26.うわさ話
休日明けのお昼休憩のこと、慌てた様子のアルキオーネ様に引きずられるようにして、校舎裏に連れ出された。
「ミラさん! あなたは、いったい何をしていらっしゃいますの? あなたはシリウス様のことがお好きなのではありませんでしたか? それなのに、プロキオン様と二人で出かけられた挙げ句⋯⋯純潔を捧げるだなんて!」
アルキオーネ様は私の両肩に手を起き、激しく前後に揺さぶる。
突然聞こえた突拍子もないキーワードに、さーっと血の気が引いていく。
「お待ちください、アルキオーネ様! 確かにプロキオン様と観劇に出かけて、その⋯⋯キスまでは致しましたが純潔は捧げておりません! どうしてそのような話をアルキオーネ様がご存知なのでしょう?」
「なっ⋯⋯何かの間違いであれば、どれだけ良かったことか⋯⋯なのに、キスはなさったですって! どうしてアイツ⋯⋯ではなくて、プロキオン様なんかと、そのようなことを! 上級生の方がお二人の逢瀬を目撃されたみたいですわ。プロキオン様は否定なさらないし、ますますひどい騒ぎになっております!」
「そんな、別にあれは、その場の流れでそうなっただけで⋯⋯」
と言いかけた所で、アルキオーネ様に後ろから手で口を塞がれた。
「いや〜まさかあのミラ嬢が、誰かのものになる日が来るとは」
「純真無垢なイメージしかありませんでしたが、プロキオン様がうらやましい限りです」
「てっきりフォーマルハウト様が射止められるかと思っていましたが、やはり女性というのは、ああいう男の方がお好きなのでしょうか?」
廊下を通り過ぎる生徒たちが、うわさ話を口にしている。
「⋯⋯⋯⋯だから気をつけるよう、散々申し上げましたのに! とにかく、この話はわたくしの方でなんとか鎮火いたしますから、あなたは堂々となさって。それと! ミラさんは自分の本心に付き従って行動なさってください。今度の星空祭⋯⋯なんとしてもシリウス様をお誘いして、その唇を奪うのです。機があるのならば、祭を待たなくても結構。そうすれば、後はシリウス様がなんとかしてくださいますから。他の殿方の誘いはなんと言われようとも、全て断ってくださいまし!」
アルキオーネ様は、人差し指で何度も私の頬をつつきながら、早口でまくし立ててこられた。
星空祭というのは、夏の長期休暇に入る前の最後の平日に行われるもので、その名の通り、夏の夜空を見上げて星を楽しむ、この学園の伝統行事。
特に今年は、十年に一度のジラー彗星が見られる年で、この日、星空の下でキスをした男女は永遠に結ばれるというジンクスが有名。
私たちほどの年齢にもなれば、一種の婚約の儀式としても扱われるような神聖なものだ。
そんな日に、ただのクラスメイトである私が、シリウス様をお誘いした上に、唇を奪うだなんて、アルキオーネ様はなんと無謀なことをおっしゃるのか。
「あぁ! わたくしがもっと早くにお節介を焼いていれば! 今度こそあなたには絶対に幸せになっていただかないと、わたくしが困ります! ほら! さっそくチャンス到来ですわよ!」
アルキオーネ様はそう言って、今度は私の背中をぐいぐいと押した。
どうしてアルキオーネ様がそこまでして私を助けてくださるのか。
他にも疑問は尽きないけれども、押されるがままに無抵抗でいると、そこには信じられない人物がいた。
シリウス様が私の方を見つめながら、立っている。
「シリウス様? どうかされましたか?」
気づいたら私は彼のもとへと走り出していた。
「いや。そんなに急がなくてもいい。以前に借りていた本を返そうと思ったんだ。長い間ありがとう」
シリウス様はカバンから一冊の本を丁寧に取り出し、両手でこちらに差し出した。
それは入学直後に、まとめて何冊かお貸しした本の内の一冊。
色々な方と本の貸し借りをしているから、すっかり頭から抜け落ちていたけれど、シリウス様が持っておられたのね。
「この本について、少し話さないか?」
シリウス様のお誘いを受けて、近くにあったガゼボに座ることにした。
「皇帝を納得させる最高の食事⋯⋯まさか、敵国の家庭料理からヒントを得るなんて、思いもしませんでした」
「あぁ。そうだな」
「主人公であるシェフの人柄が良かったからこそ、敵国の人も心を開いて、料理を振る舞ってくれたのでしょうね。敵国と聞くと国民たちも皆、恐ろしい人間なのかと思ってしまいますけれど、実際は家族で食卓を囲んで温かい料理を食べたいだけ、平和に暮らしたいだけで、自分たちとなんら変わらないことに、より戦の悲惨さを感じました」
「あぁ。そうだな」
シリウス様は先ほどから考え事をされているのか、ずっとしかめっ面をされていて、私だけがペラペラと話しているような気がする。
シリウス様がこの本について語り合いたいとおっしゃったのに。
やっと、二人でお話できる貴重な機会なのに。
「あの⋯⋯シリウス様、申し訳ありません。わたくしは何か、間違えてしまったでしょうか⋯⋯」
あまりの反応の薄さに不安になり、声をかけると、シリウス様ははっとしたように顔を挙げた。
「すまない。僕としたことが、君は真剣に答えてくれているにも関わらず⋯⋯実は、本のことは口実にすぎないんだ。僕は君に聞きたい事があって話しかけたんだ。その⋯⋯」
シリウス様が聞きたい事って、いったい何かしら?
テーブルの上に置かれたシリウスの拳は硬く握られていて、なんだか緊張されているのが伝わって来る。
しばらく沈黙が続いた後、シリウス様は覚悟を決めたように口を開いた。
「ミラ嬢、君は⋯⋯プロキオンのことが好きなのか?」
予想もしていなかった問いかけに、頭の中が真っ白になる。
シリウス様の耳にも、あのうわさ話は聞こえてしまっていたんだ。
どうしよう。なんて答えたらいい?
シリウス様に誤解されたくないけれども、私がプロキオン様とただのクラスメイトでは無くなってしまったのは事実で⋯⋯
だとしても、そもそもシリウス様はあの日、メリディアナ王女殿下とお過ごしだったのだから、私が誰を好きであろうがこの御方には無関係で⋯⋯
「今はまだ、なんともお答えし難いです。親しくしては頂いていますが、うわさ話にあるほど深い仲ではございません」
当たり障りのない言葉を選んだつもりだけど、これで問題なかったかしら。
ちらりとシリウス様の顔を見上げると、少し安心したように微笑んでおられた。
「そうか。それなら良い」
アルキオーネ様と言い、シリウス様と言い、プロキオン様はよっぽど周囲から警戒されているみたい。
それで私を心配して声をかけてくださったなんて、どれだけお優しい御方なのか。
「シリウス様はどうなのでしょうか? その⋯⋯殿下とご婚約なさるのですよね?」
ずっと聞きたくても、怖くて聞けなかったこと。
この流れなら話題に出しても不自然じゃないわよね。
「親同士の宴の席での冗談が大袈裟に伝わっただけだ。殿下にはもっと相応しいお相手がいらっしゃる」
シリウス様は私の目を真剣な表情で見つめながら、きっぱりとおっしゃった。
ご謙遜もあるだろうけれども、まだお二人がそういう仲ではなさそうなことに、密かに胸を撫でおろす。
「それはともかく、良かったらまた、君のお勧めの本を教えてくれないか? 僕は君がいつもどんな世界を見ているのか、何が好きなのか、もっと知りたいんだ」
ふと、シリウス様の指先が、ベンチの上にあった私の指先に軽く触れた。
その瞬間、心を鷲掴みにされたように胸がきゅーっとなる。
シリウス様が私のことをもっと知りたいと言ってくださるなんて。
「はい。もちろんです。またシリウス様と一緒に本についてお話出来ると、わたくしも嬉しいです」
シリウス様に認めて頂けたような気がして、この上ない喜びを感じた。




