23.新たな人生
アステル学園に入学してから、一年目の夏。
放課後、学園の図書館に向かう途中で、とある男性に呼び止められ、迫られていた。
「ミラ嬢、君はなんて美しいんだ。太陽の光を浴びてまぶしく輝くこの髪⋯⋯まるで夏の妖精みたいだね」
伯爵家ご令息のプロキオン様は、壁際に私を追い詰め、髪の毛をすくうようにして、持ち上げた。
「いえ、わたくしは、そのような⋯⋯えっと⋯⋯ありがとうございます⋯⋯」
男の人にこんな風に褒められるなんて慣れていないから、緊張して心臓がどきどきと脈打つ。
彼は、挙動不審になる私を見つめながら、上機嫌にしていらっしゃる。
「それでいて、奥ゆかしいだなんて⋯⋯君の全てを俺のものにしたくなるなぁ」
プロキオン様は私の顔の横に手をつき、顔を近づけてこられた。
目尻が優しく下がった甘いマスクは女性達の憧れ。
ドゥーベ家に特徴的なシルバーの瞳は、私を見つめる時はいつも、どこか挑戦的に見える。
シルバーの髪は陽の光にきらめいていて、夏の妖精はあなた様の方ですとお伝えしたいくらい。
「ミラ嬢、俺だけを見て⋯⋯」
「あの⋯⋯その⋯⋯」
言葉に詰まり、焦ってしまったその時。
「そこまでですわ! プロキオン様! ミラさんが困惑なさっているでしょう?」
ずんずんと肩を怒らせながら歩いていらしたのは、アルキオーネ様だ。
私を守るように、プロキオン様との間に入ってくださる。
「また貴方ですか。まったく、油断も隙もない。今から勉強会をするのでしょう?」
アルキオーネ様の後ろからいらっしゃったフォーマルハウト様は、プロキオン様の腕を掴み、図書館の方へと連れて行く。
「ミラさん? 何かいやらしい事はされませんでしたか? 彼のように普段はにこやかな男性も、さかりがつくと狼になるのですから、貴女も食べられないように気をつけないと。今度からはわたくしと一緒に教室を出ることにしましょう」
アルキオーネ様は私の腕にぎゅっと抱きついた。
「ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。わたくしは大丈夫です」
アルキオーネ様はそれでも心配なのか、私の顔や身体をペタペタと触りながら異変がないことを確認する。
「ちょっと、アルキオーネ様! うふふ、くすぐったいです⋯⋯」
「なんと! 美しい花と花が戯れる姿は、男女のそれとも違った魅力を感じますね。いつまでも眺めていたいくらいに!」
プロキオン様はこちらを振り返り、恍惚とした表情を浮かべる。
元はと言えばプロキオン様のせいなのに⋯⋯
「貴方は聖職者の家系なのに、どうして品位を欠く言動をなさるのでしょうか? もう少し慎みを覚えられた方が良いのでは」
フォーマルハウト様は、立ち止まるプロキオン様の腕を再び引く。
「美しい女性を愛でる事が品位を欠く事になるのでしたら、この世界は終わりへ向かうでしょう。清く正しくあることは、愛に満たされた日常の中でこそ、叶うものなのです」
プロキオン様の発言に、フォーマルハウト様はどこか納得いかないような表情で首を傾げる。
そうこうしている内に、図書館に到着したので、四人がけの机に着席し、本を広げ、勉強を始める。
こんな私たちだけれども、読書という共通の趣味があり、放課後はいつもこの四人で集まっては、本の感想を語り合うか、アルキオーネ様とフォーマルハウト様に勉強を教えて頂く事が多い。
「アルキオーネ様、このルベル語の問題なのですが、どうしてこの解答になるのでしょうか?」
「どれどれ⋯⋯⋯⋯そうですわね。恐らくミラさんは、過去形と過去完了形で混乱されているのではありませんか? この例文の場合、過去の基準となる時点があって、その時点までの経験の話をしていますから⋯⋯⋯⋯」
「なるほど、ではこの場合は⋯⋯⋯⋯」
アルキオーネ様が複数の例文について、解説を交えながら説明してくださるから、理解が深まる。
「フォーマルハウト様ぁ〜俺はこういった問題は苦手なんです〜もう一度教えてください〜」
プロキオン様はフォーマルハウト様の肩に擦り寄りながら、上目遣いで甘えていらっしゃるみたい。
「分かりました。きちんと説明しますから、背筋を伸ばして座ってください」
フォーマルハウト様は顔をしかめながらも、丁寧に解説しておられる。
そんなお二人の様子に思わず笑みがこぼれる。
「ミラさん! ミラさん! シリウス様がいらっしゃいましたわよ!」
突然、アルキオーネ様にコソコソっと耳打ちされた。
大慌てで入り口の方へ視線を向けると、そこには私にとって憧れの存在⋯⋯シリウス様が立っておられた。
すらりと長い脚に、歩く度にサラサラと揺れる深紫の髪の毛。
どこか儚げで憂いを帯びた横顔⋯⋯
その素敵なお姿を一目見るだけで、心臓が止まりそうになる。
シリウス様は私たちに気がつくと、ゆっくりとこちらに歩いていらっしゃった。
「君たち四人は、今日も勉強会をしているのか。いつか僕も混ぜて貰えないだろうか」
シリウス様は机の上に片手をつき、私たちの手元を覗き込む。
横髪がサラリと垂れる瞬間に、何とも言えない趣きを感じる。
「シリウス様なら大歓迎ですわ! いつかとおっしゃらずに、今から参加なさっては? ちょうど、ここがもう空きますから」
アルキオーネ様は突然立ち上がり、シリウス様に席を譲ろうとする。
「そんな! アルキオーネ様?」
途中で帰るなんておっしゃってなかったはずだから、これは私を気遣ってのことなのだろう。
慌てて立ち上がると、アルキオーネ様はウインクを飛ばしてこられた。
お気持ちはとってもありがたいけれども、そんな露骨な⋯⋯
「そうなのか。アルキオーネ嬢は帰ってしまうのか。君にも聞きたい事があったんだが⋯⋯」
シリウス様が勧められるがままに着席しようとしたその時。
「シリウス! ここにいたのね! 探したのよ!」
こちらに向かって駆けて来られたのは、同級生で、この国の第一王女のメリディアナ殿下だ。
殿下はシリウス様に一直線に近づき、後ろから勢い良く抱きつく。
「だめでしょ? シリウスは、わたくしと二人きりで、あちらの席を使いましょう?」
メリディアナ殿下は甘えるように身体を揺さぶり、シリウス様を連れて行ってしまった。
「チッ! もう少しだったのに」
アルキオーネ様は舌打ちをしながら、少し乱暴に腰掛ける。
「あれれ? アルキオーネ様はお帰りの予定だったのでは〜?」
プロキオン様はわざとらしく明るい声で、アルキオーネ様の顔を覗き込む。
「気が変わりましたわ! 少なくとも貴方が帰るまでは、わたくしはこの席を離れませんから」
アルキオーネ様は、私を慰めるためか、背中をポンと叩いてくださった。
足取り軽く遠ざかっていくメリディアナ殿下は、シリウス様と腕を組みながら、幸せそうに笑っている。
お二人の後ろ姿を見て、胸が割れるように痛むのを感じた。