28.駆け引き
翌日の昼休み。
プロキオン様が肩を落としながら、トボトボと私の席まで歩いて来られた。
「昨日の件、きちんと謝罪をしたいんだ。少し話せないかな?」
プロキオン様は、少し赤く腫れた左の頬をさすりながら、申し訳なさそうな顔をしている。
謝罪と言うのは、誇張されたうわさ話を広めたことかしら?
それとも、アルキオーネ様とフォーマルハウト様と喧嘩なさったこと?
「分かりました。これ以上騒ぎにしたくないので、時間をずらして移動しませんか?」
私の提案にプロキオン様は頷いたあと教室を出た。
しばらくして、指定された近くの空き教室に入ると、彼は教壇にもたれるようにして立っていた。
「お待たせ致しました。それで、お話と言うのは⋯⋯?」
近づき声をかけると、彼は自然な流れで私を抱きしめた。
「ミラ、やっと二人きりになれたね。昨日のことは俺が悪かったよ。二人の関係を少し大袈裟に話してしまったのも、君が自分だけのものだとはっきりさせたかっただけなんだ。きちんと責任は取るから、許してくれないかな」
プロキオン様はわざとらしく眉を下げながら言ったあと、私の頬にキスをする。
たった一度、二人きりで出かけて、流れでキスしただけなのに、プロキオン様の態度は明らかに今までとは違う。
「プロキオン様、先ほどから少し距離感が近いように思います。恋人同士というわけでもありませんし、離れて頂けませんか?」
プロキオン様の胸を押して、急いでその腕から逃れる。
「ええ! 俺と君の仲なのに、今更、つれない態度をとるなんて、どうしちゃったの?」
大袈裟に仰け反り驚く様は、私が間違っているのかと錯覚してしまうほどの名演技だ。
「申し訳ありませんが、わたくしはそのようなつもりはありませんので。謝罪して頂けるというのも、今後もご友人として接して頂けるという意味かと思っていました」
その言葉に空気が凍りつくのを感じた。
まただ。
劇場で見た時と同じ、氷のように冷たい眼差しを向けられている。
たった数ヶ月の付き合いとは言え、ひょうきんな友人だったはずの御方が、ここ数日で急に別人になってしまった。
言葉が届かなくなったような感覚に不安を覚える。
「⋯⋯⋯⋯フォーマルハウト様に何か言われた?」
苛立ちを含んだ硬い声に、身が縮み上がる。
「プロキオン様は、わたくしのことを愛していらっしゃるわけではありませんよね? なのに、どうして恋人になりたがるのでしょうか?」
フォーマルハウト様に気づかせてもらった疑問をぶつけると、彼のシルバーの瞳が再び黒く濁った。
「こちらが微笑みの貴公子を演じている内に落ちてくれていたら、夢を見させてあげられたのに。察しが良すぎるのも不幸になる原因だよね。まぁ、見ててよ」
プロキオン様はわけの分からないことを言うと私の腕を引き、教壇の陰に引きずり込んだ。
「ちょっと、プロキオン様?」
抗議しようと暴れると、手で口を塞がれる。
それと同時に教室の前の廊下に人の気配を感じた。
「ねぇ、シリウス。これ以上待てないわ。早くこちらに来て」
甘えるような声が聞こえると共に教室の扉が開き、入って来られたのは、メリディアナ王女殿下とシリウス様だ。
「シリウス、愛しているわ」
殿下は慣れた手つきでシリウス様の頬を両手で包み込み、背伸びをしてキスをした。
突然、目の前に飛び込んで来た光景⋯⋯
咄嗟に顔を背けようとするも、プロキオン様はそれを許さない。
あごを掴まれ、再び顔を正面に向けられる。
「ちゃんと目に焼き付けて」
一瞬見ただけで、強く目に焼き付いているというのに、これ以上何を見ろというのか。
御二人の行為はまさしく恋人同士の日課だ。
いつもこの時間、ここで人目を忍んでキスを楽しまれているのだと容易に想像できる。
シリウス様は私には王女殿下とは何でもないとおっしゃったけど、やっぱり御二人は恋人同士だったんだ。
いつだってそうだった。
シリウス様を目で追う度に、隣にいらっしゃるのはメリディアナ王女殿下だったじゃない。
夜空の星のように遠い憧れの人が、この国で一番高貴な女性と愛し合っているなんて、祝福すべきことなのに。
涙が頬を伝い、胸は張り裂けそうになる。
「シリウスって、本当に素敵だわ。星空祭の夜が楽しみね。いよいよ私たちは正式に結ばれるんだから」
メリディアナ王女殿下はシリウス様の腕にご自身の腕を絡ませ、上機嫌に退室していかれた。
御二人の声が遠くなっていくと、へなへなと全身の力が抜け、座った姿勢を保つのがやっとの状態になる。
「おっと」
プロキオン様は少しおどけたように笑いながら肩を支えてくださった。
「分かったかな? シリウス様は名実ともに、メリディアナ王女殿下のものなんだよね。昨日、シリウス様とこっそり話していたみたいだけど、もうあの御方のことは諦めて、君は俺だけを見ていればいいんだ。もし拒絶するようなら、グラフィアス子爵家と神殿派の関係は良好なものでは無くなるだろうなぁ。あっ、アルキオーネ様とフォーマルハウト様にご相談するのも止めた方がいいと思うよ? 大好きな御二人にご迷惑をかけたくないなら、よーく考えて行動することだね」
脅迫めいた話に固まっていると、ふっ、と小馬鹿にするように鼻で笑われた。
プロキオン様の目的はなんなのだろう。
ここがシリウス様とメリディアナ王女殿下の密会場所だと知りながら、私を呼び出し、現実を再認識させ、自分を選べと言う。
シリウス様への恋心が、プロキオン様に知られていることは仕方ないとして、どうしてここまでするんだろう。
私を愛していないのに、手に入れたい理由は何かの答えは結局分からないまま。
神殿派を敵に回すとの脅しは、今後、一族が病に倒れても、浄化や苦痛緩和の祈りを捧げてもらえなくなる上に、生涯を終えた時も天国には行けずに、孤独に彷徨い続けるということ。
子供の誕生から婚姻についても、一切、神殿が祭事を執り行わなくなるから、一族は末代まで社会から疎外されて生きていくことになる。
そんな苦難を家族に強いるなんて、私に出来るはずがない。
「じゃあ、恋人同士で過ごす初めての星空祭、楽しみにしているね。夜に部屋まで迎えに行くから。もう後戻りできないよう、皆に俺たちの関係を誇示しながら過ごそう」
プロキオン様は再び私の頬にキスしたあと、静かに退室していった。