、置いてきぼりを食らっていることに焦りと不安を覚える。
「ミラ嬢は心のままに行動なさってください。一度、勇気を出して、あの御方の唇を奪ってしまえば、あとは、あの御方がなんとかしてくださいますから。健闘を祈ります。では参りましょう」
フォーマルハウト様はシリウス様の部屋のドアをノックした。
けれども一向に返答はない。
「まずいですね。すでに出かけられた後でしたか。申し訳ありませんが、時間にも策略にもゆとりがありません。ひとまず、あなたはここに隠れていてください。シリウス様が戻られるまで、決して出て来てはいけませんよ」
フォーマルハウト様は、学園の清掃作業員などが使う準備室に私を押し込める。
「え? ちょっと、フォーマルハウト様!?」
狼狽える私を置いて、彼は走り去ってしまった。