25.桎梏《しっこく》の剣
プロキオン様に慰められている内に劇が始まった。
『三人の賢者と二人の魔女』の物語の序盤は、村の人間たちと関わることで起きる、二人の魔女の心境の変化が描かれる。
村の人間たちと心を通わせていく慈愛の魔女に対して、人間たちを見下し、慈愛の魔女への不満を募らせる破滅の魔女⋯⋯
「か弱い人間たちが私たち魔女にひれ伏し尽くすのは、当然の事でしょう? それを感謝しろだなんて、とんでもないわ。あの者たちは卑しい気持ちでお姉様に近づいているのが分からないの!?」
「シャウラ、彼らはあなたが思っているような悪い生き物ではないのよ。確かに汚れた心を持つ人間がいる事も否定はしないわ。けれども、それは魔女にだって同じことが言えるでしょう? 魔女と人間だって手を取り支え合って暮らしていけば、より豊かになるわ」
慈愛の魔女のこの発言に納得がいかない破滅の魔女は、人間たちから善意もって接されても、何の喜びも感じられず、心を閉ざしたままだった。
破滅の魔女との交流を望む者は後を絶たなかったにも関わらず、遂には彼女が人間たちを理解しようとする事はなかった。
一方、慈愛の魔女は特に三人の青年と親交を深め、後に予見の賢者と呼ばれる青年と結ばれる。
「どうしてお姉様は人間たちに愛されるの? どうしてあんな奴らの事を愛せるの?」
「それはね。彼が愛を教えてくれたからよ。彼はとても優しくて聡明で、繊細で美しい心を持った男性なの。何より私の事を一番に考え、大切にしてくれるのよ。シャウラ、あなたにもそんな人が現れたら⋯⋯」
「そんな事が聞きたいんじゃない! まるで、世界でたった一人、私だけが間違っているみたいに⋯⋯」
孤独に潰されそうになった破滅の魔女は、賢者たちを抹殺しようと試みるも、その企みはことごとく阻止される。
「お姉様はそいつらの肩を持つの? 私はたった一人の家族なのに。ねぇ、お姉様!!」
破滅の魔女は瘴気をまとい、草木を枯らし、水を汚し、人々の心身を蝕んだ。
世界を壊そうと暴走を始めた破滅の魔女を止めるため、慈愛の魔女と三人の賢者はシレンスの森に向かった。
そこで待ち構えていた森の番人によって、森の聖域に案内され、予見の賢者は『桎梏の剣』を授かる。
その剣で刺された者は、手枷足枷をされたように動けなくなるとされており、その事を恐れた破滅の魔女が、剣を奪いに現れたところを、聖域の大木に封印することに成功した。
「シャウラ⋯⋯私はまたいつか、あなたと仲の良い姉妹に戻れる日をいつまでも待ち続けます。どうか、もう世界を壊すなんて言わないで。誰かの尊い命を傷つけるなんて言わないで。世界があなたを許さなくても、私だけはあなたを理解するよう努力するから」
シェダルは、封印されたシャウラの前で泣き崩れ、予見の賢者は慰めるようにその肩を抱いたのだった。
拍手が巻き起こる中、劇の幕は閉じられた。
私が持っている本と概ね同じ筋道で物語が進んでいったけれども、この物語はシャウラの心情描写がより丁寧に演じられていたように感じた。
「どんな物語も出版社によって、あらすじや時には結末さえも違うことがある。各劇団が物語を読み解き、解釈を加えるから、演じられる物語も千差万別だね」
私の疑問にプロキオン様はそう答えてくださった。
現在、私たちは、劇場を見下ろせる小高い丘の公園にて、感想を語り合っている。
すっかり日が沈んで、街の明かりが暖かく灯っているのが美しい。
「俺はシャウラが可哀想に思えたな〜三人の賢者と慈愛の魔女は、世界を救うために、破滅の魔女を封印するしかなかったのだろうけどさ。慈愛の魔女がもう少し破滅の魔女に寄り添ってあげていたら、結末は変わったかも。だって、元々は仲良しの姉妹だったんでしょ? 慈愛の魔女にとっての『一番』が、破滅の魔女から予見の賢者に変わったことが決定打だよね」
「確かに、破滅の魔女を止めることが出来たのは、慈愛の魔女だけですものね。けれども、ああなった以上、破滅の魔女を野放しにするわけにはいかなかったのでしょうね。例え実の妹でも。いえ、実の妹だからこそ、罪を犯させられなかったというか⋯⋯」
プロキオン様は柵にもたれ、上目遣いでこちらを見ながら、私の意見をじっと聞いていた。
「そう。意外だね。破滅の魔女の肩を持つとか、反感を買うかと思ったけど」
「魅力的な悪役には、どこか感情移入出来るところがあるものではないでしょうか? それに、行動に移すことは悪ですけど、思考に共感することは別に罪でもありませんし。むしろ、プロキオン様は意外と優しくて、心が綺麗な人なのかなと思いました」
「意外とって何? 俺は元から優しくて心が綺麗なんだけど」
彼は少し照れたように顔を背けた。
同じ物を見て感じて、思いを語り合う事で、その人の内面を少しずつ知れるような気がする。
初めてシリウス様とお話した時、彼はシャウラにだけは何故か感情移入出来ないと、真剣に悩んでおられたっけ。
理解できないところも面白みの一つではないかとお答えしたら、少し安心したように笑っていらっしゃって⋯⋯
もしかしたらシリウス様とプロキオン様も気が合うかもしれないわね。
「また別の男のことを考えてる?」
耳元で苛立ったような声が聞こえたかと思ったら、後ろから力強く抱きしめられた。
プロキオン様は私の頭の上に顎を乗せ、グリグリと押し付けてくる。
「あの⋯⋯プロキオン様?」
「周りを見てみなよ」
頭頂部にプロキオン様の重みを感じながらも、右へ左へ首ねじって顔を動かす。
周囲にいるカップルたちは、熱い抱擁やキスを交わしながら、二人だけの世界にいるみたい。
「だからって、私たちも同じようにするわけではありませんよね?」
「するよ。だって、そのつもりでここに来たんだから」
一度、腕が解かれると、身体の向きを変えられ、正面から抱きしめられる。
「ミラ嬢、俺は君のことを特別だと思っているんだ。だから、俺も君の特別になりたい」
切羽詰まったように紡がれた言葉⋯⋯
それはつまり、プロキオン様は私と恋人同士になりたいということ?
私はもう十六歳だから、そろそろ恋人を作って、卒業までには結婚の約束をして、生家であるグラフィアス子爵家の発展に貢献しなければならない。
良く知らない人をあてがわれるよりも、その方が幸せになれるはずだから。
いつまでも不毛な片想いをしている場合ではないのは分かっている。
プロキオン様は伯爵家の人間だし、卒業後には神殿勤めをなさる事も決まっている。
私には光栄なお話で、きっとお父様とお母様も喜ばれる。
打算的に思えるけど、女性たちは皆、そういう考えのもと行動するよう、家長から指導されるのが一般的なはず。
だから私も同じようにしないといけないのよね?
頭の中でぐるぐる考えていると、肯定と捉えられたのか、後頭部を押さえつけるようにしてキスされた。
角度を変えながら降ってくるキスに戸惑いながらも応える。
確かに温かくて心地いいけれど、思ったほど感情は揺さぶられない。
小説の中では、もっと魅力的な行為のように書かれていたのに。
情熱的に唇を重ねながら、プロキオン様は私の背中や腰を撫でた。
慣れない感覚に少し身体が跳ねると、今度は指先で耳たぶや首筋に触れられる。
「二人きりになれる場所に行こうか」
プロキオン様の目は妖しく光り、私を見つめている。
このまま彼について行けば、私たちは男女の関係になるんだろうか。
アルキオーネ様には、十分注意するように言われていたのに。
一度男女の関係になってしまえば、プロキオン様の気さえ変わらなければ、私たちはいずれ結婚し、私はこの御方を支え、子どもを産み育てることに人生を捧げることになる。
私にそんな事が出来るのかしら。
それに、そもそもこの御方って、私の事を愛しているのかしら。
頭に浮かんだ疑問を払拭出来るほど、目の前の彼に夢中になれずにいる。
「申し訳ありません。なんだか体調が優れなくて、今日はこれで帰ります」
私は子爵家の令嬢としての責務よりも、自分の感情を優先してしまった。